◆97年2月以前の語り◆
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◆(卓治のそして僕らの大切なあの人からメッセージが来ました!)
小山ファンのみなさま、こんにちは僕はスマイリーです。
最近の小山はインターネットにとち狂って、全然僕と遊んでくれません。
僕はコンピュータがまるでだめなので、新譜ジャーナル以来の友人のコンピュータを借りて口述筆記しています。
2月28日のライブは見に行きました。MCがもう少し軽妙であればもっともっと楽しめたと思います。
僕は今、the
thrillで頑張っています。3/7,8の両日、横浜ベイホールでライブが有ります。
おしゃべりをしない僕も、見にきてください。
(かのSMILY・松本様より)
私の昔の彼女は卓治のライブに行くといつもスマイリーばかり見ていてスマイリースマイリーとキャーキャー言ってうるさかったです(一度も卓治を呼んだことはなかったなそういえば・・・)。小山さんとスマイリーのキッスを再び!(a.kira)
◆(な・なんと海外からのアクセスだ!)
小山卓治は「NG」のころからずっと聞いています。
ライブは85年に春と秋に渋谷のLivaInnに行ったのが最後かな?
ぜんぜん関係ないけどうちの妻はその後THE CONXのライブにも行ったけど。
最初は大阪のバーボンハウスだったと思う。84年の暮れだったかな。無理して厚生年金かなんかでやって、客が半分も入らなかったこともあったっけ。
テーブルに上った卓治が飲み物はこぼすは、こぼされたアベックは怒りだすはで、若かったんだなぁと思い出します。
でも、最新作のロックスを聞いて、相変わらず「カンチガイシテヤガル」と思ったりしてしまったりしましたが。
今回このページを見つけたのは、(基本的には売れないほうがいいと思ってしまっているのですが、)あまりに情報がないため、新しいアルバムが出ても分からないので、そろそろ出てないかなと思い探してみました。
ディスコグラフィーを見て全アルバム(Pasingまではレコードだったけど)がそろっている事に唖然ととしてしまいました。日本を離れてだいぶたちますので、インターネットにこういった情報があるのは大変ありがたいです。
長々と書いてしまいましたが、これからも頑張ってください。
小山卓治はミディアムのロックンロールだと思っている男でした。(いったいどこの国からなの村上功さん!より)
海外からアクセスしていただいたのは村上さんが初めてです。なんかうれしいなぁ。(a.kira)
◆(「僕」より「俺」の方が好きという加福さん)
はじめまして。ホームページを見つけて、うれしくてメールを出しました。ずいぶん昔のことです。
「ひまわり」のジャケットがいいなと思いました。
「フイルムガール」は当時、甲斐よしひろのサウンドストリート
とかで何度か聞いて、知っていましたが他の曲は知りませんでした。
なんとなく、買ってみました。
ひまわりは、ジャケットが示すように重いアルバムでした。
でも、なんとなく、よく聞きました。タイトル曲とか
「パラダイスアレイ」とかが好きでした。
「PASSING」より「FOOL」の方が、リズムが
あって、好きでした、「VANISING POINT」もまあまあでした。
当時、売上的にはたいしたことはなかったですが、何か次は
すごいアルバムをつくるんじゃないかって、そんな感じが
ありました。その頃、小山卓治は、年間ツアー100本やる
とか宣言した気がします。しかし、彼はそれをやりませんでした。
そして発売されたのが、「夢の島」でした。
第一印象は、残念だ、でした。なんとなく、彼はメジャーになるのを
放棄してしまったように思えたのです。当時こんなアルバムが
売れるわけがないとおもいました。
しかし、「夢の島」はいいアルバムです。結果的に一番よく
聞いたアルバムになりました。特に「PM11:11」という曲が
一番好きです。
久しぶりに出た、「成長」は、がっかりしました。なんとなく
ふぬけた印象で二三度しか聞きませんでした、「成長」という
曲はちょっとよかったかな。
その次のアルバムは、買いませんでした。唯一持っていない アルバムです。
中古レコード屋で「ROCKS」を見つけて買いました。
タイトルも写真も、最近の路線とちょっと違ったので
聞きたくなったのです。結構いいとおもいました、特に
前半の曲が。一般的な小山卓治のファンというのは、
もっとフォークっぽいものを望んでいるのかもしれませんが
私としては、「僕」より「俺」の小山卓治の方が全然好きです。
「夢の島」(a.kira)
◆(博多よりラブコール!)
