マーラー交響曲第5番にまつわるよもやま噺

2003年6月22日
一部変更:2004年1月12日


 第50回定期で取り上げるマーラー交響曲第5番について、つれづれなるままに思いついたことを書いてみました。(注:演奏会前に記載したものです)  マーラーはあまり詳しくないし、マーラーにそれほど深く傾倒しているわけでもありません。インターネット上でマーラーを検索してみると、マーラーに関するウンチクを満載したサイトが数多くあります。必要な詳細情報はそういったサイトやCD解説書から得ればよいので、ここではもう少し個人的・みちくさ的マーラーを紹介してみたいと思います。



1.マーラーを知るための読み物
 マーラーに関しては専門書もたくさん出ていますが、読んだのは一般の書店に置いてある値段の手ごろな文庫本・新書程度なので、その類を紹介します。

(1)船山 隆「カラー版作曲家の生涯  マーラー」(新潮文庫、1987)
 標準的な伝記。「カラー版」とあるとおり、伝記文だけでなく、マーラーとそれぞれの時代に関係した人物、街、自筆原稿や演奏会ポスター、初版楽譜などの写真が豊富です。著名人の一言コラムもあります。
 Amazonで検索したら、中古しか出てこないので絶版かもしれません。本屋さんで見かけたらゲットしましょう。

(2)柴田 南雄「グスタフ・マーラー―現代音楽への道」(岩波新書・黄版No.280、1984)
 マーラーを愛し、日本のマーラー普及に携わってきた作曲家・柴田南雄氏の一般向け新書。伝記ではなく、マーラーの音楽の紹介が中心で、筆者の体験や関連話題への脱線も随所に。
 これも、Amazonで検索したら中古しか出てこないので絶版? 本屋さんで見かけたらゲットしましょう。

(3)アルマ・マーラー/石井 宏(訳)「グスタフ・マーラー〜愛と苦悩の回想」(中公文庫、1987)
 マーラー未亡人であるアルマの回想録。アルマ(1879〜1964)は、第5交響曲作曲中の1902年に、21歳で20も歳上のマーラーと結婚、そして31歳で夫に死別。その後、画家ココシュカ(1886〜1980)との愛人関係、建築家ヴァルター・グロピウス(1883〜1969)と再婚・離婚、さらに小説家フランツ・ヴェルフェル(1890〜1945)と再婚。そのため、名前も「アルマ・マーラー・グロピウス」「アルマ・マーラー・ヴェルフェル」と変えました(マーラー未亡人であることを誇示するためか、マーラーの看板は下ろさなかったようです)。まあ、芸術家にインスピレーションを与える女性だったのでしょうか。
 この本は、「アルマ・マーラー・ヴェルフェル」時代の1939年に出版されました。本来、アルマはこの手の内容を生存中に公にするつもりはなかったようですが、ヒトラーのナチス政権下でユダヤ人作曲家の「3M」(メンデルスゾーン、マイヤベーア、マーラー)が演奏禁止となり、マーラーの業績が闇に葬られることへのレジスタンスとして、記憶を呼び起こして書き上げて出版に踏み切ったようです。
 多分にマーラーと自分を美化している部分もあると思われますので、事実と本音と建前を分けて読む必要がありますが、人間マーラーを知る手がかりとしては面白いと思います。



2.交響曲第5番の時代――アルマとの出会いと結婚
 交響曲第5番は、20世紀が始まったばかりの1901年に着手され、翌1902年に完成しました。この時期の出来事としては、アルマとの出会い、婚約、そして結婚、長女の出産があります。
 この辺を年表にすると、次のようになります。

1897年:ウィーン宮廷歌劇場の指揮者に就任。
1900年:交響曲第4番完成。
1901年:交響曲第5番に着手。「亡き子をしのぶ歌」も着手。
    11月アルマと知り合い、12月に婚約。
1902年:3月アルマと結婚。夏に交響曲第5番完成。11月長女マリア・アンナ誕生。
1904年:次女アンナ・ユスティーネ誕生。「亡き子をしのぶ歌」完成。交響曲第6番完成。
    ケルンで交響曲第5番初演。


 前述のアルマの本には、第5交響曲に関して次のような記述があります。1904年にケルンでマーラー自身の指揮による初演が行われたとき、アルマは行きたかったのに行けませんでした。そのときの記述です。
 「第五が初演されている頃、私は熱があって寝ていた。第五、それは私が初めて彼の人生と作品とに力をかすことのできたものであった。その全スコアは私が清書した。のみならず、彼が私を無条件に信頼してブランクにしておいたところまで私が書いたのだ。」

