横浜フィルハーモニー管弦楽団の第59回定期の演奏曲目として、マーラー/交響曲第1番「巨人」とともに、この交響曲の初演時に含まれていたものの、その後削除された「花の章」("Blumine":ブルーミネ)と、ワルツ王ヨハン・シュトラウス/皇帝円舞曲を演奏しました。
キーワードは、19世紀末ウィーン。
一見、何の関係もなさそうに見えるマーラーとヨハン・シュトラウスの間に、実は意外な関係が・・・。
1.今回の選曲のテーマ「19世紀末のウィーン」
マーラー(1860〜1911)は、19世紀末のウィーンで活躍していました。
この頃のウィーンには、第57回定期で取り上げたブルックナー(1824〜1896)、第54回定期で取り上げたブラームス(1833〜1897)もいました。マーラーにとっては、1世代上の先輩だったわけです。
ウィーンといえば、ウィンナ・ワルツ、ウィンナ・ワルツといえば、ヨハン・シュトラウス父子。ワルツの父ヨハン・シュトラウス1世(1804〜1849)と、ワルツ王ヨハン・シュトラウス2世(1825〜1899)。今回演奏する「皇帝円舞曲」は、もちろんヨハン・シュトラウス2世(以下、単にJ.シュトラウス)の作品ですね。
純音楽のブラームスと娯楽・大衆音楽J.シュトラウスとの間には交流がなかったのでは、と思いきや、ブラームスはJ.シュトラウスの大ファンだったそうです。(ウィキペディアのブラームスのページに、ブラームスとJ.シュトラウスの2ショットの写真が載っています)
J.シュトラウス、ブルックナー、ブラームスはほぼ同世代で、マーラーはその子供の世代というわけですね。
ついでながら、ウィーン在住ではありませんでしたが、もう1人のシュトラウスであるR.シュトラウス(1864〜1949)とマーラーとは4つ違いの同世代です。R.シュトラウスの出世作「ドン・ファン」も、マーラーの「巨人」と同じ1889年に初演されています。本人同士は気心が通じて仲がよかったようですが、マーラー夫人であったアルマ(1879〜1964)はR.シュトラウスを嫌っていたようで、著書(「グスタフ・マーラー―愛と苦悩の回想」アルマ・マーラー・ヴェルフル著、石井 宏・訳(中公文庫)中央公論社)の中で、R.シュトラウスを金や名誉目当ての俗物呼ばわりしています。もっとも、このアルマの著書は、ナチス時代にマーラーが抹殺されるのに抵抗して書かれており、ナチスの支配下で「帝国音楽院総裁」に祭り上げられたR.シュトラウスを「仮想敵」とみなして書かれているためでしょう。
19世紀末の音楽の都ウィーン。当時、音楽史を飾るいろいろな人々が、同じ街で、同じ空気を呼吸して、音楽を作り、演奏し、そこに流れる音楽に耳を傾けていたのでした。
そこには、実は20世紀音楽をリードしていくシェーンベルク(1874-1951)も活動していました。また、ツェムリンスキー(1871〜1942)など、同時代から20世紀初頭にかけて活躍した、マーラーのすぐ下の世代も同じ空気の中で活動しており、最近注目されつつあります。(ちなみに、マーラー夫人アルマの作曲の先生兼恋人がツェムリンスキー、シェーンベルク夫人はツェムリンスキーの妹、というような関係)
2.マーラーとJ.シュトラウスの意外な関係
ブラームスとは大いに交流のあったJ.シュトラウスでしたが、それではマーラーとはどんな関係だったのでしょうか。
マーラーは、生活の手段としては、作曲家としてよりも指揮者として活動し、交響曲第1番を作曲した1888年にはブダペスト王立歌劇場の音楽監督に、そして1897年にはウィーン宮廷歌劇場の音楽監督となります。このウィーン宮廷歌劇場の音楽監督として、J.シュトラウスと関係がありました。マーラーは、J.シュトラウスを高く評価していて、それまでオペレッタを上演したことのなかったウィーン宮廷歌劇場で、初めて「こうもり」を取り上げる決定をしたそうです。そして、ウィーン宮廷歌劇場で上演するバレエ曲をJ.シュトラウスに委嘱しているのです。「灰かぶり姫」というシンデレラ物語だそうですが、残念ながらJ.シュトラウス存命中には完成しなかったようです。