福岡に住んでる私は、かれこれ何年も卓治のライブを見ていません。
「お〜い!卓治。博多にきておくれ〜!」と、言いたくても、どこにも訴える場所
がなくあきらめていたところ、このホームページを見つけてまさに地獄で仏に出会
ったような感動を覚えてしまいました。私が小山卓治を知ったのは、雑誌で(たぶ
んシンプジャーナル)、デビューアーティストの紹介記事だったと思います。その
記事で今でも覚えているのは、「フィルムガール」の歌詞の内容について、主人公
は中森明菜であると書いてあり、当時彼女のファンだった私は、小山卓治とはどん
な奴だろうと思い、「NG」を聞いたのでした。それまでの彼に対してのイメージ
が崩れさり、あっさりと彼のファンになったことを覚えています。秘かに本人がチ
ェックしているらしいと聞いたので、この場を借りてお願いします。是非、また博
多にきてライブをしてください。(zushi)
小山さん、ギター一本で全国行脚しましょう!全然関係ありませんが私は浪人中博多の親不孝通りにある某予備校に通ってました。懐かしいなぁ(a.kira)
◆(KAWAMURA氏の卓治のアルバム分析)
泣衝撃の「NG」、熟成の「ひまわり」、最高傑作「PASSING」、円熟の「The
Fool」、集大成「On The Move」、転機の「VANISHING
POINT」、混迷の「夢の島」、歌詞とは裏腹に帰って来なかった「成長」、最低の「花を育てたことがあるかい」、復活の兆し「ROCKS!」。やはり1stから4thまでが卓治の絶頂期でしょう。中でも12inchシングル「微熱夜」の3曲がやはり最高かな。(kawamura)
・・・人によっていろいろと意見があるのですね。「夢の島」は1番卓治らしいと私は思ったりするのですが。今は「VANISHING
POINT」が好きです。今は・・・。(a.kira)
◆(思い出を語るH氏)
へ〜っ、小山卓治のHomePageなんてあるんだね。私が聞いてたのは「ひまわり」だからもうかれこれ12年ぐらい前かな?このアルバムだけすごく聞いてたっけ。CDも持ってるし。
ほかにファーストともう一枚なんか持ってるけど、「ひまわり」のほかは「フィルムガール」くらいしか知らないな。あと「テーブルの周りで僕らは思い思いの形のグラスで一本のシャンペンを注いだのさ」だっけ、そんなフレーズを覚えてるな。五時SATマガジンプレゼンツ「CokaCoreRockFestival'84」(だったと思う)というFreeConcertでライブを見たこともあったっけ。
あーなんだか久々に聞きたくなってきたぞ
「ガソリンが水たまりに虹を作る路の向こう、煤けた赤い屋根が続いてる」
今でもオレは下から2番目の男だな...(H氏)
・・・またまた昔のファンのかたからメールが飛び込みました。H氏にはぜひ2月のライブに足を運んでいただいて卓治の健在ぶりを見て欲しいものです。(a.kira)
・・・「私は87年ぐらいから本格的なファンになったのでデビュー当時の、卓治の周りがすっごくホットだった頃のことを知りません。」という私の言葉にH氏が答えてくれました。
80年代に入ってもメッセージ色の強い歌詞はいやがられる傾向が強かったのですが,このころから様子が変わっていったように思います。
佐野元春や浜田省吾が売れ出すと見るや,各社愛と青春のロックに力を入れだします。特にCBS/SONY,EPIC/SONYは若手の発掘に力を入れだしました。
尾崎豊,渡辺美里,バービーボーイズ,スライダースあたりが出てきたのもこのころだったと思います。このころの戦略が当たって80年代後半からのSONY黄金期にはいるわけです。
小山卓治はたぶんもう少し上の層を狙ってたんだとおもいます。それは彼のバンドがスプリングスティーンスタイルの構成だったあたりに色濃く出ていたともいます。(ストライクスのメンバー自体おじさんだったし...^_^;)
しかし,いかんせん歌詞の内容が錆びていた。(もちろん良い意味で)レコード会社としては,もっとこう意味もなく前向きなのを期待してたんじゃないかな?
