(19-1)東京駅「高橋洋品店

◆大正12年から昭和8年までの在京時代を回想した 加藤逸氏の「自分史=回想・在京十年の記」が
    高橋家にとどいていた。 大正12年は、関東大震災の年であり、橋駅長が亡くなった年でもある。
   同書に添えられていた一筆箋には・・・
  ”ご恩になった初代駅長の奥様に関わる記憶を記しましたので、お手許へお届けします。” とあった。
 
  
回想 在京十年の記
  大正12年〜 昭和8年
加藤充康著
発行:平成4年2月

       

 「回想・在京十年の記」より
   高橋家と東京駅売店

 加藤充康氏は豊橋の出身。姉の家族が芝・増上寺山内の羅漢堂に住んでいた。大正12年9月1日午前11時58分、関東地方を大地震が襲った。マグニチュード7.9の激震。関東大震災である。東京を中心に空前の大被害が続出した。 増上寺門前の大門あたりまで猛火が迫ったが、芝公園は奇跡的に延焼を免れた。
 数ヵ月後、加藤氏は「専検」受験のために上京し、羅漢堂に姉の家族を訪ねる。羅漢堂は地震で傾いたが修理して残っていた。しばらく逗留した。

 ある日、羅漢堂のお使いで高橋というお屋敷に出向いた。橋邸は芝公園七号地で、お隣りは平民宰相といわれた故原敬邸であった。
 お屋敷には 奥様とお孫さんとお手伝いさんの3人でお住まいだった。 ところで、このお使いが縁となり、奥様のお店に雇ってもらい、更にお屋敷の裏庭にある別棟の座敷に寝起きをさせてもらうことになった。
 食事も一緒にいただくことが多く、箸の持ち方から、あげおろし、魚の食べ方まで教えていただいたり、お風呂の入り方もいろいろ注意された。

 後でわかったのは、旦那様は東京駅初代駅長で、退任直後に不慮の自動車事故に遭われたとのことであった。元駅長は大変豪放な人柄で、退職後の備えには無頓着だったようである。そこで、駅長にお世話になった部下や関係者が奔走し、東京駅構内にお店を持つことに尽力され、実現したのが「高橋洋品店」である。高橋洋品店は、旅行に必要な洋品雑貨や教育用の玩具を扱っていた。

 お孫さんとは、すぐに仲良しになり、休みの日には芝公園でキャッチボールなどをして遊んだ。お孫さんを「一雄さん」と呼ぶと、お手伝いさんには「お坊ちゃん」と呼ぶように叱られた。  (後略) 



  
  
 加藤氏が大事に保管し高橋家に持参された
       「橋洋品店」の包装紙の一部
(左上部一部欠落)


高橋駅長の奥さん


孫・一雄氏と加藤氏

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