次回(第66回)の演奏曲目 〜あまりお馴染でない曲の情報〜

2011年5月2日 とりあえず初版作成
2011年6月 1日 パルジファルのライトモティーフ追加


 横浜フィルハーモニー管弦楽団の次回定期演奏会(第66回、2011年11月14日)で、

・バッハ/エルガー編曲/幻想曲とフーガ BWV.537(原曲はオルガン曲)
・ヴァーグナー/舞台神聖祝典劇「パルジファル」より抜粋
・ベートーヴェン/交響曲第5番ハ短調「運命」

をとりあげます。

 ベートーヴェン以外は、ちょっと珍しい曲なので、関連情報をまとめてみました。参考にして下さい。



1.バッハ/エルガー編「幻想曲とフーガ」作品86

 これは、元々オルガン曲である「幻想曲とフーガ BWV.537」(BWVは、「バッハ作品番号」ですね)を、エルガーが1921〜22年ごろにオーケストラ編曲したものだそうです。

 20世紀初頭には、後期ロマン派の肥大化した大オーケストラによる「重厚長大」な音楽が頂点に達していました(R.シュトラウス、マーラーを経てシェーンベルクの「グレの歌」(1910年)とかストラヴィンスキーの「春の祭典」(1913年)とか)。
 第一次大戦ごろから、この行き詰まりから一転して「新古典主義」とか「バッハに帰れ」(Back to Bach :英語で「バック・トゥ・バック」)と叫ばれ始め、小編成のシンプルな曲が登場し始めます。ストラヴィンスキーは、「兵士の物語」(1918年)とか、ペルゴレージの原曲を編曲した(他人の作品も含まれているらしいが)「プルチネルラ」(1920年)を作曲し、イタリアではレスピーギがロッシーニの原曲による「風変わりな店」(1919年)、「リュートのための古代舞曲とアリア」第1組曲(1917年)、第2組曲(1924年)、第3組曲(1932年)などを作曲します。

 バッハの作品に関しても、この時期に20世紀的な立場からの編曲がいろいろと行われました。
 ディズニー映画「ファンタジア」でも取り上げられているストコフスキー編曲の「トッカータとフーガ ニ短調」が有名ですが、シェーンベルクやウェーベルンもバッハを編曲しています。
 今回のエルガー編曲による「幻想曲とフーガ」もその流れなのだと思いますが、なぜこの曲(BWV.537)を選んだのかは分かりません。(注)

(注)エルガー協会( The Elgar Society )のホームページに、この辺の経緯について書いてありました。
 それによると、第一次大戦後エルガーはR.シュトラウスとの交遊を再開し、1920年に一緒に昼食を食べた折バッハの管弦楽編曲が話題になり、この「幻想曲とフーガ ハ短調 BWV 537」を「R.シュトラウスが幻想曲を、エルガーがフーガを管弦楽編曲する」と約束したのだそうです。エルガーは翌1921年に「フーガ」の編曲を完成して初演したようですが、R.シュトラウスはなかなか約束を果たさず、さらに翌年の1922年になって、エルガーは友人から音楽祭で演奏する曲を所望され、「幻想曲」も編曲して「幻想曲とフーガ」として1922年10月に初演したとのことです。
 理由は分かりませんが、R.シュトラウスとの話の中でこの曲を選んだということなのですね。
 エルガーは、友人のオルガニストに「もしバッハが我々の手段(大オーケストラ)を持っていたら、バッハ自身がいかに豪華で偉大で輝かしい音を作ったかを示したかった」と語ったとのことです。「バッハになり代わって」という自信作だったのでしょう。
 その言葉通り、オルガンの原曲に比べかなり「派手」になっていて、「幻想曲」開始部のティンパニとバス・ドラムのまるで葬送行進曲のような響きや、「フーガ」終結部の極端な強弱のデフォルメなど、後期ロマン派の残照に、ちょっと表現主義の味付けをしたような編曲となっていますね。

