バーンスタイン「ミサ」 〜宗教曲ではなく「歌手、演奏者、踊り手のための劇場作品」〜

2010年 9月 5日 初版作成
2018年 3月 25日 最新情報での見直し、YouTube映像の追加


 2010年にマーラー「復活」を演奏したときに、マーラーのCDを聴く機会が多くなりました。
 漫然とバーンスタインやニューヨーク・フィルのことを考えていたら、その年(2010年)がバーンスタイン没後20年の年であることに思い至りました。マーラーも生誕150年の記念の年ですが。
 ということで、マーラーつながりで、さらに寄り道をしてバーンスタインについても書いてみようと思いました。
 指揮者としてのバーンスタインは、ファンも多いし詳しい方も多く、いまさら付け加えることも特にないので、ここでは作曲者としてのバーンスタインについて、その当時気に入っていた1971年に作曲・初演された「ミサ」について書いたのが、この記事のオリジナルです。

 今年2018年は、バーンスタイン生誕100周年にあたるので、中身を少し見直し、新しい情報を追加してみました。



1.はじめに 〜 マーラー、ニューヨーク・フィル、そしてバーンスタイン

 マーラーの録音をいろいろと聴いてみると、やはりバーンスタインの演奏は名演だとあらためて思いました。私が聴いているのは、1980年代の新しい方の録音です。でも「復活」は、新録音でも、1960年代の旧録音と同じニューヨーク・フィルを起用しています。

 2010年当時のニューヨーク・フィルのロゴマーク(2018年時点では使っていない)

 何故ニューヨーク・フィルという気もしますが、実はニューヨーク・フィルは世界の中でも最もマーラーに縁の深い、演奏経験も多いオケなのでした。
 マーラーの伝記を読めば分かりますが、マーラーは人生最後の4シーズンを、ウィーン宮廷歌劇場を辞めてニューヨークで過ごしています。1907年秋から、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場の指揮者として、そして翌1908年からはそれに加えてニューヨーク・フィルの指揮者として。マーラーは、亡くなる年(1911年)の2月まで、ニューヨーク・フィルを振っていました。

 マーラーの死後、1933年にドイツにナチス政権が誕生して以降、ヨーロッパのユダヤ人音楽家達はアメリカを目指します。その中に、マーラー直弟子のブルーノ・ワルターもいました。ワルターは1939年にアメリカに逃れ、そのままアメリカに住み続けました。その間、1947〜49年にニューヨーク・フィルの音楽顧問に就任するなど、1960年頃までニューヨーク・フィルをしばしば指揮していました。(そういえば、私が買ったマーラーの初めてのレコードは、ワルター指揮ニューヨーク・フィルの1960年録音の「大地の歌」でした)

 バーンスタインは、1943年にニューヨーク・フィルの副指揮者になっており、その名を一躍有名にしたのは、1943年に急病のワルターの代役で演奏会を指揮し、それが全米にラジオ中継されたことでした。バーンスタインはニューヨーク時代にワルターとかなりの交流・指導があったと思われ、ワルターからマーラーを学んだのだと思います。
 そして、1958年にニューヨーク・フィルの常任指揮者に就任したバーンスタインは、マーラーの交響曲を積極的に取り上げ、1960〜1967年にかけて全曲が録音されました(史上初の全曲録音のはず)。ただしニューヨーク・フィルとは番号付きの交響曲のみで、「大地の歌」は、1965年にウィーン・フィルと、1972年にはイスラエル・フィルと録音しています(ウィーン・フィルのものは、通常のアルトに代えてバリトンのフィッシャー・ディスカウを起用している)。

 ということで、マーラーが指揮した20世紀初めから、ニューヨーク・フィルはマーラーに精通した指揮者によって、マーラーの演奏をずっと行ってきたのでした。それは、ナチス政権時代以降、ヨーロッパでは一部のマーラー指揮者(メンゲルベルク、クレンペラーなど)を除いてほとんど演奏されなくなったのに比べると好対照です。
 マーラーが盛んに演奏されるようになるのは、バーンスタインがニューヨーク・フィルと全曲録音を完成した1960年頃後半から、より一般的になるのは1970年代になってからではないでしょうか。

 バーンスタインは、ニューヨーク・フィルの指揮者としての先輩として、作曲もする指揮者として、そしてユダヤの血を受け継ぐものとして、幾重にもマーラーに親近感を持ち、共感していたものと思います。(バーンスタインは、マーラーの曲について、「まるで自分が作ったようだ」と言っていたそうです)
 

