ショスタコーヴィチは、そこに音楽という抽象表現ではなく(スターリンの時代には、抽象表現ゆえに意図を偽って作品を発表していた)、自分の主張したいことを単刀直入に表現することを望んでいたのではないという気がします。だから、「歌入り」の曲が多くなった・・・。
ここでは、そんな晩年の「歌入り」交響曲に分け入ってみるヒントを提供したいと思います。
なお、ショスタコーヴィチの歌入り交響曲全体については、こちらの記事もご参照ください。
1.曲の成り立ちと構成
ショスタコーヴィチの生涯で、最後から3番目の作品です。
ルネサンス期のイタリアの彫刻家ミケランジェロ・ブオナロッティ(1475〜1564)も、時代や政治に翻弄されながら自らの芸術のために生きた芸術家でした。
、ローマ法王やメディチ家からの注文で彫刻を創作しながら、創作の喜びや愛する人への思いとともに、堕落した教会や権力に対する反発を綴ったミケランジェロの言葉に、ショスタコーヴィチ共感したようです。
ショスタコーヴィチにミケランジェロの詩を教えたのは、おそらくイギリスの作曲家ベンジャミン・ブリテン(1913〜1976)です。ブリテン自身は、1940年にミケランジェロのイタリア語の詩に曲を付けた「ミケランジェロの7つのソネット」作品22を作曲しています。やはり、同性愛や良心的兵役拒否で何かと社会との軋轢の大きかったブリテンも、ミケランジェロの詩に共感するものがあったのでしょう。
交響曲第14番をブリテンに献呈して「戦争レクイエム」への回答としたショスタコーヴィチは、ミケランジェロ生誕500周年となる1974年に、自らが選んだミケランジェロの詩(ただしここでは原語ではなくロシア語訳)に曲を付けることで、ここでもミケランジェロを紹介してくれたブリテンへの回答としたのではないでしょうか。
ショスタコーヴィチの死の前年1974年にピアノ伴奏の歌曲として作曲され、その年に初演されています。健康状態から、初演を急いだのでしょう。そして、その後にオーケストレーションを行い、管弦楽版として作品145aを完成しましたが、初演を聞くことなくショスタコーヴィチは他界しました。
初演は、作曲家の死後に、息子のマキシム・ショスタコーヴィチの指揮によって行われています。
マキシムの話では、ショスタコーヴィチはこの曲を「交響曲第16番」にするつもりだったということです。
その証拠に、この「ミケランジェロ組曲」の楽章構成は交響曲第14番と瓜2つです。
まず、楽章の数が同じ「11曲」です。
しかも、第10曲で冒頭のモチーフが再現し、かつ第10曲目の「死」には交響曲第14番の第10楽章「詩人の死」のモチーフが登場します。
交響曲第14番に瓜二つということは、交響曲第14番でも触れたように、ベンジャミン・ブリテンの「戦争レクイエム」を意識したということなのでしょうか。
ひょっとすると、ブリテンの「戦争レクイエム」に対して、交響曲第14番では「死」に対する回答しか示せなかったので、この「ミケランジェロ組曲」では、「芸術」「人生」「愛」について回答するつもりだったのでしょうか。
これだけ似ていて、片方が交響曲ではないというのは、やはりピアノ伴奏でよいから早く世に出したかったという「時間の制約」以外の何物でもなかったのでしょう。それだけ、ショスタコーヴィチのメッセージが強く込められているということなのでしょう。
この曲は、ショスタコーヴィチを看取ることとなる3番目の奥様であるイリーナ夫人に献呈されています。
交響曲第14番 | ミケランジェロ組曲 | ||
---|---|---|---|
プロローグ | 第1曲「深き淵より」 | 第1群 プロローグ | 第1曲「真実」 |
第2曲「マラゲーニヤ」 | 第2群 「愛」のグループ | 第2曲「朝」 | |
第3曲(アタッカ)「ローレライ」 | 第3曲「愛」 | ||
第4曲(アタッカ)「自殺者」 | 第4曲「別れ」 | ||
第5曲「用心して」 | 第3群 「憎」のグループ | 第5曲「怒り」 | |
第6曲(アタッカ)「マダム、お聞きなさい」 | 第6曲「ダンテ」 | ||
第7曲(アタッカ)「ラ・サンテ監獄にて」 | 第7曲(アタッカ)「追放者に」 | ||
第8曲「コサック・ザポロージュから コンスタンチノープルのスルタンへの返答」 | 第4群 「芸術」のグループ | 第8曲「創造」 | |