 なお、エルガーのバッハへの思いは、「エニグマ変奏曲」の最初に提示されるテーマが、「B」で始まり「H」で終わり途中に「A」と「C」があること、このテーマの最初の部分が「Edward Elgar」の発音の抑揚である、ということからも想像できます。偉大な先人であるとともに、それを自分が継承・発展させるということでしょうか。この辺の話は、YPO第43回定演(2000年)で「エニグマ変奏曲」を演奏した時の記事を参照ください。

 エルガーが編曲した「幻想曲とフーガ BWV.537」のスコアは Kulmas から出ているようですが、原曲のオルガン曲の楽譜は下記で入手できます。
 原曲は6/4拍子ですが、エルガー編曲では小節を半分に区切って3/4拍子にしています。

ペトルッチの無料楽譜サイトのバッハのページ

 音源(CD、DVD)は下記のものがありました。

バッハ/トランスクリプション(レナード・スラトキン指揮/BBC交響楽団)
 なかなか珍しい曲が入っていて面白そうです。
(収録曲)
・レスピーギ編/パッサカリアとフーガ BWV.582   原曲:オルガン
・パントック編/目覚めよと呼ぶ声が聞こえ BWV.645 原曲:オルガン
・オネゲル編/前奏曲とフーガ C-dur BWV.545    原曲:オルガン
・レーガー編/おお人よ、汝の大きな罪を嘆け BWV.622 原曲:オルガン
・エルガー編/幻想曲とフーガ BWV.537        原曲:オルガン
・ヴォーン・ウィリアムズ編/我ら皆唯一の神を信ず BWV.680 原曲:オルガン
・ラフ編/シャコンヌ BWV.1004     原曲:Vn独奏
・ホルスト編/ジーグ風フーガ BWV.577   原曲:オルガン(ただしバッハ偽作)
・シェーンベルク編/聖アンの前奏曲とフーガ BWV.552  原曲:オルガン

バッハ作品集(エサ・ペッカ・サロネン指揮/ロサンゼルス・フィル)
 こちらは定番のストコフスキー編曲とウェーベルン編曲、そして珍しいところでマーラー編曲の「管弦楽組曲」が入っています。
(収録曲)
・ストコフスキー編/トッカータとフーガ ニ短調 BWV.565
・エルガー編/幻想曲とフーガ BWV.537
・ウェーベルン編/音楽の捧げもの BWV.1079 「6声のリチェルカーレ」
・シェーンベルク編/聖アンの前奏曲とフーガ BWV.552
・ストコフスキー編/小フーガト短調 BWV.578
・マーラー編/管弦楽組曲

 この際、エルガーをどっぷり聴いてみようという方には、30枚組のセットもあります。\6,000以下で買えます。
エルガー・コレクターズ・エディション 30CD\5,947
 「幻想曲とフーガ」はエイドリアン・ボールト指揮ロンドン・フィルの演奏

 なお、調べてみたら、ロンドンで夏に行われる庶民向けコンサート・シリーズである「PROMS」の2000年ラスト・ナイト(千秋楽)で、このエルガー編曲版が演奏されたようです。同じコンサートでは、若きヒラリー・ハーン(今でも若いが当時20歳)のヴァイオリン、新たに発見されて復元されたショスタコーヴィチの「ジャズ組曲第2番」も演奏されています。(ショスタコーヴィチのものは、現在「ジャズ組曲第2番」と呼ばれている1950年代の「ステージ・オーケストラのための組曲」とは別の、1938年に作曲されて戦争中に失われたといわれていたもの。発見されたピアノ譜に基づきイギリスの作曲家マクバーニーによってオーケストラ編曲され、ここで初演されたとのこと)。PROMS定番の、お祭り騒ぎの「威風堂々・第1番」(聴衆の大合唱入り)や「ルール・ブリタニア」も味わえます。
PROMS 2000 ラスト・ナイト (演奏はアンドリュー・ディヴィス指揮/BBC交響楽団)
 

