横浜フィルハーモニー管弦楽団では、第94回定期演奏会(2026/12/6)で、サン=サーンス作曲交響曲第3番「オルガン付き」を演奏します。
サン=サーンスといえば、最も有名な曲は「動物の謝肉祭」でしょうか。この曲は、副題に「動物学的大幻想曲」(Grande fantaisie zoologique)と付いているように、「音楽のジョーク、パロディ」みたいなものであり、プライベートな夜会のために書かれました(なので作品番号も付いていないし、数回の作曲者自身が関与した演奏以降は生前の演奏を禁じました)。これが「代表作」とされるとすればサン=サーンスにあまりにも申し訳ありません。
ちなみに、前回の「オルガン付き」のとき(65回、2011年)に書いた、「サン・サーンスのちょっと寄り道」という記事もありますので、重複する部分もありますが、併せて読んでいただけると幸いです。
1.サン=サーンスの簡単な生涯
シャルル・カミーユ・サン=サーンス(Charles Camille Saint-Saens:1835〜1921)の略年譜をまとめてみました。
1835年10月9日:パリで、役人の父ジャック=ジョゼフ=ヴィクトル、母フランソワーズ=クレマンスの一人息子として生まれる。カミーユの誕生直後に、父は結核で他界する。
1856年(21歳):ボルドーの聖セシル協会(1852年のパリの団体とは別の団体)のコンクールに交響曲「首都ローマ」で応募し優勝する。
1865年(30歳):ニデルメイエール音楽学校を退職。
1875年(40歳):19歳のマリー=ロール・トリュフォと結婚。
1885年(50歳):ヴァイオリン・ソナタ第1番 Op.75。
また、保守的な立場を明確にし、次第に新しい音楽潮流に背を向ける。
1905年(70歳):チェロ・ソナタ第2番 Op.123。
2.代表曲
サン=サーンスは多作家で、作品番号付きのものが 169曲、作品番号のないものも多数存在します。
2.1 交響曲
3曲の番号付き交響曲と、2曲の番号なし交響曲の計5曲があります。
交響曲イ長調(1850年頃)
15歳頃の若書きですが、ドイツ古典派の基本にのっとった重厚でどっしりとした音楽です。知らずに聴けばシューベルト、シューマンかメンデルスゾーンかと思うかも。
交響曲第1番変ホ長調 Op.2(1853)
18歳のときに作曲し、当初作曲者名を隠して聖セシリア協会の演奏会で公開し、好評を博したことから満を持して作品番号を付けて出版した交響曲。
交響曲ヘ長調「首都ローマ」(1856)
ボルドーに本拠地のある聖セシル協会のコンクールのために作曲された4楽章形式の交響曲です。翌1857年に初演されて好評でしたが出版はされなませんでした。
交響曲第2番イ短調 Op.55(1859)
24歳のときの先で、第1番と違って悲劇的で悲愴感漂う音楽。メンデルスゾーン的。トロンボーンやハープを含まず、やや小編成のオーケストラ。
交響曲第3番ハ短調 「オルガン付き」Op.78(1886)
前の第2番から30年近く経ってから作曲され、ロンドンのフィルハーモニック協会からの依頼もあって、聴衆受けする華麗な曲となっています。
この中では「第3番・オルガン付き」が圧倒的に有名で演奏頻度も高いですが、その他の交響曲が演奏されることはほとんど皆無です。
2.2 管弦楽曲
サン=サーンスは「交響詩」を4曲作曲しています。この中では「死の舞踏」が飛び抜けて有名で、他の3曲はほとんど演奏されることがありません。
交響詩第1番「オンファールの糸車」Op.31(1871)
ギリシア神話の英雄ヘラクレスの物語から題材をとったもの。
交響詩第2番「ファエトン」Op.39(1873)
ギリシャ神話に登場するヘーリオスとクリュメネーの息子ファエトン(パエトーン)の物語を題材とする。
交響詩第3番「死の舞踏」Op.40(1874)
サン=サーンスの交響詩の中では飛び抜けて演奏頻度が高い曲です。
