ドイツ出張2012のお土産

2012年 4月 1日 初版作成


 この2月後半から3月初めにかけて、仕事でドイツに出張して来ました。
 仕事は、南西ドイツのカールスルーエ Karlsruhe というところ。南西ドイツのバーデンバーデンや「黒い森」(シュヴァルツヴァルト)に近いあたりです。これといった観光スポットもない地域なので、仕事でなければ行かなかっただろうな、と思います。

 この地域、ライン川をはさんで向かい側はフランスのアルザス地方です。カールスルーエからTGVで40分行けば、ストラスブール Strassbourg で、そこは第一次大戦まではドイツの「シュトラスブルク」でした。ストラスブールからさらに南に列車で30分ほど行くと、コルマール Colmar という街があります。ここには、ヒンデミット作曲・交響曲「画家マティス」の題材となったマティアス・グリューネヴァルト作「イーゼンハイムの祭壇画」があります。というわけで、今回は、このコルマールまで足を伸ばしてみました。

 そんなことも含めての、「見るだけ」のお土産シリーズです。

今回のドイツ出張の訪問地
 仕事はカールスルーエだけで、フランクフルトとコルマールは遊びです。



1.カールスルーエ市内

 カールスルーエ Karlsruhe は、ドイツの南西部、バーデン・ヴュルテンベルク州にあります(この州の州都はシュトゥットガルト)。
 「カールスルーエ」とは、「カール王のお休み所」といった意味で、バーデン・ドゥルラハ辺境伯であったカール3世ヴィルヘルムが、近代的な町を作るために1715年に居城を移して計画的に作った都市とのことです。従って、中世からの歴史ある古都、という街ではありません。ドイツの中では、かなり「新しい街」なのでしょう。

 カールスルーエは、人口28万人の中規模の地方都市です。人口からいくと、例えば福島市(29万人)、山形市(25万人)、松本市(24万人)程度です。長野市(38万人)、岐阜市(41万人)、高崎市(37万人)などよりは小さいようです。(内陸都市を拾ってみました)
 中規模の都市にもかかわらず「公共都市交通の発達した町」として有名です。単に市内だけでなく、近郊都市、そしてその都市間を結ぶドイツ国鉄とも積極的に提携し、シームレスな「地域圏公共交通」を作り上げています。
 その交通システムは「カールスルーエ・モデル」と呼ばれているそうで、カールスルーエ市内の市電(トラム)を、近郊の都市(バーデンバーデン、ハイルブロンなど)の市電や近郊電車と規格統一し、その間をドイツ国鉄(DB:Deutsche Barn)の線路の上を走る、という画期的なシステムです。近郊の都市間と都市内を、同じ電車で乗り換えなし(もしくは簡単な乗り換え)でシームレスに走れるようにし、かつカールスルーエ市内は、最低200m歩けばトラムに乗れるという路線網を充実させたという、いかにも「ドイツ的」な「統一原則で全てを作り上げた」システムです。この実現のためには、ドイツ国鉄の規則変更や、市内(直流電車)と国鉄(交流電車)の相互乗り入れを可能とする交直両用電車の採用など、これまたドイツらしい発想と徹底ぶりだったようです。
 日本のようなうわべだけの雰囲気的・流行的・一過性の「エコ」ではなく、現実的で徹底した持続する「エコ」(当然苦労や困難も伴う)が根付いていることを実感しました。
 詳しくは、こんなサイトを参照してください。

 カールスルーエのメインストリート・カイザー通り(Kaiserstrasse)は、車の乗り入れが規制され、歩行者とトラムが往きかっています。トラムのチケットは、停留所の自販機で買い、改札などはありません。トラムに乗ったら日付時刻を刻印することになっていて、万が一検札が来てチケットがない、あるいは時刻が古いものだと、かなりの多額の罰金を取られるそうです。でも、自販機でチケットを買っている人や、トラム内で刻印している人をそれほど見かけませんでした・・・。市民には、無料パスが配られている、あるいはほとんどの人が「定期券」を持っているのでしょうか?
 路線はかなり複雑で、しかも道路工事などで路線が変わることもあるようですが、市民は黙々ときちんと乗り継いでいるようです。
 停留所には、あと何分で何番の電車が来るか、という電光掲示板があります。メインストリートのカイザー通りでは、ほとんどひっきりなしに電車が来ます。踏切とかレーン分けなどありませんので、よく事故が起こらないなと感心します。

カイザー通りのトラム



トラムのチケット:上が1回券、下が4回券(左右・裏表の4か所に時刻刻印場所がある)

