バルトーク「舞踏組曲」に関するトリビア  〜次回(第51回)の演奏曲目〜

初版作成:2004年1月12日
2007年6月2日:フィボナッチ数列の分かりやすい図を追加


 バルトークについては、まったく詳しくはありませんので、自分の勉強も兼ねて調べたことをここにまとめておくことにしました。
 読んだからといって、何のためにもならないトリビアですが、興味があったらお付き合い下さい。

 個人的には、バルトークはそれほど好きな作曲家ではありませんでした。
 ただし、「管弦楽のための協奏曲」(以下「オケコン」)は、何度か聴いているうちに良い曲だと思うようになりました。そのとき聴いていたのがフリッツ・ライナー/シカゴ響の演奏で、従って私的にはライナーの演奏がバルトークのスタンダードとなっています。数年前、新しい録音で、と思ってシャイー/コンセルトヘボウのCDを買いましたが、洗練されすぎていてバルトークには聴こえませんでした。メータ/ロス・フィルの演奏も持っていますが、これもいまいち。

 「舞踏組曲」は、横フィルで演奏すると決まるまで、一度も聴いたことがありませんでした。演奏することが決まり、CDを探しに行って、たまたま安売りしていたショルティの古い録音(シカゴ響ではなくロンドン響との1964年の録音)を買いました。「オケコン」と「マンダリン」(組曲)とのカップリングですが、この「オケコン」は好きなタイプの演奏でした。
 ちなみに、ライナー、ショルティともハンガリー出身。他にハンガリー出身の指揮者としては、アンタル・ドラティ、フェレンツ・フリッチャイ、ヤーノシュ・フェレンチク、フィッシャー兄弟(アダム、イヴァン)などがいて、みなバルトークを得意としています。そういえばオーマンディもハンガリー出身。
 なお、ショルティはブダペスト音楽院でバルトークにピアノを習い、1937年の「2台のピアノと打楽器のためのソナタ」初演の際、ピアノを弾いたバルトークの譜めくりをしたことを一生の誇りとしていたとか。

 「舞踏組曲」に話を戻しますと、最初に聴いたときには「???」という曲でした。このまま、内容があやふやなまま演奏しても何も面白くはないし、そもそも「情緒的」「感覚的」に演奏できる曲ではないので、理解の手がかりにと情報収集してみました。
 まだ、きちんと整理できていない状態で、いろいろな生の素材と役に立たないトリビアが混在していますが、どうせすぐに整理できるはずもないので、この時点で一度公表しておくことにします。(情報の追加、整理がついたら、その都度改訂します)



1.バルトークの略歴

 まず手始めに、バルトークの生涯の概観をしておきましょう。

 バルトーク・ベーラ(バルトークの属するマジャール民族では、日本と同様に「姓・名」の順序で呼ぶそうですので、こう書きます)は、1881年にハンガリーのトランシルバニア地方(現ルーマニア領)にあるナジュセントミクローシュ村に生まれました。当時のハンガリーは、オーストリア・ハンガリー二重帝国として、ハプスブルク帝国の一部でした。
 7歳のときに父が亡くなり、以後母の手ひとつで育てられ、いくつかの地方都市を転々とした後、1894年からボジョニ(現スロヴァキアのブラティスラヴァ)に定住します。ここで1899年にギムナジウムでの教育を終えた後、帝国の中心都市ウィーンではなく、民族の都であるブダペスト音楽院に進みます。
 初期には、ブラームス、ヴァーグナー、リストの影響が強く、R.シュトラウスに衝撃を受けてハンガリー独立の英雄を扱った交響詩「コシュート」(1903、この曲は聴いたことがない)を作曲。転機は1904年。1歳年下で生涯の盟友となるコダーイ・ゾルターン(1882〜1967)と出会い、1905年から民謡の採取を始めます。
 1907年にブダペスト音楽院のピアノ科教授に就任します。1909年、最初の妻マールタと結婚。
 この頃の主な作品に「弦楽四重奏曲No.1」(1908)、歌劇「青ひげ公の城」(作曲は1911、初演は1918)、ルーマニア民族舞曲(1915)、バレエ「かかし王子」(1914〜16)、「弦楽四重奏曲No.2」(1915〜17)、バレエ「不思議なマンダリン」(1918〜19)などがあり、国際的にも注目されるようになります。