2.バーンスタイン作曲「ミサ」

 そんな、作曲家兼指揮者としてのバーンスタインは、「ウェスト・サイド・ストーリー」などのポピュラー音楽とともに、3曲の交響曲、チチェスター詩篇といった宗教音楽などのシリアスな曲を作曲しています。
 その中にあって「ミサ」は、宗教音楽かと思いきや、聖俗入り混じった舞台作品です。正確には「ミサ:歌手、演奏者、踊り手のための劇場作品」(Mass - A theater piece for singers, players and dancers)というタイトルです。ジャンルを特定できない、いかにもバーンスタインらしい作品といえます。

(1)バーンスタイン作曲「ミサ」とは

 初演されたのは1971年で、アメリカの首都ワシントンに建設された「ケネディ・センター」のこけら落としの演目として、故ケネディ大統領の元夫人ジャクリーンからの委嘱で作曲されました。(ケネディ・センター= The John F. Kennedy Center for the Performing Arts は、アメリカ首都ワシントンにあるコンサートホール、オペラハウス、バレエ・ミュージカル用ホール、演劇ホールなどの複合施設。下記の(7)参照)
 折から、1958年から11年間務めていたニューヨーク・フィルの音楽監督を辞任し、次の常任ポストには就かずに作曲に専念したい、と言っていた頃でした。

 曲は、バーンスタイン自身が当時抱いていた時代に対する不安、その中で神とは何か、宗教に何ができるのか、という問題提起と回答を反映したものです。作曲・初演当時は、ベトナム戦争の最中であり、1963年にジョン・F・ケネディ大統領暗殺、1967年に人権活動家のキング牧師の暗殺(マーラー「復活」関連のベリオ「シンフォニア」でも取り扱われている)、1965年にマルコムX暗殺、1968年にロバート・ケネディ上院議員(J.F.Kの実弟)の暗殺といった暗い世相、ヒッピーに代表される既成価値観の否定、ドラッグ、無気力、反戦運動の高まり、といった社会の動向がありました。また、バーンスタイン自身も、交響曲第3番「カディッシュ」(1963年)の中でも自己と神との係わりを追求していました(バーンスタインはジョン・F・ケネディ大統領の熱烈な支持者であり、この曲が完成した直後に起きた暗殺事件に衝撃を受け、この交響曲を故ケネディ大統領の追悼に捧げたそうです)。

 この「ミサ」は、通常の宗教曲としての「ミサ曲」ではなく、構成として、伝統的なローマ・カトリックのラテン語によるミサ典礼文に、バーンスタイン自身の書いた英語のテキストを織り交ぜて使用しています。さらに、一部他人のテキストも取り込んでいて、その中にはポップス・デュオの「サイモンとガーファンクル」の1人であるポール・サイモンから贈られた歌詞もあります。
 ポール・サイモンは、当時から「7時のニュース」といった社会批判の曲を発表していましたから、この「ミサ」のやや社会批判的な立場をより強調することとなっています。
 また、ラテン語による伝統的な「ミサ」に相当する部分の一部は、生演奏ではなく、あらかじめ録音されたものを会場のスピーカーから再生するという手法が取られています。これも既存宗教と現実の乖離、ということも意図していたものと思われます。

 ローマ・カトリックのラテン語のミサ典礼文に、英語のテキストを追加するアイディアは、ベンジャミン・ブリテンの「戦争レクイエム」(1961年完成)に似ています。「戦争レクイエム」では、英語のテキストとして、第1次大戦で戦死した反戦詩人ウィルフレッド・オーウェン(1893〜1918)の詩を用いています。そして、ラテン語のミサ曲を進めるフル・オーケストラと、オーウェンの詩を進める部分の室内オーケストラが併置される構成となっています。(この曲についても、いつか書いてみたいと思っています)
 これに対し、バーンスタインの「ミサ」では、英語のテキストは作曲者自身が大半を書いています。これは、この「ミサ」に8年先立って完成された交響曲第3番「カディッシュ」においても、神との対話を自身の言葉でつづったバーンスタインが、自分の主張を的確に表現するためだったものと思います。
 また、オーケストラは、ピットに入ったフル・オーケストラに加え、舞台上にロックバンド、エレキギターなど、そしてマーチングバンドまで出てきます。アメリカ音楽の見本市、といった風情です。舞台上の出演者による口笛、指のスナップ、足の踏み鳴らしなども使われます。

