次回の61回定期で、マーラーの交響曲4番を演奏します。
マーラーの交響曲第4番に関しては、指揮者の最初の練習で、かなり曲の本質に係わるお話がありました。
ここでは、このときの指揮者からのお話も含めて、団員で共有しておいた方がよい情報をまとめておきたいと思います。
マーラー(1860〜1911)は、1897年にウィーン宮廷歌劇場の指揮者に就任し、1907年までこの職に就きます。さらに、1898年9月から1901年4月まではウィーン・フィルの主席指揮者も勤めました。
ちなみに、マーラーがウィーン宮廷歌劇場の指揮者に就任して、初めて上演したのがワーグナーの「ローエングリン」だそうです。(1897年5月11日上演)
このウィーン在職中の1900〜1901年に交響曲第4番を作曲しました。
寺岡先生のお話にもあったように、この交響曲第4番の第4楽章は、詩集「子供の不思議な角笛」から歌詞を取っていますが(「天国の生活」)、それはもともと交響曲第3番の第7楽章に使うつもりだったのです。
そして、寺岡先生のお話の趣旨は「交響曲第4番は、まず「天国の生活」の歌詞を持つ第4楽章からできあがった」ということでした。
もともとの交響曲第3番は、次のような標題が想定されていたとのことです。
第1楽章:牧神(パン)は目覚め、夏が来る。
第2楽章:牧場で、花が私に語ること。
第3楽章:森の中で、動物が私に語ること。
第4楽章:人間が(夜が)私に語ること。
第5楽章:天使が(朝の鐘が)私に語ること。
第6楽章:愛が私に語ること。
第7楽章:子供が私に語ること。
現在の交響曲第3番は、この第7楽章を外した6楽章構成です。この交響曲第3番では、次のような「子供の不思議な角笛」との関連になっています。
・第3楽章:マーラー自身の歌曲集「若き日の歌」(ピアノ伴奏による歌曲集)の「夏に小鳥は交代」(歌詞は詩集「子供の不思議な角笛」より)をそっくりオーケストレーションしています。(「森の動物が語ること」ですね)
・第4楽章:「子供の不思議な角笛」ではありませんが、ニーチェの「ツァラトゥストラはこう語った」の中の言葉を用いています。(「人間が語ること」ですね)
・第5楽章:詩集「子供の不思議な角笛」から「3人の天使が歌った」を用いています。児童合唱が鐘の音を模したフレーズ歌います。(「天使が語ること」ですね。でも、歌詞の中身は、それほど天国的ではない・・・)
また、もともと同じ曲として構想したためか、アルト独唱が交響曲第4番の第4楽章(36小節目から)と全く同じフレーズを歌います。
なお、「子供が私に語ること」の標題であったモト第7楽章で、交響曲第4番の第4楽章となった楽章には、歌詞として詩集「子供の不思議な角笛」から「天国の生活」が用いられています。
作曲は第3番の方が先でしたが、初演は第4番のほうが早く、第4番:1901年11月、第3番:1902年6月でした。第3番は曲の規模が大きく、独唱者や児童合唱など、演奏面での敷居が高かったためでしょうか。
(蛇足)
交響曲第4番と直接関係はありませんが、マーラーの交響曲第2番「復活」の第3楽章には、歌曲集「子供の不思議な角笛」の「魚に説教するパドヴァの聖アントニウス」がそっくり用いられ(ただし歌抜き)、第4楽章の歌詞には詩集「子供の不思議な角笛」から「原光」が用いられています。マーラーの交響曲の第2・3・4番が、セットで「角笛交響曲」と呼ばれるゆえんですね。
「子供の不思議な角笛」は、ドイツに伝わる民俗詩を、ドイツロマン主義文学者のアヒム・フォン・アルニム(1781〜1831年)とクレメンス・ブレンターノ(1778〜1842年)が編纂したもので、600篇ほどの民謡、童謡、賛美歌などが集められているそうです。
私も中身を読んだことはありませんが、マーラーが取り上げて作曲したものからすると、イギリスの「マザー・グース」やフランスの「マ・メール・ロア」などと同類のもののようです。(シニカルなもの、グロテスクなもの、シュールなものなども含む・・・)
交響曲第4番の第4楽章の歌詞だって、ちょっとヘンですよね。どう見ても、天国や聖人様たちをおちょくっているとしか思えないし・・・。
(この歌詞で思い出したのは、フランスの作曲家プーランクは、宗教曲である「グローリア」が「不信心」と信者から批判されたのに対し、「私は単に、作曲中、天使たちが舌を出しているフレスコ画や、ベネディクト修道士たちのサッカー試合を思い浮かべただけ」と語っていた、というお話です・・・)
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天上の生活 (交響曲第4番 第4楽章)
(「子供の不思議な角笛」より)
我らは天上の喜びを味わい
それゆえに我らは地上の出来事を避けるのだ。
どんなにこの世の喧噪があろうとも
天上では少しも聞こえないのだ!