 アルマは、ツェムリンスキーに作曲を習っており(従ってシェーンベルクと同門)、結婚後は作曲を禁じられたものの、結婚前には何曲かの歌曲も作曲していたほどで、当時の最先端の作曲技法を身につけていたようです。そのため、5楽章最後の金管のコラールは「古臭い」といって気に入らなかったということです。



3.第5交響曲と歌曲の関係
 マーラーの交響曲は、自身の歌曲と密接に関係していることは有名です。
 たとえば、第1交響曲「巨人」は「さすらう若者の歌」、第2交響曲「復活」から第4交響曲は「子供の不思議な角笛」。(詳細は下記の付録にまとめましたので参照下さい)
 一般に、第5から第7は、声楽を含まない純粋オケの曲で、歌曲との関係は希薄と言われていますが、この第5に関しては明確に歌曲との関連がある、と柴田氏は書いています。

(1)第1楽章と「亡き子をしのぶ歌」
 まず、1楽章のティンパニ独奏によるファンファーレの再現の直前(練習番号15の11小節前:下記A)に、フルートに「亡き子をしのぶ歌」第1曲の節回しと同じもの(B)が出てきます。

(A.マーラー第5交響曲、第1楽章、練習番号15の11小節前) Mahler5-1

(B.「亡き子をしのぶ歌」より第1曲「いま太陽は輝き昇る」13小節目) Kindertotenlieder

 「亡き子をしのぶ歌」は、第5交響曲とほぼ同時期に作曲が進んでいました。新婚で、妻が最初の子供を身ごもっている時期に、このような曲を作っていたことは縁起でもない気がしますが・・・。詩はリュッケルトが自分の子供を亡くした経験から書き上げたものだそうです。(数年後の1907年に、マーラー自身も長女マリア・アンナを失うことになります・・・)
 ただし、この部分は、練習番号No.4から始まる葬送行進曲のこぶしのきいた節回しの変形とも考えられます。従って、引用というよりも、同時期に書き進めた同様の気分の個所に、結果として同じ曲想を使ったということではないか、と柴田氏は書いています。う〜ん、どうなんでしょうか。

 この「亡き子をしのぶ歌」(原題「Kindertotenlieder」は直訳すれば「子供の死の歌」)は、いかにも縁起が悪いので、子供が生まれて以来20年近く聴いていませんでしたが、もう時効だろうと思って聴いてみました。放心状態にも似た悲痛な嘆きは、何度聴いても心打たれます。差し障りのない人は是非聴いてみて下さい。

(2)第1楽章と「子供の不思議な角笛」
 また、第1楽章の葬送行進曲の旋律線や伴奏の付点リズムは、「子供の不思議な角笛」の「少年鼓手」によく似ています。この歌曲は、脱走を企てて捕まり、戦場で絞首刑にされる少年鼓手を歌ったもので、状況としては第1楽章に合い通じるものかもしれません。

(3)第4楽章と「リュッケルトによる5つの歌曲」
 同じく同時期に作曲された「リュッケルトによる5つの歌曲」の中の「私はこの世に忘れられ」は、第4楽章アダージェットに雰囲気がそっくりです。これは、聴いてみるとなるほどと納得できます。(これは、自分の天国、自分の愛、自分の歌の中で孤独にひっそりと生きる、という、今で言えば引きこもりの歌です。原因は失恋でしょうか)

(4)第5楽章と「子供の不思議な角笛」
 さらに、第5楽章の出だしのファゴットによる上昇音型は、「子供の不思議な角笛」の「高尚なる知性への讃歌」の冒頭にそっくりです。まあ、マラ9の第2楽章の出だしも同じ音型といわれればそれもそうなのですが・・・。

(付録)マーラーの交響曲と歌曲の関係
 上でも触れた交響曲と歌曲の関連を、表にまとめてみました。

交響曲場所関連する歌曲関連性
第1番
「巨人」
第1楽章「さすらう若者の歌」の
第2曲「朝の野辺を歩けば」
同一
第3楽章
トリオ
同上
第4曲「彼女の青い目が」
同一
第2番
「復活」
第3楽章歌曲集「子供の不思議な角笛」の
「魚に説教するパドヴァの聖アントニウス」
同一
第4楽章「原光」
(子供の不思議な角笛)
詩集から歌詞を使用
第3番第3楽章「若き日の歌」の
「夏の歌い手交替」
同一
第5楽章「3人の天使が歌った」
(子供の不思議な角笛)
詩集から歌詞を使用
(交響曲第4番の第4楽章と同一部分あり)
第4番第4楽章「天上の喜び」
(子供の不思議な角笛)
詩集から歌詞を使用
(交響曲第3番の第5楽章と同一部分あり)
第5番第1楽章
練習番号15の
11小節前
「亡き子をしのぶ歌」の
第1曲「いま太陽は輝き昇る」13小節目
そっくり似ている



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