1899年5月にウィーン宮廷歌劇場での「こうもり」プレミエの際、特別ゲストとしてJ.シュトラウスが指揮をとりましたが、序曲を終えたところで不調を訴え、そのまま寝たきりとなって、書きかけのバレエを気にしながら6月3日に世を去ったとのことです。(「ヨハン・シュトラウス〜ワルツ王と落日のウィーン」小宮正安・著(中公新書)中央公論新社にこの辺が詳しく出てきます)
3.マーラー/交響曲第1番「巨人」とJ.シュトラウス/皇帝円舞曲の見えざる糸
マーラー/交響曲第1番「巨人」は、1884年から1888年にかけて作曲され、初演は、1889年11月20日にマーラー自身の指揮、ブダペスト・フィルハーモニー交響楽団によって行われました。
また、J.シュトラウス/皇帝円舞曲は、1889年に作曲され、1889年10月21日にベルリンにて初演されました。プロイセンが建国したドイツ帝国の皇帝ヴィルヘルム2世と、ハプスブルク帝国の皇帝フランツ・ヨーゼフとの同盟締結を祝い、「手に手をとって」というタイトルで作曲され、ドイツ帝国の首都ベルリンで初演されたのでした。これを、出版のときに「皇帝円舞曲」としたとのことです。
ここまで読んで、気付きましたね。そうです、
4.マーラー/交響曲第1番「巨人」をめぐって
マーラーの交響曲第1番は、もともと交響曲ではなく、連作交響詩でした。最初は2部からなる5楽章構成で、次のような題名が付けられていました。
第1部:青春の日々から 《 Aus den Tagen der Jugend 》
T.春、そして終わることなく! 《 Fruehling und kein Ende! 》 (現在の第1楽章)
U.花の章(ブルーミネ) 《 Blumine 》 (現在の交響曲では削除)
V.満帆に風を受けて 《 Mit vollen Segeln 》 (現在の第2楽章)
第2部:人間喜劇 《 Commedia humana 》
W.カロ風の葬送行進曲 Todtenmarsch 《 in Callots Manier 》 (現在の第3楽章)
X.地獄から天国へ! 《 Dall' Inferno al Paradiso! 》 (現在の第4楽章)
この交響詩としての初期稿には、1889年にブダペストで初演された第1稿「ブダペスト版」と、大幅に改訂を加え1893年に演奏された第2稿「ハンブルク版」、そしてその1894年の再演に際し、オーケストレーションに若干の修正を加えたと思われる第2稿「ワイマール版」の3種が存在するそうです。
「巨人」というタイトルと上記の各曲の標題が付いたのは、1893年の「ハンブルク版」からだそうです。
その後、マーラーは、1896年のベルリン初演の際にすべての標題を外し、第2曲「花の章」をカット、さらに残りの楽章にもオーケストレーションなどの改訂を加え、現在普通に聴かれる4楽章構成の交響曲として完成します。(楽器編成は3管から4管に増強され、ホルンが4本から7本に増やされた)
これが第3稿の最初のヴァージョンで、以後、1906年にウニフェルザール(ユニヴァーサル)から出版された際には第1楽章と第2楽章のリピートが導入され(旧版=全音スコア)、1967年にはエルヴィン・ラッツ監修による国際マーラー協会の全集版(旧全集版=音友スコア)で、マーラーが演奏の都度追加した細かな指示を採用したそうです(これが一般に演奏されている)。(その後、さらに1992年にカール・ハインツ・フュッスル監修の新全集版で第3楽章冒頭のコントラバスがユニゾンに変更されるという変更もあるようですが、この版での演奏はまだ聴いたことがありません)。
第1稿「ブダペスト版」はすでに紛失しているため、演奏することはできませんが、第2稿「ハンブルク版」は演奏可能なようです。現在演奏されている「花の章」は、この版に基づくもののようです。