第9曲(アタッカ)「おお、デルヴィーグよ」 | 第9曲「夜」 (対話) 交響曲第14番「詩人の死」モチーフの引用 | ||
第1曲の主題の再現 | 第10曲「詩人の死」 (第1曲「怒りの日」の再現) | 第5群 第1曲の主題の再現 | 第10曲「死」 (第1曲のモチーフの再現) |
簡潔な終曲 | 第11曲(アタッカ)「結び」 | 簡潔な終曲 | 第11曲「不滅」 |
ショスタコーヴィチの交響曲を聴く方も、この曲を聴くことは少ないようです。何分にも、録音が少ない・・・。 でも、交響曲第16番に相当するとすれば、これを聴かないのは何とももったいないと思います。 ルネサンス期に、ローマ法王やメディチ家からの注文で彫刻を創作しながら、創作の喜びや愛する人への思いとともに、堕落した教会や権力に対する反発を託したミケランジェロの言葉に、ショスタコーヴィチはどのように共感し、詩を選んで曲を付けたのでしょうか。ショスタコーヴィチの最晩年に、芸術に、人生に、社会に、そして愛する人たちに対して、何を考え、何を残そうとしていたのか、この曲にはヒントになるものがたくさんあるように思います。
2.曲の内容と訳詩
ミケランジェロという芸術家もまた、時代や政治に翻弄されながら自らの芸術のために生きた人でした。彼の伝記などを読むとショスタコーヴィチの生涯とあまりによく似た迫害や圧迫、そしてそれにも負けずに創作に邁進している姿があるのに驚かされてしまいます。それだけに1974年、ミケランジェロ生誕500 年を記念するためにショスタコーヴィチがこれらの詩を取り上げて壮大な歌曲集にしようと思ったのもある意味非常に納得できるような気がします。
第1曲「真実」
第1曲の冒頭から、交響曲第11番思わせるトランペット2本の悲痛な叫びで始まります。この主題は第10曲目で再現しますので、交響曲第14番の第1楽章が「ディエス・イレ」のモチーフで開始するのと同じパターンです。 続くホルンの音形(4度上昇、さらに4度上昇)は、交響曲第4番の第3楽章(終楽章)の葬送行進曲のモチーフであり、最終場面でチャイコフスキーの「悲愴」の最後を思わせる低弦のシンコペーション音形の上に何度も現れるモチーフで、ここでは仮に「眠り「のモチーフと呼びます。
<歌詞>
詞:ミケランジェロ・ブオナロッティ
訳:アブラーム・エーフロス
(トランペット2本による「怒りのモチーフ」、ホルンの「眠りのモチーフ」)
古いことわざの中には真理があり、
こう言っている:「能ある者は、それを使いたがらない」。
主よ、あなたは偽りの作り話をお信じになり
そして、おしゃべり聖職者を褒め称えた。
私はあなたの忠実な下僕で、私の勤めはあなたのもの、
まるで光が太陽に仕えるように。
しかし、私のしようとすることに、あなたは全く喜ばず、
そして、私の努力は全て無駄な骨折りになる。
(鉄槌)
私は考えていた、あなたの偉大さが私を奮い立たせるのは、
お偉い人達からの虚しい報酬のためではなく、
正義の剣と怒りの重圧のためなのだと。
だが地上の功績を天は軽蔑する
天井からの報いを期待するのは
枯れた木から果実を取るようなものだ。
第2曲「朝」
<歌詞>
詞:ミケランジェロ・ブオナロッティ
訳:アブラーム・エーフロス
なんという喜びだ、花々にとって
花飾りとして、彼女のブロンドの髪を華やかに束ね、
お互いに押し合いへしあいしながら
まるで彼女の額にくちづけしようとすることは!
そしてなんという楽しさだ、衣装にとって
彼女の腰にぴったりまとわりついて、波のようにうねることは。
(コントラバス、ハープ)
そしてなんという気持ちよさだ、金のレースにとって
彼女の首に抱き付くのは!
(軽やかな愛のテーマ)
だがもっと優しく、豪華なリボンの編み物は
型どった刺繍の中で輝きながら
ふくよかな胸の周りをしめつける。
(コントラバス)
そして腰に巻き付いている純白のベルトは、
「私はあなたから離れたくない・・・」と言いたげだ。
おお、そこでは私の手はどうすればいいのだろう!
(コントラバス)
第3曲「愛」
<歌詞>
詞:ミケランジェロ・ブオナロッティ
訳:アブラーム・エーフロス
(木管による飛び回る愛のモチーフ)
教えてくれ、愛よ、私に
渇望していた美しさが本当に現れたのか、
それとも私の中の期待への切望が
つかの間の幻影を浮かび上がらせただけなのか?
(ピッコロによる愛のモチーフ))
お前は知っているのだろう? だってお前は、
私の眠りを盗んで奪い去った、そうだろう!
