バルトーク ちょっと寄り道 その2 〜弦楽器、打楽器、チェレスタのための音楽〜

初版作成:2004年3月28日


 第51回定期で、バルトーク「舞踏組曲」を演奏しますので、普段あまり聴かないバルトークについて、ちょっと寄り道して他の曲も聴いてみましょう。 ということで、第2弾として「弦楽器、打楽器、チェレスタのための音楽」を聴いてみましょう。



 「弦楽器、打楽器、チェレスタのための音楽」(略して「弦チェレ」)は、「管弦楽のための協奏曲」に比べると、厳しく取り付きにくい音楽ですが、音楽の深さという点で20世紀音楽のベスト10に入る傑作ではないかと思います。

 バルトークの音楽は、厳しく、激しく、リズム要素が大きいのですが、金管を含むフルオケの曲は、意外に数えるほどしかありません。金管を使うと激しくなりすぎることを懸念したのでしょうか、弦楽器を中心に据えるケースが多いようです。
 例えば、6曲の弦楽四重奏曲。弦楽器にこれだけ厳しい音楽を書けることはすごいことですが、逆に弦楽器だから音楽として成功しているのかもしれません。金管楽器を使ったら、音の激しさだけで、音楽はどこかに吹っ飛んでしまうかもしれません。

 「弦チェレ」も、そういった意味で、厳しい音楽を管楽器なしで実現しています。ただ、弦楽器だけでは表現できない硬質な音を、打楽器やピアノ、チェレスタ、ハープを使って表現しています。この楽器の組合せの妙は、バルトーク独特のものでしょう。
 ところで、曲のタイトルに「ピアノ」がないのは、「打楽器に含まれるから」ということのようです。逆に、タイトルにきっちり書き込まれたチェレスタは、聴こえてくると効果的なのですが、音量が小さいのでピアノほどは目立ちません。

 この曲は、バーゼル室内管弦楽団を率いていたパウル・ザッヒャーの委嘱で作られました。同じバルトークの「弦楽のためのディベルティメント」も同じです。
 実は、このザッヒャーは、オネゲルに交響曲の委嘱もしています。交響曲第2番と第4番(そのものズバリの「バーゼルの喜び」というタイトルが付いています)。20世紀音楽の傑作の誕生に、極めて重要な人だったわけです。

 曲は、4つの楽章からなりますが、演奏時間は各楽章とも約7分とほぼ等しくなるように作られています。

 第1楽章はゆっくり(アンダンテ・トランクィロ)。
 弦楽器によるフーガが延々と続きます。意志と信念を持った、緊張感の持続する厳しい音楽です。

 この楽章、「舞踏組曲」の記事(「バルトーク「舞踏組曲」に関するトリビア」)に書いたレンドヴァイの著作「バルトークの作曲技法」の中に、黄金分割の典型例として紹介されています。結論だけ書くと、次のようになっているそうです。

全小節数小節数内容小節番号
89前半
55
34開始(pp)〜弱音器外し1〜34
21弱音器外し〜クライマックス35〜55
クライマックス(ff):(打楽器の一撃!)56
後半
34
21クライマックス〜弱音器装着まで56〜76
13弱音器装着〜終結(pp)77〜89

 フィボナッチ数列は「1、1、2、3、5、8、13、21、34、55、89、144・・・」であることを思い出して下さい(各項は、その前2つを足したものに等しい)。そして、数が大きくなると、フィボナッチ数列の隣り合う数の比は黄金分割に近づきます。(5/8=0.625、8/13=0.61538・・・、13/21-0.61904・・・、21/34=0.61764・・・、34/55=0.61818・・・。黄金分割比は、0.61803・・・)
 小節数が、すべてこのフィボナッチ数列の中の数字に一致することにご注目!!

 クライマックス(56小節目)は、楽章全体(89小節)の黄金分割点になっています。
 また、前半(1〜55小節)の転換点となる34小節目で弱音器を外しますが、ここは前半の黄金分割点となっています。前半は次第に高潮する部分なので、「長:短(=0.618:0.382)」の「ポジティブな」黄金分割となっています。
 後半は次第に沈静化する部分なので、弱音器をつける転換点(77小節目=後半開始から21小節経過後)は、後半(56〜89小節の34小節)の「ネガティブな」(=短:長)黄金分割点となっています。