カールスルーエ中央駅の前のトラム

 街の北側に、街の中心となる王宮(城というよりは館)があり、そこから南半円に放射状(扇状)に延びる道が街の骨格となっています。
 王宮は、現在は博物館となっていますが、入口には「1918年まで王宮だった」と書かれたプレートがはめ込んでありました。そう、ドイツ帝国とその一国であったバーデン大公国がなくなって、まだ100年も経っていないのでした。

カールスルーエの王宮

 王宮の北半球は林で、その中にフットボール場(サッカー場)がありました。今はドイツリーグ(ブンデスリーガ)の2部に降格したようですが、かつてゴールキーパーのオリバー・カーンが在席していたフットボールチーム「カールスルーエSC」がここを本拠地にしています。

カールスルーエのフットボール場

2.カールスルーエでの音楽

 カールスルーエには、巨大な「バーデン州立劇場カールスルーエ」という複合劇場がありました。とても近代的な建築物のようでした。(こちらのサイトに写真あり
 ここで、オペラやコンサートが行われるようです。上演スケジュールを見ると、さすがにオペラは月1〜2回と上演頻度は低いようです。
 ポスターによると「ヘンデル音楽祭」というものを開催していて、ヘンデルのオペラのコンサート形式での上演があったようですが、その日は後述のようにフランクフルトでオペラを見たのでパスしました。

3.フランクフルトでの美術館とオペラ

 仕事の合間に、1回週末がありましたので、土曜日にフランクフルトまで行ってきました。鉄道で約1時間です。
(ドイツの鉄道では、長距離特急がIC(Inter City)、高速特急がICE(Inter City Express)と何故か英語です)

 まずはフランクフルト市内観光。まずは有名なコンサートホール「アルテ・オーパー」。ここは、第二次大戦前はオペラハウスでしたが、空襲で破壊され、戦後再開されたときには一般のコンサートホールになりました。フランクフルト放送交響楽団の本拠地で、インバル指揮のマーラーやブルックナーの交響曲全集録音はここで行われました。

フランクフルトの旧オペラ座(アルテ・オーパー)
古い建物と近代的ビルが同居している。


 フランクフルトは、EUの「欧州中央銀行」があります。ちょうど、現在の歌劇場の前です。行ったときには、ギリシャから始まった金融危機がまだ完全には終息していなかったこともあり、欧州中央銀行前の有名な星のちりばめられたユーロのモニュメント周辺は抗議の「テント村」が占拠していました。そう、ここフランクフルトは欧州経済危機の中心地だったのでした。

EUの欧州中央銀行前広場(歌劇場の目の前)
 ユーロ危機に抗議するテント村ができていた。


 フランクフルトは、文豪ゲーテが生まれた街で、生家「ゲーテハウス」などもあり、現在はゲーテ博物館になっているようですが、あまり興味もなかったのでパス。

 フランクフルトにはショッピング街などもあるのですが、特に興味もないので、さっさと川向こうのシュテーデル美術館(Stadel Museum)へ。
 フランクフルトは、欧州中央銀行があるように「金融の街」として有名で、ユダヤ系のロトシルト家( Rothschild :英語読みではロスチャイルド家)も元々はここで金融業を営んでいたのだそうです。「シュテーデル美術館」は、そういった銀行家の1人であるシュテーデルが収集した美術品を、遺言により公開するために作られた美術館だそうです。(1818年開館)
 有名なところでは、フェルメールの「地理学者」、レンブラントの「目をつぶされたサムソン」、その他、古いところではデューラー、ホルバイン(「死の舞踏」で有名)など、新しいところではマネ、モネ、ドガ、ルノアール、ゴッホ、アンリ・マティスなど。奥の方には風景画家クロード・ロラン(Claude Lorrain)の特別展示がありました。地下には現代アートの展示室もありました。
 各展示室に収蔵品カタログが備え付けられていて、ゆっくり座っていろいろ確認しながら見て回れる美術館でした。1階にあるカフェの雰囲気もなかなか良く、ゆっくり時間を過ごしながら見て回れる美術館です。