>五時SATマガジンプレゼンツ「CokaCoreRockFestival'84」というFreeConcertでライブを見たこともあった。このときは,1年目は本人急病でストライクスだけ,2年目は本人が出ました。当時プリンスの「Let's
Go
Crazy」がヒットしており,そのMTVの真似をして「オレはバッチリめかし込み,土曜の夜飲みに出た」のところでローディーに鏡を持たせ,髪をとかす仕草をしたのを覚えています。
80年代は歌謡曲が後退し,ロックの様なものが幅を利かせだしていく始まりの時期でした。いま反乱しているロックのようなものたちは実は歌謡曲が閉めていた部分を埋めているに過ぎないものだと思います。
そういう意味では,小室哲哉はきわめて歌謡曲的です。服部良一や古賀政男の時代とシステムは同じです。
歌謡曲は巧妙に形を変えて生き残ったともいえます。ただ,今仕事をしながらもラジオがかかっているわけですが,心のこもっていない音楽はファーストフードのようなものです。
ファーストフードばかり喰らっていたら,からだが育たないように同じように作り手の心のこもっていない音楽ばかり聴いていたら心はぼろぼろになってしまいます。
私たちにはカラオケに行っても歌いたい曲が沢山残っています。10年経って歌いたい曲ってどれくらいあるんでしょうね...昔話でした。
P.S「ガソリンが水たまりに虹を作る路の向こう、煤けた赤い屋根が続いてる」
エレファントカシマシの「おれはこのために生きてきた,ドブの夕日を見るために」という歌詞を聴いたとき,この曲の歌詞を思い出しました。
◆(みなさん知ってました?)
「NG!」のページにも書いておりますが、どうやら知らなかったのは私だけではないようなのでここで書くことにします。それは「朝まで待てない」についてなのですが阿久悠さん作詞ということで卓治が作ったのではないことはクレジット見て知ってはいたのですが、モップスってグループサウンド?のバンドのカバーだったのですね!知ってました?私は素人なのでまだ知らないこといっぱいあると思うのですが、これは知らないだろ?ってな話題を是非お寄せ下さいませ。(a.kira)
・・・モップスってのは、君 夜明けぇのぉ刑事ぃ の 鈴木ヒロミツがいたグループぢゃないですか!! モップスと言えばその昔、吉田拓郎の たどりついたらいつも雨降り をカバーしたので有名ですが。そうですか、小山がモップスのカバーをねェー 知らなかったよぉー 空がこんなに 青いとぉはぁーー(ボブディランを意識する吉田拓郎を意識する掛川 哲郎)
◆(びんちゃんからのホットな?話題です)
第一興商のDAMのページにもアクセスしたんです。リクエストのページはなかったのですが、DAMに入っている曲とアーティストが全部検索できるページがあり、2曲しか入っていないのはわかっていたのですが、一応「お」で検索したのです。そしたら、そこには「おやまたくはる」と、ありました。(びんちゃんことたかはしなおえ)
・・・カラオケのページにも書きましたがかつて「こ」のページに出ていた卓治。今度は「たくはる」ですか・・・悲しい。(たくはるの画像はこちら)ってことはDAMには最初、「こやまたくはる」ってことになっていたのですねぇ。さっそく抗議のメールを送っておきました。(a.kira)
◆(kamedaさんからの提案です)
実は私のかみさんが大ファンでしてその関係上、私も少なからずアルバムを聞きました。それでつい投票してしまいました。
この部屋に卓治自身のメールアドレスを出すことってできないのですか。直接、ファンからメールを送れた方がなおいいかなぁとも思うのですが。また、それ以外に卓治自身からこのホームページに何かメッセージを定期的に送っていただきそれを公開するというのはどうでしょうか。一つの提案としてうけとっていただければ嬉しく思います。(kameda)
