☆1998年の『日記』です。(1998年7月18日〜12月24日)


1998年12月24日(木)

 今日はクリスマス・イブである。街は何となくクリスマス気分のようであるが、私自身は、その雰囲気に乗り切れない。ひねくれ者だからであろうか。
 ところで、今年もクリスマスケーキは“甘党家御用達”の『ロッキー洋菓子店』で購入した。店に入ってショーケースを見てみると、今年はケーキのバリエーションが増えている。いつもなら、なにも考えずに「生クリームのケーキ」を選ぶのだが、少々迷ってしまった。順番を待っていると、私の直前のおじさんが若い店員さんに、「どれがおすすめ?」と聞いていた。定員さんは「ミルフィーユですね」と答えていた。たしかにミルフィーユはおいしそうである。「ミルフィーユにしようかな?」と迷ったが、「スポンジのあるケーキを食べたい!」と思い直し、ショーケースを見ると、あるじゃないですかおいしそうなのが。私は決めました。マロンクリームがおいしそうにのっている「マロンドール(3,900円)」に。いつも買うクリスマスケーキよりひとまわり小さいが、これにした。「もうひとつ、ミルフィーユも買おうかな」と、さんざん悩んだが、断腸の思いであきらめた。
 夜、ささやかにクリスマス・パーティーをした。ケーキを食べてみるが、思ったとおりとてもおいしい。スポンジはふわふわで、生クリームはしっとりさっぱり、マロンクリームもほどよい甘さで、もう満足であった。甘党家族の評判も上々である。一切れでやめておこうと思ったが、おいしさに負けて、二切れ食べてしまった。クリスマスケーキは、やっぱり『ロッキー』で決まりである。来年は、どのケーキにしようかな?

おいしそうな「マロンドール」  これが「マロンドール」です


1998年12月18日(金)

 今日は「高石ともや 年忘れコンサート'98」に行った。高石ともやのコンサートは、今年2回目である。今回は、ゲストが「杉田二郎」とのことで、とても楽しみにしていた。
 会場の「よみうりホール」は、思ったよりも小さい会場であった。私の席は2階のA列、1番前の列なので、2階といえども、とても見やすい席であった。これは、もうけた気分である。会場は、9割方うまっていた。高石ともやは、熱心のファンに支えられているんだなと、感心した。(私もその一人のつもりだが)
 第1部は、最近のアルバム『あわてなさんな』からの曲が多かった。このような新しい曲は、初めて聴いた曲ばかりであるが、アイリッシュなアレンジとともに、良い曲が多かった。バンドでは、ウッドベースがかっこよかった。
 第2部は、ゲストの杉田二郎の登場である。いきなり、高石ともやと二人での『八ヶ岳』である。はっきり言って、感動した。杉田二郎と高石ともやの共作であるこの曲は、若い夫婦の愛情を歌った名曲である。杉田二郎の太いヴォーカルが、私の心にジーンとしみとおった。次もまた二人での、『街』である。この曲は私の大好きな曲である。この曲を聴き、歌うたび、多感な学生時代を送った、京都の街が思い出されるのである。この2曲の連続パンチで、私は満足しきってしまった。その後、杉田二郎のソロが何曲か続いた。特に『男どおし』では、会場がグッと盛り上がった。
 杉田二郎が引っ込んだ後は、高石ともやのソロやバンドとの競演が続いた。今年の世相を歌ったものは、ともやさんの時代への想いが感じられるものであった。終演時間ぎりぎりまでコンサートは続き、アンコールは1曲のみ。でも、とても充実した、満足のいくアコースティック・コンサートであった。「私はやっぱりフォークソングが好きだなあ」と、あらためて感じたコンサートだった。
 なおこのコンサートでもらったパンフの中に、『高石ともやとザ・ナターシャーセブンの107SONG BOOK』が、CDで復刻されるというチラシが入っていた。以前「CDジャーナル」誌の「復刻への道」にこの107SONG BOOKの復刻を投書したときには、98年2月号で、「原盤の権利が不明で、復刻は難しい」という旨の回答があり、すっかり意気消沈したのだが、このチラシを見て、俄然元気になってしまった。1セット30,000円もするが、さっそく予約申込をしたことは、いうまでもない。届けられる来年2月が、楽しみである。