この「花の章」は、長い間紛失したと思われていました。しかし、マーラーの弟子であったペリン家に楽譜が所蔵されていたものが第二次世界大戦後に発見され、1967年に単独で復活初演、1968年に出版されました。
ちなみに、この交響曲第1番「巨人」と、歌曲集「さすらう若者の歌」(Lieder Eines Fahrenden Gesellen)は姉妹編ですので、「さすらう若者の歌」も併せて聴いておくことをお勧めします。 (注:マーラーの交響曲と歌曲との類似関係は、こちらの記事を参照下さい)
5.マーラー/交響曲第1番「巨人」第3楽章の元うた
この交響曲の第3楽章は、ティンパニの刻むリズムの上に、コントラバス独奏の主題で始まります。このコントラバスの主題の元曲は、フランスの童謡「フレール・ジャック」です。この曲は、↓に楽譜を示しますが、誰でも知っている曲です(日本語では「グーチョキパーで なに作ろう」という歌詞で歌いますね)。
直接音で聴きたい方はこちら→フレール・ジャックその1、フレール・ジャックその2
第3楽章の主題は、これをほとんどそのまま短調にしたものですが、だいぶ感じが変わりますね。
この曲、ユーミンの「グレイス・スリックの肖像」という曲のイントロでも使われています(この楽譜どおりのメロディーにマイナーのハーモニーを付けて)。
6.マーラー/交響曲第1番「巨人」第3楽章の「カロ風の葬送行進」の絵
この交響曲の第3楽章は、元の交響詩のときのタイトルは「カロ風の葬送行進曲」でした。ここでいう「カロ」とは、フランスの版画家ジャック・カロ(1592〜1635)のことで、「カロ風の葬送行進」は下記の絵といわれています。もっとも、この絵自体はカロの作ではなく、モーリツ・フォン・シュヴィントという版画家の「狩人の葬列」というエッチングだそうです。
「狩人」に殺される立場の動物たちが、「狩人」の葬式に参列して亡骸を運んでいく、という図。主客逆転のパロディーというところでしょうか。ユーモアとグロテスクの入り混じった、なんとも不思議な絵です。
この絵を見ると、日本の「鳥獣戯画」を思い出します。こちらは、ずっと素朴なユーモアとほほえましさを感じます。(注:鳥獣戯画の全体はこのサイトを見て下さい)
ご参考までに、「花の章」付きの音源の一例です。
マーラー/交響曲第1番「巨人」(花の章付き)(デヴィッド・ジンマン/チューリヒ・トーンハレ管弦楽団)
ジンマン最新のマーラー録音第1弾、2006年2月の録音です。演奏も音質も、なかなかのものです。
マーラー/交響曲第1番「巨人」(花の章付き)(小澤征爾/ボストン交響楽団)
ボストン時代のオザワの録音です。
マーラー/交響曲第1番「巨人」(花の章付き)(サイモン・ラトル/バーミンガム市響)
バーミンガム市響時代のラトルの録音です。
マーラー/交響曲第1番「巨人」(花の章付き)(ロジャー・ノリントン/シュトゥットガルト放送響)
ペリオド奏法のノリントンの録音です。
マーラー/歌曲集「さすらう若者の歌」「亡き子をしのぶ歌」他(フィッシャー・ディスカウ(Br.)、フルトヴェングラー/フィルハーモニア、他)
28歳のフィッシャー・ディスカウが、マーラー嫌いであったフルトヴェングラーを説得して録音し、フルトヴェングラーにマーラーの真価を認識させたという歴史的録音。
追加情報として、スコア購入のガイド:
オイレンブルクスコア:マーラー/交響曲 第1番 ニ長調 「巨人」全音楽譜出版社
Mahler: Symphony No. 1 in d Major ("Titan") (Dover Miniature Scores) Dover Pubns
Mahler: Symphonies No 1 and 2 in Full Score : Dover Pubns
OGT−82 シュトラウス/皇帝円舞曲 (OGT-82) 音楽之友社