前奏曲(プレリュード)って何の前奏曲?

2006年 7月31日 作成



1.はじめに 〜 前奏曲とは?

 曲の種類に、「前奏曲(プレリュード)」というのがあります。読んで字のごとく、オペラや戯曲などの前に演奏される曲、ということです。
 それでは、「序曲」と同じ?
 まあ、ほぼ同じようですが、オペラの場合、「序曲」は独立した曲(それ自体で終わる)、「前奏曲」そのまま幕が開いてオペラにつながる、という区別があるようです。

 でも、「本体」のない「序曲」もある?
 そのようです。すでに存在する物語、歴史上の出来事、風景などの自然物などに対して作曲した管弦楽用の小品として、「序曲」と命名して本体なしで存在するものが、特にロマン派以降に見られるようです。ベートーベンの「エグモント」序曲、序曲「コリオラン」、メンデルスゾーン/序曲「フィンガルの洞窟」、シューマン/「マンフレッド」序曲、ブラームス/「大学祝典序曲」「悲劇的序曲」、チャイコフスキー/幻想序曲「ロメオとジュリエット」など。

 それでは、独立した「前奏曲(プレリュード)」は存在する? 上記の、そのままオペラにつながる、という定義からすると、なさそうですね。いやいや、ありました。ドビュッシー「牧神の午後への前奏曲」。これは、マラルメの詩「牧神の午後」にインスパイアされた曲なので、そういう曲名にしたらしい。
 それ以外にも、リストの交響詩「前奏曲」というのもありますが、これは単なるタイトルで、「人生は、死への前奏曲である」という命題を曲にしたものだそうですから除外。

 オーケストラ曲ではそんなものですが、その他に、実は「前奏曲」はたくさん存在します。しかも、特にピアノ曲に。ショパンやドビュッシーに、ピアノ曲の「前奏曲集」というのがありますよね。
 でも、これって何の前奏曲? しかも、何でピアノ曲? ピアノ曲にはたくさん存在する「前奏曲」ですが、他の楽器(たとえばバイオリン)や室内楽には全くといって存在しないのは何故なのでしょうか。
 

2.ピアノ曲としての「前奏曲」

 ピアノ曲(バッハのは正確にはクラヴィーア曲ですが)としての「前奏曲」は、有名なところでは次のものがあります。

(1)バッハ/平均率クラヴィーア曲集「前奏曲とフーガ」第1巻 BWV846‐BWV869(24曲)、第2巻 BWV870‐BWV893(24曲)
 これは、オクターブを構成する12の半音の全てについて、それぞれを主音とした長調と短調を1曲ずつの計24曲をセットにした曲集。「平均率」のための曲集なので、同じ調律で全ての調を演奏するための曲集というわけです。この曲集は、英語だと「Well tempered = ほどよく調律された」(ドイツ語だと Wohltemperierte )ということで、正確にいうと「平均律」ではなく、バッハ当時に行われていた「ヴェルクマイスター調律法」によった鍵盤楽器を前提にしたもののようです。いずれにせよ、当時まで主流だった、調性ごとに「純正律」で調律された鍵盤楽器では他の調に転調するとほとんど使いものにならない、という現実から、耳を多少ごまかして、自由に転調ができる「便利さ」を手に入れたのが、この「平均律」あるいは「ヴェルクマイスター調律法」なのでした。「純正律」と「平均律」の簡単な説明は、「純正律と平均律について」を参照下さい)
 ここでの「前奏曲」とは、一見「フーガ」の前に演奏する前奏曲というようにも見えますが、明らかに独立曲であり、曲種としての「前奏曲」を意味しています。

(2)ショパン/24の前奏曲集 作品28
 ここでも、バッハと同じ24曲のセット、しかも、こちらもオクターブを構成する12の半音の全てについて、それを主音とした長調と短調を1曲ずつの計24曲をセットにした曲集です。ただし、バッハとは違って、後に続く「本編」は存在しません・・・。
 ショパンには、これ以外に独立した2曲の「前奏曲」があります(作品45、および作品番号なし)。

(3)ラフマニノフ/「10の前奏曲」作品23、「13の前奏曲」作品32
 ラフマニノフは、いろいろとばらばらに「前奏曲」を作曲していますが、全てを合わせると24曲で、全ての調の長調・短調を網羅しています。これらも、後に続く「本編」はありません。
 作品3-2(作品3自体は5曲からなる「幻想的小品集」で、この2曲目が「前奏曲」)、作品23(10曲)、作品32(13曲)で、合計24曲。

(4)スクリャービン/24の前奏曲 作品11
 おやおや、また24曲のセットですか。しかも、これも全ての調の長調・短調を網羅しています。これらも、後に続く「本編」はありません。
 これ以外にも、24曲のセットではありませんが、5つの前奏曲 作品15、5つの前奏曲 作品16、4つの前奏曲 作品22、2つの前奏曲 作品27、4つの前奏曲 作品31、4つの前奏曲 作品37、4つの前奏曲 作品48、5つの前奏曲 作品74 などがあるようです。

(5)ドビュッシー/前奏曲集第1巻(12曲)、第2巻(12曲)
 おやおや、今度は12曲ずつですか・・・。しかも、やはり後に続く「本編」なし・・・。

(6)ショスタコーヴィチ/24の前奏曲 作品34、24の前奏曲とフーガ 作品87
 これも各々24曲です。もっとも、作品87の方はバッハにちなんで(バッハ没後200年)作曲されたのですから、バッハと同じ「前奏曲+フーガ」の構成になっているのは、まあ当然か。

(7)その他
 その他、ピアニストでもあったブゾーニ(1866〜1924)にも「24の前奏曲 作品37」があるそうです。
 

3.「前奏曲」の正体

 こう見てくると、ピアノ曲(バッハを考慮すると鍵盤楽器の曲)における「前奏曲」は、何故かしら「全ての調を網羅した12曲または24曲のセット」が多いことに気付きます。

 そうです。鍵盤楽器による「前奏曲」とは、メインの演奏曲目(あるいは演奏会そのもの)の「前に」、正しく調律されているかどうか確認するために試奏するための曲、というのがそもそもの起源なのです。(同じ意味で、「オルガン前奏曲」やリュートのための「前奏曲」もあったそうです)
 広い音域でジャランジャランと即興的にかき鳴らし、いろいろな調で弾いてみて、どの調もよく響くことを確認するのが主目的。曲としての形式だとかお作法には全くこだわらない、自由でちょっと華やかで即興的な小品。それが、「前奏曲(プレリュード)」の正体なのでした。

 こういった起源を受け継ぎ、曲の種類としてのピアノ曲「前奏曲」は、「形式によらない自由で即興的な小品」に対して命名されているのでした。
 従って、ピアノ曲としての「前奏曲」は、管弦楽曲としての「前奏曲」とは、起源も目的も異なるものと考えたほうがよさそうです。

(おしまい)

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