(注)独奏ヴァイオリンとシロフォンは「死神」や「骸骨」を表わし「死」の象徴ですが、ショスタコーヴィチの有名な交響曲第5番の第2楽章の中間部にヴァイオリン独奏が、後半部にシロフォンが登場するのは、いかにも「死」を連想させます。続く第3楽章はロシア正教の葬礼であるバニヒダだといわれていますので、第2楽章も「死」の暗示だと思いますが、そういう説明はあまり見かけません。
交響詩第4番「ヘラクレスの青年時代」Op.50(1877)
これも、交響詩第1番と同じく、ギリシャ神話の英雄ヘラクレスを扱っています。
組曲「動物の謝肉祭」(1886)
サン・サーンスでは最も有名な「動物の謝肉祭」は、最初は「室内楽」として作曲されたものを「管弦楽と独奏者」用に拡大した「組曲」が今日ではよく演奏されます。
2.3 協奏曲
オルガン、ピアノが得意だったサン・サーンスは、5曲のピアノ協奏曲を作曲しています。
ピアノ協奏曲では、第2番、第5番「エジプト風」が比較的演奏されることが多いです。
ピアノ協奏曲第2番 Op.22(1868)
サン=サーンス2番目のピアノ協奏曲で、作曲者のピアノ、友人でロシアから来ていなアントン・ルービンシテインの指揮でパリで初演された。
ピアノ協奏曲第5番「エジプト風」Op.103(1896)
11歳でデビューしたサン=サーンスのピアニスト50周年を祝う演奏会のために作曲され、作曲者自身のピアノで初演されました。避寒先のカイロで書かれたこともあり、エキゾチックな響きが特徴で、初演時から評判が高かったようです。
ヴァイオリン協奏曲第3番 Op.61(1880)
1880年に作曲され、翌1881年にサラサーテのヴァイオリンで初演され、サラサーテに献呈されています。
序奏とロンド・カプリチオーソ Op.28(1863)
サラサーテのために作曲された、独奏ヴァイオリンと管弦楽のための作品です。名だたるヴァイオリン奏者がよく演奏する、華麗で技巧的な曲です。
2.4 オペラ
フランスの音楽界で成功するには、やはりヒット作となるオペラを作曲することが必要ですが、残念ながらサン・サーンスはオペラの分野では成功していません。
2.5 室内楽、ピアノ曲
ピアノ五重奏曲Op.14(1855)、ピアノ三重奏曲を2曲(Op.18(1864)、Op.92(1892))、ピアノ四重奏曲Op.41(1875)、弦楽四重奏曲を2曲(Op.112(1899)、Op.153(1918))、ピアノ四重奏曲Op.41(1875)、変わった編成の七重奏曲Op.65(1881、ピアノ、トランペット、弦楽四重奏、コントラバス)、ヴァイオリン・ソナタ2曲(Op.75(1885)、Op.102(1896))、ピアノ四重奏曲Op.41(1875)、チェロ・ソナタ2曲(Op.32(1872)、Op.123(1905))などがあります。
ピアノ独奏曲は、小品はありますがピアノ・ソナタはなく、また現代のピアニストによく演奏されるようなピアノ曲はありません。ピアノを得意とした作曲家としては珍しいことです。
横フィルとしては4回目の「オルガン付き」です。
ということで、意外に知らないサン=サーンスの全体像について調べてみました。
シャルル・カミーユ・サン=サーンス(Charles Camille Saint-Saens:1835〜1921)
サン=サーンスは、リストよりも24歳、ワーグナーよりも22歳、ブラームスよりも2歳若く、チャイコフスキーよりも5歳、ドヴォルザークよりも6歳年長でした。また、グノーよりも17歳、フランクよりも13歳若く、ビゼーよりも3歳年長です。
幼いころから絶対音感を示していたという。
1842年(7歳):ピアノを習い始める。
1845年(10歳):サル・プレイエルでモーツァルトのピアノ協奏曲第15番、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番を弾いて公式にデビュー。