2.ヴァーグナー作曲/舞台神聖祝典劇「パルジファル」より

 このヴァーグナー最後のオペラ(1882年完成)は、「歌劇」(Oper)でも「楽劇」(Musikdrama)でもなく、ヴァーグナー自身によって「舞台神聖祝典劇」と名付けられています(ドイツ語で "ein Buehnenweihfestspiel" 、英語では "A Festival Play for the Consecration of the Stage")。さほど信心深いとも思えない、かつ、キリスト教的一神教からすると異端的な「北欧・ゲルマンの神々」的な世界観を好んだヴァーグナーらしからぬ呼称ですが・・・。

 下記にヴァーグナーが完成したオペラ13曲を示しますが、第4作目「さまよえるオランダ人」以降は、現在でも世界中のオペラハウスの定番レパートリーになっており、極めてヒット率の高い作曲家と言えます。
 その中にあって、「パルジファル」は、おそらく演奏頻度の低く「最もとっつきにくい」作品だと思います。妙に宗教じみた内容で、作曲者自身が幕間での拍手を禁止したといったこともありますし・・・。
 バイロイトに完成した「祝祭劇場」での上演を前提に作曲したこともあり、ヴァーグナー没後に未亡人となったコジマ(作曲家フランツ・リストの娘で、元ハンス・フォン・ビューローの奥さんだった人ですね)は、バイロイトでの独占上演権を得ます。これにより、1913年までは事実上バイロイトのみでしか演奏できませんでした。
 そんなことも演奏頻度の低さに影響していると思います。

 
 ≪ヴァーグナーのオペラ全曲リスト≫(ウムラウトは省略)
 
  歌劇「婚礼」(未完、1832)
  歌劇「妖精」(Die Feen) (1833)
  歌劇「恋愛禁制」(Das Liebesverbot) (1834)
  歌劇「リエンツィ、最後の護民官」(Rienzi, der letzte der Tribunen) (1840)
 
  歌劇『さまよえるオランダ人』(Der fliegende Hollander) (1843)
  歌劇『タンホイザー』(Tannhauser und der Sangerkrieg auf Wartburg) (1845)
  歌劇『ローエングリン』(Lohengrin) (1848)
 
  楽劇『トリスタンとイゾルデ』(Tristan und Isolde) (1857〜1859作曲、1865初演)
  楽劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』(Die Meistersinger von Nurnberg) (1867)
  楽劇『ニーベルンクの指環』(Der Ring des Nibelungen)
      序夜『ラインの黄金』(Das Rheingold) (1854)
      第1夜『ヴァルキューレ』(Die Walkure) (1856)
      第2夜『ジークフリート』(Siegfried) (1856〜1871)
      第3夜『神々の黄昏』(Gotterdammerung) (1869〜1874)
  舞台神聖祝典劇『パルジファル』(Parsifal) (1882)
 

(1)オペラのあらすじ

 「パルジファル」のあらすじはウィキペディア、あるいはわかるオペラ館「パルジファル」あたりを参照下さい。

 あらすじから分かるとおり、「パルジファル」はドイツに伝わる「聖杯の騎士」伝説に基づいています。「聖杯」とは、イエスの磔のときにその血を受けた器のことで「グラール」(Gral)と呼ばれます。最後の晩餐で食事に使われた食器も「聖杯」と呼ばれることがあり、これは一般に別物とされていますが、ヴァーグナーの台本ではこの2つを同じものとする内容で語られます。
 「聖杯」以外にも、「聖槍」(イエスの磔に用いられた槍)、「聖骸布」(十字架から降ろしたイエスの遺骸を包んだ布)といった「聖遺物」伝説はいろいろあるらしいのですが、それらはキリスト教としての正式なものではなく、地方伝承や異端的なものが多いようです。
 「パルジファル」には、「聖杯」と「聖槍」が登場します。
 なお、映画「インディ・ジョーンズ」も聖杯にまつわるストーリーですし、数年前にベストセラーになった「ダヴィンチ・コード」も「聖杯」に関するもののようです(私は読んでいませんが)。キリスト教社会では、日本の「幻の邪馬台国」や「徳川家の埋蔵金」に匹敵するミステリー・ロマンなのでしょうか。