私の唇は、どんな溜息もみのがさない、そして私の魂は
消すことのできない炎で満ちている。
(クラリネットによる愛のモチーフ))
お前は確かに彼女の本当の美しさに気づいていた
しかし、彼女の輝きはどんどん大きくなって広がった
瞳を通して魂に達するまでに:
(クラリネットによる愛のモチーフ))
そこで彼女の輝きに純粋な神格さを見出す
まるで不滅の創造主のような――
それがお前の一瞥がそれほど魅惑的な理由だ。
第4曲「別れ」
<歌詞>
詞:ミケランジェロ・ブオナロッティ
訳:アブラーム・エーフロス
(弦楽器のコード)
いったいどうやって、私の宝よ、
君なしで生きていけるのだ? 私は苦痛だ、
楽に別れたいのに、君がそうさせてくれない。
私はもう落胆するのはやめよう、傷心や、
泣き叫び、ため息、すすり泣きによって。
(弦楽器のコード)
それは、マドンナよ、私が抱え込む重荷と、
死が近いことを君に告げることになるから。
でも、これからの運命が、私の誠実さを
君の記憶から消し去ることがないように
私の心を君のもとに残して行こう。
第5曲「怒り」
<歌詞>
詞:ミケランジェロ・ブオナロッティ
訳:アブラーム・エーフロス
(運命のモチーフ、ムチ)
ここで聖杯から剣や兜が作られ
キリスト様の血は量り売られ、
十字架や茨の冠は槍や盾になって
それでもキリスト様は我慢して無言。
(運命のモチーフ、ムチ)
かのお方を辺境のベツレヘムに落ちぶれさせてはならぬ
あるいはその血を星まで飛び散らせてはならぬ。
ローマには人殺しの隠れる茂みがあり
我らの良心は鍵の中に閉じ込められている。
(運命のモチーフ、ムチ)
私は富への欲望にとらわれることはなかった
ずっと、ここには私のための仕事はなかったから。
モール人がメドゥーサを恐れるように、私は外套を着た人を恐れた。
しかし、もし神様が貧しい者を讃えるなら、
はてさて、我らにはどんな束縛が用意されるのだ、
異なる運命の旗印の下で?
(運命のモチーフ)
第6曲「ダンテ」
<歌詞>
詞:ミケランジェロ・ブオナロッティ
訳:アブラーム・エーフロス
(3連符の運命のモチーフ)
彼は天より降り来て、いずれは死すべき肉体となり、
地獄と煉獄を見た。
そして、神に謁見するために生きて戻り、
学んできた真実を全て我らに開示した。
(輝かしい3連符の運命のモチーフ)
輝く星よ、そのきらめきは照らした
我らが生まれたところを――
彼は報いを期待できない、この世界からは、
だが創造主よ、あなた様だけは別だ。
(穏やかなつなぎ)
ダンテ、そうダンテのことを語ろう、彼の作品は
恩知らずの群衆たちには理解されない――
知っているだろう、彼らは最高の天才を軽蔑した。
(八分音符の運命のモチーフ、3連符の運命のモチーフ)
私が彼であったなら!私が彼の人生を生きたなら、
そして彼の追放の辛さを味わったなら――
私はこの世で、今以上のものは望まないだろう!
(アタッカ)
第7曲「追放者に」
<歌詞>
詞:ミケランジェロ・ブオナロッティ
訳:アブラーム・エーフロス
(前曲からアタッカ)
我らがいかに彼を讃えようとも、まだまだ足らないのだ。
彼の輝きは、我らを盲目にしてきたのだ。(鐘)
なにゆえに、群衆の攻撃的なふるまいを非難できようか
我らの賞賛さえ、これほど表面的に過ぎないのに。
(クラリネット、ファゴットの聖歌風、鐘)
彼が邪悪の深み(地獄)を探検したのは、我らのためだ。
神の王国は、そのイメージを見せた。(弦、鐘)
しかし、天の扉すら閉ざされることはなかったのに、
彼の祖国は、ダンテ、彼の面前で門を閉ざしたのだ。
(運命のモチーフ)
恩知らずめ! そして、不幸なことに、
お前たちは、子孫の苦しみを増やした。
このようにして、卑劣なものが完璧なものに復讐している。
(運命のモチーフ、鐘)
これは多くの似たものの中のひとつに過ぎない!
