二兎を追う者は一兎も得ず。
人生では、何かをあきらめることで道が開けることがよくあります。中高年になってペーパーバック読書を始める場合の切り札が〈読むだけ英語〉です。
ここに密かに襤褸の旗を掲げ「読むだけ英語党」を宣言しましょう。
読むだけ英語のメリットを理解するには、日本人が英語を苦手とする原因を確認しておく必要があります。
まず第一の原因は、英語と日本語が言語学的に極めて遠い言語であることです。
これは英語側から見ても同じです。アメリカ国務省では、外国語をアメリカ人から見た習得の困難さでレベル分けしています。その中で、日本語は最も難しい言語である「カテゴリ3」に分類されています。習得に要する学習時間も示されていて、ドイツ語やインドネシア語などアメリカ人にとって覚えやすい「カテゴリ1」の言語では750〜900時間ですが、日本語ではなんと2200時間となっています。しかも、その学習期間の半分は留学が必要とされているのです。逆も真なりで、日本人が英語を学ぶ場合も同じ以上の時間がかかることになります。ちなみに日本の英語の授業時間は中高6年間で720時間で、国務省基準の3分の1しかありません。
一方、リスニングと発音については、日本人が一方的なハンデを負っています。音素(子音+母音)の数が、日本語は24個しかないのに英語は44個もあり、RとLのように日本人にとって発音・聞き取りが困難な音素が多く存在するからです。これに対し、アメリカ人は聞き取れる音の範囲が広いので、日本語の音にすぐに慣れることができます。このため、日本人が英語のリスニング・発音を習得するには、アメリカ人が日本語を学ぶ場合よりずっと多くの時間が必要ということになります。
日本人にとって英語のマスターが難しいのは、持って生まれた宿命なのです。
原因の2つめに、日本人の9割は英語が使えなくても生活に支障がないことがあげられます。日本は、明治時代に先人が翻訳文化を完成してくれたお陰で、母国語だけで高度な大学教育と産業が成立する世界的でもまれな幸せな国になりました。
しかし、英語が必要ないということは、英語を使うチャンスもないということでもあります。使わければ記憶はどんどん薄れ、学ぶモチベーションも低下します。
このため、英語を使う機会のない日本人が、英会話を習得してその能力を維持しようとすると、英語学習業界に際限なく時間とお金を貢がなければなりません。ちなみに、2013年の経産省調査によると、英会話教室の生徒数は449万人に達する一方、日本人のTOEFLやTOEICの成績は相変わらず低迷したままです。
原因の3つめは、「英語は聞く・話す・読む・書くのフルセットで習得すべき」という根強い思い込みです。私はこれを「フルセット英語の呪い」と呼んでいます。
一見もっともな見解ですが、学習時間が必要の半分以下で、実際に使うチャンスがなければ、どの技能も実用レベルに達するはずはありません。しかし、誰もその矛盾を疑わないのです。
また、生活で必要がなければ、英語習得への切実なモチベーションが湧くわけがありません。このため学校で一つの技能でつまずけば、読むことも含め英語学習は単なる苦行になってしまいます。大多数の日本人にとって、フルセット英語は百害あって一利なしだと思いますが、教育関係者自身がこの呪いに侵されているのですから今後も状況は変わらないでしょう。
多くの中高年は、このような環境下で教育を受け英語自体にトラウマを抱いています。そのため、ペーパーバックに興味があっても、手が出せないままにあきらめている人は相当の数になるはずです。
実は、私もその一人でした。
ところが、中高年でも必ず実用レベルに到達できる学習法が、目の前にあったのです。
私自身、中年になってから「未訳のペーパーバックを読みたい」という動機だけで英語に再挑戦した結果、発見した事実です。
「発音できない単語は覚えられない」、「書くことが習得の早道」など、今でも英語は4技能をセットで学習すべきと教えられています。しかし、これは真っ赤なウソです。フルセット英語の呪いが生んだ、都市伝説にすぎません。
「書く・聞く・話す」の3技能がなくても、「読む力」は確実に身に付きます。現に私は、スペリングや発音練習を全くしないまま、ペーパーバックを読めるようになりました。高校まで英語を学んだ人なら、楽しみながら毎日30分読書を続ければ、1年少々、約200時間で実用レベルにたどり着けるはずです。リスニング力の獲得に必要な2000時間の10分の1です。オバマ大統領の演説も”英語の字幕が出れば”ほとんど理解することができるようになります。もちろん全く聞き取れませんが…(^ ^;)
ペーパーバック読書には、中学高校の英語の基礎さえあれば、あと一歩、わずか200時間読書を実践するだけでよかったのです。それなのにフルセット英語の影におびえ、開かれたドアの前で立ち止まっていたなんて…。なんともったいない!