 また、ヴァーグナーの初期の歌劇である「ローエングリン」(1850年)の主人公ローエングリンは、このパルジファルの息子であり、歌劇「ローエングリン」の最終場面で「聖杯を守護する王パルツィファル(Parzival)の息子」と名乗ります。「パルジファル(Parsifal)」と「パルツィファル(Parzival)」の違いはありますが、同じ伝説に基づくものです。(どちらも台本はヴァーグナー自身)
 YPOでは、2009年春(第61回)に「ローエングリン」から何曲か演奏していますので、「聖杯」に関する親子つながりということになります。
 

(2)今回の演奏範囲

 通常オーケストラ単独で演奏されるのは各幕の「前奏曲」ぐらいですが、今回は「第3幕」からの抜粋で演奏するようです。この部分には、本来は「歌」が乗っかりますが、歌無しのオーケストラ部分だけ演奏するのでしょう。
 俗に通称されているタイトルでいうと下記のようになるようです。(練習番号はパート譜による。スコアには練習番号は付いていない)

   ・「第3幕の前奏曲」:213〜217の4小節前(調号の変わる2小節前) =スコアのP-446〜P-452の5小節目
   ・「聖金曜日の奇跡」(または「聖金曜日の音楽」):258(コントラバスのみの小節から)〜(267) =スコアのP-518の5小節目(?)〜P-533の2小節目
   ・「ティトゥレル王の葬送行進曲」:(267)〜271の2小節め3拍め =スコアのP-533の3小節目〜P-543の4小節目
   ・最終場面:284の5小節め〜最後 =スコアのP-566の6小節目〜P-592

 これを第3幕のあらすじと関連させると、次のようになるようです。

   ≪登場人物≫
    パルジファル:Parsifal :主人公。当初愚者であるが、第2幕で覚醒する。
    グルネマンツ:Grunemanz :聖杯を守護する騎士のひとり。
    アンフォルタス:Amfortas :聖杯を守護する王。
    クンドリ:Kundry :魔法使いクリングゾルの手下として男たちを誘惑する一面と、純粋な一面とを持つ女性。救世主を嘲笑したため永遠に彷徨う運命にある。

 ストーリーから行くと、第2幕で聖杯を守護する騎士のアンフォルタス王の苦しみと、魔法使いクリングゾルの手下として男たちを誘惑するクンドリの苦しみとを知って覚醒したパルジファルが、成長・修行の遍歴を経ることを暗示する「前奏曲」で始まります。(このオペラのキーワードは、クンドリの苦しみ、アンフォルタスの苦しみを知ってそれを理解し思いやるという意味の「Mitleid」(ミトライト)です。「同情、共苦、共感、思いやり」といったような意味合いでしょうか。今の我々が、東日本大震災の被災者や福島原発からの避難者に対する気持ちも、一種のMitleidでしょう)
 前奏曲から第3幕は切れ目なくつながりますが、幕が上がって舞台上に倒れているクンドリがうめき声を上げる「217」の手前あたりで終止させるようです。

 隠者となったグルネマンツ(第1幕でアンフォルタス王の騎士の一人)のもとに武装した騎士が現れ、それが放浪から戻ってきたパルジファルで、クンドリが水で、続いて香油でパルジファルの足を洗い、髪で香油を拭います。この辺のクンドリの動きは、聖書の「マグダラのマリア」のイメージ。(なお第3幕ではクンドリは演技のみで一言も言葉を発しません)
 清められたパルジファルは、傷の痛み故に聖杯の儀式を拒否して死を望むアンフォルタス王により騎士団は崩壊の危機に瀕していることを聞きます。そして、失意のうちに没した先王ティトゥレルの葬儀が行われると聞き、グルネマンツの先導で参列のため城に向かいます。この日は聖金曜日で、グルネマンツが「聖金曜日には奇跡が起こる」と言った後、城に向かう場面で流れるのが「聖金曜日の奇跡」です。
 ちなみに、「聖金曜日」(英: Good Friday、独: Karfreitag)とは、イエス受難の「13日の金曜日」のことです。キリスト教では、重要なのは受難3日後の「イエス復活の日」であり、この「復活祭」は「春分の日の後の最初の満月の日の次の日曜日」と定められています。「聖金曜日」は復活祭直前の金曜日ということになります。(曜日で定めているので、「何月13日」という決め方ではないようです)