 第1次世界大戦後、ハプスブルク帝国の崩壊、民族自決による小国家の独立により、ハンガリーの領土は大幅に縮小され(国土が28%に縮小)、民謡採取のフィールドが制限されることとなりました(生まれた村はルーマニアに、母の住む町はチェコスロヴァキアになってしまった)。ハンガリー自体では、1919年に短命の共産政権が誕生し、これに協力したバルトークやコダーイは、それに替わった右翼政権からは干されることとなります。ルーマニア系やスロヴァキア系民族の民謡採取や、それらの影響関係に注目した研究を行ったことから、ハンガリー国内の右翼からは非国民扱いされ、周辺諸国からはかつての文化的抑圧者として非難されるという状況も生じていて、ナチス・ドイツの出現を待つまでもなく「亡命」を考える状況が1920年代から生じていたといいます。
 プライベートでは、1922年に13年間連れ添った最初の妻マールタと離婚し、1923年に22歳年下のピアノの弟子パーストリ・ディッタと結婚します(バルトーク42歳)。
 1920年代は、このような背景で、作曲家、ピアニスト、民俗音楽研究家として活動しました(バルトーク40歳代)。この頃の主な作品に「舞踏組曲」(1923)、「ピアノ協奏曲No.1」(1926)、「同No.2」(1931)、「弦楽四重奏曲No.3」(1927)、「同No.4」(1928)などがあります。

 1930年代に入ると、作風は洗練されて円熟さを増し、最高傑作といわれる「弦楽器、打楽器、チェレスタのための音楽」(通称「弦チェレ」、1936)、「2台のピアノと打楽器のためのソナタ」(1937)、「弦楽のためのディベルティメント」(1939)、バイオリン協奏曲No.2(1937〜38)などが作曲されました。社会状況としては、1933年にナチスがドイツの政権を握り、ハンガリーも親ナチス政権となって居心地はますます悪くなります。バルトーク自身が直接弾圧されたわけではないようですが、ナチスが抹殺対象として陳列した「頽廃芸術展」にバルトークの名前がないといって自分自身から抗議したエピソードに代表されるように、バルトークはナチスを嫌い、それを公言するのをはばからなかったようです。居心地が悪いながらもハンガリーに留まっていたバルトークも、1939年に母が他界すると、ついに国外脱出を決心し、1940年にアメリカに移住します。

 アメリカでは、作曲家というより民俗音楽研究家として大学への就職を希望し、コロンビア大学に職を得ますが、大都会ニューヨークになじめず、また、バルトークの曲がほとんど演奏されない音楽後進国アメリカに失望し、3年間まったく創作活動を休止します。そして、1941年には、命取りとなる白血病が発病します。
 そういった中で、経済的に困窮していたバルトークに、ボストン交響楽団の指揮者であったクーセヴィツキが1,000ドルの契約金で曲を委嘱します。これで作曲されたのが「管弦楽のための協奏曲」(1943)です。さらに、ユーディ・メニューインの委嘱で「無伴奏バイオリンソナタ」(1944)、自分亡き後に妻のパーストリ・ディッタが弾いて生計を立てるための「ピアノ協奏曲No.3」(1945、最後の17小節のオーケストレーションが未完成だったという)が作曲されました。イギリスのヴィオラ奏者ウィリアムズ・プリムローズの委嘱により作曲が進められた「ヴィオラ協奏曲」は、スケッチのみの未完成に終わりました(後に、シェルイが補筆完成する)。

 そして、白血病のため、1945年9月26日にアメリカで永眠しました。



2.バルトークの作曲技法

 バルトークの作曲技法については、「黄金分割」だの「フィボナッチ数列」といった数学的な理論が存在すると言われています。
 ただし、バルトーク自身が言及したり説明したりしたものは皆無で、バルトーク自身がそういった作曲原理を公表しているわけではないようです。
 これらの作曲技法は、バルトークの没後に、ハンガリーの音楽学者エルネ・レンドヴァイが1955年に出版した「バルトークの書法」という本で発表されたとのことです。この技法の入門書として、レンドヴァイは1972年に本を出版しており、その日本語訳が出ています。(エルネ・レンドヴァイ著、谷本訳、「バルトークの作曲技法」全音楽譜出版社、1978年
 私も、この訳本を買って読んでみましたが、高尚過ぎてチンプンカンプンでした。