読むだけ英語が短期間で実用になるのには、ちゃんとした理由があります。
一つは、外国語習得の要である「使うチャンス」が爆発的に増えることです。ネットや電子書籍の普及により、新鮮で面白い英文を好きな時に読むことができます。自分が興味のある英文なら「読むこと自体がすでに実用」ですから、毎日続けるモチベーションが保てます。
これに対し、英会話は国内では相変わらず使うチャンスがほとんどないので、いつまでたっても「お勉強モード」から抜け出せないのです。
二つ目は、電子書籍や機械翻訳など支援ツールの充実です。ワンタッチ検索が実現したため、紙の辞書の何十倍も調べやすくなりました。また、スムーズな読書には基本単語の記憶は不可欠ですが、こちらもスマホのアプリなど単語記憶ツールの進化により、学習効率は劇的に向上しています。
このように読むだけ英語を習得する環境は、かつてなく整っています。
最後のそして最大のカギは、活字中毒の中高年なら必ず持っている「読みたい」というモチベーションです。ぜひ、最初の一歩を踏み出してください!
それでは船出の前に、「読むだけ英語」へのチャートをご紹介します。
長旅のコツは荷物を最小限にして身軽になることです。心の重荷を捨てましょう。まず、フルセット英語をあきらめること、そして、完璧志向と他人に褒められたいという我欲を捨てます。読むだけ英語は、あなたの余生をのんびり、ひっそり楽しむための道具と割り切ります。
次に、3つのルールを声に出して読んでください。
限られた時間と気力を、英文へ慣れと語彙の増量に集中する作戦です。余計な作業を排除することで「英語読みの力だけ」を短期間で実用レベルに引き上げることができます。
足腰の鍛錬として、1か月間、基本単語の詰め込みをお勧めします。時間が取れるなら、読書と同時進行のほうがいいでしょう。電子化で楽になったとはいえ、1ページで何度も辞書を調べていては本を開くこと自体が苦痛になってしまいます。基本単語はできるだけ早い時点で身に付けると後が楽です。
中高年にとって、スタートアップの単語記憶は最大の難関です。しかし、これを乗り越えるとその後の読書が楽になるだけでなく、せっかくの努力を無駄にしたくないという気持ちがモチベーションの支えになってくれます。
社会人になってから全く英語に触れていない人の場合、スタートアップとして1,000語程度の英単語を覚え直す必要があります。無謀に思えますが、経験上、50歳過ぎても単語はちゃんと覚えられます。電子辞書のほかweblio英単語帳やスマホアプリなど、効率的な学習支援ツールがたくさんありますので安心してチャレンジしてください。この努力は、これからの人生で必ず元が取れます。
単語記憶を決心したら、まず市販の単語集を1冊買いましょう。新品のほうが新鮮な気持ちで臨めますよね。スマホアプリにも優れたソフトがありますが、これから行う記憶方法では一覧性が重要なので、紙の本の方がお勧めです。
単語帳は、とりあえず1か月間で最低一巡、読み込みます。ポイントは学生時代のように1個づつガリガリと記憶しないこと。単語集の意味欄をシートで隠して、ページごとにざっくりと記憶します。「この単語見たことあるな」程度のうろ覚えでいいのです。記憶に自信がなくても1か月間で集中記憶は終了し、読書モードに移ります。
期限を区切る理由は、中高年は集中力が維持できないうえに、単調な記憶作業では覚える片端からどんどん忘れていくからです。
なぜ、うろ覚えで読書モードに移るのかは、のちほどご説明します。
単語集は、特にこだわりがなければTOEFL用がお勧めです。TOEFLは英語圏で学生生活が送れるかを確認するテストなので、大学受験、TOEIC用などと比べ、小説に出てくる単語の出現率が高いからです。
私は「TOEFLテスト英単語3800」を使いました。高校1年レベル(Rank1)から載っているので入門から使えるうえ、Rank4ではSFに出てくるような専門的な単語も含まれます。付属のCDは単語を英語-日本語の順に発音しているだけなので、短時間でざっと記憶チェックをするには便利です。