彼の追放ほどの恥ずべきことはなく、(鐘)
彼に並ぶ、あるいは超える者は今まで存在しない。(繰り返し)(鐘)
第8曲「創造」
<歌詞>
詞:ミケランジェロ・ブオナロッティ
訳:アブラーム・エーフロス
(石をハンマーで叩く音を模して)
私のごつごつしたハンマーが
硬い岩から人間の姿を形作るとき
それはなにものをも創造することはできないのだ、
その一撃を指示する親方なしには。
(打楽器を多用する間奏)
だが神のハンマーの領域では
喜びをこの世に伝授する。
彼のハンマーは根源的な道具だ
(人間の使う)あらゆるハンマーを生み出すための。
(ホルンの雄叫び)
より高々と、腕は鉄床(かなとこ)の上に振り上げられ
より重くたたき下ろされる。(ホルンの雄叫び)
いまやそれは私を超えて空高く振り上げられる。
私は、石の塊の中で固くなる
職人である主が――まさにかのお方が!――
ハンマーの一撃をお使いになるのを躊躇している間は。
(打楽器を多用するコーダ)
第9曲「夜」 (対話)
<歌詞>
詞:ミケランジェロ・ブオナロッティ
訳:アブラーム・エーフロス
(ヴァイオリンの夜のモチーフ)
(第1曲目の冒頭や交響曲No.4に現れる「眠りのモチーフ」:ミュートホルン)
(ジョバンニ・ストロッツィからの「夜」に対する賛辞)
安らかに眠っているように見える「夜」の像は、
天使によって刻まれたのだ:(夜のモチーフ、眠りのモチーフ)
彼女は石でできているが、生きている。目覚めさせよ、そうすれば話すだろう。
(夜のモチーフ、眠りのモチーフ)
(交響曲第14・第10曲目の「詩人の死のモチーフ」)
(ミケランジェロの応答)
私には、眠りは心地よい、だが石であることはもっと心地よい、
辱めや罪ばかりに囲まれるときには。
それを感じず、それを見ずにいるのは救いだ。
今は静かにしてくれ、友よ、何故私を起こすのだ?
(夜のモチーフ、眠りのモチーフ)
第10曲「死」
<歌詞>
詞:ミケランジェロ・ブオナロッティ
訳:アブラーム・エーフロス
(第1曲冒頭の怒りのモチーフ、眠りのモチーフ)
私の死は確実に来る、だがいつかは知らない。
私の人生はペースを速める。
肉体はいまだ官能の喜びを求めるが、
魂は死を望んでいる。
(葬送行進曲:トロンボーン)
この世は盲目で、恥辱が支配し、
正直を負かして邪悪が凱旋する。
もはや希望はなく、憂鬱が覆いつくしている。
そして虚偽が君臨し、真実はその瞳を閉じている。
(詩人の死のモチーフのハーモニーだけ)
いつなのですか、主よ、約束が果たされるのは?
その遅れが、あなたを信じている者たちの信念を弱め
圧迫が魂を押しつぶす。
(詩人の死のモチーフのハーモニー、葬送行進曲)
我らを救済する光は何でしょうか、
一旦寿命で死んでも、永遠に
今の恥辱の状態が続いたままなのですか?
(第1曲冒頭の怒りのモチーフ、眠りのモチーフ)
第11曲「不滅 」
<歌詞>
詞:ミケランジェロ・ブオナロッティ
訳:アブラーム・エーフロス
(ピッコロによるベートーヴェン交響曲第5番フィナーレのパロディ)
ここで、運命は私に永遠の眠りをもたらした、 (チェレスタ)
だが私は死なない、地中に埋められたとしても。
私はお前の中に生き、その哀歌に耳を傾ける、
そのようにして、友の中に、友を映し出すのだ。
(ベートーヴェン交響曲第5番フィナーレのパロディ)
(暗く深刻になって)
私が死んだとしても、この世に対する慰めとして、
幾千もの魂とともに、私は愛する人々の心の中に生き、
そして、それは私が塵でないことを意味する、
肉体的な崩壊は、私には関係ないのだ。(繰り返し)
(ベートーヴェン交響曲第5番フィナーレのパロディの伴奏のみ、チェレスタ、ハープ)
(あっけなく終了)
3.お薦めCD
最近、ショスタコーヴィチの交響曲のCDはかなり増えてきましたが、この「ミケランジェロ組曲」のCDはほとんどありません。
数少ないCDとして、下記のものがあります。
ショスタコーヴィチ/歌劇「ムツェンスク郡のマクベス夫人」、歌曲集 5CD
↑ ショスタコーヴィチの歌曲を一通り網羅したセットです。「ミケランジェロ組曲」は管弦楽伴奏版(レイフェルクスの独唱、ネーメ・ヤルヴィ指揮エーテボリ管弦楽団)とピアノ伴奏版(シャーリー・カークの独唱、アシュケナージのピアノ)の両方が収録されています。
ショスタコーヴィチ/ミケランジェロ組曲、ミハイル・ユロフスキ指揮ケルンWDR交響楽団
↑ 最近ロンドン・フィルの常任指揮者として頭角を現しているウラディーミル・ユロフスキの父親の方です。