(14)関口芭蕉庵界隈を行く・・・ 

◆駅長33回忌の新聞記事により、駅長の晩年の住居であったらしい「関口芭蕉庵」を訪ねた。(05年6月)
  江戸川橋方面から「神田川桜並木」を遡った。
  ゆったりとした遊歩道。程よい距離に休憩ベンチなども完備されていた。

 ◆高橋駅長が住んでいたのは大正12年。東京府指定史蹟になる直前ということになる。
  当時の建物は昭和13年に類焼したが、現在の芭蕉庵には昔日の面影があるという。

  
       
 関口芭蕉庵

   史蹟・関口芭蕉庵案内記

俳聖松尾芭蕉が郷里伊賀から二度めに江戸に出て、深川六間堀近くの、所謂今日の深川芭蕉庵に住みつくまでの四年間、即ち延宝五年(一六七七)当時三十四歳まで神田上水(江戸川)の改修工事を監督して、延宝八年(一六八〇)三十七歳まで、この地竜隠庵(りゅうげあん)に居住したので、関口芭蕉庵と呼んで大正十五年、東京府の指定史蹟に編入されたのである。

 そして大正十五年以来、俳壇の長老松宇伊藤半次郎氏が管理人として、昭和十八年八十五歳で病没するまで、此処に住んでいた。

 松宇在庵中、昭和十三年三月三十一日、白昼、庵は近火に類焼し、八月九日上棟復旧されたが、昭和二十年五月二十五日夜、戦災で再び消失、終戦後新築されたが、今も尚昔日の面影を多分に残している。

 

               史蹟 関口芭蕉庵案内記 より

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大正時代の関口芭蕉庵
(史蹟・関口芭蕉庵案内より)

口芭蕉庵


駒塚橋


大洗堰(取水口跡)

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