 理解はできていませんが、とりあえずエッセンスだけ紹介しておきます。

(1)調性、和声などの音組織の原理としての「中心軸システム」

 バルトークも、シェーンベルクらと同様、従来の調性・和声からの脱却を図りますが、シェーンベルクのように調性を完璧に破壊して12半音を対等に扱うのではなく、調性を維持したまま、その相互関係に新しい秩序を導入しました。
 すなわち、基準音から5度音程を上に重ねていくと、やがて元の音に戻り、オクターブ内の全ての半音が顔を出します。(たとえば、Cから始めると「C→G→D→A→E→H→Fis→Cis→Gis→Dis→Ais(=B)→F→C」:注1)
 この12音を時計のように円上に並べると、向かい合った2つの調が機能的親近関係を持つ、というのが「中心軸システム」です。つまり、一度転調して、再び同じ転調をすると元の調に戻る、という関係。この中心軸に直交する軸は、平行調(調号が同じ長調と短調)の関係となります。この直交する2つの中心軸が、調性や和声の基本となります。(こう書くと分かったようですが、それをどう応用すると、どう聴こえるのかは、今ひとつよく分かりません)

(注1)「5度音程を重ねると一巡する」と書きましたが、これは平均律での話で、純正律では元に戻りません。

   平均律:5度=周波数比で(2の1/12乗)の7乗=2の7/12乗
       従って、これを12回重ねると、「2の7乗」となって7オクターブ上の同じ音になる。(「2の7乗」=128)
   純正律:5度=周波数比で3/2=1.5
       従って、これを12回重ねると、「1.5の12乗」となって、「1.5の12乗」=129.746・・・。
       7オクターブ上の周波数比128とわずかにずれます。
      (このズレを、発見した数学者の名前を取って「ピタゴラスのコンマ」と呼ぶそうです)

 この「平均律」と「純正律」の話は、私のホームページの別記事「純正律と平均律について」を参照下さい。

(2)曲の構成、音程に関する「黄金分割」と「フィボナッチ数列」

a.黄金分割

 黄金分割とは、直線を長・短2つの部分に分割したとき、「全体:長いほうの部分」の比が「長い部分:短い部分」の比と同じになるような分割のことをいいます。
 すなわち、全体の長さ「1」、長いほうの部分の長さを「a」とすると、短いほうは「1−a」となるので、

    1:a=a:(1−a)

 これより、a**2=1−a      (a**2は、「aの2乗」を表わす)
 すなわち、
    a**2+a−1=0 
の二次方程式を解いて、(a>0であるから)

 a =(√5 −1)/2
   =0.618・・・
 ∴ 1−a=0.382・・・

 数字で書くと、「1:0.618=0.618:0.382」となるわけです。

 この分割の数学的、物理的な意味としては、黄金分割の、そのまた黄金分割の、更にまた黄金分割の・・・・、とやっていくと、最初の長さを1とすると、1>a>0として

  1:a=a:a**2=a**2:a**3=a**3:a**4=・・・=a**n:a**(n+1)=・・・

となっていくので、「非常にバランスの取れた分割」ということになるようです。ちなみに、任意の直線で切った巻貝の渦巻の半径はこの比になっているそうです。(1,a,a**2,a**3,a**4,・・・。上記のレンドヴァイの本の表紙にもその渦巻が描かれている)

 曲の構成において、クライマックスや再現部の小節数が全体の黄金分割点に来る、といった使われ方をします。長いほうが先に来る(0.618:0.382)「ポジティブ」な分割は高揚する部分、短いほうが先に来る(0.382:0.618)「ネガティブ」は沈静する部分に適用されるといいます。(変拍子がある場合には、機械的な小節数ではなく、基本リズム単位の数でカウントする必要があるらしい)

b.フィボナッチ数列

 同様に、曲の長さの分割や、音程の積み重ねに、「フィボナッチ数列」が用いられます。
 「フィボナッチ数列」とは、「各項は、先行する2つの項の和に等しい」という数列のことだそうで、具体的には、1から始めると

  1,1,2,3,5,8,13,21,34,55,89、・・・

というものです(例えば、7番目の「13」は、5番目の「5」と6番目の「8」を足したもの)。項が大きくなるにつれて、隣り合う2つの数の比は黄金分割に近づいていきます。(例えば、10番目と11番目の比は55/89=0.617977・・・。黄金分割の0.618・・・に近いですね)

