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毬子 [バックナンバー979] |
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アッツ様、こんにちは。
最初の告白をお読みいただき励まされ、2度目の告白をしました。
アッツ様のサイトの新着告白紹介のページに2度目の名前が載り、『不安と妖しい感情の狭間で・・・』とタイトルをつけていただいたのを拝見しました。
実際、その通りでした、その頃は・・・。
3度目のお便りになる今日、義父に再び抱かれ、そして取り返しのつかない関係になった様子を告白させていただきます。
盆栽仲間を週1度ほど家に招き盆栽談義をする義父が、私を話題にしている話を聞かされてから、再び義父の視線を気遣うようになりました。
とにかく一つ屋根の下の生活です。
私にも義父の行動が分かるように、私の一挙一動も義父に見通されているはずでした。
でも、その話を聞いてからは、掃除洗濯など家事をしているときも、階下のリビングでくつろいでいるときも、夕食の支度時も義父の視線を執拗に感じました。
夜、2階の自室へ入るとほっとしました。
義父の前では羽織っていたガウンを脱ぎベッドに腰掛けると重い荷物を降ろしたような安堵を感じました。
けれど、それとは正反対に表現しにくい切なさも感じました。
義父の視線から開放されて緊張がほどけていく物足りなさのような・・・その切なさに誘われるように、やはり表現しにくい欲望が肌を覆いました。
そしてその感情に覆われるとどうしても我慢できなくなって、私は指を使いました。
指先で触れた部分は思いもしないくらい潤っていました。
何故そんな反応をしているかは、分かっていました。
否定しようとしても、義父の視線や、また過去の体験が鮮明に瞼に蘇ってくるのです。
やがて痺れた下肢がうねり、絶頂の波が全身に広がりました・・・。
その日、義父は午前中から出掛けていました。
盆栽仲間の会合と聞いていました。
いつものように午前中家事を済ませ、簡単な昼食を取った後、私は2階の自室でくつろいでいました。
南向きの窓から差し込む明かりが穏やかで、いつの間にかまどろんでいました。
何かの夢を見ている感じでした。
重苦しい切羽詰った感覚に目を開けたとき・・・ベッドにまどろんでいた私の上に義父がいました。
首筋に唇が押し当てられ、ねっとりした舌先が這っていました。
驚きましたが、夢の続きのような気だるさで、瞬間身動きできませんでした。
「お義父さん・・・やめて・・・」と言うのが精一杯でした。
けれど首筋の唇は鎖骨まで這い、掴まれたおっぱいはより強く揉まれました。
そして脚の間には義父の片脚が割り込んで、体を全く動かせないないのです。
抵抗しなかったわけではありません。
自由な両手で義父を押し返そうとしましたし、動く片足をばたばたしました。
でも無防備だった状態で押さえ込まれたのでどうにもならなかったんです。
昔、不倫関係だった上司に提案された『強姦ごっこ』という恥戯がありました。
上司が抱きつき愛撫してくるのを必死になって避けるのです。
初めのうちは互いにふざけ調子なのに段々真剣になって、しまいには本当に犯されるような恐怖すら感じました。
上司に手足を押さえられ、そして挿入されるときは得も言えない緊張と充実感、それに怖いほどの快感を覚えました。
首筋から鎖骨辺りまで義父の唾液で汚され、オッパイに爪立てられるように掴まれ、割り込まれた片脚の太腿で下腹部から股間を圧迫され、悪夢のような快感が蘇ってきました。
あんなに優しかった義母が何故突然亡くなってしまったのか・・・
何故あの時期に主人の転勤辞令が出たのか・・・
あれもこれも無ければこんな思いをしなくて済んだのに・・・。
それが言い訳にしか過ぎないのは分かっています。
自身の優柔不断で起きた事故を他事に責任転嫁しているのも分かっています。
でもそう思わなければ、私の淫らさがあまりにも恥ずかし過ぎて・・・。
簡単ですが、2度目に義父に抱かれたきっかけをお話しました。
次はその折の感情などをお話させてください。
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毬子 [連続投稿] |
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恥ずかしさや、局部に受ける苦痛が性的快感に変わってしまう・・・この性癖だけは知られたくないと思っていました。
義父が私を見つめる視線も、盆栽談義の中で私を話題にしたのも、今となっては計算された行為と思っています。
それに、最初に私に抱きついたとき、なだめることで止めたのだって計画的だったのかもしれません。
抱きついたときの様子や視線の反応、それに話を聞いた反応も義父は観察していたかもしれない・・・・・・
観察されて恐れたのは、前述した私の性癖を知られることでした。
そんな穏やかでない行為を見たり、受けて思ったのは、義父の性的志向でした。
(お義父さん・・・Sなの・・・?)