オルガン、作曲も学び始める。
1848年(13歳):パリ音楽院に入学。
1850年(15歳):習作の「交響曲イ長調」。
1852年(17歳):ローマ賞に応募して落選するが、聖セシル協会主催の作曲コンクールで「聖セシル頌歌」が優勝する。
1853年(18歳):パリ音楽院卒業。パリ市庁舎に近い聖メリ教会のオルガニストに就任。交響曲第1番 Op.2。
1858年(23歳):パリの最高峰といわれるマドレーヌ教会のオルガニストに就任。
マドレーヌ教会でサン=サーンスの演奏を聞いたリストは「世界最高のオルガニスト」と評したという。
ワーグナーの音楽に傾倒する。
1859年(24歳):交響曲弟2番 Op.55。
1861年(26歳):ニデルメイエール音楽学校の教師となる。ガブリエル・フォーレはその門下生。
1863年(28歳):サラサーテのために「序奏とロンド・カプリチオーソ」Op.28 を作曲。
1868年(33歳):ピアノ協奏曲第2番 Op.22。
1870年(35歳):フランスとプロイセンとの間に普仏戦争が勃発。サン=サーンスも従軍する。
1871年(36歳):普仏戦争に敗戦、プロイセンはベルサイユ宮殿でドイツ帝国の建国を宣言。敗戦の中でパリ・コミューン革命政権が誕生して一時イングランドに亡命。
平定後パリに戻って「ガリアの芸術(Ars Gallica)」(ガリア=フランス)をモットーとする「国民音楽協会」(Societe Nationale de Musiqe)を設立(パリ音楽院の声楽家教授だったロマン・ビュシーヌが会長、サン=サーンスは副会長)。
リストの交響詩を賛美していたサン=サーンスは、第1作目となる交響詩「オンファールの糸車」Op.31を作曲。
1872年(37歳):チェロ・ソナタ第1番Op.32、チェロ協奏曲第1番 Op.33。
1873年(38歳):交響詩「ファエトン」Op.39。
1874年(39歳):交響詩「死の舞踏」Op.40。
1876年(41歳):バイロイト音楽祭でワーグナー「ニーベルングの指輪」を観る。
1877年(42歳):交響詩「ヘラクレスの青年時代」Op.50。マドレーヌ教会のオルガニストを辞職。
リストの尽力によりオペラ「サムソンとデリラ」Op.47 をヴァイマールにおいてドイツ語で初演(パリでの公演は1892年)。
1878年(43歳):長男アンドレがアパートの窓から転落して死亡。次男ジャン=フランソワは誕生の半年後に肺炎で死亡。
1880年(45歳):「アルジェリア組曲」Op.60、ヴァイオリン協奏曲第3番 Op.61(サラサーテに献呈)。
1881年(46歳):フランス学士院に選任される。妻と事実上の離婚。
七重奏曲 Op.65 (2Vn, Va, Vc, Cb, Trp, P)。
1886年(51歳):国民音楽協会を脱退。フランクの弟子たち(フランキスト)がワーグナー崇拝(ワグネリズム)となっていったことへの反発という。リスト死去。
ロンドンのロイヤル・フィルハーモニック協会からの委嘱で交響曲第3番「オルガン付き」Op.78 を作曲・初演(出版譜には、この年に亡くなった「フランツ・リストの思い出のために」と記されている)。組曲「動物の謝肉祭」。
1887年(52歳):交響曲第3番「オルガン付き」をパリで初演、熱狂的に歓迎される。
「デンマークとロシアの歌による奇想曲」Op.79(Fl, Ob, Cla, P)。
1888年(53歳):ずっと同居していた母が他界。ショックによりアルジェに逗留し作曲は中断。
1890年(55歳):歌劇「アスカニオ」。
1891年(56歳):幻想曲「アフリカ」Op.89。
1893年(58歳):ケンブリッジ大学から名誉博士号。
この頃から、作曲よりも国外旅行、海外での演奏が増える。
1896年(61歳):ヴァイオリン・ソナタ第2番 Op.102、ピアノ協奏曲第5番「エジプト風」 Op.103。