 ということで、この作品は、一種の社会批判、既存の宗教や社会規範に疑問を投げかけるものでもあったため、発表当時はいろいろな批判にもさらされたようです。

 曲は、上記のように特徴のある歌詞、楽器編成ですが、音楽は非常の平明なもので、ウェスト・サイド・ストーリー風の部分から、フォークソング、ロック、ゴスペル、バッハ風、十二音音楽風と、本当にごった煮ですが、支離滅裂ということはなく、バラエティに富みながらも飽きずに聴き通せる面白さがあります。バーンスタイン特有のうきうきするような変拍子が満載です。
 決して耳に痛くはなく、しかし現代的な響きがします。
 曲の雰囲気としては、交響曲第2番「不安の時代」や第3番「カディッシュ」、1965年に作曲された「チチェスター詩篇」に似た部分(あるいは引用)がたくさんあります。

(2)バーンスタイン作曲「ミサ」の演奏・録音

 作品は、通常のオーケストラや合唱に加え、ロックバンド、生ギター、マーチングバンド、ストリートコーラス(ミュージカルの「歌って踊る」グループを想定している)といった多彩な出演者を想定していることから、純粋なクラシック・コンサート向きではないし、なかなか演奏の機会には恵まれないようです。また、歌詞もラテン語、英語、ヘブライ語が飛び交いますし、特にカトリック教会からすると「神への冒涜」的な部分も含まれるようなので、英語圏であってもそう簡単には演奏できないようです。
 バーンスタイン生存中は、作曲者に敬意を払って(というより恐れ多くて)他の指揮者が取り上げることはほとんどありませんでしたが、ここ数年、バーンスタインの弟子筋を中心に、録音や演奏が徐々に増えているようです。

 2017年には、日本でも井上道義氏がコンサートで取り上げました(日本では1994年に、同じ井上道義氏が京都市交響楽団を振って演奏して以来の23年ぶりの上演だそうです)。
 インタビュー記事はこちら

 YouTube上には、映像付きの全曲演奏がいくつかあります。

 1981年に行われたケネディ・センター開場10周年(初演から10周年でもある)の上演。訳詞は付きませんが、英語の部分はおおむね聞き取れるのではないでしょうか。

 スコア付きの音源(演奏はマリン・オールソップの指揮したボルチモア交響楽団の録音)

 スロヴァキアでの上演らしく英語ではありませんが、演奏の水準が高く録音が美しいです

 録音としては、現在下記のものが手に入るようです。
 私は、オールソップ盤(Naxos)を聴いています。クラシックの曲というよりも、ミュージカルをベースにした「舞台作品」として演奏していて、なかなかいかした演奏です。ちなみに、マリン・オールソップ女史は、アメリカのコロラド交響楽団、イギリスのボーンマス交響楽団を経て、今はボルティモア交響楽団の音楽監督のようです。

 ・自作自演盤(1971年)
 ・ケント・ナガノ盤(2003年)
 ・クリスティアン・ヤルヴィ盤(2006年)
 ・マリン・オールソップ盤(2008年)
    マリン・オールソップ/ボルティモア交響楽団の「ミサ」プロモーション・ビデオのYouTube
    バーンスタインに指導を受ける若き日のオールソップ女史の映像も入っています。ぞっこんだったのですね・・・。

(3)ストーリーと歌詞

 ストーリーといったものがある訳ではありませんが、全体はカトリックのミサに沿った形でラテン語の歌詞が歌われ、それにバーンスタイン自身が詞を書いた寓話、たとえ話のようなもの、オーケストラだけで演奏される「瞑想」と名づけられた音楽、そして司祭役の青年、登場人物(信徒)の語りなども入ります。
 全体で、およそ2時間弱かかります。

 タイトルと概要は下記のとおりです。「比喩」とは“Trope”の訳で、とりあえずこう訳してありますが、その直前のラテン語の言葉を受けて、そこから揚げ足取り的にもじって寓話的なことを述べた部分です。

T.ミサの前の祈祷
  1.交唱:キリエ・エレイソン(主よ哀れみたまえ、ラテン語) 録音テープによる
  2.賛美歌と詩篇「シンプル・ソング」(英語)  司祭役の青年によるエレキギター伴奏でのフォークソング風。
    YouTube にあったSimple song
  3.応答:アレルヤ(ラテン語)    録音テープによる。スウィングルシンガーズ風。

U.第1の入祭唱
  1.前口上の祈り(ラテン語、一部英語)    マーチングバンドの伴奏にのった合唱
  2.三重の3声カノン:主は、あなたたちと共に(ラテン語)