コンサートのチケット


1998年12月13日(日)

 今日は「保育のつどい」に出かけた。午前中に仕事を片づけ、昼前に会場に向かった。
 保育のつどいの昼休みの間に、「学童保育相談コーナー」を開設するので、その要員をした。各ブロックからブロック役員が参加し、資料を基に学童保育について説明するのだ。会場には多くの保育園父母がいたが、相談コーナーに気づく人は少ない。相談者となると、本当に少なかった。それでも、他ブロックのところには相談者がポツポツ来ていたが、わが幸ブロックは、0人である。ブロック長のN氏が、立派な資料を持ってきてくれたのに・・・。相談の合間に、関係者間で情報交換をして、相談コーナーは終了した。ちょっと、宣伝が足りなかったかな。

1998年12月7日(月)

 今日は日曜出勤の代休である。露天風呂に入って、紅葉を眺めたいなと思っていたが、あいにく雨が降っている。そこで、雨天プログラムに予定していた「新横浜ラーメン博物館」に行くことにした。ここには何度も行ったことがあるが、今話題の和歌山ラーメンを食べられる「井出商店」が出店しているのだ。先日テレビでそのようすを見たが、大変な行列であった。今日は、一般的には平日なので、まあ何とか食べられるだろうと、出かけることにした。
 会館の午前11時頃に入館して、井出商店に向かったが、すでに少し並んでいた。他の店には行列などないのに・・・、さすがに人気である。食券を買うために5分ほど並んだが、あとはスムーズにいった。私は「特製中華そば850円」を注文した。10分ぐらい待っただろうか。私の前に、あの和歌山ラーメンが登場した。スープは濁ったしょうゆ味で、見た感じは普通のラーメンである。まずスープからいただいた。あっさりというよりもまろやかな感じである。特別「うまい!」というほどでもない。麺もプリッとしているが、特別な感じはしない。たしかにおいしく、スープも残さず食べてしまったが、「これは、うまい!!」という感動はなかった。期待が大きすぎたのだろうか。
 私が食べ終わって店を出たときには、しっかり行列ができていた。ちょっと驚くような、人気であった。
井出商店の写真 これが「和歌山ラーメンだ!」
井出商店の入り口 特製中華そば

1998年11月28日(土)

定期演奏会のパンフレット
 甘党娘1号が入団している「川崎少年少女合唱団」の第33回定期演奏会に参加した。昨年の定期演奏会には都合で参加
できなかったので、初めて聴くことになる。甘党母は昨年の演奏会を「楽しかった」と言っていたので、楽しみであった。
 会場は、ほぼ満員であった。招待客も多いようだが、それにしても一般客も多いのだろう。私のギタースクールの発表会とは、
客の量で言えば、まさに月とスッポンである。
 予定通り始まったが、甘党娘1号の姿を探すのに、苦労してしまった。みんな同じユニフォームを着ているので、誰が誰やら・・・。客席で見ていた甘党娘2号に探させると、一発で見つけることができた。視力が良いことと、姉妹であることの絆のせいであろ
うか、見事なものである。
 合唱団の発表は、踊りもついたアップテンポな曲が多く、飽きさせることのないものであった。途中に三味線やドラムス・パー
カッションの演奏(こどもたちの演奏する)をはさみ、充実した2時間であった。甘党娘1号も、団員としてすっかりとけ込んで、歌
い踊っており、なかなかの出来映えだった。声もよく出ていたようだし、ようやく慣れて実力を発揮しだしたのであろうか。とにか
く、お疲れさまでした。









1998年11月27日(金)