シュテーデル美術館内
フェルメールの「地理学者」がさりげなく展示されている。

シュテーデル美術館のパンフレット

 夜には、再び欧州中央銀行前のフランクフルト歌劇場(Oper Frankfurt)へ。

フランクフルト歌劇場
 この左側に欧州中央銀行がある。

 この夜の出し物は、リヒャルト・シュトラウス作曲「アラベラ」。それほどメジャーな演目ではありませんが、1909年の歌劇「エレクトラ」以来のコンビであった台本作者フーゴー・フォン・ホフマンスタールとの最後の共作となった作品で、1933年にドレスデンで初演された後期の作品です。ちなみに、後に出てくるヒンデミット作曲の交響曲「画家マティス」の初演が1934年ですから、期せずして同時代の作品というつながりです。
 この上演の指揮者はガブリエル・フェルツ Gabriel Feltz (シュトゥットガルト・フィルの首席指揮者)、主役のアラベラはエミリー・マギー Emily Magee (2011年のバイエルン国立歌劇場日本公演のヴァーグナー「ローエングリン」でエルザを歌った)が歌っていました。

 本当は、翌日の日曜日に上演されるヴァーグナー「神々の黄昏」が見たかったのですが、出張日程が確定して調べたときには既に完売状態でした。
 オケピットの中がよく見えるように、3階バルコニーの右側の席を日本で予約していました。それで27ユーロ。安いものです。
 それほど期待していませんでしたが、かなりレベルの高い公演でした。(予習に、ルネ・フレミングがアラベラを歌ったウェルザー・メスト指揮のチューリヒ歌劇場のDVDを見ていたのですが、これよりも演奏は良かったように思いました。演出はステージを前後に分けて仕切りでさえぎり、奥を回り舞台にするという凝った作りですが、上手に寄った場面が私の席から見えにくいことが多く、今ひとつと思いましたが)
 オケはR.シュトラウスにしてはやや小型の3管編成、ホルンは4本で、下手に木管の後ろに座っていました。トップと3番は女性でした。金管、打楽器は上手側の一番奥に配置。ホルンとは相当離れています。金管はテューバまで入る完全編成。
 オーボエのトップは女性で、遠目に東洋系でしたが、休憩時間に近くに行くと、観客の1人と日本語で話をしていました。日本人の若い女性でした。帰国してから調べてみたら、近藤那々子さんという方のようですね。R.シュトラウスらしい音で木管のアンサンブルをリードしていたと思います(休憩時間中もずっとピット内でさらっていました)。その他、ヴァイオリンに東洋系の女性奏者が何人かいたようです。(近藤さんはカールスルーエ音大に留学していたそうです。そういえば、マーラー室内管オーボエの吉井瑞穂さんもカールスルーエ音大でしたね)
 この歌劇場、現在の音楽監督はセバスティアン・ヴァイグレ(1961〜 )とのことで、この指揮者はマーラーの友人だったハンス・ロットの交響曲を録音したCDを持っています。

歌劇場の内部:私の座った席からの眺め。上手側が見えない!

歌劇場の内部:反対側のバルコニー席。


歌劇場内のレストラン。休憩時間中はゆったりワインや食事。

オーケストラ・ピット内。ホルンは下手一番後ろ。休憩中楽器を置きっ放し!





オーケストラ・ピット内。金管は上手一番後ろ。
ここも休憩中楽器を置きっ放し!


 オペラが終わった後、フランクフルト中央駅23時発のICEに乗って、カールスルーエ駅に着いたのは24時過ぎでした。

4.フランスのコルマールへ

 土曜日のフランクフルトに続き、日曜日は国境を越えてフランスに入り、コルマールという街に出かけました。
 さすがに前日が遅かったので、朝ゆっくりホテルを出て、カールスルーエ中央駅9:32のTGVに乗り、10:11にいつの間にか国境を越えてストラスブール着。ここまでのチケットはドイツ国鉄で買えたのですが、ここから先はフランス国鉄のテリトリー。ドイツ国鉄は、インターネットでチケットを購入すると、それを自分で印刷して持って行けばそれがチケットになりますが、フランス国鉄はインターネットで予約しても、フランク国内の駅でリアルチケットを発行してもらわないといけません。ということで、ストラスブール駅のチケット売り場で予約コピーを見せて、リアルチケットに交換。チケット売り場が駅の端にあって分かりづらく、窓口に人も並んでいて、30分の乗り継ぎ時間内に交換できるか、ちょっとスリリングでしたが、何とかチケットを入手。今度は、ストラスブール駅はかなり大きいのに、発車列車のモニターにホーム番号が表示されておらず、ちょっと焦りました。どうやら列車到着直前までホームが表示されないようです。インフォメーションで聞いて何とかなりました。
 ストラスブールからコルマールまでは、ローカル線の急行で30分。11時過ぎに着きました。