 この数列は、自然界に多く存在し、生物の成長がこの数列に従うことが多いそうです。これを分かりやすく図示すると、次の図のようになります。
 1辺「1」の正方形から始まり、1辺の長さの正方形がプラスされる。次に、長い方の辺を1辺とする正方形がプラスされる。さらに、長い方の辺を1辺とする正方形がプラスされる。・・・・。これを繰り返すと、次のような図になります。
 このときの追加される正方形の1辺の長さが、フィボナッチ数列になっているというわけです。
 ちなみに、図の中に書き込んだ曲線は、この追加された正方形の外側をなぞったものですが、巻貝やカタツムリの貝殻の曲線になるのだそうです。(作図の関係で、フリーハンドで描いたのでいびつですが・・・)

 これを別な例で示すと、例えば「木の枝が、古い枝は毎年新しい枝を芽吹かせ、新しい枝は2年目から新しい枝を出すように毎年枝を増やしていく」ような場合に出現します。

 これを図示すると、下記のようになります。(うす茶色が新しい枝、濃い茶色が古い枝。横方向につながっているのは枝分かれと見て下さい。分かりにくくてすみません)

1年目枝1本 
2年目枝1本
3年目枝2本
4年目枝3本
5年目枝5本
6年目枝8本
7年目枝13本
8年目枝21本



 このフィボナッチ数列は、曲の構成で黄金分割と同様に小節数の分割に用いたり、半音の数による音程の間隔に用いたりするそうです。
 音程関係に用いる場合は、
   2=半音2つ=2度
   3=半音3つ=短3度
   5=半音5つ=4度
   8=半音8つ=短6度
   13=半音13個=増8度
など。ここには、長3度、5度、長6度などが含まれません。バルトークの独特の和音の積み重ねは、こういった音程構成によるもののようです。

 また、民謡の基本となる5音音階(ミ−ソ−ラ−ド)は、2度(=2)、短3度(=3)、4度(=5)、短6度(=8)で構成され、これをレンドヴァイは「黄金分割は人間の最も内的な実在である」と言っています。

 なお、フィボナッチ数列も、使われているのはせいぜい「13」あたりまでで、それよりも数の多い方はどのように使われているのか不明です。



3.変拍子について一言

 バルトークには変拍子が多く登場しますが、これはハンガリーの言語であるマジャール語と深い関係にあると言われています。
 マジャール語では、常に単語の頭(第1音節)にアクセントがあるそうです。従って、バルトークのメロディは、歌詞をつけて歌ったときに、単語毎に小節を分けた、ということのようです。
 日本語に置き換えた場合には(良い例えかどうか分かりませんが)、小節の区切りを「|」で表わすと、

|よこはま|よこはま|しんこやす|つるみ|かわさき|ひがしかながわ|よこはま|よこはま|さ・く・ら・ぎ・ちょ〜(ここでちょっとアラルガンド)|よこはま|よこはま|・・・

といった感じでしょうか。ブラームスあたりでは、小節線をまたいでずれた状態で進行する(交響曲第3番の第1楽章など)ところを、バルトークは律儀に小節を分けた、ということなのでしょう。

 この辺のマジャール語についての見解は、下記の日フィルの曲目解説サイトに楽譜例付いて説明されていますので、ご参照下さい。

「オケコン」に関する解説(日フィルホームページの「演奏会の聴きどころ」より)
同上「弦チェレ」に関する解説(黄金分割の説明あり)



4.舞踏組曲の分析

 それでは、舞踏組曲について、上記の「作曲技法」に基づく分析をしてみましょう。ちなみに、レンドヴァイの本には「舞踏組曲」はわずかしか登場しません。従って、以下の分析のほとんどは的外れかもしれませんので、不用意に信じずに、眉毛につばをつけて読んでください。あしからず。

(1)曲の成り立ち
 この曲は、上の略歴にも書いたように、バルトーク42歳の1923年に、2つの都市ブダとペストが1つの首都ブダペストに融合されて50周年の祝賀コンサートのために作曲・初演されました。

(2)構成
 大きく5曲からなります。ただし、5曲目は前奏に相当する部分と、「フィナーレ」と書かれた部分とに分かれます。(スコアによると、5曲目前半までの小節番号は4曲目から連続で、フィナーレ部分から再び1から小節のカウントが始まります。この意味するところは?)