 学童保育の仲間である“キジさん”から新しいGIFアニメをいただいた。この間一緒に飲んだとき(といっても、私はウーロン茶であるが)、今度の作品は「自信がある!」と断言していたので、とても楽しみにしていた。さっそく開いてみてみたが、実に素晴らしい(「よいしょ」ではありませんよ、念のため)。特に「タイトルアニメ」は、私のページに使われているものを取り込んで作成したとのことで、私のイメージにぴったりの作品である。「絵心のある人はいいよなぁ」と、思わずぼやいてしまった。そのほかにも、季節ものやお遊びものもできていた。これもそのうち公開しよう。ということで、さっそく更新作業をすることにした。“キジさん”ありがとう。つぎもよろしくね。

1998年11月24日(火)パスポートの写真

 日曜出勤の振替休業ということで、家族みんなで「東京ディズニーランド」へ出かけた。首都高に乗るまでに道がかなり混んでいて、ディズ
ニーランドについたときはすでに9時を回ってしまい、入り口には長蛇の列ができていた。「平日だというのに、なんていう混みようなんだ」とブ
ツブツ文句を言いながら、列に並んだ。
 まず最初は「トゥモローランド」の「ミクロアドベンチャー」をターゲットにしたが、かなり混んでいたので方針転換し、「スペース・マウンテン」に
した。これはちょうど空いていて、すんなり乗ることができた。久しぶりにこれに乗ったが、暗闇の中を疾走するジェットコースターは、やはり怖
い。降りてすぐは、足がふらふらしてしまった(情けない・・・)。お次は、甘党母の第1希望の「イメージワークス」で写真を撮った。これは要す
るに合成写真で、ディズニーランドの建物と私たち家族を合成したものに仕上がった。撮り直しもきいたので、プロ用のデジタルカメラでも使っ
ているのだろう。
 その後、「ビッグサンダー・マウンテン」「ホーンテッドマンション」「白雪姫と7人のこびと」「カリブの海賊」を楽しんだ。どれも30分ほどの待ち
時間ですんだので、良い方だろう。甘党娘たちは「ビッグサンダー・マウンテン」がとても気に入ったようで、「また、乗ろう!」と盛り上がっていた。それからは、おきまりの“おみやげ買い”。わたしは疲れてしまったので、コーヒーを飲みながら待っていた。
 今日は一日暖かく、風もない穏やかな日だったので、十分楽しめたと思う。ただ、この人の多さは、何とかならないのかね。







1998年11月18日(水)

 しし座流星群が日本でも見ることができると、大評判である。ふだん星など滅多に見ない(見ることができない)甘党家でさえも、食卓の話題に上っている。テレビのニュースによると、午前3時から5時頃が、流星のピークだとのこと。『星が雨のように流れる』という文句に誘われて、夜中に起きることにした。
 午前4時頃、目覚まし時計のベルで起きる。家を出て、道路から空を眺める。こんな風に空を眺めたのは、久しぶりだ。オリオン座がきれいに見えたが、街灯などのために思ったより明るい。特に東の空が明るかった。そして、寒い。しばらく空を眺めていたが、星はちっとも流れない。寒さに震えながら見ていたが、我慢できなくなって、部屋に戻ってしまった。そして、部屋の窓から空を眺めていたが、星はいっこうに流れない。「もう、寝ようかな」と思ったとき、「キラリ」と一瞬星が流れた。アッという間の出来事だった。そしてしばらく空を眺めていたが、寒さと眠気には勝てず、また布団に戻ってしまった。
 翌日の新聞によると、流星は予想を大幅に下回り、みんながっかりしたとのこと。わたしがひとつだけ見られたのは、幸運だったのだろう。

1998年11月15日(日)

