(16-1)高橋前駅長の遭難を報道した当時の新聞記事(1)
   
       
 高橋前東京駅長 
  河中に墜落惨死す

   関口大滝の有名な難所にて  自動車に乗った儘

二十日午後二時四十分頃、小石川区関口町七十二番地先、江戸川大洗上流四十間ほどの処で、同区台町二九(他紙はニ七)に住む前の東京駅長橋善一翁(六七)(他紙は七三)と田端駅長信夫敬三(他紙は敬造)両氏を乗せた軽便自動車は、運転手芝区烏森町一廣瀬藤五郎(二四)諸共約四、五間位の堤防から河中に顛落し、無惨にも橋翁は即死を遂げ信夫(しのぶ)駅長と運転手は辛くも一命をとり止めた。
 
この日信夫氏は日曜のこととて前記台町の芭蕉庵(渡邊治右衛門邸内)に住む旧友橋善一翁を訪ねて四方八方の世間話をしている処に、最近芝区新桜田町日米自動車会社に事務所を設けて自動車販売営業を始めた軽便自動車商社、石川、久保田両人が『この頃こんな商売を始めましたから』と件(くだん)の軽便自動車に試乗を勧めると、翁は快よく『それぢゃ散歩がてらちょっと出かけ様』と信夫駅長を促して素袷に鳥打帽という至って身軽な姿で小型の新しい軽便自動車に二人相乗りで出掛けた。
 芭蕉庵から門先の仮橋
(駒塚橋?)を渡って左に折れ、江戸川べりを下流に向かってものの三丁も走った所で、自動車はザンブとばかり満々と水を湛えた深さ一丈余の河中に顛落して深く潜りこんだので、それと見た通行人は大いに驚き付近の人人と協力して、時を移さず大滝水門の番人と付近の交番に急を知らせ警鐘を打ち鳴らして早速堰の水門を開いて水を落し救助に努めた。
 この中に運転手廣瀬は濡れ鼠とはなったが、漸く這い上がり、信夫駅長も水中に藻掻く所を付近の人が引き上げたが、橋翁だけは車と共に水中に約二十分間も沈んで居たのを、やっとのことで水門上の橋に引上げ、程近くの早稲田病院から西川、粕谷両医師を招いてあらゆる応急手当を施し、更に早稲田病院に移して手当を加えたが、三時三十分遂に絶命した。

 墜落の現場は、深さも可成りあり江戸川公園が開設されぬ前迄は人通りの稀な物騒な処で、これ迄にも幾度の物凄い身投げなどのあった処で物騒な箇所とされ、、魔の水門として古くから界隈の人の噂に上っている位である。 早速病院から寝台人力車にて自宅に運び、又信夫駅長も取敢えず橋氏宅に運ばれて静養した。 
 顛落の原因は目下大塚署で運転手廣瀬藤五郎を引致して取調べ中だが、実見者は『何でも機械の故障が起こったものか、運転手は車から降りて自動車をいじっていた、そのうち急に車が動き出して川に落ちると同時に運転手は助けてくれと大声を上げながら川の中に引ずり込まれた』と云っている

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   東京朝日新聞より  新聞記事原文
          (茶字は編注。句読点、改行を一部追加した)

東京朝日新聞
大正12年5月21日

   
     記事中の写真


※東京朝日新聞の他、当日の東京日日新聞、読売新聞とも写真付の社会面トップ記事扱いであった。
※国会図書館で複写記事入手。
全面ルビつきである

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