鉄道駅舎物語
近代化の象徴として、わが町の顔として、駅舎は人々に親しまれた。日本最古の駅舎「旧長浜駅舎」を紹介しながら、開業時の駅舎を振り返る。
日本最古の長浜駅舎
旧長浜駅舎/長浜鉄道文化館」として長浜市に保存・展示されている旧長浜駅舎は、敦賀線(現北陸本線)の起点駅、また長浜〜大津間の鉄道連絡船の駅として1882年(明治15)に開業した。
東西24.5m、南北9.7mの2階建て。石や煉瓦造が主流だった明治初期としては画期的なコンクリート造りで、入口や外壁の窓は赤い煉瓦でお洒落に縁取られている。イギリス人技師ホルサムが設計した西洋館風の駅舎だ。 内部も、柱の周囲がベンチになった三等待合室、ビロード張りの長椅子と暖炉のある一・二等待合室、荷物を保管した倉庫係の部屋、鹿鳴館調の回り階段など、明治初期の駅舎の様子をそのまま残している。公開はされていないが、2階の天井裏は、後に洋小屋組みとして普及した三角形の筋交いキングポスト・トラスが採用されており、国内ではごく初期のものといわれている。 旧長浜駅舎は1958年(昭和33)に、
現存する日本最古の駅舎建築として鉄道記念物の第4号に指定された。板張りの床の軋む音や、石灰コンクリートの厚い壁の手触りを感じながら駅の内部を巡っていると、汽車を待つ人々の喧騒や慌ただしく事務を執る駅員の姿が思い描かれる。
開業時の駅舎の機能
数ある建物の中で、駅舎ほど機能を求められた建物はなかっただろう。たくさんの乗降客の移動を、短い時間に支障なくコントロールするという、それまでにはなかったまったく新しい施設として最大限の活用が望まれた。 けれども、出改札、待合室、駅務室など駅舎の各部は、当時の駅員にとっては未知の空間だった。乗降客数も年々増加し、開業4年後の長浜駅の駅前には、旅人宿28軒、運送店15軒、飛脚業4軒、人力車72台を数える活気に満ちた主要駅となっていた。
初代長浜駅長・高橋善一が、晩年に当時を振り返って語った話が残っている。 「駅長は列車に乗って白い札と赤い札をもって、車内でこの木の札を売って歩いた。お客の出す金が天保銭あり、文久銭あり、一厘銭ありで、その銭勘定が忙しくて夜眠るひまが無い。悲鳴をあげて、井上勝鉄道局長に訴えると局長は『金は勘定しないで箱に放り込んでおけ。おおよその売り上げがいくらだったかを日報につければよろしい』と注意した」 (後略)
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