V.第2の入祭唱
  1.父の名において(録音テープによる歌(ラテン語)と、語り(英語))
  2.集会のための祈り(英語)   アカペラによる合唱
  3.神の出現    録音テープによるオーボエ独奏

W.告解
  1.告白します(ラテン語)
  2.比喩「私は知らない」(英語)   ロックバンドとロック歌手
  3.比喩「簡単」(英語)  ピアノトリオ(ピアノ、ベース、ドラムス)とブルース歌手ー

X.第1の瞑想      オーケストラ単独

Y.グローリア(栄光あれ
  1.グローリア(ラテン語)
    YouTube にあったGloria
  2.高きに栄光あれ(ラテン語)
  3.比喩「人々の半分」(英語:ポール・サイモン作詞)
  4.比喩「ありがとう」(英語)

Z.第2の瞑想      オーケストラ単独(ベートーヴェンの第九の音列に基づく)

[.書簡「主の御言葉」 (英語の語りと歌)
 家出少年、刑務所の恋人と会見した少女など、現代の若者や老人が自分の言葉で語る。
    YouTube にあった「主の御言葉」 (ドイツのコンサートらしく、語りの部分はドイツ語です)   

\.福音伝道「神は言われた」(英語)
 聖書の創世記で「光あれ」と神が言われたところ、その他聖書の神の言葉を取り上げて笑い飛ばす・・・。何と不信心・・・。

].クレド(信仰告白)
  1.信じます、唯一の神を(ラテン語)   録音テープ
  2.比喩「信じません」(英語)
  3.比喩「急げ」(英語)
  4.比喩「終わりのない世界」(英語)
  5.比喩「私は神を信じる」(英語)

XI.第3の瞑想 (「深き淵より」第1部)(ラテン語)

XII.オッフェルトリー(奉献唱) (「深き淵より」第2部)(ラテン語)

XIII.主の祈り
  1.我らの父(英語)   無伴奏による即興(風)の独唱
  2.比喩「私は進む」(英語)
    YouTube にあった「我らの父」〜「私は進む」I go on

XIV.サンクトゥス(聖なるかな) (英語、ラテン語、ヘブライ語)
 音楽言葉遊びのような、「mi=me」、「sol=soul」、「Mi, sol means song.」といった駄洒落が歌われます。

XV.アニュス・デイ(神の子羊) (ラテン語、英語)
 後半は、ラテン語の「dona nobis pacem(ドナ・ノビス・パーチェム)」(我らに平和を与えたまえ)に反応し、英語で「平和を!」と怒涛の大合唱となる。(これは作曲当時のベトナム反戦運動に対応したものと思われる)

XVI.聖体分割「物は壊れてしまう」 (英語)
 信徒の力に圧倒され、十字架を投げつけ、聖杯を落として割ってしまった司祭役が、延々と狂乱の独白をする、この曲の(というかパフォーマンスの)クライマックス。ベートーヴェンの第九第4楽章のように、ここまでの音楽が次々と回想される。

XVII.平安:聖体拝領(「秘密の歌」) (英語)
 「神の出現」が独奏フルートにより演奏され、初めの「シンプル・ソング」に戻って平安を取り戻す。ステージ上の全員によるV.2「集会のための祈り」のコラールにより曲を閉じる。シンプルながら感動的なエンディング。

(4)ベートーヴェンの引用

 第2の瞑想は、ベートーヴェンの第9交響曲第4楽章からの「11のシーケンス」(音の連続、といった意味でしょうか)に基づきます。
 「11のシーケンス」とは、第九・第4楽章の730〜740小節の、6/4拍子で、歓喜の歌と、その前のセクションでトロンボーンに先導されて出てきた厳かな主題との重ね合わせの大合唱の直後、急にひそやかになって「ひざまづいたか、諸人よ(Ihr sturzt nieder, Millionen?)」から始まる部分のことです(Fis−C−A−B−E−Cis−D−Es−G−E−F)。ちなみに、旋律的には745小節目まで続くのですが(全16小節)、最初の730小節目と同じ音(Fis)に戻る前までの、「シーケンス」としては「11」ということのようです。
 確かに、ヒントとして、「歓喜の歌」のごく一部(ミーミーファーソーソーファまでの6つの音)とか、ハーモニーのほのめかし(上記のシーケンス直後の「Bruder!」の合唱に続く、747小節目のE−DurのハーモニーにAのオルゲルプンクト)、759小節目からのセクション終止の上昇スケールがあるので、それなりに引用箇所が推定できます。

