2013年6月に、仕事でロシア共和国の首都モスクワに行ってきました。
モスクワ市内の美しいノヴォデヴィチイ修道院に隣接して、ノヴォデヴィチイ墓地があります。ここにショスタコーヴィチやロストロポーヴィチのお墓があると聞いていましたので、ここはぜひ訪れてみなければと思っていました。
1.ノヴォデヴィチイ墓地
日本でいえば、東京の青山墓地のようなものでしょうか。
仕事が終わってから駆け付けたので、既に夕方17時閉園の30分前の16時半近く。さっそく入口を入ったところにある売店で「地図をください」と言ったら、おばあちゃんが出てきて、どうやら「誰の墓に行きたいのか?」と尋ねているらしいのです。「ショスタコーヴィチ」と言ったら、「連れて行ってあげる」とさっさと歩きだしました。歩きながら、作曲家や演奏家の墓もお参りしたと言ったら何とか通じたらしく、一通り案内してもうことになりました。
このおばあちゃんのおかげで、閉園前の30分で、主だった作曲家・演奏家のお墓をお参りして回ることができました。
ノヴォデヴィチイ墓地については、ロシア語ですが、ここに眠る方々の詳しい一覧とお墓の写真を載せたサイトがありました。
また、ノヴォデヴィチイ修道院は、調べてみたら、世界遺産にもなっている名所で、ムソルグスキー作曲の歌劇「ボリス・ゴドゥーノフ」の第1幕第1場(あるいはプロローグ)の舞台でした。皇帝が亡くなり、跡継ぎがいない中、宰相であったボリスは政権を奪取する意図はないことを示すためこの修道院に隠匿し、民衆の声に応じて(実は「やらせ」)皇帝の座に着くことを受諾するという場面です。皇帝には皇太子がいましたが、謎の死をとげており、ボリスが暗殺したという噂もあるのでした。
2.作曲家のお墓参り
まずは、作曲家のお墓から。
(1)ショスタコーヴィチ(1906〜1975)
まず、最低限この方のお墓だけは行こうと決めていたショスタコーヴィチ。この日も、植え込みのお花に加え、いくつかの花が供えられていました。
案内してくれたおばあちゃんに「写真を撮らせて」と言ったら、花束を持ってポーズを取ってくれました。
2つ右隣りには、最初の奥さんのニーナのお墓もありました。「ショスタコーヴィチのワイフだよね」と聞いたら、おばあさんは指を1本立てて「1人目のね!」と言っていました。きっと、最後の(3人目の)奥様であるイリーナ夫人は、今もよく墓参りに来るのでしょう。
(2)プロコフィエフ(1891〜1953)
質素なお墓でした。花は供えられていなくて、周囲もちょっと雑草伸び放題のような・・・。
(3)スクリャービン(1872〜1915)
横顔のレリーフの付いたお墓でした。花と何かの入ったビンが供えられていました。
(4)ニコライ・ルービンシテイン(1835〜1881)、タネーエフ(1856〜1915)
スクリャービンのすぐ左が、チャイコフスキーが教鞭をとったモスクワ音楽院を創設したピアニストのニコライ・ルービンシテインのお墓でした。チャイコフスキーがピアノ三重奏曲「偉大な芸術家の思い出のために」を作曲したのは、このニコライ・ルービンシテインの霊に捧げてのことでした。(ペテルブルクに音楽院を創設したのは、兄のアントン・ルービンシテイン。ルービンシテインはドイツ人系で、もともとのドイツ名は「ルビンシュタイン」なのだと思いますが、ロシア名としての発音は「ルービンシテイン」)
さらにその左となりが、モスクワ音楽院でスクリャービンやラフマニノフ、プロコフィエフの先生だったタネーエフのお墓でした。
(5)カバレフスキー(1904〜1987)
日本では運動会の徒競走のバックに流れる「ギャロップ」で有名は組曲「道化師」を作曲したカバレフスキーのお墓もありました。ショスタコーヴィチの伝記を読むと、スターリンによる批判後お蔵入りとなっていたた歌劇「ムツェンスク郡のマクベス夫人」を、スターリン没後に改訂して歌劇「カテリーナ・イズマイロヴァ」を作ったものの、ときのソ連作曲家同盟のお偉いさんであったカバレフスキーが審査してダメ出しをする話が出て来ます。カバレフスキーは当時の共産党には受けがよろしかったようです・・・。
(6)シュニトケ(1934〜1998)