 城では、先王ティトゥレルの葬儀が行われようとしており、教会の鐘の音が鳴り、「ティトゥレル王の葬送行進曲」が流れます。オーケストラの悲愴な行進曲に続き、騎士たちの合唱が加わりますが、今回の抜粋版では、合唱が加わる前で終止するようです。
 儀式の進行とともにアンフォルタス王は苦悩の頂点に達し、「我に死を」と叫ぶと、パルジファルが進み出て、聖槍を王の傷口にあて、たちまち傷が癒えます。ト書きによると、「この奇跡によりパルジファルは新しい聖杯守護の王となることを宣言し、聖杯を高く掲げると、天井から一羽の白鳩が舞い降りてパルジファルの頭上で羽ばたき、クンドリは呪いから解放されてその場で息絶える」とありますが、最近の演出では、クンドリは死なず、逆にアンフォルタス王が息絶える、という演出が多いようです。(クンドリ=呪いによって永遠に彷徨うアハスヴェール(エルサレムで十字架を背負ったイエスが家の前で休もうとしたのを追い払ったため、最後の審判の時まで彷徨うことになったとされるユダヤ人)を思わせる「反ユダヤ」的イメージ、かつ女性の犠牲で救済されるという「女性蔑視」を意図的に避けた演出<注>)
 今回演奏する「最終場面」は、アンフォルタス王は苦悩の頂点に達し、「我に死を」と叫んだ直後、パルジファルが聖槍を持って登場するあたりから、オペラの最終までに相当します。

<注>神の呪いで昇天できない、というテーマは、特別に反ユダヤ的という訳ではないようです。
 「さまよえるオランダ人」の幽霊船の船長も神を呪って昇天できない状態でした。神の呪いを受けて死ぬことも許されずに永遠に海をさまよい、7年に一度上陸を許され、このとき乙女の愛を受けなければ呪いは解かれず、再び海をさまよう・・・。
 また、シェーンベルクの後期ロマン派時代の大作「グレの歌」も、同様の「彷徨い」がテーマです。歌詞はデンマークの作家ヤコブセンのものですが、デンマークの王が、妃に愛人を殺されたことで神を呪い、神罰で死んでも昇天できずに亡霊の家臣たちを引き連れて夜な夜な狩に明け暮れるが、最終的には死んでも愛を捧げる愛人の魂によって昇天できる、という伝説に基づくもの。
 ですから、クンドリが死なないという演出は、どちらかというと「女性蔑視」を避ける意味合いの方が大きいのでしょうか。でも、ワーグナーのオペラでは、他にも女性の献身と犠牲で救済されるものがたくさんあります・・・。「さまよえるオランダ人」もそうだし、「タンホイザー」、「ニーベルンクの指輪」のブリュンヒルデなど・・・。
 

(3)「パルジファル」のライトモティーフ

 ヴァーグナーのオペラの特徴として、様々な「ライトモティーフ」の使用があります。
 ライトモティーフとは、人物やモノ(聖杯とか、城とか)、自然現象、感情といった劇の流れに必要なものを音楽によって表現するもので、舞台上で語られる言葉や演技を補足するものです。例えば、言葉では歓迎していても、音楽に「敵意」や「怒り」のライトモティーフが流れていれば、実はそれが「偽り」や「罠」であることが分かる、といった具合です。
 ヴァーグナーのオペラは、言葉では表わせない象徴的・抽象的なものが重要な役割を果たします。つまり、舞台上で今起こっていることだけでなく、その心理状態や背景といった「見えない部分・裏の世界」、成り立ちや経緯などの過去や将来起こることの暗示などの「時間」といった、まさに「四次元的世界」が包含されています。それがヴァーグナーの「魅力」であり「魔力」でもあります。

 従って、ヴァーグナーのオペラを上演する上で、「台本のト書き」「歌詞」「歌」以外に、このライトモティーフをどう解釈し、演劇の進行や役者の演技にどう反映するか、という「演出」に、他のオペラに比べ格段にヴァリエーションが存在し得ることになります。バイロイトはじめ世界各地のオペラハウスで、特にヴァーグナーのオペラの演出が話題になるのは、そういった事情によります。