・・・秘かにチェックを入れてくれているという小山さん!どうでしょうか?あっ「そんなにひまじゃねーよ」なんて言わないでチョー暇なときでいいですからメッセージを寄せてくださいませませ。(a.kira)
◆(パソコン買って是非アクセス続けて欲しいBeerさんからのお便りです)
噂では聞いていたのですが、発見できなくてO.F.Fがきてやっとアクセスできました。とりあえず、ありがとうございます。これから参加させてもらおうかと思った矢先に転勤が決まり、11/1までしかMac使えなくなってしまいました・・・。
小山さんが売れることだけを願っている10年間。少しでも露出できるように地道にやってきたつもりですが、その方法を広める機会がなくこの場をお借りして私なりの方法をひとつ。チケットは必ず店頭で買う。数少ないライブですが、それでも「この人誰?」と思ってもらうチャンスだと思います。それこそ渋谷109のチケぴとかに決めれば効果倍増かもしれません。地道ですが・・・。TVでオンエアされればハガキ書くとか。
電波少年の猿岩石のタイ滞在の時にバックに流れてましたね。ずいぶん前にごっつええでも流れていました。女性雑誌CREA5月号の「胸ときめく音楽」でJ-POP15枚の中の一枚に「NG!」があって死ぬほど嬉しかった。
情報交換の場に参加したかったです。またいつか時間ができましたら是非参加させていただきます。kiraさん、小山ファンのみなさんこれからです。頑張りましょう。(Beer)
・・・電波少年の猿岩石、ごっつええでは何という曲が流れたのでしょうか?誰か教えて(a.kira)
◆(是非ROCKSを買ってほしい鈴木さんからのお便りです)
浜田省吾関係のページに、ネット上で見れるとは思ってもいなかった「小山卓治」の名前をみつけて、思わず笑いながら、きらさんのページにたどり着きました。
早速、「夢の島」に1票、入れさせてもらいました。
現在、私は27歳ですが、初めて小山卓治を聴いたのは、確か中学2,3年生だったと思います。「NG!」だったと思いますが、当時、愛読していた雑誌「シンプジャーナル」の影響でした。(どこかに「あんべ光俊/スティールタウン」のこと書いてありましたね。これも笑ってしまいました。私も聴いてました。でも、そのことを口外したことはありません。恥ずかしくて。)
「夢の島」には、聴くと思い出す(暗い、切ない)思い出があるので選びましたが、「Passing」「The
Fool」「バニシングポイント」も、同じレベルで好きなアルバムです。(最近は、全く聴いていないですが。)
好きな曲も切ない系になりますが、「Night After Night」「Passing
Bell」「もうすぐ」「Passing」「こわれた自転車」な辺です。「裏窓」「最終電車」なんてのもいいですね。
「花を育てた...」は、買いましたが、「Rocks」は考えた末買うのを止めました。(「Rocks」って、いいですか?もし、良かったら、買いに行こうと思いますが、売ってるのかな。)それ以降の消息を知らなかったので、まだ、がんばっていることを知りうれしく思います。
きらさんのページは、なぜか、気に入りました。扱っているものが地味で。すごくいいです。(ほめてます。)今後もがんばって下さい。(鈴木重治)
◆(ファンクラブの会員の方から初のおたよりです)
はじめまして。私、「たかはしなおえ」と申します。小山さんのファンです。
先日、小山さんのファンクラブの会報誌O.F.Fに掲載されていたので、応援ページにアクセスしました。