基本とする単語集は浮気せず、1冊にしぼってください。中高年の場合は、その後もどのくらい忘れたのかチェックするペースメーカーとして使うことになるからです。私も最初に使った1冊を、十数年来、ときどき見返して記憶のブラッシュアップをしています。単語集は人によって向き不向きがあります。長く付き合う本なので本屋でじっくり眺め、気に入ったものを選びましょう。
後先が逆になって申し訳ありませんが、ここで、単語集より先に覚えるべき英単語をご紹介します。
moan , shrug , stare ……。
分かりますか? ペーパーバックを読み始めると、こんな簡単そうなのに見慣れない単語と度々出会うことになります。これらは学校やテストの英文にはほとんど出現しませんが、登場人物の表情、動作、感情や背景を描写する単語で、小説では頻繁に使われます。このため、いちいち辞書を引いていては読書のリズムに乗れません。
実は、数はそれほど多くないので、まとめて覚えておけば読み始めがかなり楽になります。しかし、このような「ペーパーバック単語」はテストにはほとんど出題されないため、市販の単語帳では重要度が低く、載っていないものさえあります。このため、私も最初のうちかなり悩まされました。
そこで、自分のために作った「ペーパーバック必須単語200語」をご紹介します。最初のペーパーバックを読む前に、一度眺めておけば、きっとお役に立つと思います。
さて、いよいよペーパーバックを読み始めるわけですが、こんな単語がうろ覚えの状態で、小説を理解することなんてできるのでしょうか?
大丈夫です。初めに手に取る本が「小説」だからこそ、読める理由があるのです。
まず、小説の場合、個々の単語を完全に覚えていなくても、案外楽に内容が理解できます。ニュースやエッセイと違って、小説には物語の流れがあり、それををたどることで意味を「想像」できるからです。
「flora ? 見たことあるな、植物関係の単語だっけ?」というレベルでも、話の前後のつながりからストーリーを追うことができます。
ちなみにフルセット英語の単語学習では、あらゆる文章や会話を想定するので、リスニング、スペル、活用形、使い方まで一語一語広く深く記憶しなければなりません。「読むだけ英語」の単語は、質より量。負担はずっと少なくて済みます。
二つ目に、「読むだけ英語」には記憶定着効果があります。
一般に、記憶は繰り返し思い出すことによって定着するといわれます。「あっ、この単語見たことがある、また出てきた!」という遭遇体験が記憶定着を促進するわけです。
単語集でぼんやり覚えた単語でも小説のストーリーの中で出会うと、疑似体験として脳に鮮明に刻まれるのです。
さらに、この遭遇・定着を最大限に活用する、究極の奥義を公開しましょう。
「読む小説を、大好きな作家一人に限定する」ことです。
作家を限定すると、出現する単語の範囲がぐっと絞られ、同じ単語と遭遇する確率が劇的に増えます。これは、小説で使われる語彙が、作家ごとに一人ひとり指紋のように偏っているために起きる現象です。実際に、計量文献学という学問では、単語の出現頻度を古典の作者を特定に利用しています。
さらに、本当に読みたい作家の本だからこそ、集中が長時間維持できるので、記憶となって残る効果も強くなります。これらの相乗効果により、うろ覚えの単語の中から、あなたにとってオーダーメードの本当に必要な単語だけが確実かつ高速に定着していくわけです。効果は必ず表れます。
最低でも半年は、一人の作家を読み続けてください。シリーズ物は、同じ世界が繰り返し描かれ遭遇率がより高まるのでお勧めです。
学生時代に教科書や問題集が単語記憶にほとんど役に立たなかったのは、これと逆の現象です。あらゆるジャンルから集められた細切れの文章では、単語の遭遇確率は限りなく低くなります。内容に興味が持てないので集中力も下がります。むしろ、忘れたい嫌な体験として忘却効果のほうが強かったかもしれません。
さて、単語集に載っていても、小説でぜんぜん出会わない単語はどうするのか?