 第3曲目を除き、「リトルネロ」(ritornello。楽譜には「Ritornell」と記されている)と呼ばれる部分が最後に登場します。
 「リトルネロ」とは、「歌の前奏、間奏、後奏として反復される器楽部分(ritornoは回帰のこと)」だそうで、特にバロック協奏曲などでソロの合間に出てくる合奏部分を指すことが多いようです(ソロ部分はいろいろ変化するが、合奏部分は同じ素材の繰り返し=回帰)。この曲では、同一の主題に基づく連結部分、ということでしょうか。

 なお、5曲構成というのは、バルトークにはよくある形式です。3曲目を中心にシンメトリックに、ということが多いようで、弦楽四重奏曲No.4、No.5、オケコンなどが5楽章です。でも、この曲に関してはシンメトリー構造ではないようです。

T.モデラート
U.アレグロ・モルト
V.アレグロ・ヴィヴァーチェ
W.モルト・トランクイロ(非常に静かに)
X.コモド(適当な速さで気持ちよく)、フィナーレ(アレグロ)

 では、各曲を見ていきましょう。

(注)ここから先は、スコアの練習記号や小節番号が出てきますので、スコアまたはパート譜を見ながらお読み下さい。
   部外者の方にはチンプンカンプンかもしれませんので、あしからず。

T.モデラート

 ファゴットの「半音、全音、短3度」で始まる主題(8小節目で「4度」も出てくる)が、何度も繰り返されます。この主題の音程は、半音の数で言うと、フィボナッチ数列の最初の方(1,2,3,5)に一致する・・・(本当?)。
 レンドヴァイは、主題の下降音形部分(1拍目裏→2拍目、2拍目裏→次の小節の1拍目、など)に着目して、第1曲は全音(=2)、第2曲は短3度(=3)が基礎音程となっており、第3曲はこれらを2つの要素をまとめた純粋な5音音階であると指摘しています。
 練習番号「9」からがリトルネロです。やさしいお母さんの子守唄でしょうか。
 この曲は、小節数が145ありますが、練習番号「7」(88小節目)あたりがこの曲のクライマックスで、黄金分割点「89」にほぼ一致します。
 ただし、リトルネロ前までの120小節の黄金分割点は74小節目となり、そこには何も見出せません・・・。

U.アレグロ・モルト

 冒頭の第1バイオリン、続くトロンボーンのグリッサンドに見られるように、「短3度」音程が支配する粗野な舞曲。
 この曲は、変拍子が多いので、どう黄金分割すればよいのか分かりません。(単純に小節数とすると、黄金分割点は69小節目になりますが・・・)
 仮に、リトルネロ前までの93小節の黄金分割点を求めると57小節目となり、トロンボーンのグリッサンドの再現部(56小節目)またはクライマックス「16」(60小節目)に近いのですが・・・。変拍子をうまく数えると、きっちりいくかもしれません・・・。
 練習番号「20」からがリトルネロ。

V.アレグロ・ヴィヴァーチェ

 4度、短3度、2度音程を中心とした5音音階による主題で、和声も「(半音数で)5+5の4度構成和音」とレンドヴァイも指摘しています(下から「H−Cis−E−Fis−A−H」で構成される音階。音程差を半音数で言うと、下から2、3、2、3、2)。旋律に半音要素を含まないので、長調的5音音階とでも呼ぶべきでしょうか。
 「21」から「30」前までを、「30」から「36」前まででほぼ繰り返しており、「36」前までの124小節の黄金分割点が、76小節目=「30」に一致します。
 この曲には、明示されたリトルネロがありませんが、練習番号「36」「37」あたりがリトルネロの主題と類似しているようにも聴こえます・・・。

W.モルト・トランクイロ(非常に静かに)

 2度と4度音程を重ね合わせた不思議な和音に乗って、木管が短3度を中心とした5音音階の田舎くさい旋律を演奏します。(下から「F−As−B−Ces−Des」、半音数で3、2、1、2で構成される)レンドヴァイは、「旋律は8=5+3、5=3+2という型に基づいている」と言っています。
 途中、19小節目で初めて8分音符の刻みから外れた5連符が登場し、20小節目でア・テンポになりますが、3連符単位で数えると、ここが黄金分割点になります。
 練習番号「43」からがリトロネルロです。

X.コモド(適当な速さで気持ちよく)、フィナーレ(アレグロ)