 その意味で、ライトモティーフを知ることは、オペラを観る上、演奏する上で重要なポイントとなります。そして、ライトモティーフは、そのほとんどが歌のメロディラインではなくオーケストラ部分に含まれているのです。
 演奏する場合には、単に楽譜をなぞるだけではヴァーグナーの意図を十分に表現できないことになり、少なくともライトモティーフの代表的なものは知っておくことが必須と思います。

 とは言っても、ライトモティーフ自体は、ヴァーグナー自身が明記し定義しているわけではなく、あくまで後世の人たちがそう名付けているだけで、唯一絶対のものではありません。また、ひとつのライトモティーフをいろいろと発展させたり、ドイツ語の単語のように2つのライトモティーフを連結して副次的なモティーフにしたり、複数のライトモティーフを同時に鳴らしたり、和声やリズムだけを取り出したり、と変幻自在に変化しますので、いろいろと解釈したり想像したりする余地が多々あります。
 この七色変化する「パルジファル」のライトモティーフを詳細に解説しているサイトがありました。楽譜やMIDIによる音データを使って多角的に詳しく解説しているので、とても役に立ちます。ただ、詳細すぎて全体を見失う危険性もあるので、ここでは代表的かつ大切なライトモティーフのみを取り出して説明します。

(a)代表的なライトモティーフ

●「聖杯」のモティーフ
 「パルジファル」全体を通じて登場する重要なモティーフとして、まず「聖杯」のモティーフがあります。
 これは「ドレスデン・アーメン」と呼ばれるフレーズ&和声進行の引用で、特徴的なので出てくるたびに気付くはずです。これが出てきたときには、「聖杯」に関連しているか、「聖杯」が象徴する神聖で崇高なものが背後にある、ということになります。
 この「ドレスデン・アーメン」は、ヴァーグナーの発明ではなく、教会で伝承的に歌われていたフレーズらしく、メンデルスゾーンの交響曲第5番「宗教改革」の第1楽章の序奏部最後にも厳かに登場します。

「聖杯」のモティーフ

●「信仰」のモティーフ
 6/4拍子で演奏されるテーマで、いかにも清らかで、それでいてゆるぎない安定感を感じさせます。
 第1幕の前奏曲では、金管で荘厳に演奏されますし、最終場面では何度も何度も繰返し演奏されます。他のテーマが2連符系であるのに対して、この動機は三連符系で際立っています。(キリスト教では神=三位一体=3拍子系

「信仰」のモティーフ

●「聖槍」のモティーフ
 これは簡単で単純です。
 あちこちに、単独で、あるいは他のモティーフの裏で演奏されます。
 最終場面には、あちこちにさりげなく登場していますので、これに当たった方は「槍だ!」と思って、ちょっと力強く演奏して下さい。

「聖槍」のモティーフ

●「パルジファル」のモティーフ
 覚醒した救済者(救世主)としてのパルジファルで、ヴァーグナーの得意とする「英雄のテーマ」のひとつでしょう。完全な姿としては第3幕では聖金曜日の奇跡の直前(練習番号252)に登場します。その他、救世主をほのめかす部分で断片的に登場することが多いモティーフです。(まだ覚醒していないが、本当は救世主なのですよ、といった感じで)

「パルジファル」のモティーフ

●「愚者」のモティーフ
 パルジファルが覚醒する前、「清らかな愚者」として登場するときのモティーフです。「第3幕の前奏曲」の練習番号215などの動きです。
 第1幕で、神の預言「Mitleid(同情、共苦、共感、思いやり)によって知に至る、清らかな愚者を待て」の場面に登場します。

「愚者」のモティーフ

 あとは、今回演奏する範囲に沿って見て行きましょう。(書き始めると詳細になってしまう・・・)