1900年(65歳):パリ万博でカンタータ「天井の火」Op.115が演奏される。
1902年(67歳):チェロ協奏曲第2番 Op.119。
1907年(72歳):オックスフォード大学から名誉博士号。
1908年(73歳):映画「ギース公の暗殺」のための音楽(映画自体は無声映画)。
1910年(75歳):ミュンヘンでのマーラー交響曲第8番の初演を聞く。
1913年(78歳):パリでのストラヴィンスキー「春の祭典」初演を聞き、憤慨して途中で退席。
1921年(86歳):レパートリーに恵まれていない楽器のために、オーボエ・ソナタ Op.166、クラリネット・ソナタ Op.167、バスーン(バッソン)・ソナタ Op.168 を作曲。
12月:寒さを避けて訪れていたアルジェで心臓発作により逝去。
パリのマドレーヌ寺院で国葬が行なわれ、モンパルナス墓地に埋葬された。
フランスでは、作曲家はまず「オペラ」および「バレエ」を作曲し、次に上流階級のサロンで超絶技巧を披露するピアノ曲あるいは独奏曲、せいぜい「協奏曲」が主流で、コンサートホールで黙って一方向を向いて聞く「交響曲」や、抽象的な内容の「管弦楽曲」は敬遠されていました。
その中で、若い頃から「交響曲」を目指したサン=サーンスはフランスの中では「ドイツ古典派、ロマン派」を向いた作曲家とみなされていたと思います。それは古典的な形式美、リストやワーグナーなどの重厚なオーケストレーション、文学や哲学との結びなどを指向していたということなのでしょう。(1890年以降の晩年には、逆にヨーロッパの音楽界全体を席巻するワーグナーに反発して「フランスの音楽」を標榜するようになりますが)
古典的な4楽章構成で、第1楽章に意図的にモーツァルトの「ジュピター音形」を使っています。
演奏時間は約25分。
ドイツ古典派を脱却して、よりロマン派風で闊達な独自の世界を開いています。ベルリオーズの影響もあり、ハープを使用(というか、かなり活躍する)。
第1楽章:ゆったりした序奏に続き、序奏の主題に基づく第1主題が提示され、そこにベートーヴェンの「第九」第2楽章のオクターヴ音形が重なる。金管ファンファーレの後、第2主題。展開部冒頭のホルンによる第1主題に基づくソロが印象的。
第2楽章:行進曲、スケルツォ。
第3楽章:アダージョ。クラリネットが健康的に歌い、ハープが活躍する。
第4楽章は祝祭的で華麗な音楽で、壮大なフーガで盛り上がる。
演奏時間は約30分。
標題と曲の内容の関係は不明。
厳かな金管のファンファーレで始まる第1楽章。まるでメンデルスゾーン。
独楽が回るようなスケルツォ的な第2楽章。
暗くミステリオーソな第3楽章。まるで葬送行進曲。
平和で穏やかな主題とその変奏である第4楽章は、静かに幕を閉じる。
演奏時間が約40分の大曲。
第1楽章は、カデンツァ風の序奏に続く第1主題は悲愴感あふれるフーガ。第2主題は田園風でほとんど目立たない。あれよあれよという間に駆け抜けて終わる。
第2楽章:アダージョ。静かに始まり、静かに終わる。
第3楽章:スケルツォ。起伏に富む。トリオからスケルツォに戻らず突然終わる。
第4楽章では、他の楽章の主題が循環主題風に使われ、イ長調で華麗に幕を閉じる。
ヘラクレスは、ギリシア神話の主神ゼウスとアルゴス王の一人娘アルクメネーとの間に生まれた英雄で、名前から剛力無双の勇者を意味する代名詞になっている。しかし、ゼウスの妻ヘラの怒りを買い、何度か発狂し、妻子も殺したりもして、かなりの情緒不安定な英雄だった。この「オンファールの糸車」は、2度の殺人の償いとして、小アジアの女王オンファールの下で奴隷として働くヘラクレスを描いたものである。オンファールは、好んで男装をしていたといわれる容姿の美しい女性で、ヘラクレスはその魅力の虜になり、3年間この女王のご機嫌とりに汲々としていた。
第1部は、女王オンファールの回す糸車を暗示する。ぐるぐる回る。