 高津ブロックの「学童ほいくまつり」に参加し、連絡協議会の役員としてもちつきを行った。今回は、宮前ブロックの力持ちおとうさん(別名:もちつきマシーン)が、5名参加してくれたので、私自身が杵を握る必要がなく、その点は楽だった。
 この日の天気が良く、絶好のまつり日和であった。9時過ぎに会場に着き、準備を始めた。餅米が蒸しあがると、さっそく“マシーン”たちがもちをつき始めた。みんなたいへん力強く、またとてもうまい。素早いペースで。一臼つきあがってしまった。味の方も絶品で、艶やかなもちができあがった。販売が、11時30分からということで、それまでにかなりの数をストックすることができた。わたしはというと、もちのパック詰めに、大忙しであった。
 販売開始とともに、店には行列が並び、もちはどんどん売れていった。しまいには在庫が終了し、もちがつきあがるのを待つといったことになった。1時前にはもちはすべてつき終え、完売となった。素晴らしい売れ行きであった。
 まつりは、午前はスタンプリレー、午後は全体ゲームであった。参加者数は、学童っ子・父母・関係者で、約900人とのことであった。立ちっぱなしで、少々疲れたが、「こんなにも多くの学童関係者が集まった」ということに励まされた一日であった。

1998年11月 3日(火)

 向ヶ丘遊園で行われた「キャノンEOS大撮影会in東京」に参加した。いわゆる撮影会に参加することは、今回が初めてである。以前から興味はあったのだが、日程が合わなかったり、なんか気後れしていたりで、今回は勇気を奮っての参加となった。
 入り口で受付を済まし、無料貸し出しコーナーへ並んだ。「EF135mm F2L USM」を借りたかったのだがすでに品切れで、代わりに「EF135mm F2.8」を借りた。残念だった。
 私が参加したのは「入門コース」の諏訪光二カメラマンのグループである。諏訪氏に決めたのは特に理由があるわけではなく、何となくといういい加減な理由である。午前は三宅美寿希さんというモデルで、チューリップの丘付近で撮影した。諏訪氏は、「適当に撮ってください。わからないことは、何でも聞いてください」という指示を出し、参加者はそれぞれおもうように撮影していた。入門コースではあるが慣れている人もいるようで、積極的に声をかけたり、ポーズを指示したりする人もいた。私もみんなの勢いに押されるようにシャッターを押し始めた。思い切って声をかけてみると、こちらに目線をくれた。ドキドキしたが、なかなかうれしかった。持参の「EF85mm F1.8USM」と借りた135mmを適当に取り替えながら撮影した。露出は、諏訪氏の指示通りしたり、そのまま撮ったりと、よくわからないままであった。ネガフィルムだから、あとで何とかなるだろうという感じであった。ふだんはズームレンズを常用しているので、単焦点レンズに戸惑っていたが、そのうち気にならなくなってきた。やはり、明るいレンズは良いものだ。諏訪氏の指示はひかえめなもので、押しつけがましさがなく、“超初心者”の私には負担に感じることはなかった。私も、露出の計り方と補正の仕方などを質問してみた。
 午後は、小暮麻美さんというモデルで、花の大階段付近で撮影した。この階段は、花が飾ってあるので、狭く撮影しづらかった。参加者の頭越しに撮ったり、じっくり順番を待ったりとしているうちに、撮影終了の午後3時になった。
 はじめは、恥ずかしさと戸惑いでいっぱいだったが、終わってみるととても楽しい時間であった。また来年も、入門コースで参加してみたいと思った。

撮影会のワッペン


1998年11月 2日(月)映画のチケット

 「学校V」を見に行った。今回は、職業技術校が舞台ということで、どんな作品なのかとても楽しみであった。
 冒頭のリストラ宣告の場面から最後まで、おもしろいというよりも引きずり込まれてしまった約2時間30分であった。この『学校』シリーズ
は、学校を舞台にして現実社会を見つめた映画だと思うが、この第3作は、今問題になっている不況・倒産・リストラなど、まじめに生活し
ている庶民を襲っている危機を見事に描き出していた。「身につまされる」、そんな言葉がぴったりの話であった。生きていくために必死に
勉強をする中高年、その中で芽生えたほのかな愛、ひとつひとつのシーンが連綿とつながり、「みんな一所懸命生きているんだよ」と、感
じさせてくれた。『月並みだけど、頑張ってな』というセリフが、心に残った。
 この映画には、自閉症の青年が登場するが、この演技がとても良かった。セリフまわしのイントネーション、しゃべりながらの体の動かし
方や指の微妙な動き・表情など、相当研究しているなと感心した。アメリカ映画「レインマン」のダスティン・ホフマンもとても素晴らしい演技だったが、この自閉症の青年役の俳優も、かなり頑張っていた。山田洋次監督は、「学校U」を制作する中で、障害児・者について、相当
学んだのではないだろうか。
 それにしても大竹しのぶは美しかった。以前から、うまくてきれいな女優だとは思っていたが、こんなに生活感がある美しさを持っていた
なんて・・・。「けなげに生きている」という存在感がにじみ出ていた。
 別の館で上映している「踊る大捜査線」には、若者がたくさん並んでいた。この映画をけなすわけではないが、「あんたたち、観るものが
ちがうんじゃないの」と思ってしまった。「学校V」がよい興行成績を上げられないとしたら、邦画をめぐる状況は、とんでもなく悪くなってい
るのだろう。