カールスルーエ中央駅に入ってくるTGV国際特急

 コルマール駅から、コルマールの旧市街までは、歩いて20分ほどかかります。ヨーロッパでは、カールスルーエも含めて、古い町ほど鉄道駅が街の外れにあるようです。街が先にあって、後から鉄道が通り、町外れの空いているところに駅を作った、ということなのでしょう。
 冬のコルマールは、ほとんど観光客もなく静かでした。この街の旧市街は、ジブリアニメの「ハウルの動く城」の街のモデルになったそうで、ドイツ風の木組みにパステルカラーの壁という、メルヘンチックで可愛らしい町並みが残っています(ロマンティック街道のローテンブルクの町並みに似ています)。また、家からは「飛び出す看板」が張り出しています。

コルマール旧市街の町並み

これがジブリ「ハウルの動く城」の町並みのモデルになったらしい

コルマール旧市街の看板



コルマール旧市街の看板

 町並みは後で見ようと、まずは旧市街の中にあるウンターリンデン美術館 Musee Unterlinden へ(名前が「菩提樹の下」というドイツ語ですね)。12時前に着いたら、「12時から2時まで昼休みで休館です。2時に来て下さい」と言われてしまいました。どうやら、冬の間は客が来ないので、昼休みは閉めてしまうようです。

ウンターリンデン美術館(古い修道院)
 左の窓(ステンドグラス)の部分に「イーゼンハイムの祭壇画」が展示されている。


 ここには、ヒンデミット作曲の交響曲「画家マティス」(歌劇「画家マティス」からの抜粋で作った管弦楽曲)の元となったマティアス・グリューネヴァル トMathias Grunewalt (本名:マティス・ゴットハルト・ナイトハルト Mathis Gothart Neithart 1475/80 - 1528)作「イーゼンハイムの祭壇画」があります。今回、このコルマールまで足を伸ばした理由は、この絵を見るためでした。
 グリューネヴァルトがこの絵を描いたのが1512〜1516年だそうですので、今年がちょうど500周年の年なのでした。

 横浜フィルでは、2007年に交響曲「画家マティス」を演奏しています。そのときの解説はこちら。そのときに、第1楽章「天使の合奏」第2楽章「埋葬」第3楽章「聖アントニウスの誘惑」の各タイトルが、このイーゼンハイムの祭壇画から取られているとのことでした。そのときにこの絵を写真では見ていましたし、解説サイトに写真とこの祭壇画の構造図も載せていました。
 それだけならそれでおしまいなのですが、その後、私の持っているバッハの「マタイ受難曲」のCD(グスタフ・レオンハルト指揮のラ・プティット・バンド)のジャケットが、実はこのイーゼンハイムの祭壇画のイエス受難の場面の絵だということに気付きました。ずっと前から持っていたものだったのに・・・。

私の持っているバッハ「マタイ受難曲」のCDジャケット。
グスタフ・レオンハルト指揮/ラ・プティット・バンド


 そんなことから、この絵を実際に自分の眼で見てみたいという思いを強くしました。カールスルーエに出張、ということで、所在地を地図で確認しているときに、ストラスブールに近いことに気付き、ということは、と調べてみると、コルマールも近いではありませんか。しかも、鉄道が通っていて、時刻表で調べると正味1時間ちょっとで行ける。これはもう、行くしかないでしょう、ということになった次第です。

 絵の展示状況が写真に撮れるとよかったのですが、この絵葉書の様子から想像して下さい。第1面のイエス受難の絵の幅が約3m、高さ約2mの大きさで、これが両側に観音開きになります。これが、約1.5mの土台の上に載っています。土台部分には「埋葬」の絵があります。
 絵は、こちらのページに説明したように、観音開きの扉を開けると、中から新しい2面の絵が出てくるのと、開いた扉の裏に描いた絵が左右に広がるのとの合わせで、計4面の絵が一列に並ぶことになります。実際の絵の展示では、表から表側の絵2面を、裏側から裏面の絵2面を見ることになりますので、残念ながらこの「4面並び」を実際に見ることはできません。扉を開くと現われる「中の絵」は、第2面目とし少して離れて展示されています。
 この複雑な構造の絵の説明模型が、実物の絵の横にミニチュアで展示してあって、それを写真に撮りたかったのですが、カメラが壊れていて果たせませんでした。美術館の売店で、そのミニチュア祭壇画の模型を売っているとの情報もありましたが、残念ながら見つけられませんでした。

「イーゼンハイムの祭壇画」の展示スペース。
 分かりにくいですが、絵が2列(それぞれが裏表に絵が描かれている)、その後ろに聖アントニウスの像、の計3列に展示されています。