すべては最上の柔和な安息の中にいる。
我らは天使のような生活をして
それはまた喜びに満ち、愉快なものだ。
我らは踊り、そして、飛び跳ねる。
我らは跳ね回り、そして、歌う。
それを天のペテロ様が見ていらっしゃる。
ヨハネは仔羊を小屋から放して、 (←ここでオーボエがメエメエと子羊の鳴き声を模倣)
屠殺者ヘロデスはそれを待ち受ける。
我らは寛容で純潔な
一匹のかわいらしい仔羊を
死へと愛らしいその身を捧げ、犠牲にする。
聖ルカは牛を (←ここでバスClaとホルンが牛の鳴き声を模倣)
ためらいもなく、犠牲にさせなさる。
天上の酒蔵には、
ワインは1ヘラーもかからない。
ここでは天使たちがパンを焼くのだ。
すべての種類の良質な野菜が
天上の農園にはある。
それは良質のアスパラガスや隠元豆や
そして、その他欲しいものは我らが思うがままに
鉢皿一杯に盛られている!
良質な林檎や梨や葡萄も
この農園の庭師は何でも与えてくれる。
牡鹿や兎や
みんなそこの辺りを
楽しそうに走り回り
獣肉の断食日がやって来たら
あらゆる魚が喜んでやって来る!
ペテロ様が網と餌とを持って
天上の生け簀(す)へと
いそいそといらっしゃる。
マルタ様が料理人におなりになるのだ。
地上には天上の音楽と比較できるものは
何もなくて
1万1千人もの乙女たちが
恐れも知らずに踊りまわり、
ウルズラ様さえ微笑んでいらっしゃる
地上には天上の音楽と比較できるものは
何もなくて
チェチリアとその親族たちが
すばらしい音楽隊になる!
天使たちの歌声が
気持ちをほぐし、朗(ほが)らかにさせ
すべてが喜びのために目覚めているのだ。
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寺岡先生のお話で、この「天国の生活」は、同じ詩集「子供の不思議な角笛」からマーラーが歌曲集に取り上げた「浮世の暮らし」(この世の生活)と対になっている、とのことでした。
「浮世の暮らし」の歌詞は、寺岡先生が簡単に詳細されていましたが、あらためて全編載せてみましょう。何ともブラックな内容です・・・。(寺岡先生のお話にもあったように、「母ちゃん、母ちゃん」と呼ぶ子供の声、それに答える母親の声、そして状況説明のナレーションと、1人3役の内容です)
なお、この「浮世の暮らし」の伴奏音形は、交響曲第10番の未完成の第3楽章に使われています(この第3楽章は、当初の案では「プルガトリオ」(煉獄)または「インフェルノ」(地獄)と題されていた)。この当時、妻アルマの不倫と自分自身の心臓病に悩まされていたマーラーの「この世の暮らし」は、煉獄・地獄だったのでしょうか・・?
未完の交響曲第10番は、第1楽章「アダージョ」以外はマーラー協会の全集版には含まれていませんが、デリック・クックがマーラーの残した草稿から演奏可能な「第10交響曲の構想による実用版」、いわゆる「クック版」を1972年に完成させています。この第3楽章もクック版で音として聴くことができます。(詳しくは「マーラー 交響曲第10番 ものがたり」を参照下さい)
(注)この歌曲集「子供の不思議な角笛」には、ソプラノ:シュワルツコップ、バリトン:フィッシャー・ディスカウ、指揮:ジョージ・セルという決定的名盤がありますので、是非聴いてみてください。「トランペットが美しく鳴り響くところ」なんて、ゾクゾクっと鳥肌が立ちます・・・(夜中に、戦場で散った恋人の亡霊がたずねてくる歌・・・)。
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浮世の暮らし
(「子供の不思議な角笛」より)
「母ちゃん、母ちゃん、腹減った。
パンをおくれよ、さもなきゃ死んじゃうよ!」
「いい子だから、もうちょっと待ってね。
あした、大急ぎで麦を刈るからね!」
そして麦刈りがすんだときに、
その子は相変わらず叫び続けた−−−。
「母ちゃん、母ちゃん、腹減った。
パンをおくれよ、さもなきゃ死んじゃうよ!」
「いい子だから、もうちょっと待ってね。
あした、大急ぎで麦を打つからね!」
そして麦打ちがすんだときに、
その子は相変わらず叫び続けた−−−。
「母ちゃん、母ちゃん、腹減った。