1998年10月29日(木)

 わが青春のアイドル「太田裕美」の“インチキ25周年前夜祭”というコンサートに行った。場所は、新宿ルミネホールACTというところで、私にとっては初めての所であった。このコンサートは全席自由で整理番号ありというものなので、早めにホールに着いたが、整理番号順での入場ということで、比較的良い席に座れた。会場内は全体で400〜500人くらいであろうか、満席状態であった。客層は、7〜8割は男性で30代後半以上が多く、ポツリポツリと若い人がいるというところであった。
 オープニングは『風たち』という曲で、あまりなじみのない曲であった。バンドのメンバーと4人でギターを弾くというスタイルであった(なんかイーグルスのようであった)。太田裕美がギターを弾く姿を見るのは、初めてであり、実に新鮮であった。後は、よく知っている曲のオン・パレードで、相変わらずジーンときてしまった。歌声は変わらず、高い声もよく出ていたと思う。とても40歳を越えているとは思えない。バンドは、基本的にアコースティックなので、レコードとはアレンジが違い、これもまたイケルものが多かった。特にボサノバ調の『九月の雨』は出色のできであった。また、ピアノ一本の『雨だれ』も良かった。
 アンコールも含めて約2時間のコンサートは、本当にアッという間の出来事だった。歌を聴きながら、若き日のことに思いを馳せたりして…、おじさんは泣いちまっただョー。
 なお、来春には、メモリアルBOXの発売やコンサートが予定されているそうである。今から、たいへん楽しみである。

コンサートのチケット


1998年10月27日(火)

 大学時代の同級生O氏と、17年ぶりに会った。O氏とは1・2回生の時に同じクラスで、何となくウマが合い、よく行動をともにしていた。O氏は今兵庫県の一都市の公務員をしており、今回は研修で上京したとのことであった。実は昨年も研修で上京していたのだが、その時はみっちりと研修詰めで会うことができなかった。今回はひょんなことから上京できたとのことで、本当に久しぶりに会うことができたのだった。
 私の地元K駅で落ち合い、酒を飲みながら語り合った(私はほとんど飲めないのだが)。いろいろな話題をとりとめもなく話していたが、やはり学生時代の話とは、会話の質が違うなと思った。仕事のこと・家庭のことなどを話すと、社会で活動している中堅どころといった感じになり、何となく照れくさい気持ちを感じた。
 話の中でO氏も言っていたが、やはり学生時代の友人は良いものだ。多感な時期であり、打算もない。良いも悪いも率直に話せたような感じがした。そういうときの友人は、かけがえのないものなのであろう。
 約3時間語り合い、再会を誓って別れた。今度会うときは、お互いどんな“おじさん”になっていることだろうか。

1998年10月25日(日)

 二日目の分科会は、広島修道大学に会場を移して行われた。ホテルからは、「アストラムライン」というモノレールに乗って会場に向かった。広島修道大学は、緑に囲まれた地に建っており、勉強をするにはいいところではないだろうか。(その分、遊ぶには不便なのだろう)
 分科会終了後は、貸し切りバスで広島空港へ移動した。飛行機に乗るのは3年ぶりぐらいなので、ついワクワクしてしまった。待合室では、羽生善治氏と松尾伴内氏に会った。松尾氏はラフなかっこで、羽生氏は高級そうなスーツを着ていた。どうせなら、美人タレントに会い、サインをもらいたかったな。
 離陸の時は、ドキドキしてしまった。飛行時間は、1時間弱、あっという間に羽田に着いてしまった。
 二日間の学習会、月並みではあるが、得るものは多かった。密度の濃い二日間であった。帰宅したら、どっと疲れがでたけどね。

