(10)東京駅開業前夜・・・当時の新聞から抜粋

 ◆東京駅の大改修が進み、開業当時のドーム天井も間もなくお目見えとなり、
 東京駅開業・開業当時の模様も改めて注目されている。
  東京駅は大正3年12月18日に開場式、12月20日に開業を迎えた。
 当時の三大紙の報道から一部切り抜きご紹介する。

  ( 旧漢字を新漢字に、句読点、改行を加えたことをお許しいただきます)
 
  
読売新聞
大正3年12月18日より

駅長の栄誉
       
 駅長の栄誉

  高橋現新橋駅長は四十余年間、鉄道院に法職し累進して現駅長の椅子に昇りたる。以来十五年間の久しきに至り、今回新築落成したる東洋第一の大停車場たる東京駅長に任命せられたる次第なるが、閑院大将宮殿下には、右の趣聞召され一昨日午後御使ひを以て御目録及銀製御紋章付煙草入の御下賜の恩命に接したるを以て駅長は御礼の為め昨日午前永田町の御本邸に参侯したるに、畏くも殿下には謁を賜ひ四十余年間終始一貫自ら鉄道に奉じたるを御嘉賞あり種々御懇篤なる御諚を拝し退出したり。

(読売新聞・大正3年1218日より)


 東京駅開業の賀儀

  東洋第一駅、帝国交通の振出しに
        大隈首相の祝辞に追懐の興あり


 神尾勝将軍を迎ふるの日、基礎工事に着手せる以来七箇年の歳月と六十万有余の人員とを使役して完成せる東京駅の開業式は挙行されぬ。

駅前には開業と凱旋とを祝する為め 大小四個の緑門を建て独墺両国を除く万国旗は縦横に吊られて茲に旗の都を現出せり。定時振鈴と共に北側休憩所(停車場出口)の柵を脱すれば来賓は式場へと向ふ。式場は南側即ち乗車客入口の広場にして休憩所よりは白煉瓦の隧道を抜けて長きプラットホームを歩みて式場に達するなり。式場は三等出札所前に緑葉と国旗を以て装飾せる屋台が設へその前面には無数の椅子を並べて来賓席となす。

 来賓一同着席終るや第二振鈴と共に首相以下各大臣大将等の面々静かに休憩室より出で古川副総裁の開会の挨拶次いで石丸技監の工事報告あり。続いて仙石総裁は立って式辞を朗読。
 大隈首相は来賓総代としてヤオラ身を起し『神尾将軍凱旋の日に開業式を挙ぐるは余の喜ぶ処なり、明治五年初めて京浜間鉄道開通の時先帝の臨幸を辱うせる時も当局として参列し四十三年を経たる今日再び当局者としてこの開業式に列し感慨無量なり。昔余と故伊藤公とが鉄道敷設を唱道せし時は軍人連は鉄道なぞ敷設されては敵が攻めて来た時に直ぐ東京に攻め入られるといふ理由にて反対せり、然るに今や鉄道の開業式に凱旋将軍を迎ふ、今昔の感更に深し』云々と居並ぶ陸海軍将星に一瞥を呉れてニッコと笑み更に鉄道に事寄せて挙国一致を説き喝采裡に着席。
 続いて阪谷市長は祝辞を朗読したる後,更に『市は記念多き新橋駅の最終の駅長にして又東京駅最初の駅長たる高橋氏に感謝状を贈れり』と述べ、古川副総裁閉会の挨拶をなし、それより階上にて茶菓の饗応をなし、来賓に随意構内を観覧せしめ鉄道院主催の開業式を終わりぬ。


  (東京日日新聞・大正3年12月19日
より)





東京日日新聞
大正3年12月19日

東京駅開業の賀儀




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