 また、最後クライマックスで、司祭(を演じる青年)が「平和を我らに!」と詰め寄る信徒たち(ストリートコーラス)を前に、自信を喪失して錯乱し、神を冒涜してもうろうとなった状態(XVI.聖体分割「物は壊れてしまう」)で、それまでに出てきた様々な主題が回想されます。まるで、第九・第4楽章の前半のように・・・。

(5)サイモンとガーファンクル

 Y.3の比喩「人々の半分」の詩を提供したポール・サイモンは、この曲の作曲当時ヒットを飛ばしていたポップス・デュオ「サイモンとガーファンクル」のメンバーです。
 有名でヒットしたものは、「サウンド・オブ・サイレンス」(1966)、「明日に架ける橋」(Bridge over Troubled Water、1970)などがあります。
 ヒットした曲ではありませんが、1966年のアルバムに収録された「7時のニュース」(注1)という曲があり、2人がデュオで歌う美しい「きよしこの夜」の後ろに、かすかにラジオのニュースの語りが重ねられます。ここで流されるニュースは、実際のニュースキャスターが読み上げていますが、その原稿はポール・サイモンが書き下ろしたものだそうで、当時の世相を反映し、ベトナム戦争(前年の1965年からアメリカ軍による北ベトナムの爆撃、いわゆる「北爆」が始まっていた)、キング牧師による公民権運動(翌年1967年に暗殺される)、ニクソン前副大統領のベトナム戦争に対する政策批判発言(当時は民主党のジョンソン大統領の時代で、共和党でアイゼンハワー時代に副大統領だったニクソンは1968年の選挙で大統領に選出される)といった、まさしく当時を映し出す内容となっています。要するに、アメリカ国民が教会でクリスマスを祝っている間にも、世の中では理不尽なことが進行している、という、バーンスタインの「ミサ」とも共通する、一種の宗教の無力さ、行動を起こさない限り、祈っているだけでは世の中は変わらない、というメッセージなのだと思います。

(注1)サイモンとガーファンクルの歌う「7時のニュース」(きよしこの夜)といっても、既に意味が通じないのでしょうね。
 YouTubeにあったサイモンとガーファンクル「7時のニュース」

(6)人種差別などの社会問題への挑戦

 もうひとつ忘れてはならないのが、キング牧師が先頭に立って推し進めた公民権運動です。アメリカは自由で平等の国、という独立時の理念ではありましたが、現実には1960年代まで公然と人種差別が州法に明記されていました。これに対してキング牧師を中心とする公民権運動が盛り上がり、1963年の有名なワシントン大行進(ここでのキング牧師の「I have a dream.」演説は有名ですね)を経て、1964年にようやく「公民権法」(Civil Rights Act)が制定されます。そう古い話ではないのですね。
 音楽の世界にも、実は根強い人種差別があったのでした。当時のアメリカでは、一般市民の感覚として、クラシックは白人の音楽、ジャズは黒人の音楽、ストリートミュージックはヒスパニック(だけではないと思いますが)、といった暗黙の棲み分けがあったと思います。その当時、おそらく「オーケストラ」に黒人団員はほとんどいなかったのではないかと思います。

 このバーンスタインの「ミサ」に、ロックバンドやブルース歌手、いわゆるゴスペルソング、ストリートミュージックが取り入れられているのは、そういった時代背景を取り込み、「ケネディ・センター」というエスタブリッシュメント芸術の殿堂のこけら落としのステージに、あらゆる人種の歌手、演奏者、ダンサーを乗せてしまおう、というバーンスタインの意図だったのではないでしょうか。

(7)おまけ 〜ケネディ・センターについて

 この曲がこけら落としに使われた「ケネディ・センター」は、正式には「舞台芸術のためのジョン・F・ケネディ・センター( The John F. Kennedy Center for the Performing Arts )と呼ばれる、アメリカ首都ワシントンにある複合施設で、コンサートホール、オペラハウス、バレエ・ミュージカル用ホール、演劇ホールなどが設けられています。コンサートホールは「ワシントン・ナショナル交響楽団」の本拠地です。(ケネディ・センターのサイト
 私は1993年に訪れたことがあり、当時、ワシントン・ナショナル交響楽団の常任指揮者はロストロポーヴィチ氏で、立派なのぼりが建っていました(下記の写真参照)。既に東西冷戦は終結していましたが、冷戦時代、「大統領のオーケストラ」と言われたワシントン・ナショナル交響楽団の常任指揮者に、ソ連を追放されたロストロポーヴィチ氏が就任したというのは、極めて政治的な意図が反映された出来事でした。
(2010年9月現在の音楽監督は、クリストフ・エッシェンバッハですね)