 テューバ、トロンボーンによるこの曲では珍しい純正5度の響きの上に、4度音程の重々しい歩みで始まります。この「コモド」の部分は、たった26小節なのですが、これが5曲目の本体なのか、それともフィナーレの導入部なのでしょうか?
 すぐに続いて、アレグロのフィナーレが始まります。最初(練習番号「47」)は、明らかに「コモド」の主題の積み重ねですが、そこにトロンボーンの雄叫びが一瞬現われます。まるで「不思議なマンダリン」冒頭の都会の喧騒のテーマのようですが、4度の下降音形はリトルネロの最後の音形でしょうか。すぐに「48」から第1曲の主題が金管に出ます。続く「49」からは、短3度音程の第2曲の主題が金管の掛け合いで出てきます。さらに、これまでのいろいろな要素が絡み合いながら、「51」は第1曲の再現、「53」は第3曲の再現、「56」は第2曲の再現、「57」はリトルネロの再現となります。
 「58」からがコーダに相当すると思いますが、ヴィオラ・ソロに出てくる主題は、リトルネロの変形でしょうか。149小節から金管による第1曲の主題、「62」でトランペットによる第3曲の主題、そして「63」からがコーダの主題(リトルネロの変形?)によってたたみ込むように終わります。
 フィナーレの開始からの小節数197の黄金分割点は121小節目で、コーダ開始の「58」(120小節目)にほぼ一致します。「コモド」の部分(「44」から「47」前まで)は、どこに消えてしまったのでしょうか・・・。



5.まとめ

 以上、舞踏組曲にまつわるトリビアと、本当かうそか、バルトークの作曲技法を「舞踏組曲」に無理やり適用した分析を試みてみました。
 この分析が正しいからといって、曲をより音楽的に演奏できるわけではありませんが、とっつきにくい曲を少しは理解した気分になり、親近感もわくのではないでしょうか。
 今後も、もう少し調査や考察を続けてみたいと思います。
 特に、黄金分割の入れ子構造(黄金分割の中にさらに細かく黄金分割)、長短分割(ポジティブ分割)以外に短長分割(ネガティブ分割)がないか、といったところも探ってみる必要があるかもしれません。

 ただし、レンドヴァイの分析が本当に正しいのか、という根本的な疑問もあり、そこそこにしておかないと寝る時間がなくなりそうです。

 以上、最後までお付き合い下さいまして、ありがとうございました。
 この記事、何「へぇ〜」もらえますか?



(追記その1)

 バルトークの生まれ故郷は、現在はルーマニア領のトランシルバニア地方にあるそうです。トランシルバニアは、かの吸血鬼ドラキュラ伯爵がいたところとのこと。そういえば、バルトークの歌劇「青ひげ公の城」も、ドラキュラ伝説に似た雰囲気があります。
 確かに、ヨーロッパの地図を見ると、トランシルバニア山脈というのは、ルーマニアの中央を東西に走っています。「ハンガリー生まれ」といっても、生誕地は現ルーマニアなのですね。

 あらためてヨーロッパ地図を眺めてみると、ウィーンとブダペストの近さに驚きます。ウィーンとザルツブルクよりも近いですね。同じドナウ川沿いの街ですし。
 バルトーク13歳以降にしばらく定住した現スロヴァキアのブラティスラヴァは、さらにウィーンから目と鼻の先ですね。我々が固定観念として持っている「バルトークは、音楽の中心地ウィーンから遠く離れた辺境の地ハンガリーの作曲家」というのは、偏見に近いのかもしれません。

 ちなみに、ハイドンが仕えたエステルハージ公はハンガリーの貴族で、宮殿のあったアイゼンシュタットはウィーン郊外のハンガリー国境に近い町、夏の避暑地であったエステルハーザは現ハンガリー領内ということで、オーストリアとハンガリーの関係は我々が想像する以上に近いようです。(オーストリアとハンガリーの国境周辺の観光案内サイトを見つけましたので、ご参考まで)
「ブルゲンランド――ハイドンとリストの故郷を訪ねて」



(追記その2)

 この際、バルトークをいろいろ聴いてみよう、と思う方のために、簡単なガイド記事を書いてみました。興味があれば、是非ご覧下さい。

ちょっと寄り道「管弦楽のための協奏曲」
ちょっと寄り道(その2)「弦楽器、打楽器、チェレスタのための音楽」
ちょっと寄り道(その3)歌劇「青ひげ公の城」



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