(b)第3幕前奏曲

●練習番号213:「荒野」のモティーフ。パルジファルの彷徨・修行の旅を暗示します。

「荒野」のモティーフ

●練習番号214:「迷い」のモティーフ(高弦による上昇と低弦による下降の並行)。12小節目で「聖杯」の動機の最後の部分が登場することで、パルジファルが迷いから悟りに達しそうになるが・・・次の「クンドリ」のモティーフで崩れ落ちます。

「迷い」のモティーフ
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●練習番号215の1小節前の木管の急降下は「クンドリ」のモティーフ(「堕落させるもの」でしょうか)。裏ではトロンボーンに「聖槍」が。

「クンドリ」のモティーフ

●練習番号215:「愚者」のモティーフが3回繰り返されます。ただしホルンには「悔恨」のモティーフ(半音の下降)、木管やバイオリンには「贖罪」のモティーフ(付点音符の上昇形)、またしてもトロンボーンに「聖槍」

●練習番号216:ここのティンパニは「パルジファル来訪のリズム」。弦に再び「荒野」のモティーフ

(c)聖金曜日の奇蹟 〜 ティトゥレル王の葬送

●練習番258:「それが聖金曜日の奇蹟なのです」から始まる部分。「聖餐」@と「傷」Aのモティーフ(第1幕前奏曲の冒頭)がチェロに痛々しい短調で現れます。これはアンフォルタス王の傷ではなく、聖金曜日のイエスの受難による傷を表しているのでしょうか。

「聖餐」@と「傷」Aのモティーフ

●練習番号259:「花の沃野」のモティーフ(クラリネット)。第3幕で最も印象的なモティーフでしょう。最初オーボエに現われ(256)、クラリネットで繰り返され(259)、再度オーボエに登場する(266の7小節前)。今回の演奏範囲では、2回目と3回目を演奏することになります。
 第2幕では「誘惑」と「堕落」の象徴であった「花園」が、ここでは「神の慈悲」によって荒野から立ち現われ救済と希望を象徴します。それが「聖金曜日の奇蹟」で、花たちも聖金曜日には人間に踏みにじられることがないことを知っている・・・と歌われます。

「花の沃野」のモティーフ

●練習番号261:前奏曲最後のティンパニと同じ「パルジファル来訪のリズム」
   6小節目の第2バイオリン&コールアングレ、8小節目の第1バイオリン&オーボエに「聖槍」モティーフ。「パルジファルが槍を持ってやって来た」というところでしょうか。

●練習番号262:「贖罪」のモティーフ@が始まりますが、262の13小節目あたりから、ほとんど「タンホイザー」の巡礼の合唱のテーマ(序曲にも出て来る)になります(A)。ヴァーグナーは当然「タンホイザー」を念頭に作ったものと思われます(「タンホイザー」では、肉欲におぼれた主人公タンホイザーが神の許しを乞うためローマ巡礼に加わる)。

「贖罪」のモティーフ@


「贖罪」のモティーフA:ほとんど「タンホイザー」

●練習番号263:再び「花の沃野」のモティーフ。

●練習番号264:「贖罪」のモティーフの変形(「花の沃野」の最終終止部)。ちょっと印象的・感動的な場面です。ここの最後の部分は、クンドリは瞳をうるませながらパルシファルを見上げるシーンですね。

「贖罪」のモティーフの変形

●練習番号265「乙女の嘆き」から「悔恨」(半音下がりの繰返し)。クンドリが過去を悔いて嘆いています。
  12小節目から「花の沃野」」のモティーフ(オーボエ)。

●練習番号266:264に同じ(「贖罪」のモティーフの変形)。
   パルジファルがクンドリの額にキスするあたりですね。
   このオペラで最も感動的なところではないでしょうか。

9小節目から場面転換 :鐘の音、続けてティトゥレル王の葬送

●練習番号267:「葬送」のモティーフ。そこに乗っかっているのは「パルジファル」のモティーフ

「葬送」のモティーフ

●練習番号268〜269「葬送」のモティーフに乗っかっているテーマはだんだん「荒野」のモティーフになって行きます。

●練習番号270:7小節目で明確に「荒野」のモティーフ
(271で終了)

