エイゼンシテイン監督のソ連映画「十月」は、1928年に制作された無声映画であり、オリジナルには音楽は付いていません。
1966年にリメイクされたときに、音楽としてショスタコーヴィチの作品が使われました。ショスタコーヴィチの音楽はこの映画のために作られたもののではなく、かつ音楽の選択についてショスタコーヴィチ自身は関与していません。
ショスタコーヴィチは1967年に革命50周年を記念して交響詩「十月(革命)」作品131を発表しており、本人としてはこれを映画に使うつもりだった可能性もあります。
ただし、こちらの方は映画には全く使われていません。
映画は革命10周年を記念して制作され 1928 年に公開されています。革命の舞台となったペトログラードの街並みや登場する人物の顔や着ている制服、使われている「旗」や「看板」などで、誰、どこ、どの組織か、といったことが観客には生々しい記憶として残っていて、画像を見るだけで解説なしに判断できていたものと思います。
それを現代の日本人が見ても全くピンと来ないし、ましてやロシア革命そのものを詳しく知らないと、映されているものが何なのか「字幕」があっても理解できません。
ということで、分かる範囲で解説してみたいと思います。
私もそれほど詳しいわけではないので、一応知っておいた方がよい程度の一般常識程度の説明です。(詳しく正確に知りたい方は、ご自分でそれなりの検索や調査をしてください)
1.映画「十月」の全編映像
便利になったもので、映画「十月」の全編を YouTube で見ることができます。
ただし日本語字幕のものはないようで、リファレンスとしては下記の英語字幕版を使います。
セルゲイ・ミハーイロヴィチ・エイゼンシテイン(1898〜1948)
エイゼンシテインのお墓
(モスクワ、ノヴォデヴィチイ墓地、2013年に墓参)
2.ロシア革命の簡単な経過について
まずは、映画の前に、ロシア革命の簡単な経過について書いておきます。
(ロシア革命までのロシアの歴史はこちらなどを参照ください)
(1)ロシア革命の始まりは、1917年2月23日に、長引く第一次大戦下で食料事情や生活が苦しくなった一般市民(都市労働者、農民など)が、ロシア帝国の首都ペテログラードでの「国際婦人デー」のデモに合流し、「パンよこせ」デモとなって宮殿に向かい、守備隊と衝突する事態になったことでした。1905年の惨劇(血の日曜日)を知っている兵士は発砲を拒んで民衆側に付くなどしてデモは日に日に拡大し、要求も「戦争反対」「専制打倒」へと過激化して行きました。
皇帝は第一次大戦の指揮のため前線にいて、首都鎮圧のため軍を派遣を命令しますが、軍は動きませんでした(約半分が革命側に寝返り、約半分が中立を保ったらしい)。
この事態に対応するため、国会(ドゥーマ)で多数を占める民主的な立憲国家を目指す「立憲民主党(カデット)」中心の臨時内閣が2月27日に成立します。
臨時内閣の説得により、皇帝はついに後継者無しで 3月15日に退位することとなります。これが「二月革命」です。
(この辺の出来事は、国会を中心とした臨時内閣の成立、皇帝自身の退位といった合法的な手続きによって推移しました。日本の徳川幕府の大政奉還のようなものなのでしょう)
(2)しかし、当時の国会は一種の皇帝の諮問機関であり、旧皇帝の取り巻きも含めて貴族や大地主の利益を代表するものだったので、デモの主体であった労働者、市民、兵士はその要望・意見を集約するために自主的な「評議会」(ソビエト)を、やはり2月27日に結成します(こちらは法的な根拠なし)。
当初のソビエトを統率した「社会革命党(SR:ロシア語の発音で「エスエル」)」、「ロシア社会民主労働党」の主流であった「メンシェヴィキ」は、法的な正統性を持つ臨時内閣を支持し、当面は臨時内閣が政権を運営しました。(2月〜7月)