うれしかったです。今日はあんまりうれしくて、会社のパソコンで会社のIDでアクセスして、会社の人に見せて、「ほら、小山さんの応援ホームページなんだよ!!!!」と自慢しました。我が社では、小山さんを知らなくても、高橋さんが小山さんのファンということを知らない人はいないというくらい、昔からみんなにふれまわっているのです。
さてさて、お気に入りアルバムの投票なんですが、アルバムという、枠でのお気に入りは「成長」なんです。「成長」が゛発表されたとき、ジャケットの明るさと「俺はかえってきたんだ」が2年間、待たされたさみしさをふっとばしてくれたんですね。だから、音楽の出来栄えとか、そういうことではなく、あの時の私の個人的な喜びが忘れられなくて、このアルバムが好きなんです。
曲では、聞くたびにつらい気持ちになるんですが、「Passing
Bell」が一番好きです。
(つい3ヶ月前までは「Passing」だったんですけど、変わりました。)
私の個人的な楽しみといえば、1歳4ヶ月になる甥のお守りをするときに、彼を抱き
ながら、「ジャングルジム」を歌うのが最近のお気に入りです。'これから僕は大人になるぞ恐怖に負けない力を持つ・・・'と耳元で歌い、いい男になってくれるように願っています。小山さんほどのいい男になるのは、難しいとはおもいますけど。
本当に、より多くの人がこのページを開いてくれて小山さんに出会ってくれるといいと
思いますよね。そして、ファン同士の交流も増えるといいですね。(びんちゃんことたかはしなおえ)
◆(元ファンで卓治のアマチュア時代を知っているというHONDAさんのお便りです。)
私がよく知っているのは、初期の頃とデビュー前のアマチュアで時代のことです。
特に思いでぶかいのがアマチュア時代の(タクローカルステーションの頃)です。
私もバンドをやっていて、何回か同じイベントで一緒になったこともあります。
またよくライブもやっていてよく見に行っていました。デビューシングルの
フィルム ガールですが、アップテンポのぜんぜん違うアレンジでやっていましたよ。
シングルを買ってビックリしたのを覚えています。(HONDA)
◆(ひまわりのジャケットを見てビビッときたという掛川さんのお便りです。)
その頃、私はレコード店の店員をしておりまして新譜の入荷日にCBS
SONYだったと思いますが、その会社の箱を開けて入荷処理をしておりまして、あのジャケットを見てビビッとなりました。職業柄、小山さんの名前とジャンルは知っておりましたが聴いたことがありませんでした。しかしあれを見たとたん買わずにはいられませんでした。
確かにすばらしいアルバムでありました。後年になって久しぶりに聴いてみたのですが、やはり傑作でした。そういやぁブルーハーツのあの人も参加しているようですよね。当時あんべ光俊は、ブルーススプリングスティーンを意識してかスティールタウンなんていうのを出していましてこれもまた傑作だと思いました。吉田拓郎も向日葵なんてのを出していますがあれは悲しいくらいにいまいちでした。あるパソ通の場所で吉田拓郎関連の文章をアップしていましてそこで以前小山のひまわりは傑作だみたいなことを書いたことがありましたが、全然反応がありませんでした。
オーの時代が来るなんてありましたよね。小山卓治 大沢誉志幸 小野寺昭 ちゃうちゃう 尾崎豊 しかし来なかった。いいものと売れるものとは違うのだというのはなぐさめに過ぎないと思っています。
売るということ売れるということを制作連中と意識していたとするなら、特に小山卓治が意識していたなら「ひまわり」はうまれなかっただろう
なんて評論家みたいな口をきいて私は悦に入るのだ。
(ボブディランを意識する吉田拓郎を意識する掛川哲郎)
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