 ちなみに、このケネディ・センターのすぐ近くに、ニクソン大統領失脚の原因となった「ウォーターゲート事件」で有名なウォータゲート・ビルがあります(要するに、このビルの中にあった民主党本部の侵入・盗聴疑惑がウォーターゲート事件)。単なる普通のビルです(かなり巨大ですが)。

ケネディ・センターの外観 〜入口には星条旗がひるがえる・・・

ケネディ・センターのホワイエにあるJ.F.ケネディの像(巨大です・・・)




ケネディ・センターのホワイエ

ナショナル交響楽団ののぼり

 ちなみに、ニューヨーク・フィルの本拠地は、昔は「エイブリー・フィッシャー・ホール」と呼ばれていましたが、2015年の改修以降は寄進者の名を取って「ディヴィド・ゲフィン・ホール」(David Geffen Hall)と呼ばれるようになったようです。このホールはメトロポリタン歌劇場やジュリアード音楽院などとともに「リンカーン・センター」( Lincoln Center for the Performing Arts )という施設内にあります。アメリカでは、こういった様々な種類の舞台芸術を1ヶ所で楽しめる複合施設がお好きなようです。ただし、ワシントンのケネディ・センターが1つの建物の中にいろいろな施設があるのに対して、ニューヨークのリンカーン・センターは1つの敷地内にそれぞれの施設が別の建物として建っています。(ニューヨークのリンカーン・センターのサイト

 

3.最後に

 この「ミサ」は、発表当時様々は批判にさらされたそうですが、それは当時のアメリカの世相への強烈な問題提起と、そういった世相に共鳴する部分が多かったからだと思います。
 それは、逆に言えば、ベトナム戦争が遠い過去となり、東西冷戦が終結した現在からすると、既に時代遅れとなった曲とも言えます。
 アメリカでは、確かにそう言えるかもしれません。しかし、当時のアメリカを覆っていた閉塞感、自信喪失、目標の喪失、無気力感といったものが、実は現在の日本を覆っているのではないでしょうか。

 キリスト教、ユダヤ教といった宗教のバックグラウンドは理解できませんが、バーンスタインのこの曲には、宗教や国を超えた、人間に、そして人間の集団としての社会に普遍的な内容を持っているのではないかと感じるのは、私だけでしょうか。

 「時代遅れ」の曲といわれながらも、作曲当時の時代の世界やアメリカ社会の雰囲気を知るものとして、そして現在の日本社会を覆う閉塞感を目の当たりにしていると、この曲は決して「時代遅れの」「つまらない」曲ではないと思えてきます。

 そして、種々雑多な要素をごちゃ混ぜにした音楽は、意外とマーラーに通じるものがあるのではないか、とも思います。
 バーンスタインの代表的な作品として、そして現代にもいまだに問題を投げかけ続ける「生きている」曲として、もっと演奏され、聴かれてもよい曲だと思います。

 と思ってたら、やはり「バーンスタイン没後20年」の今年(2010年)、ロンドンで行われた「バーンスタイン・プロジェクト」で、マリン・オールソップ女史の指揮で「ミサ」が演奏されたそうです(2010年7月10日)。( このブログに紹介されていました)
 ロンドンで行われた「バーンスタイン・プロジェクト」の音楽監督を務めたマリン・オールソップ女史のインタビューがこちらの YouTube にありました。上に掲載したボルティモア交響楽団のプロモーション・ビデオと同様、「バーンスタインは私のヒーローだ」と言い切っていますね。また、オールソップ女史は、9歳のときにバーンスタインの指揮する「ヤング・ピープルズ・コンサート」を聴いて人生が変わった、とも語っています。(ちなみに、このプロジェクトが行われたロンドンの「サウスバンク・センター(Southbank Centre:つづりは英国流)」は、ワシントンのケネディ・センター同様、コンサートホールの「ロイヤル・フェスティバル・ホール」、室内楽などの「クイーン・エリザベス・ホール」、演劇の「ナショナル・シアター(National Theatre)」などの複合施設です。オペラハウスはコヴェントガーデンにあるので含まれません)

 また、こちらのブログには、昨年(2009年)ザルツブルクでこの曲が初演されたときの模様が載っていました。
 徐々に演奏の機会は増えて行くのでしょうか。



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