臨時内閣は、同盟国であるイギリス・フランスとの協定を維持して第一次大戦を継続したため、早期停戦を求める労働者や市民たちには不満が募りました。
(3)そんな中、4月にレーニンが亡命先のスイスから帰国します(交戦相手のドイツがロシアを混乱させるためにスイスから列車を仕立てて国内を通過させた)。
レーニンは「ロシア社会民主労働党」の少数派であった「ボリシェヴィキ」を率いて、「臨時政府」を否定して「すべての権力をソビエトへ」という「4月テーゼ」を発表します。しかし、この時点では「ボリシェヴィキ」は少数派に過ぎませんでした。
(4)二月革命から5ヶ月経った7月には、戦争継続のため食料事情がますます悪化し、反戦要求が拡大します。そんな中、ペトログラード防衛軍であった「第1機関銃連隊」が戦況の悪化により前線に送られることになり、この連隊と一部の労働者、市民、兵士がボリシェヴィキの指揮下で「即時停戦」を要求して武装蜂起します。
しかし、この時点ではソビエト(エスエルやメンシェヴィキなどの穏健社会主義者が多数を占めた)は武装蜂起を支持せず、蜂起は政府軍によって鎮圧され、ボリシェヴィキの主要メンバーは逮捕されてレーニンも地下潜伏を余儀なくされます。(このとき、レーニンは一時ラズリーフ湖畔に潜伏し、そこからヘルシンキに逃れます。交響曲第12番の第2楽章「ラズリーフ」はこの湖です)
「7月蜂起」と呼ばれます。
(5)7月蜂起鎮圧後、臨時政府首相に穏健社会主義者である社会革命党(エスエル)のケレンスキーが就任します。それに対して軍の総司令官であるコルニーロフ将軍(保守派)は自由主義政権の樹立(ある意味で帝政ロシア的社会の復活)を掲げて8月にクーデターを起こし、首都に進撃します。
ケレンスキー首相はコルニーロフを軍司令官から解任するとともに、投獄されていた7月蜂起の逮捕者やボリシェヴィキを釈放して、ソビエトの労働者・市民とともに「赤衛隊」を組織して首都防衛に立ち上がりました。
ペトログラードに迫った反乱軍は、ソビエトの労働者・市民の説得を受け、無血でクーデターは失敗に終わります。
このクーデターをきっかけに、ケレンスキー内閣の無力さが露呈するとともに、ボリシェヴィキ支持が一気に高まりペトログラード及びモスクワのソビエトではボリシェヴィキ中心の執行部が選出されます。
(6)9月に、ケレンスキー内閣は11月12日に憲法制定会議の選挙を、11月28日に憲法制定会議の開催を決めました。
民主的な選挙では過半数を確保できないと考えたボリシェヴィキは、ドイツ軍からの首都防衛のためソビエト内部に設立された「軍事革命委員会」の主導権を握り、10月10日のボリシェヴィキ中央委員会で選挙前に武装蜂起することを決定します。
この武装蜂起をボリシェヴィキ単独ではなく、ソビエトの名の下に行うことがレーニンの狙いだったようです。ボリシェヴィキの指示のもので、ソビエト軍事革命委員会内で武装蜂起の準備が進められます。
(これは「非合法」な手段であり、ソビエト内部でも喧々諤々の議論があったようです)
(7)10月21日に、ソビエト軍事革命委員会はペトログラード防衛軍を支配下に置くと宣言します。
そして、10月25日までに、ソビエト軍事革命委員会は鉄道、郵便、電信電話、電力会社、路面電車や橋梁などの首都のインフラを掌握します。
これに対して冬宮のケレンスキー内閣は、守備隊や軍士官学校などに集結を呼び掛けましたが、ソビエトとの交戦を望まず、士官学校生、コサック兵の一部、地方からの女子決死隊など数百人規模が集まったに過ぎませんでした。
10月25日に、レーニンはケレンスキー内閣に降伏・辞職を勧告しますがケレンスキー内閣は拒否。
同日夜9時40分に、ネヴァ河に停泊していた巡洋艦オーロラ号からの空砲を合図に、ケレンスキー内閣のいる冬宮への攻撃を開始。冬宮に立てこもった守備隊はほとんどが事前に退去あるいは投降し、ほとんど流血なしで事態が進展したようです。
翌26日午前2時に閣僚らは逮捕され、ケレンスキー首相は逃亡しました。