1998年10月24日(土)

 いよいよ、全国研である。朝7時23分発の新幹線に乗って、広島へ向かった。約4時間30分の旅であったが、さすがに疲れた。腰やお尻が痛くなってしまった。
 広島駅から一歩出ると、お揃いのグリーンのウインドブレーカーを着た学童関係者の歓迎を受けた。かなり多くの人たちが、横断幕やプラカードを持って、歓迎の意を表したり、道案内をしてくれた。ありがたいものである。駅から直通バスに乗り、会場である総合体育館に向かった。ここも“熱烈歓迎”で、通路の両側に母親たち(だろう)がずらっと並び、「こんにちは」「ようこそ」「ご苦労様」と声をかけてくれた。大量動員である。おかげで雰囲気は盛り上がっていた。受付で弁当を受け取り、まずは腹ごしらえをした。
 全体会は、開会行事のあと基調提案を行い、特別報告・記念講演と続いた。全体会・分科会の内容については、学童保育のページへ。
 全体会閉会後、同じブロックの父母と、原爆ドームを見に行った。9年ほど前に広島に来た時には、原爆ドームは補修工事中で見ることができなかったので、これはぜひ見たいと思っていたのだ。近くによってじっくりと見ると、原子爆弾の威力を感じ取ることができた。原爆資料館とともに、こどもたちに必ず見せたいと、あらためて思った。
 夜はホテルで交流会を行った。参加者はみんな、にぎやかに自己紹介をした。今年は「出し物」が少なかったが、そのかわり自己紹介で盛り上がっていた。
 二次会は、お好み焼きを食べに行った。名所『お好み村』の2店「毘沙門」と「宮島」に分かれて席に着いた。私は「毘沙門」に入り、“スペシャル”を注文した。広島焼きは、大阪のものと違い、ネタを重ねて焼く。そのため焼き時間が思った以上に長い。ワクワクしながら待ち、いざ食べようとすると、他の人のものにはネギが大量にのっている。「これはおいしそうだ!」と、私もネギを追加した。熱々の所をガツガツ食べたが、おいしかった。ネギの甘みがよくきいて、大満足であった。交流会で満腹になったはずであるが、おいしいものは別腹なのである。きれいに平らげてしまった。やっぱり、本場ものはいいよね。

1998年10月 4日(日)

 話題作「プライベート・ライアン」を観に行った。10時上映に間に合うように行ったが、すでにチケット購入の列が50メートルくらい並んでいた。映画を観るために並ぶなんて、「ドラえもん」以来であろう。会場は7割くらい客が入っていた。いつも空いているこの映画館では、珍しいことではないか。
 戦闘シーンはとにかく凄まじい。今まで観た、たとえば「地獄の黙示録」「プラトーン」「フルメタルジャケット」などの戦闘シーンも息をのむ迫力だったが、この映画は桁違いである。戦闘シーンでは必ず、肉片・血しぶきが飛び散り、手や足・胴体までもがちぎれて飛んでいく。兵士の内臓が飛び出し、海が血で赤く染まる。「戦争」は美しくも、かっこよくもなく、まさに地獄のようなものであることを、映像と音でまざまざと見せつけるものであった。 
 スピルバーグ監督がこの映画のテーマとして設定したものがなんであるか、いろいろと意見はあるだろうが、戦闘シーンの恐ろしさだけで、「平和」の尊さが伝わるのではないだろうか。

1998年 9月26日(土)