1998年に亡くなったアルフレート・シュニトケは、晩年はドイツに住んでいたと聞いていましたが、お墓はここにありました。墓石の十字は石を貫いていて、向こう側が見えます。
(7)アルカディ・オストロフスキー(1914〜1967)
この作曲家の名前は知りませんでしたが、おばあちゃんが「ロシアでは誰でも知っている歌だよ」と言って歌ってくれました。昔ラジオのロシア語講座で聴いたことのある歌でした。「知っている!」と一緒に歌うと、おばあちゃんも喜んでくれました。
3.演奏家のお墓参り
作曲家以外にも、音楽関係では有名な演奏家のお墓がたくさんありました。
(1)ロストロポーヴィチ(1927〜2007)
チェロ奏者で、指揮者でもあったロストロポーヴィチは、1974年に事実上の国外追放された後ソ連から国籍をはく奪され、アメリカのワシントン・ナショナル交響楽団の音楽監督に就任するなどして西側で過ごしましたが、1990年に国籍を回復し、2007年にモスクワで亡くなってこの墓地に眠っています。
(2)リヒテル(1915〜1997)
ピアニストのスヴャトスラフ・リヒテルのお墓もありました。おばあちゃんは「墓石は2つのハートを表わしている」と言っていました。
(3)オイストラフ(1908〜1974)
ヴァイオリン奏者のダヴィッド・オイストラフのお墓もありました。分かりにくいですが、ヴァイオリンを構えた胸像です(ただしヴァイオリンは胴だけで指板なし)。
そういえば、カラヤンの指揮したベートーヴェンの「三重協奏曲」では、ここに眠るリヒテル、オイストラフ、ロストロポーヴィチの3人がソリストでした。
(4)レオニード・コーガン(1924〜1982)
ヴァイオリン奏者のレオニード・コーガンのお墓もありました。奥様がピアニストのエリザヴェータ・ギレリス(エミール・ギレリスの妹)で、一緒に眠っています。
(5)シャリャーピン(1873〜1938)
ムソルグスキーの「ボリス・ゴドゥーノフ」役をはじめとする稀代のバス歌手シャリャーピンのお墓は、全身の石像でした(日本では帝国ホテルでの「シャリャーピン・ステーキ」が有名)。たまたま、ここに中国人団体がいて、おばあちゃんは「さっさと行こう」と手招きして通過しました。あまり中国人団体客はお好きでない様子。
4.その他の著名人のお墓
音楽関係者以外にも、著名人のお墓を教えてもらいました。
(1)エリツィン元大統領
ソ連崩壊後のロシア共和国初代大統領のエリツィンのお墓。中央の目立つところにありました。デザインは、ロシア国旗ですね。
。
(2)フルシチョフ元書記長
スターリン後の「雪解け」の時代を作ったが、米国との「キューバ危機」ももたらしたソ連の指導者。通常はクレムリンに埋葬されるのですが、「失脚」したせいか、お墓はここにありました。
(3)文学者アントン・チェーホフ(1860〜1904)
劇作家のチェーホフ。「チェーホフ短編集」ぐらいしか読んだことがない失格読者ですが、おばあちゃんが通りがかりに「チェーホフだよ」と教えてくれました。
(4)映画監督エイゼンシテイン(1898〜1948)
映画監督のエイゼンシテイン。「戦艦ポチョムキン」が代表作らしいです。エイゼンシテイン監督の映画「アレクサンドル・ネフスキー」の音楽を担当したのはプロコフィエフで、この音楽を後に演奏会用カンタータにしています。「イワン雷帝」の音楽もプロコフィエフが担当しました。
(5)ボリショイ劇場のバレリーナ、ウラノヴァ(1910〜1998)
自分の踊る姿を墓石にしたボリショイ劇場のバレリーナ。プロコフィエフのバレエ「シンデレラ」を主役で初演したそうです(1944)。このお墓は中央通路に面しているので、とにかく目立ちます。
5.お参りできなかったお墓
閉園直前の30分間であわただしく回ったので、後でゆっくり確認してみたら、いくつかのお墓を回り損ねていました。
(1)作曲家では、グリエール、イッポリトフ・イヴァーノフ、ミャスコフスキー
あまり有名ではない、という理由でおばあちゃんはパスしたのだと思いますが、後でマップを見ると、グリエール、イッポリトフ=イヴァーノフ、ミャスコフスキーのお墓もあるようです。