これにより臨時政府は消滅しました。
蜂起直前の25日午後3時から第2回全ロシア労働者・兵士ソビエト大会が開催され、まだケレンスキー内閣が存在していたにもかかわらずレーニンは勝利宣言し、最高幹部会選挙ではボリシェヴィキが過半数を占めました。これにより、武装蜂起による政権奪取は「ソビエト大会」の支持のもと行われたように見せかけられました。現実には、社会革命党やメンシェヴィキなど武装蜂起に反対するメンバーも多かったものの、決議に反対して退席したことでボリシェヴィキが「多数派」になったようです。
そして、27日のソビエト大会で政権のソビエトへの移行が宣言され、レーニンを議長とする「人民委員会議」が選出され、これが事実上の内閣となって政権が運営されることになります。
これらの一連の武装蜂起による政権奪取が「十月革命」と呼ばれます。
(上記の日付は当時のロシア歴であるユリウス暦に基づくもので、西欧及びその後のロシアで使われるグレゴリオ暦とは13日のずれがあります。新暦(グレゴリオ暦)では11月の出来事になります)
3.映画「十月」の進行
ちょっと長くなりましたが、これらの経過と映画「十月」の内容を対比させると、映画の内容が理解できると思います。
(以下、時間は掲記の YouTube の英語字幕映画の時間です)
00’ 00" 〜:字幕。音楽はSym.11の第1楽章。
(いかにも、この映画が革命の記録映画であるかのような内容。ソ連映画では、この部分はナレーションです)
01’ 20"〜:映画のタイトル。ウラディーミル・ウリヤノフ(レーニンの本名)の言葉が表示される。音楽はSym.12の第1楽章冒頭。
02’ 15"〜:二月革命で民衆に引き倒されるロシア皇帝の像。音楽はSym.12の第1楽章続き。
04’ 30"〜:臨時政府の誕生。音楽はなく、教会の鐘の音。登場する面々はおそらく臨時政府のメンバーなのでしょう。
05’ 20"〜:ドイツ軍との第一次大戦の前線。帝政の崩壊により停戦になると考えたドイツとロシアの兵士が仲良く談笑する光景のようです(見る人が見れば、鉄兜などから誰がどの軍隊かがわかるのでしょう)。音楽はSym.12の第1楽章続き。
07’ 00"〜:しかし、臨時政府は旧態依然の状態で戦争を継続する。最前線は再び砲弾の嵐と巨大な殺人機械に蹂躙される。音楽はSym.12の第1楽章続き。
08’ 35"〜:食料の不足はますます深刻になり、ロシアには寒さと飢餓が蔓延する。音楽はSym.12の第2楽章。
09’ 40"〜:4月3日。そんな中、スイスからレーニンが帰国する。音楽はSym.12の第2楽章、ホルンのコラール。レーニンが現れると音楽はSym.12の第1楽章。
12’ 00"〜:7月蜂起。音楽はSym.11 の第2楽章(暴動と弾圧の音楽)。
6月に開かれた第1回全ロシアソビエト会議では、議論百出と内部分裂で収拾がつかなかった。
そんな中、一部の兵士が勝手に蜂起して騒乱状態となり(映画ではクロンシュタットの水兵が武装蜂起し、デモ隊に政府側の守備隊が発砲したように描かれている)、臨時政府を支持するブルジョア市民たちは騒乱の首謀者はボリシェヴィキと決めつけて嫌悪し(映画ではご婦人方がそれを象徴)、臨時政府も騒乱の鎮圧とボリシェヴィキ逮捕を命じました。
その結果、騒乱に加わった第1機関銃連隊や労働者は「裏切者」「反逆者」と呼ばれ、ボリシェヴィキ本部も破壊された。
22' 15"〜:ケレンスキー首相と臨時政府。音楽はチェロ協奏曲第2番の第2楽章。
皇帝と何ら変わらない「独裁者」として描かれている。
26' 20"〜:7月蜂起で逮捕された者たち。7月6日、臨時政府はレーニンを逮捕するよう命じた。
27’ 00"〜:おそらくラズリーフ湖。レーニンはここに潜伏。音楽は Sym.11 の第1楽章冒頭。
27’ 30"〜:ケレンスキー首相はまるで皇帝。ナポレオン像がモンタージュされる。音楽はチェロ協奏曲第2番の第2楽章。
