(15)神田上水取水口大洗堰

  ◆高橋前駅長の遭難現場と思われる「大滝」はどんな所であったか・・・資料を求め、想像を巡らした。
 ◆関口芭蕉庵を訪ねた折、芭蕉庵の管理人の方から 「関口台小学校・50周年記念誌」を見せていただいた。
  そこには 50年前即ち大正末期の近辺の様子を伝える貴重な写真が載っていた


 ◆遭難当時の「大滝」には、神田上水取水口大洗堰があったそうである。
  ”徳川家康の江戸入りの直後、井の頭池から発する流れに、善福寺池、妙正寺池の流れを落合であわせ、
   関口で取水して水路を定めたのが神田上水である。大洗堰で水は二分され、余水は江戸川に落とし、他
   は上水として水戸殿に給水し・・・・・以下略 ”(大洗堰跡に建つ案内板より)とあった。
 ◆その「大洗堰」のダムの中に、試乗した自動車もろとも転落した・・・・これが遭難の実態のようである。

                         
  
       


  大正時代の大洗堰  「関台のうつりかわり」より 

  ”昔の川では、よく泳いだり舟で遊んだそうです。 
   それだけ水がきれいで、染めた布を洗ったりすることもできたのです。
   岸の方も土手になっていて、川にホタルが飛んだり、
   夏の夕方など涼みに来る人も多かったのでしょう。

                   
「関口台小学校・50周年記念誌」より



  こちらは 昔の大滝橋 としていましたが 
   正しくは 下流にあった「神田上水の懸樋」とご指摘いただきました。
    訂正いたします。 2018/11/6
  

「関台のうつりかわり」
関口台町小学校
50周年記念誌

昭和50年10月発行
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  高橋翁の墜落した現場
  
東京日日新聞の写真から

 ※右上の「大洗堰」の内側と思われる
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