放置しておきます。好きな作家が使わない単語は、あなたにとって重要度は低いのですから当面覚えなくていいのです。完璧をめざすフルセット英語との大きな違いです。
なお、英語業界では「さまざまな分野の本の多読」が推奨されているようです。しかし、ここまででお分かりのように、読むだけ英語を目指す中高年にとっては、絶対に避けるべき読み方です。せっかくの学習効果やモチベーションが低下し、時間の浪費につながるだけです。ニュースやエッセイも、英文に慣れ基本単語が身に付いてからのほうが無難だと思います。
「読むだけ英語」実践上の注意点をまとめておきます。
スタートで重要なのは何が何でも読みたいという欲望ですが、それさえあれば、後は一に単語、二に単語、三、四が無くて、少しの文法です。
「受験英語と同じじゃないか」ですって? いいえ、「読むだけ英語」 は次の点で受験英語と決定的に違います。
@ 見て想像できることは、覚えなくてもいい。
A うろ覚えでもOK。使えなくてもかわまない。
(英作文や穴埋め、発音ができなくても全く問題がない)
B 興味のあるジャンルに出てこない単語は、忘れてもかまわない。
(どうせ出てこないんだから)
本当にそんなことで英文を読めるのでしょうか? @の一例を示しましょう。
My opinion ア different イ yours.
英会話や受験英語では(ア),(イ)に何が入るかの文法知識は必須ですよね。
(ちなみにア=is/was、イ=from)
しかし、よく見てください。そんなこと知らなくても、日本人なら「different」の意味さえ知っていれば、この文は読めちゃうのです。differentが動詞か形容詞かさえ気になりません。なぜでしょうか。
ヨーロッパ語や中国語などの言語は文法上、語順が意味を規定します。しかし、日本語は膠着語で、語順が適当でもかまわないうえに同音異義語が多いことから、常に文脈で理解せざるを得ません。そのため、日本人の脳は文脈に対する想像力が異常に発達しており、中途半端な情報でも類推が可能なのです。(妄想です。すみません。)m(_ _)m
しかし、経験上、語彙の量さえ十分ならこの方法で英文の意味は7割は分かります。日本語だって7割理解できれば、一応「分かった」というレベルでしょう。
「英会話ができなければダメ、完璧に訳さなければダメ、英語で考えなければダメ」というフルセット英語幻想の呪縛から解き放たれたとき、その向こうには英語で書かれた広大な情報の大海があなたを待っています。
恥ずかしながら私自身、リスニングや英作文はほとんどできません(だって何の訓練もしていないので)。しかし、この方法でペーパーバックはもちろん、ブログ、ニュースも気軽に楽しめるようになりました。
さて、「読むだけ英語」は、後ろ向きの生産性のない行為にも思えます。しかし、我々は孤独ではありません。実は、隠れ「読むだけ英語党」がそこらじゅうにいたのです。
英文読書に慣れ、専門書まで手を出すようになってきたころ、はたと気が付いたことがあります。
「読むだけ英語」は、島国日本における由緒正しい外国語活用法そのものだということです。我々のご先祖様は千年以上、中国語を、正しい発音を知らないまま「漢文」として利用してきました。さらに明治以降は、欧米の書籍を「読解」して独自の文化を発展させてきました。それに比べれば、英会話なんて、わずか半世紀足らずの歴史しかないのです。
著名な知識人にも、読むだけ英語の大先輩はたくさんいます。
2008年にノーベル物理学賞を受賞した益川敏英さんも、その一人です。益川先生は英語が全く話せないため、歴史上初めて授賞式のスピーチを日本語で行ったことがニュースになりました。しかし、先生は、まぎれもなく読むだけ英語の実践者です。
「こんな僕でも、実は英語は読めます。『読む』の一技能です。だって興味のある論文は、自分で読むより仕方がない。
…(中略)… ただし、いんちきをします。漢字が分かる日本人なら漢文が読めるのと同じです。物理の世界だったら基本的な英単語は知っていますから、あとは文法を調整すればわかる。行間まで読めます。小説だとチンプンカンプンですが。」
(朝日新聞インタビューより引用)
凡人が益川先生を引き合いに出すのは僭越ですが、我々も仕事や趣味に全力で取り組む中で、必要ならば英語で読めばいい、ということではないでしょうか。日本では、英語学習という準備体操が長すぎて、いったい何のスポーツをやるつもりだったか分からなくなっている人が多いような気がします。
幸い、我々活字オタクは、面白い話を読みたいという一点についてのモチベーションだけは誰にも負けません。ですから、そこの中高年のご同輩。フルセット英語の幻想に怯えるのはもうやめましょう。残り少ない人生、英語業界に金や時間を貢いで、使いもしないスキルを嫌々身に付ける必要はないのです。
ネイティヴとペラペラ話すのはほぼ無理でも「読むだけ英語」なら、始めた日から膨大な英文情報への扉が開きます。一年後には、NewsWeekだってBBCだって、ほいほい(?)読めているあなたがいるはずです。その力は、一生使える貴重な財産となることでしょう。(ボケない限りはね(^o^;)