30’ 10"〜:8月のコルニーロフ将軍のクーデター。コルニーロフ将軍は「神と祖国の名において」といったスローガンを掲げたのでしょうか。映画では「神」を実に怪しい邪悪なもの、「祖国」を帝政復活として描いています。ここでもナポレオンがモンタージュされます。
そして迫りくる反乱軍にケレンスキー首相も閣僚もおびえ、労働者とボリシェヴィキが立ち上がり、逮捕者を釈放して首都防衛に立ち上がる。音楽は Sym.12 の第3楽章の最後から第4楽章。
38’ 00"〜:首都ペトログラードをクーデター軍から防衛する労働者たちは、鉄道を破壊して進軍を阻止する。クーデター軍(おそらくコサック兵)とボリシェヴィキは対峙して一触即発となるが、ボリシェヴィキの主張「パン、平和、国土」によりクーデター軍は和解する。音楽は Sym.12 の第2楽章。
クーデター軍を構成していたコサックなどの様々な民族が融和した光景が描かれる。
43’ 00"〜:10月10日。ボリシェヴィキ中央委員会で武装蜂起が討議される。音楽はSym.11 の第2楽章。
「トロツキーは延期を主張した」とあるが、この映画制作時点でスターリンはトロツキーを党の役職から解任し、1929年には国外追放されていることから、意図的にトロツキーを悪く描いていると考えられます。現実には、十月革命でトロツキーの果たした役割は大きかったのですから。
結果として、レーニン提案の武装蜂起が決定される。
46' 00"〜:10月24日。潜伏していたレーニンは、変装してボリシェヴィキ本部(スモーリヌイ)に現われ、蜂起の指揮をとり始めた。音楽はSym.11 の第2楽章。
47' 10"〜:労働者たちの武装蜂起の準備。音楽はSym.12 の第3楽章。
メンシェヴィキはそれを冷ややかに眺めている。
各地から労働者や兵士が結集し、持ち場に配置される。
51’ 10"〜:10月25日。巡洋艦オーロラ号がネヴァ河に現われる。音楽はSym.11 の第2楽章。
電話局はボリシェヴィキに押さえられていて臨時政府からの電話はつながらない。コサック兵は中立を保つ。
54’ 50"〜:ソビエトから国民向けのアピール「ロシア国民に告ぐ」。ケレンスキー首相は冬宮から逃亡する(なぜか自動車には星条旗が・・・)。ケレンスキーを支持するものはいない。音楽はチェロ協奏曲第2番の第2楽章。
(映画では、ケレンスキー首相は冬宮に留まらずにさっさと逃げ出したと描かれている)
56’ 25"〜:冬宮には守備のため士官学校生がやって来る。人数は少なく、指揮官は「援軍が来る」と説明する。
57’ 15"〜:地方からの女子決死隊。音楽はバレエ音楽「ボルト」から「ヴァリアシオン」(トロンボーンのグリッサンドが滑稽)。
冬宮前にはバリケードも築かれる。
1°00' 00" 〜:ソビエト側の準備は進み、兵士の代表は第2回ソビエト大会に向かう。前線やロシア各地からの代表も続々集って来る。音楽はSym.12 の第2楽章。
1°00' 50" 〜:臨時政府は機能不全であったがまだ存在していた。リーダーであるケレンスキーは逃亡して不在。残った閣僚は「憲法制定会議が唯一の合法的政府である」との声明を作成。
1°03' 10" 〜:10月25日夜、第2回ソビエト会議が始まる。そんな中、軍事革命委員会では武装蜂起の計画が作成されて行く。音楽はSym.12 の第2楽章が静かに続く。
1°06' 30" 〜:ソビエト会議での議論が進む。
1°08' 00" 〜:メンシェヴィキとエスエルの提案は否決され、ボリシェヴィキの提案が採択された。武装蜂起に向けて動き出す。音楽はSym.12 の第3楽章の号砲部分から第4楽章へ。
1°09' 50" 〜:冬宮に対峙する赤衛軍の最前線。冬宮に立てこもる臨時政府に投降を呼びかける伝令を出す。返事を待つが返答はない。音楽はSym.12 の第1楽章。
