(11)東京駅開業の日・・・当時の新聞から抜粋
◆東京駅の大改修が進み、開業当時のドーム天井も間もなくお目見えとなり、
東京駅開業・開業当時の模様も改めて注目されている。
東京駅は大正3年12月18日に開場式、12月20日に開業を迎えた。
当時の三大紙の報道から一部切り抜きご紹介する。
( 旧漢字を新漢字に、句読点、改行を加えたことをお許しいただきます) 。東京日日新聞
大正3年12月20日
「東京駅愈々今日から」
東京駅愈々今日から
旧新橋駅、夜中の引越し
高橋新橋駅長も愈々昨日東京駅長に任命の辞令を受けて、本日からは東京駅が開かれることになった。昨日は閑院宮殿下から高橋駅長へ記念として銀製の巻煙草入れを賜はり、東京市長は市民を代表して感謝状を送った。
記者は昨日名残りの新橋駅を見舞うと、旅客は平日の如く雑踏はして居るが何となく慌しい気分が見える。東洋軒の食堂には東京駅に引移るから相変わらず御引立てをなどの大きなビラが貼ってある。
駅員は事務を執る合間合間に手廻りの荷物を纏めて居る。人夫は二階の日常余り使はぬ椅子を縄からげにして馬力に積んで東京駅に運んでいる。
高橋駅長は今日を名残と精々勉強して駅員を督して居たが、午後一時半頃兵頭助役が東京駅の見廻りから帰ると其俥で直ぐに東京駅へ出掛ける。東京駅では又前日開業祝ひをやった後片付けで大騒動の中に、新橋の駅員が来て営業開始の支度をする。
其処へ貨物列車が色々の道具を運んで来る。俥で飛んで来た高橋駅長はソロソロ見廻りを始める。地下の暖房機関室の火夫に石炭の焚き方を教へ、人夫に丁寧にやれと小言を云う。今迄より小さくなった駅長室に使い慣れた机を直して恰好を見る。中々忙しいことである。
愈々夜になる新橋駅は十一時三十分の横浜行き終列車が出ると、出札掛が清算した金を駅長室に持って来る。売残りの乗車券や入場券を勘定して新新橋駅長片山弓三郎氏に引渡す、序に新橋と銘打った札や箱、加之に駅員も半分許りを譲る。
この遣り取りが済むと駅員が各自に大荷物を背負って余ったものは馬力数台に積んで深夜を丸の内東京駅に運ぶ。其の中に高橋老駅長は重そうに古ぼけた椅子を二脚担いで交って居る。就いて聞くと『此の椅子は両方とも十何年と使って居たので離すのがつらいから東京駅に持って行って又使うのだ』と。
愈々東京駅に着くと徹夜で整理に懸る。斯くて本日は午前五時に最初の横浜行電車が出発し・・・(中略)因みに従来新橋に従業した駅員は大凡三百人、此の中の大部分と機関庫の六十人、検車手の六十名許りが東京駅に移り、足らぬ所は新しいのを雇入れるのださうだ。
(東京日日新聞・大正3年12月20日より)
上記記事中の
「名残りの駅長室」
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