性的欲求不満が鬱積していたせいもあります。
けれどそれより、対極的な性癖を私が持っているからそう感じたと思います。
でもそれはどうしても知られたくない事実でした。
主人すら知らないことです。
もし義父に悟られたら、結婚前の体験が家庭内で蘇ってしまう・・・そんな予感がして身震いしました。
良い主人と巡り合い結婚し、素敵な義父母と同居し、過不足ない幸せな家庭を築いてきたのに、それを壊すことなどできるはずもありません。
その思いは真実ですし、今も変わりなく思っています。
そう思うのに、心の中を吹き抜ける乾風を感じるのもまた事実でした。
切ない思いに願望と欲情の滾りを感じてならない日々でした。
オナニーの頻度が増えたのもそれが理由です。
けれど一人で指を忙しなく使う虚しさ・・・
得られる快感は瞬間のもので、また次を欲しくなる虚しさに叫びたくなる思いでした・・・・・・。
義父の粘る唇と舌先の感触、オッパイに食い込む指先、焦らすように下腹部を圧迫してくる片脚・・・そして何より身動きできないまま弄ばれる強烈な刺激と快感・・・
それは鬱積した願望と欲情、それに越えてはいけない背徳の壁を一気に押し流す力でした。
ブラウスのボタンが千切れ、ブラのカップを押し下げられた時、義父の顔は掴み出されたオッパイに向かっていました。
(・・・きっと、噛まれる)
そう思ったのか願望なのか分かりません。
義父の指はオッパイの根を搾るように掴んでいました。
オッパイをそんなに酷くされるのは、あの体験以来ないことでした。
背骨まで染み入るような鈍痛でしたが、その後に重い快感がやってくるのが分かっていました。
義父の荒い息とぬめりを乳首に感じた瞬間、乳首に千切れそうな鋭い痛みが襲いました。
噛まれたのです。
歯先が乳首の根に当たり、鋸のように動きました。
頭の芯まで響く鋭い苦痛に、上げてはならない歓喜の声を抑えられませんでした・・・・・・
乳首を捻られたり噛まれると、それだけであそこから熱い粘液が噴き出す感じがしますし、繰り返されると達してしまうのも度々でした。
昔、乳首を執拗に責められて覚え沁みついた体感でした。
いつパンティを脱がされたか気づきませんでした。
気づいた時は両脚を抱えられ、義父の肩に乗せられていました・・・
重い挿入感でした。
主人のような固さはありませんが、ひどくのったりして太く、特に先が大きく、重い感じの挿入感でした。
ゆっくり突かれるだけで内臓が揺れるような衝撃でした。
深く浅く、挿入したそれを軸にして回すような動きが交互に繰り返されました。
そうされながら両方のオッパイを鷲掴みにされ、乳首を引き伸ばされました。
乳首とオッパイの苦痛、それに重い挿入の快感は長く長く続きました。
後悔というより、私自身の性癖を呪いました。
義父は息を荒げていましたが無言でした。
無言で私を見下ろし、主人にはない腰遣いを続けました。
義父が達するまでに私は何度も達しました。
初めの数回は唇を噛み締めて声を上げない努力をしました。
けれどそれも限度がありました。
何かが詰まったように重たい義父の睾丸が腰の動きに合せてお尻の穴を叩き、乳首を力任せのように捻られ引っ張られたとき、私はとうとう何度も達してしまう許しを請う声を上げてしまったのです。
「種はない、それだけは安心しろ」
義父が初めて口にした言葉でした。
(そ、そんな・・・中に出すなんて・・・)
と思いましたが、声にはなりませんでした。
オマンコの中が私の体温とは違う体液で溢れるのが分かりました。
おびただしい量の体液でした。
射精しても義父は腰を遣い続けました。
一つに繋がった部分からドロドロと溢れても止めはしないのです。
気が変になってしまう快感でした・・・・・・
でも忌まわしい行為はこれだけで済みませんでした。
呪いたい行為は、まだ始まったばかり・・・
今の私は経過の途中にいます。
どこが到達点なのか想像もできないし分かりません。
こんな淫らな私の生活を告白したいと思いましたのも、途中経過で湧き出た欲望のような気がしています。
日に2度も告白できるのは、今、義父が出かけているからです。
慌てて記しましたので乱文ですし、誤字があるかもしれません。
もしお気づきになりましたら、申し訳ありませんが訂正いただけたらと思います。