1°13' 50" 〜:冬宮内の閣僚、守備兵たちの不安・動揺。音楽はSym.12 の第1楽章。
1°15' 00" 〜:冬宮内の女子決死隊の不安。ロダンの彫刻「春」がモンタージュされる。次々と投降者が現れる。音楽は不明(「馬あぶ」の「Introduction」に雰囲気が似ているが異なる)。
1°16' 40" 〜:冬宮に潜入した部隊が、コサック兵などを説得。ロシア人指揮官がコサック兵に高飛車に接するので、コサックや女子決死隊は反発し、おそらくロシア人将校を殺したのでしょう。
冬宮内では豪華な食事が準備されている光景も映し出されます。
臨時政府は士官学校生に檄を飛ばすが士気は上がらない。(ボリシェヴィキはドイツのスパイだ、と言っている)
潜入部隊の説得によりコサックは戦闘を放棄する(武器を封印する)。
1°21' 40" 〜:「軍はボリシェヴィキに味方しない」という上層部に対して、兵士たちは次々にボリシェヴィキ支持を表明する。コサック兵も寝返った。
降伏勧告に対する臨時政府からの返答はなく、メンシェヴィキは依然として蜂起に反対。音楽はSym.11 の第2楽章。(ハープのモンタージュは「まだそんな甘いことを」ということか)
ボリシェヴィキの「議論のときは過ぎた」が拍手喝さいを浴びる。
1°28' 40" 〜:そして、10月25日夜10時、オーロラ号からの空砲を合図に武装蜂起が始まる。
1°29' 00" 〜:救国革命委員会にペトログラード市長がやって来るが、追い返される。音楽はバレエ音楽「ボルト」から「ポルカ」。
1°30' 40" 〜:武装蜂起の光景。音楽はSym.11 の第4楽章。
宮殿のワイン倉庫がすごいです。
皇帝の優雅な暮らしや、降伏した守備隊は宮殿の財宝やワイン、食器などを盗んで持ち出そうとしていたという光景も映されます。皇帝や反革命に対する憎悪感を持たせるためでしょう。
1°38' 30" 〜:日が開けて10月26日午前2時、蜂起部隊は臨時政府の立てこもる部屋に到達。ケレンスキー首相以外の閣僚を逮捕して臨時政府は消滅します。日付としては「10月25日」とされています。音楽はSym.12 の第4楽章終結部。
そして、10月26日には、ソビエト会議でレーニンが勝利宣言を行い、「平和に関する布告」「国土に関する布告」が採択されます。
(映画終わり)
音楽としては、ショスタコーヴィチの下記楽曲が映像に沿って使われています。(参考音源の YouTube の演奏は、映画の演奏とは全く関係ありませんので念のため)
・戦闘準備や戦闘シーンに交響曲第11番「1905年」の第1楽章、第2楽章、第4楽章
交響曲第11番「1905年」 セミヨン・ビシュコフ指揮 WDR(西ドイツ放送)交響楽団
00:00 T.アダージョ 〜 冬宮前広場
14:38 U. アレグロ 〜 1月9日
33:10 III アダージョ 〜 永遠の記憶
45:20 IV. アレグロ・ノン・トロッポ 〜 警鐘
・全編にわたって、交響曲第12番「1917年」の全楽章
交響曲第12番「1917年」 エフゲニ・ムラヴィンスキー指揮 レニングラード・フィル
01:03 T. 革命のペトログラード
13:15 U. ラズリーフ
24:45 V. アウローラ
29:42 W. 人類の夜明け
・臨時政府、ケレンスキー首相の場面にはチェロ協奏曲第2番の第2楽章〜第3楽章。
チェロ協奏曲第2番 アルバン・ゲルハルト(Vc)、ユッカ・ペッカ・サラステ指揮 WDR(西ドイツ放送)交響楽団
00:00 T. ラルゴ
11:57 U. アレグレット
16:36 V. アレグレット
・臨時政府の関係者の場面にはバレエ音楽「ボルト」の「ヴァリアシオン」「ポルカ」
バレエ音楽「ボルト」より「ヴァリアシオン」 リッカルド・シャイー指揮 フィラデルフィア管弦楽団
バレエ音楽「ボルト」より「ポルカ」 リッカルド・シャイー指揮 フィラデルフィア管弦楽団