グリエール(1875〜1956)は、バレエ「赤い芥子」や、最近では「ホルン協奏曲」がやや有名になりましたが、やはりマイナーな作曲家でしょうか。1938〜1948までソ連作曲家同盟の議長を務めたそうなので、ときの政権には受けがよかったのでしょう。
「酋長の行進」が有名な「コーカサスの風景」を作曲したイッポリトフ=イヴァーノフ(1859〜1935)は、モスクワ音楽院の院長も務め、リムスキー・コルサコフの編集したムソルグスキーの「ボリス・ゴドゥーノフ」に、ムソルグスキーが削除した「第4幕第1場:ヴァシリー寺院前」の場面を追加した、いわゆる「ボリショイ劇場版」を作っています。
ミャスコフスキー(1881〜1950)も、ちょっと一部の交響曲を聴いたことがあるかな、という程度で、あまり思い入れはありませんが、ここにお墓があるようです。
(2)演奏家ではエミール・ギレリス
ピアニストのエミール・ギレリス(1916〜1985)のお墓もあるようです。ブラームスのピアノ協奏曲は愛聴盤です(オケはヨッフム指揮のベルリン・フィル)。
(3)文学者アレクセイ・トルストイ、マヤコフスキー、ゴーゴリ
作家のアレクセイ・トルストイ(文豪レフ・トルストイではなく)、詩人のマヤコフスキー、作家のゴーゴリのお墓があるようです。
帝政時代の著名人のお墓はだいたいペテルブルクにあることが多いようですが、文豪レフ・トルストイ(1828〜1910)のお墓は地主として一生暮らした自宅農場(ヤースナヤ・ポリャーナ)にあるようです。
詩人マヤコフスキー(1893〜1930)は、共産主義と革命を支持する詩人で、芸術左翼戦線(レフ)を結成してソ連初期の芸術界をリードし、ショスタコーヴィチは戯曲「南京虫」に曲を付け、演出家のメイエルホリドとともに上演しています(若いショスタコーヴィチに大きな影響を与えたようで、「ショスタコーヴィチの証言」にも登場します)。しかし、スターリンが台頭してきた1930年にピストル自殺・・・。
ゴーゴリ(1809〜1852)は、「外套」「検察官」などの戯曲を書いた劇作家・小説家。ショスタコーヴィチは、ゴーゴリの戯曲「鼻」をオペラ化しています。
(4)その他
墓地のある一角は、やたら大きな胸像やレリーフの付いたお墓が並んでいました。おばあちゃんは「ここはみんな軍人のお墓だよ」と言ってさっさと通過しました。軍人のお墓はあまりお好きではないようでした。
ロシアは初めてです。仕事の合間に、ぜひ行きたいと思っていたロシアの音楽家たちのお墓参りに行ってきました。
地下鉄1号線で、モスクワの南東方向に向かい、モスクワ大学や「雀が丘」の手前、「スポルチブナヤ」駅で下車して、住宅地の中を約10分歩くと墓地の入口に着きます。
途中で「ピアニストかい?」とか「指揮者かい?」と聞くので、「フレンチ・ホーン・プレイヤー」と言ったらわかってもらえず、「ホルン」と言ったら、「ああ、ホルンね。あたしゃドイツ人(ゲルマニア)だからドイツ語なら分かるよ」というようなことを言っていました。
ノヴォデヴィチイ修道院。世界遺産です。
修道院に隣接するノヴォデヴィチイ墓地の入口。入園料はなく自由に出入りできます。
ノヴォデヴィチイ墓地の中。緑の多い落ち着いた公園墓地です。
墓地の案内板。有名な方の名前(ロシア語のアルファベット順)と配置図の番号で場所が探せるようにはなっていますが・・・。読むだけで一苦労。
案内してくれたおばあちゃんのいる売店。英語版、ロシア語版の墓地の地図を売っています。各1部100ルーブル(約300円)。
ノヴォデヴィチイ墓地のマップ。1部100ルーブル(約300円)。
この修道院がこんな「名所」であることを、帰ってきてこの記事を書くために調べている中で知りました。墓地ばかり見て、修道院の方は素通りでした。もっとじっくり見物してくればよかった。
墓碑銘には、有名なショスタコーヴィチのエピグラフ(音名による署名)「D−EsーC−H」が彫られています。(Дмитрий Шостакович:Domitry Schostakovichのイニシャル。ロシア語のイニシャルは、Д.Ш.=D.SCH.)
