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Evolution

  • 著者:スティーヴン・バクスター (Stephen Baxter)
  • 発行:Gollancz (2003)
  • 2004年5月読了時、本邦未訳
  • ボキャブラ度:★★★☆☆
     ※個人的に感じた英単語の難しさです。

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 人類の進化と退化が、6500万年前から5億年後まで19のエピソードで描かれます。

 バクスターの油の乗った時期の作品だったのですが、発表当時ほとんど評価されずSF賞の候補にもなりませんでした。にもかかわらず、なぜか一部のSFファンには強く支持されています。本書は、おそらくバクスターにしか書けないし、また書こうする人もいない〈怪作〉に属する一冊でしょう。


 本書の特徴として、まず、一般的な小説の体を欠いていることが挙げられます。一応、短編集の形態を取っているので各エピソードにはそれぞれ主人公がいますが、半分以上は知性を持たない動物で、感情移入は困難です。多くのエピソードでは、主人公は捕食者や環境の変化に翻弄され、抵抗むなしく死んでいきまず。中盤に登場する古代〜現代の人類も、自ら引き起こしたテロと環境破壊で自滅する種の一つにすぎません。地球すら、大陸移動が停止した後は、小さな石屑として銀河の中にまぎれ見えなくなっていきます。


 日本人なら、嫋々と無常感が欲しくなるところですが、あらゆる情感は排除されていて、ただ広漠たる時間の中で、偶然に生まれ苦闘し砂に帰っていく生命の姿だけが列挙され、それぞれのストーリーには感動も教訓もオチもないのです。延々と続く救いのない絶望の連鎖を読み切るのは、バクスターの愛読者にしても苦痛です。


 それでも、少数ながら高く評価するファンが存在するのはなぜなんでしょう。そのキーは〈究極の観察者〉の視点ではないかと思い付きました。SFファンならご承知の通り〈究極の観察者〉は、ウィグナーが「シュレディンガーの猫」実験を拡大して仮定した存在ですが、バクスターは「時間的無限大」などで度々その概念を登場させています。理論的な定義はさておき、バクスター作品における〈究極の観察者〉のとは、「生命の発生も絶滅も、喜びも絶望も、一切干渉せず全てをあるがままに観察し寿ぐ(ことほぐ)観察者」というイメージかと思います。バクスターにおいては〈究極の観察者〉=〈究極の好奇心〉といえるかもしれません。


 本書は、人類の知性はどう生まれたのか、人類はどう滅ぶのか、その後の地球はどうなるのか、まさに〈究極の好奇心〉に応える形でひたすらビジュアルに綴られます。

 「ぼくのかんがえた地球の末路」という妄想に思わずドーパミンを放出してしまう、どうしようもないハードSF脳を持った人(バクスター自身を含む)が、本書を支えているのだと思います。


 さて、バクスター流の〈究極の観察者〉視点には、「宇宙SM」というもう一つの側面があることを指摘しておきたいと思います。地球の破壊、人類の絶望や絶滅を、発展や希望と同等に寿ぐわけですから、これはもうサド・マゾの極致です。我々は、怪獣映画で自分の暮らす都市を破壊することにカタルシスを感じますが、それを宇宙規模に拡大したものがバクスター作品の魅力なのだと思います。バクスターに〈宇宙SM作家〉の称号を贈りたいです。


 なお、本書では、人類文明はテロや紛争が続発する中で2031年にラバウルで起きる地球規模の大噴火によって終焉を迎えます。ホモサピエンスはついに地球から飛び出すことなく、衰退し退化していきます。現実の世界を見る限り、最も可能性が高そうな未来予測に思えてしまうのが、なんとも残念ではあります。





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