 「サウンドパル出前試聴会・横浜編」および「及川公生の全国音行脚」に参加した。これは小学館の雑誌『SOUND PAL』が主催しているものだそうだ。久しぶりに「いい音」を聴いてみたくなったので、出かけてみた。場所は関内駅の真ん前とわかりやすかった。
 会場に入ってみると、約40人ほどがすでに座っていた。年齢層が高く、女性は0、色気のない試聴会であった。エンジニア兼評論家の及川氏は、ジャズが大好きとのことで、試聴に使われた音楽はすべてジャズ。私はジャズはほとんど聴いたことがないので、曲の良さなどはわからなかったが、録音の仕方の違いなどはよくわかった。前半はタンノイのスピーカーを使用し、後半はJBLのスピーカーを使用した。私にとっては、リアルでクリアーに感じられたJBLの方が、気に入った。「音行脚」は約2時間で終了、知らない曲ばかりのわりには、話術も巧みで、短く感じられた。あのオーディオセットで、持参したサイモンとガーファンクルの「セントラルパーク・コンサート」のCDを聴いてみたかった。

1998年 9月23日(水)

 台風は昨晩中に抜けてしまったが、今日は「台風一過」の青空にはならなかった。どんより曇った、さわやかとは言えない1日だった。今日は『不二家』のシュークリームを買った。不二家のシュークリームは、カスタードと生クリームの2種類が入った物だった。久しぶりに食べたのだが、味の方は「?」。「こんな味だったっけ」と拍子抜けするくらいあっさりとしていた。「あっさり」というよりも味がしないといった方がよいように感じた。特にカスタードがいけない。当分、不二家は遠慮しておこう。

不二家のシュークリームの写真  『不二家』のシュークリーム 100円です


1998年 9月22日(火)

 台風が接近中で、風が強く、また突然激しい雨が降る。まったくもって今年の天気は安定しない。スカッと晴れた青空が見たいものだ。帰宅途中に和菓子店で「おはぎ」を買った。はじめは、風が強いのでまたの機会にしようと思ったのだが、しばらく歩いてから思い直して買ってしまった。こしあんのおはぎが4つ残っていたので、それを買った。帰宅後、夕食時におはぎを食べたが、こどもたちは「いらない」とのことなので、奥さんと2つずつ食べてしまった。おはぎを食べたのは久しぶりだったが、なかなかおいしかった。

1998年 8月30日(日)

 もうすぐ、夏休みも終わりである。後半は雨が多く、何となくすっきりしないまま、夏が終わった感じがする。そこで、夏休みの終了を祝して、ケーキを食べることにした。買いに行ったのは、幸区下平間の交差点にある『ロッキー洋菓子店(TEL 044-555-2568)』。ここのケーキは、スポンジがふんわりしており、生クリームがほんのり甘くしつこくない。甘党一押しのケーキである。娘の誕生日やクリスマスの時は、必ずこの店のデコレーションケーキを買うことにしている。さすがにクリスマスの時は、味が若干落ちる気がするが、誕生日などに注文する「オリジナルケーキ」は、常においしい。いろいろなバリエーションがあるので、注文するたびにわくわくする。ああ、早く誕生日が来ないものか・・・。 さて、この日はショートケーキなどを買った。いつものように甘さ控えめなおいしさを堪能した。もうひとつ食べたいところをぐっと我慢の子であった。

ショートケーキの写真 とってもおいしい『ロッキー』のケーキ


1998年 8月25日(火)

 生まれて初めて人間ドックへ行った。半日コースということで、職場での健康診断と内容はほぼ同じであったが、「眼圧検査」と「便潜血検査」は、初めてであった。検査は特に問題もなく順調に進んだが、バリウムを飲んでの胃の検査はやはりなかなかしんどかった。特にあの発泡剤がいけない。本当に胃がパンパンに張って苦しい。「イヤだなあ」と思いながら、検査台の上でゴロンゴロン体を動かした。検査終了後の診察では、コレステロールがやや高いことを指摘された。「やはり、そうか。体重を減らし、コレステロールを減らさなきゃな」と思いながら、病院を後にした。帰りに、お気に入りの『銀座コージーコーナーのシュークリーム』を買った。このジャンボシュークリームは、甘さ控えめながらカスタードクリームの味が良く、100円という値段もあって、私の好物である。今晩はこれを食べながら、減量の作戦でもたてるか。

