(16-5) 番外:駅長遭難の現場は・・・

◆関口芭蕉庵を訪ね、当時の新聞情報と突合せ、駅長遭難の状況を想像してみた。
 
●遭難事故を報道した東京朝日新聞から

 芭蕉庵から門先の仮橋
(駒塚橋?)を渡って左に折れ、江戸川べりを下流に向かってものの三丁も走った所で、自動車はザンブとばかり満々と水を湛えた深さ一丈余の河中に顛落して深く潜りこんだので、それと見た通行人は大いに驚き付近の人人と協力して、時を移さず大滝水門の番人と付近の交番に急を知らせ警鐘を打ち鳴らして早速堰の水門を開いて水を落し救助に努めた。・・・・・
 

 
 駅長と事故を起こした自動車

 
 墜落した現場(大洗堰の水門

   (翌日の新聞)




    イメージ

 
 遭難当時(大正12年)の大洗堰

 
  現在の関口芭蕉庵



  大滝橋から神田川上流を望む。
  右手奥に椿山荘と関口芭蕉庵
  がある



  現在の大滝橋(歩道専用


 ◆大洗堰は、大正末年、その役目を終えて現在はない。 駅長遭難の3年後ということになる。
  現在は、大滝橋から上流を望むと、整備された神田川がゆったりと流れている。
  また、川沿いは「神田川桜並木」の遊歩道が続き、憩いの場となっている。
 

                         目次へ戻る      次ページ