パンをおくれよ、さもなきゃ死んじゃうよ!」
「いい子だから、もうちょっと待ってね。
あした、大急ぎでパンを焼くからね!」
そしてパンが焼きあがったとき、
その子は棺おけに乗せられていた。
(以上)
寺岡先生のお話では、第2楽章は「死の舞踏」をイメージしいてるそうで、ホルバインの描いた「死の舞踏」の絵を見ておくことを勧められました。
通常より全音高く調弦したヴァイオリンが、死神の弾くフィドルなのです。
女子フィギュアスケートで、韓国のキム・ヨナ選手がバックにサン・サーンスの「死の舞踏」を使っていました(何と縁起の悪い!)。そう、ここにも「死神のヴァイオリン」が出て来るのでした。
絵画としての「死の舞踏」を描いたルネサンス期のドイツの画家ハンス・ホルバイン(1497/98年〜1543年)については、こちらのWikipediaの記事を参照してください。
全く知らない画家かな、と思っていたら、エラスムス(「ユートピア」の著者トマス・モアの親友)の肖像画を描いていた人でした。
また、ホルバインの描いた「死の舞踏」はこちらでご覧ください。
ウェブ上には、あまり多くの絵はないようです。もっと適切なサイトがあるかもしれませんので、探してみてください。
ホルバインの描いた「死の舞踏」のいくつか
ちなみに、サン・サーンスの交響詩「死の舞踏」の楽譜の表紙が、まさしくこのホルバインの絵でした。(ちょっと画像が小さいですが)
今でこそ、マーラーは一般的に演奏されますが、少なくとも20世紀前半までは、マーラーを演奏していたのは、マーラーの愛弟子であったブルーノ・ワルター、マーラーと親交のあったメンゲルベルク、クレンペラーといったユダヤ人指揮者に限られていたようです。
さらに、1930年代にドイツでヒトラーが政権を握ってからは、ユダヤ人作曲家、特に3M(メンデルスゾーン、マイアベーア、マーラー)は音楽界から抹殺される運命をたどりました。ドイツ語歌詞を持つ交響曲が多いマーラーは、ドイツ語圏で演奏されなくなれば、その演奏頻度が極端に低くなることは容易に想像できます。
戦後、ワルターが亡命先のアメリカからウィーンに戻ってマーラーを演奏したり、クレンペラーがフィルハーモニア管弦楽団を指揮してマーラーを演奏していましたが、本格的にマーラーが復活したのはバースタインの功績が大きいようです。(バーンスタインがニューヨーク・フィルを指揮した交響曲全集は1960〜1967年にかけて録音されている)
この、1960年代のマーラー復権を、マーラー・ルネサンスと呼ぶようです。
柴田南雄氏の「グスタフ・マーラー」(1984年、岩波新書、現在絶版?)には、マーラー・ルネサンスのきっかけとして、1960年のマーラー生誕100周年に全曲ではないにせよマーラーの主要な交響曲がベルリンでまとまって演奏されたこと、そして1967年のウィーン芸術週間でマーラーの交響曲が全曲演奏されたことが紹介されています。
このときの指揮者は下記だそうです。面白いのは、マーラーを1973年に初めて(第5番から)レコード録音したカラヤンが、1960年に「大地の歌」を指揮していたことです。また、およそマーラーとは縁がなさそうなベームやサヴァリッシュ、クライバーそしてプレートルも1967年に指揮していました。
1960年ベルリンでの演奏会:カラヤン、マゼール、シルヴェストリ、ケーニヒで分担(カラヤン以外は誰がどの曲かは不明)(オケはベルリン・フィル、ベルリン放送響)
第1番
第2番
第3番
第9番
第10番
大地の歌:カラヤン/ベルリン・フィル(同年、ウィーンでウィーン・フィルとも演奏)
1967年ウィーン芸術週間での演奏会(特記以外はウィーン交響楽団、オーストリア放送響)
第1番:プレートル
第2番:バーンスタイン/ウィーン・フィル
第3番:スワロフスキー
第4番:サヴァリッシュ
第5番:ソモジュ
第6番:アバド/ウィーン交響楽団
第7番:マデルナ
第8番:クーベリック/バイエルン放送響
第9番:マゼール
第10番「アダージョ」:トイリンク
大地の歌:カルロス・クライバー/ウィーン交響楽団
嘆きの歌:トイリンク
さすらう若者の歌:ベーム/ウィーン・フィル
亡き子をしのぶ歌:マゼール
子供の不思議な角笛:プレートル