シュークリームの写真 銀座コージーコーナーのジャンボシュークリーム 100円


1998年 8月15日(土)

 三郷村の温泉「ファインビュー室山」へ行く。かつて「室山荘」として営業していたものをリニューアルして、今年の4月にオープンしたものである。風呂が温泉になったとのことなので、さっそく行ってみることにした。お盆のまっただ中なので、混んでいることを覚悟していったが、午前中なので、ほどほどの入りであった。大人料金は500円。内風呂の湯は無色透明で、やや熱い。肌がすべすべとするいい湯である。露天風呂はややぬるめの湯で、これはのんびりできる。施設はきれいだし、なんといっても甘党母の実家の近くである。今後ともひいきにしたいものである。

1998年 8月12日(水)

 甘党母の実家への里帰りの途中、小淵沢の温泉「スパティオ小淵沢」による。オープンしてまだ2年目ということで、建物は新しくきれいである。駐車場にかなりの車がとまっていたので、「こんな時間(11時頃)に満員か?」とびっくりしたが、お風呂の方は比較的すいていた。大人料金は600円であった。まずは露天風呂へ。お湯の色は茶褐色、味はしょっぱい。湯加減は適温(約40度)で、のーんびり湯につかることができた。風がとても気持ちいい。内風呂の湯はなぜか無色透明。こちらも適温で、満足満足。

1998年 7月24日(金)〜 7月26日(日)

 学童保育「みつばちクラブ」の親子キャンプが始まった。あいにくの雨模様であるが、娘たちはすでにノリノリである。今年もまたスペクタクルなキャンプになることだろう。詳しくは、学童保育のページで。

1998年 7月20日(月)

 私の永遠のアイドルである太田裕美のインストア・イベント&サイン会へ行く。15時開演とのことなので、14時頃に会場のHMV横浜店に着く。店内をざっと見渡したところ、年齢のやや高い場違いな人(私もきっとそうだろう)がポツポツといる。「うむ、出足が速いな」と感心しつつ、ようすを見る。14時30分頃にはステージの前に人が集まりだしたので、私もその中へ加わる。ワクワクしながら待つこと30分、やっと開演だ。今日は撮影禁止とのアナウンスがあり、しぶしぶカメラをしまう。司会者の言葉で太田裕美の登場!こんな近くで(距離約3メートル)で見るのは初めてである。「木綿のハンカチーフ」「ドール」「魂のピリオド」と歌い、その後サイン会へ。私もサイン券を持って列に並ぶ。だんだん順番が近づくと胸がドキドキした。「んー、こういうときめきは久しぶりだな」と妙に感心してしまう。さあ、私の番だ。新譜「魂のピリオド」のジャケットと名刺をだし、名前入りのサインをもらい、握手をした。握った手の感覚はまったく覚えていない。完全に舞い上がっていた。たしか「ありがとうございます」と言ったはずだが、まるで夢を見ているような感覚であった。年甲斐 もなくドキドキしたひとときであった。

太田裕美さんのサイン入りCDジャケットこれがその時のサインです。すごいでしょ!甘党の『家宝』となりました。


1998年 7月18日(土)
 高石ともやとザ・ナターシャー・セブンのコンサート「再会」へ行く。ザ・ナターシャー・セブンには大学生の時に出会った。ブルーグラス・カントリーを核として、フォークソングや民謡など素朴な歌を歌っていた。みなテクニックが抜群で、ギター・バンジョー・フラットマンドリンなどの演奏を食い入るように見つめたものだった。 この日のコンサートは予想以上の人出で、満員状態。年齢層の高い、私よりも上の人が多いようだった。「私のこどもたちへ」「街」「フォギー・マウンテン・ブレイクダウン」など、私のお気に入りの曲が演奏され、大満足であった。12月には高石ともやがゲストに杉田二郎を迎えてのコンサートを開くとのことなので、これもまた楽しみである。

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