 この記事にもたびたび登場する日フィルのホームページ「演奏会の聴きどころ」には、フーガの主題の音程関係について解説されています。これによると、フーガの主題はA(イ音)で始まり、偶数回の入りは5度上、奇数回の入りは5度下で出現し、結果として偶数回はA-E-H-Fis-Cis-Gis-Dis(=Es)に到達し、奇数回目はA-D-G-C-F-B-Esとなり、最終的にEs(変ロ音)で始まるクライマックス(56小節目)に到達するのだそうです。この「5度上」の繰返しと「5度下」の繰返しで共通の対極調に至るというのが「中心軸システム」です。(別項「バルトークにまつわるトリビア」を参照下さい)
 後半のフーガの主題は、冒頭のテーマの反行形(上下が逆)で出現し、最後にはオリジナルの主題と反行形が重なり合って、最初のA(イ音)に戻って終わります。(つまり、A(イ音)で始まり、対極のEs(変ロ音)に至ってクライマックスとなり、最後は元のA(イ音)に戻る)

 ということで、この第1楽章においては、バルトークの作曲技法である調性に関する「中心軸システム」と、曲の長さに関する「黄金分割」が、見事に統一的に適用されているというわけです。
 何か、すごすぎて怖くなりますが、そんな知識は音楽を聴く上で特に必要はありませんので頭の片隅に追いやって、とにかく音楽に耳を傾けてみましょう。音楽そのものが十分に魅力的ですから。
 なお、曲の終盤でチェレスタがキラキラと印象的に加わります。

 第2楽章は速い(アレグロ)。
 この楽章では、弦楽器に加えて、ピアノや打楽器(特にティンパニ)が大活躍します。2群の弦楽器(右と左)の掛け合い効果も聴きどころ。

 中間に出てくるピアノによる「天駆ける馬」のようなパッセージは爽快!で、印象的です。(日フィルのホームページ「演奏会の聴きどころ」に楽譜付きで出ています)この部分が、この楽章の黄金分割点になるそうです。
 このパッセージ、ストラヴィンスキーの「3楽章の交響曲」の第1楽章にそっくりな気がします(似ていると感じるのは個人的な印象というだけで、何の根拠もありませんが・・・)。作曲年代を調べると、バルトーク:1936年に対して、ストラヴィンスキー:1945年ですから、パクったとしたらストラヴィンスキーの方でしょう。

 第3楽章はゆっくり(アダージョ)。
 冒頭に出てくるシロホン(木琴)の同一音によるだんだん速くなるリズムは、日本の大相撲や歌舞伎の拍子木(「柝(き)」と呼ぶそうです)の「呼び出し」そっくりです。おそらく、日本では「さあ、始まり始まり!」という意味合いがあるのでしょう。やはり、マジャール人は東洋系のDNAを持っているのでしょうか。
 ちなみに、この部分、ライナー指揮のシカゴ交響楽団では(おそらく)楽譜どおりの正確なリズム割(アナログ的に連続ではなく、階段状に速くなる)で演奏していますが、最近買ったアダム・フィッシャー指揮ハンガリー国立交響楽団ではアナログ的にだんだん早くなります。フィッシャーの演奏の方が、日本人的にはしっくり来る気がします。
 第1楽章同様、ゆっくりの楽章なのですが、息が抜けず緊張感の高い音楽です。打楽器が効果的に使われており、特にティンパニのペダルによるグリッサンドは効果満点で、日本の「怪談」を思わせるような、おどろおどろしい雰囲気が漂います。チェレスタも活躍します。

 この楽章も、レンドヴァイによると小節数の黄金分割がきっちりなされているそうです。ただし、全体を4/4拍子でカウントした場合だそうで、クライマックス部分は5拍子であることを考えると、どう数えるとそうなるのかよく納得できないので、ここに掲載することはやめておきます。(そのうち、仕組みが解明できたら載せることにします)

 第4楽章は速い(アレグロ・モルト)。
 弦楽器をじゃらじゃらと弾き鳴らすイントロに乗って、すぐに村祭りの輪舞のようなテーマが始まります。若々しい生命力が駆け抜ける爽快な楽章です。ピアノの伴奏上に弦楽器で出てくる舞曲風の旋律は、いかにもハンガリーっぽい感じがします(ハンガリーって、行ったこともないのですが・・・)。
 そういえば、この曲は、前半の1、2楽章は結構垢抜けていますが、後半の3、4楽章はちょっと土臭さがあるように思えます。

 途中に、第1楽章のフーガのテーマが再現されますが、最後は舞曲風に戻って、あっさりと爽快に終わります。

 この楽章に関しては、小節数の黄金分割の話にはレンドヴァイも触れていないようですが、どのような構造上の秘密があるのは不明です。



 「弦チェレ」について書いてみましたが、まだまだ舌足らずで、調べ尽くしていないこともたくさんあります。書き足したいことがあれば、その都度追加していきますので、よろしければ時々のぞいてみて下さい。(2004年3月28日)



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