(d)最終場面

●練習番号284:5小節目から「聖杯」のモティーフ。(金菅)

●練習番号285:「アンフォルタス王の苦悩」モティーフ。これが長調で「回復」を表わします。

「アンフォルタス王の苦悩」のモティーフ

●練習番号286:「愚者」のモティーフ

●練習番号287:「パルジファル」のモティーフ

●練習番号288の2つ前:「聖餐」(聖なる儀式)のモティーフ。第1幕前奏曲の冒頭にも出てきますね。

「聖餐」のモティーフ

●練習番号288:この付点音符の半音階は「天使」のモティーフというらしい(「信仰」のモティーフを四連符形に置き替え)。
   6小節目のホルン、コールアングレ、9小節目のホルン、クラ、12小節目のトランペット・オーボエに「聖槍」のモティーフ

●練習番号289:「聖餐」のモティーフ

●練習番号290:いよいよ「聖杯」のモティーフが完全な形で、ハープのアルペジオに乗って登場します。トロンボーンに「聖槍」のモティーフ
   7小節目、6/4拍子から「信仰」」のモティーフ=聖杯に向かっての祈りでしょうか。

●練習番号291:「聖杯」のモティーフ、トランペットに「聖槍」のモティーフ
   5小節目、6/4拍子から「信仰」」のモティーフ

●練習番号292から合唱:旋律は「愚者」のモティーフ、4小節目から「聖餐」のモティーフ(ここの歌詞は「救済者に救済を!」)、10小節目から金管に「聖餐」のモティーフ

●練習番号293:「信仰」、5小節目から「信仰」のリズム(弦)と「聖杯」(管)

●練習番号294:「信仰」

●練習番号295:「信仰」のリズム(弦)「聖杯」もどき(ドレスデン・アーメンなし)「聖餐」(トランペット、トロンボーン)で盛り上がって、静かに終了。

 最終場面では「聖杯」「聖槍」「聖餐」「信仰」が繰返し現われます。大団円ですね。
 パルジファルが聖槍を持ち帰って新しい聖杯の王になり、信仰を取り戻して、聖杯の儀式(聖餐)が再び行われるようになる、という音楽だと思いますが、最近の演出ではそうではないものも多いようです。(パルジファルはカルト集団と化した聖杯騎士団を消滅・昇天させる、あるいは聖杯に代わる新しい社会・秩序を作るべくそこを立ち去る、といったもの)
 

(4)楽譜と音源

 オペラ全曲のスコアは、技術委員長からのメールに紹介されています。(ペトルッチの無料楽譜サイトのヴァーグナーのページ

 音源は、今回演奏する内容だと管弦楽だけのCDではカバーしきれないので、全曲盤のCDまたはDVDが必要です。せっかくですから、オペラ全曲の映像ソフトを入手したらどうでしょうか。調べてみたら、デアゴスティーニから出ている「隔週刊 DVDオペラ・コレクション」の第43号(2011年4月12日発売)が「パルジファル」でした。\1,990で日本語字幕・解説付きのDVDが手に入ります。映像は1981年のバイロイト音楽祭で、指揮はホルスト・シュタイン、演出はヴォルフガング・ヴァーグナー(作曲者の孫で、つい数年前までヴァーグナー家の当主)ですので、正統的な内容だと思います。

 これ以外には、下記のものがあるようです。日本語字幕が付いているか確認して購入ください。
  ・バレンボイム指揮 ベルリン国立歌劇場 (演出はハリー・クプファー。レーザーディスクを持っています・・・)
  ・ケント・ナガノ指揮 ベルリン・ドイツ交響楽団(2004年 バーデンバーデン祝祭劇場でのライブ、演出はニコラウス・レーンホフ)
  ・ジェームズ・レヴァイン指揮 メトロポリタン歌劇場 (1992年、演出はオットー・シェンク。多分最も保守的・伝統的な演出)
  ・シノーポリ指揮 バイロイト音楽祭 (1998年、演出はヴォルフガング・ヴァーグナー)
  ・ハイティンク指揮 チューリヒ歌劇場 (2007年、演出はハンス・ホルマン)


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