第2部(中間部)では、威圧するような男性的な主題がヘラクレスを表わす。
第3部では、再び最初の部分が繰り返され、女性の力がヘラクレスを服従させる様を暗示するかのように糸車の主題だけが残り、静かに曲を閉じる。
演奏時間は約9分。
第1主題は、ハープと弦楽器によりファエトンの乗った馬車が天界に向かって疾走する様子を表す。
第2主題は、それを制止するゼウスの警告の声。その中で馬車は疾駆する。
中間部では、金管楽器がコラール風の第3主題でゼウスの哀しみを歌う。
再び第1部に戻り、ゼウスの雷によってファエトンは撃ち落される。
チェロとホルンにより第3主題のゼウスの哀しみがコーダとして演奏される。
演奏時間は約9分。
4曲の交響詩の中では、唯一ギリシャ神話に基づかないもので、死神の弾くヴァイオリンを特殊に調弦したヴァイオリン独奏で、骸骨がぶつかり合う「カランカラン」という音をシロフォンで模しています。
「動物の謝肉祭」の「化石」にシロフォンの主題を引用していますね。
静かな英雄の眼ざめのような序奏で始まり、主部で堂々としながらもさわやかなヘラクレスの主題が提示されます。
低弦によるブリッジの後、オーボエによるニンフの誘惑のテーマが出てきます。
その後、野放図なバカ騒ぎに発展して行きますが、それを突然拒絶して、ヘラクレスの英雄としての自覚持った主題が再現し、ヘラクレスの成長を描きます。
いろいろな動物さんを扱った子供向けの曲として演奏されることも多いですが、皮肉家で頑固な作曲家がプライベートな場で演奏するために作った曲ですから、アイロニーとエスプリと毒に満ちた曲になっています。「耳の長い登場人物」は「大きな耳できちんと音楽を聴く批評家」かつ「間抜けなロバ」であったり、オッフェンバックの「天国と地獄」やベルリオーズの「妖精のワルツ」などを本来の音楽とは逆のパロディ(亀、象)として使ったり、ロッシーニなどの音楽を化石(過去の遺物)として扱っています。「ピアニスト」は前足・後ろ足の「4手」で弾きまくる猿(オランウータンのような)だし(そこいらのピアニストは猿以下?)、「白鳥」は着飾った貴婦人のパロディ。
また、ヴァイオリン協奏曲を3曲、チェロ協奏曲を2曲作曲しています。
ヴァイオリン協奏曲では、もっぱら第3番(サラサーテに献呈)が有名です。
協奏曲ではありませんが、ヴァイオリン奏者の定番曲として「序奏とロンド・カプリチオーソ」もよく演奏されます。(これもサラサーテにのための作曲)
第1楽章は延々とピアノのレシタティーヴォが続く。
第2楽章は軽妙なスケルツォ。
プレストのタランテラ舞曲風の第3楽章。
特に第2楽章がエキゾチックな響きであり、「高次倍音」を重ねた特異的なピアノの響きも出てきます。
ヴァイオリン協奏曲としては珍しくトロンボーンを含む編成のオーケストラとなっています。
華麗でありながら、テクニック偏重にならない「うた」や「響き」をもった曲になっています。もっと演奏されてよい曲だと思います。
「バッカナール」が独立した管弦楽曲として演奏される「サムソンとデリラ」も、初演はリストの尽力によるドイツのヴァイマールでの「ドイツ語」による演奏でした。
ホルンのためには「ホルンとピアノのためのロマンス」Op.36、木管楽器のためには「デンマークとロシアの歌による奇想曲」があります。
最晩年の1921年に、レパートリーに恵まれない管楽器奏者のために、オーボエ、クラリネット、ファゴット(フランスではバッソン)のソナタが作曲されました(Op.166〜168)。さらにコールアングレのソナタも計画されていたようですが、その前に寿命が尽きました。
クラリネット・ソナタなんて、よい曲だと思いますが、プーランクなどと比較して演奏される頻度は極端に少ないと思います。
いずれも、それなりに優れた曲であるにもかかわらず、ドビュッシーやラヴェル、フォーレなどに比べると、レパートリーの定番になるような曲はほとんどないようです。