 この美術館、古い修道院をそのまま美術館にしたもので、中庭がひなびた趣で、小鳥のさえずりがにぎやかで、なかなか癒しの空間でした。イーゼンハイムの祭壇画以外にはめぼしい美術品はなく、どちらかといえば食器や装飾品など、修道院に伝わってきた古い骨董品を展示している博物館でした。ぶどう絞り機やワイン樽、武器や鎧まで展示されていました。

ウンターリンデン美術館のパンフレット
 絵柄はイエス受難の場面の右下の部分(洗礼者ヨハネ)です。


 12時から2時まで美術館は休館、ということなので、昼食がてら、旧市街を歩き回りました。それほど広いわけではありませんが、路地や小道が入り組んでいて、そのあちこちに可愛い小奇麗な家並みがあるようで、見ていて飽きませんでした。小さな運河沿いの「魚屋通り」(Quai de la Poissoneir)というあたりから、「小ヴェニス」(プチ・ヴニーズ:Petite Venise)というあたりが、可愛い家並みと石畳が美しい見どころのようです。(でも、確かに「プチ」で、ここだけワンポイントで、という感じではありましたが)冬場はほとんどのレストランが閉まっていて、観光客もほとんどいませんでしたが、春から夏にかけては、家々の窓に花が咲き、レストランが道にテーブルを出し、運河にゴンドラが浮かぶ、明るく活気にあふれた街になるようです。
 どうせ行くなら、初夏の頃がきっと一番良いのでしょう。その頃なら日も長いし。

コルマール旧市街のカラフルな町並みと「小ヴェニス」(観光写真)
 これはインターネットから借用。私が行った時にはレストランは休みで観光客はいませんでした。





コルマール旧市街のカラフルな町並み(観光写真)
 これもインターネットから借用。私が行った時には緑も花もありませんでした。


4.ドイツのお土産:その1 リッテル・シュポルトのチョコレート

 ホテルの近くのスーパーで、水やワインを買ったついでに、お土産用に買いました。
 リッテル(Ritter)は、シュツゥットガルト近くにあるチョコレート屋だそうで、近くにフットボール場があり、サッカー観戦客がスポーツジャケットのポケットに入れて持ち歩き、割れにくいようにと、四角い形にして「SPORT」(ドイツ語読みで「シュポルト」)と名付けたそうです。日本でいえば「明治の板チョコ」なのですが、割ると包装から簡単に取り出せ、残りを包装をくるめるように工夫されたパッケージになっているところがドイツ風です。
 こちらに説明のサイトがありました。
 日本では、このような通信販売で買えるようですが、スーパーで59セント(約70円)のものが、何と送料別で280円でした。

リッテル・シュポルトのチョコレート各種

5.ドイツのお土産:その2 バート・ライヒェンハルのザルツ(塩)

 これもホテルの近くのスーパーで買いました。ドイツの家庭でふだん使う「食卓塩」です。スーパーで塩の売り場が分からず、買物に来ていた若い女性に尋ねたら、一生懸命一緒に探してくれました(ドイツの方は、みな律儀で親切です)。結局見つからず、スーパーの惣菜売り場のお兄さんに聞いて、ようやく見つけました。レジでも、「この東洋人は、何でそんなにたくさん塩を買うのだ?」と変人に見られたかもしれません。
 元は岩塩ですが、ハーブ風味、ガーリック風味など、ちょっとした「風味塩」になっているものが、あまり日本では見かけないようです。  日本では「アルペンザルツ」という商標で輸入されているようですが、これほどのバラエティはそろっていないようです  中にひとつ、間違えて「ミーア・ザルツ」(Meer Salz)というのを買ってしまいました。要するに「海の塩」で、ドイツでは岩塩に比べて比較的高級なのだそうです。(真ん中の青いもの)

バート・ライヒェンハルのザルツ各種

 スーパーで見かけた「ワイン用の紙袋」のデザインが鮮やかだったので、買ってしましました。会社の事務の女性(出張の手続きをいろいろしていただいた)に、中にチョコレートを入れて渡しました。

スーパーで見かけた「ワインを買って帰るときの袋」

6.ドイツでのショッピング 文房具

 時間が空いたときに、仕事場の近くの文房具屋に行ってみました。実用的で、面白そうなものがたくさんありましたが、筆記用具売り場には「Pentel」の看板が。やはり、日本製品はドイツでも通用するのですね。
 安かったら、と思ってモンブランの万年筆を捜しましたが、モンブランはドイツでも「ブランド品」のようで、奥の方に鎮座していましたが、あまり売れる様子はありませんでした。値段も、日本で円建てで買うものと、それほど差はないようでした。ドイツ国内でも、ほとんど値下げしないようです。
 ということでモンブランはあきらめ。



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