Дмитрий Дмитриевич шостакович : ドミトリー・ドミトリエヴィチ・ショスタコーヴィチ
ショスタコーヴィチのお墓
ショスタコーヴィチのお墓と案内してくれた売店のおばあちゃん
最初の奥様ニーナ・ショスタコーヴィチのお墓
おばあちゃんは、没年月日を指して、「スターリンと同じ日に死んだんだよ」と言っていました。
Сергей Сергеевич Прокофьев : セルゲイ・セルゲエヴィチ・プロコーフィエフ
プロコフィエフのお墓
こちらのスクリャービン博物館の記事もどうぞ。
Александр Николаевич Скрябин : アレクサンドル・ニコラエヴィチ・スクリャービン
スクリャービンのお墓
Николай Григорьевич Рубинштейн : ニコライ・グリゴリエヴィチ・ルービンシテイン
Сергей Иванович Танеев : セルゲイ・イヴァノヴィチ・タネーエフ
ニコライ・ルービンシテイン(右・胸像あり)、タネーエフ(真ん中の赤い石)のお墓
今はちょっと雑草が生い茂っている・・・。
Дмитрий Борисович Кабалевский : ドミトリー・ボリソヴィチ・カバレフスキー
カバレフスキーのお墓(上は横顔のレリーフ)
また、足元には小さな石にシュニトケの作曲した一節。フェルマータの付いた全休符に、フォルテシシモの指示が・・・。
Альфред Гарриевич Шнитке : アリフレート・ガリーエヴィチ・シニートケ
シュニトケのお墓
「いつも太陽がありますように」(Пусть всегда будет солнце)というタイトルのこんな歌です。墓石には、この歌の楽譜の一部が彫られていました。
ロシアの童謡や子供向けテレビ音楽では人気のあった方のようです。
Аркадий Ильич Островский : アルカディ・イリイチ・オストロフスキー
オストロフスキーのお墓
昨年(2012年)12月に、奥様のガリーナ・ヴィシネフスカヤさんが亡くなり、どうしたのかと思っていましたが、おばあちゃんは「ガリーナも一緒だよ」と言っていました。確かに、墓石には2人の名前が刻まれていました。ガリーナ・ヴィシネフスカヤは、ショスタコーヴィチの「アレクサンデル・ブロークの詩による7つのロマンス」作品127や交響曲第14番・作品135を初演したり、ベンジャミン・ブリテンの「戦争レクイエム」の初演直後の録音に参加しているソプラノ歌手です(「戦争レクイエム」のソプラノはヴィシネフスカヤが歌うことを想定して作曲されたが、初演にはソ連当局の圧力で参加できなかった)。
Мстислав Леопольдович Ростропович : ムスティスラフ・レオポリドヴィチ・ロストロポーヴィチ
Галина Павловна Вишневская : ガリーナ・パヴロヴナ・ヴィシネフスカヤ
ロストロポーヴィチとヴィシネフスカヤのお墓
リヒテルの父親はドイツ人であり、第2次大戦(ドイツとの大祖国戦争)中に逮捕されて処刑されています・・・。
Святослав Теофилович Рихтер : スビャトスラフ・テオフィロヴィチ・リヒテル
リヒテルのお墓
Давид Фёдорович Ойстрах ダヴィト・フョードロヴィチ・オイストラフ
オイストラフのお墓(ヴァイオリンを構えた胸像)
Леонид Борисович Коган : レオニート・ボリソヴィチ・コーガン
レオニード・コーガンのお墓
Фёдор Иванович Шаляпин : フョードル・イヴァノヴィチ・シャリャーピン
シャリャーピンのお墓
Борис Николаевич Ельцин : ボリス・ニコラエヴィチ・エリツィン
エリツィンのお墓
Никита Сергеевич Хрущёв : ニキータ・セルゲエヴィチ・フルシショフ
フルシチョフのお墓
Антон Павлович Чехов : アントン・パヴロヴィチ・チェーホフ
チェーホフのお墓
案内のおばあちゃんも笑顔で写っています。
(注)エイゼンシテインはおそらくドイツ人系で、もともとのドイツ名は「アイゼンシュタイン」なのだと思いますが、ロシア名としての発音は「エイゼンシテイン」。
Сергей Михайлович Эйзенштейн : セルゲイ・ミハイロヴィチ・エイゼンシテイン
エイゼンシテインのお墓
Галина Сергеевна Уланова :ガリーナ・セルゲエヴナ・ウラノヴァ
バレリーナ、ウラノヴァのお墓
Рейнгольд Морицевич Глиэр : レインゴリト・モリツェヴィチ・グリエール
Михаил Михайлович Ипполитов-Иванов : ミハイル・ミハイロヴィチ・イッポリトフ=イヴァーノフ
Николай Яковлевич Мясковский : ニコライ・ヤーコフレヴィチ・ミャースコフスキー
Эмиль Григорьевич Гилельс : エミール・グリゴリエヴィチ・ギーレリス
一方、ここにお墓のあるアレクセイ・トルストイ(1883〜1945)は、ソ連時代に人気のあった小説家らしく、共産党の覚えもよろしかったようです(私は1冊も読んだことはありませんが)。ショスタコーヴィチの交響曲第13番「バービイ・ヤール」の第5楽章に、「本当の意味で出世した人」の中にトルストイが出てきて、合唱の「レフか?」との問いに独唱が「レフだ!」と応える部分が印象に残っています。(偉いのは文豪のレフ・トルストイであって、御用作家アレクセイ・トルストイではない、という作詞者エフトゥシェンコの皮肉)
Алексей Николаевич Толстой : アレクセイ・ニコラエヴィチ・トルストイ
Владимир Владимирович Маяковский : ヴラディーミル・ヴラディーミロヴィチ・マヤーコフスキー
Николай Васильевич Гоголь : ニコライ・ヴァシリエヴィチ・ゴーゴリ