また告白させていただきます。よろしくお願いします。 毬子
アッツ様へ
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告白はお義父さんの留守中しか叶わないわけだね。こんな淫らな告白をしていることが知れたら・・・。それ相応の折檻を覚悟しておかなければならないよ、毬子。 |
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毬子 [連続投稿] |
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1.私、小○毬子は小○祐造を戸籍上の夫とし、
小○修造の実質的妻として家庭生活を送ります。
2.私、小○毬子は実質的夫、小○修造の要求があれば、
いかなる場合でもその要求に従います。
祐造は主人の名で、修造は義父の名です。
義父の精液を体内に注がれた翌日、私は義父の部屋でこの誓詞を書かされました。
誓詞は2通書き、義父と私の名を割り印代わりに署名しました。
誓詞を書くのに抵抗がなかったわけではありません。
けれど、拒んだところで義父との関係が清算されるのでもありません。
逆に誓詞を書き誓ったことで、義父のものになった感が強くなりました。
それは、恨めしくもあり、また背筋が震えるような、凍るような背徳的な快美でした。
「新婚生活だな、毬子」
書き終えた誓詞を見た義父はそう言って私の唇を求めました。
粘度の濃い唾液が注がれると私は細く丸めた唇で受け飲みました。
義父のDNAが私の体内で増殖するような感覚は快感です。
でも、義父のものになったといいましても、毎日私を求めるのは体力的に不可能のようでした。
体力が回復するまでには夫の年代の倍近くは必要のようです。
体力が漲るまでは、これまで通りの義父でした。
ただ、毎日体を求められることはないのですが、私への要求がないのではありません。
一番恥ずかしい指示は下着を着けるのが許されないことでした。
家の中はもちろん、外出時も許されません。
来客があってもそれは同じでした。
隠すためにはカーデガンなどを掛けるしかありません。
何度もお話しますが、週何度か盆栽仲間が訪ねてきます。
義父が話題にしたことで、単身赴任の妻を持つ私が寂しい妻と知った訪問者たちです。
気のせいかもしれませんが、義父の盆栽仲間の人達の視線を濃く感じます。
カーデガンや胸まで丈があるエプロンなどでブラウスやシャツに透ける乳首を隠すのですが、歩く都度上下左右に揺れる動きは隠せません。
それに視線を感じると無防備なスカートの中が燃え、潤いを感じます。
時には意識過剰で太腿までヌラヌラさせてしまうことがあります。
その恥ずかしい指示は、体力が漲るまでの義父の間接的な責めに思えます。
義父が手出ししないでも、実質的に溶けるのを感じるのですから・・・
また突然、思いもしないときに肌を晒す指示をされます。
盆栽仲間の数人が訪ねてきたときでした。
義父は階下の自室へ仲間を招き、盆栽談義をします。
義父の和室は内庭に面していて、軒下に自作した棚が見えます。
仲間同士で棚に並べた盆栽を眺めながらあれこれ話をしています。
部屋から出てきた義父は手に急須を持って「毬、お茶をもう1度頼むよ」とリビングにいる私に言いました。
愛想良く返事をして急須にお湯を注ぎお盆に載せて手渡したときでした。
「スカートを腰まで捲くって、ケツをわしの部屋に突き出しなさい。わしの声が聞こえるまで、その姿勢でいるんだ」
私は目を丸くしました。
リビングから義父の和室は見通せません。
でも、廊下に出ればすぐ隣なのです。
お尻を突き出した格好のとき、仲間の誰かが廊下へ出てきたら必ず見られてしまうと思いました。
「そ、そんな、お義父さん・・・」
「出しなさい」
誓詞で誓ったように、義父の要求には従わなければなりません。
私は指示されたように、義父の和室に背を向けスカートの裾を持ち捲くりました。
パンティを着けていない下半身はたちまち剥き出しになりました。
それだけでなく腰を折り、お尻を後ろへ突き出しました。
義父は背後に立っていました。
膝をしっかり閉じていないと、オマンコもお尻の穴も晒してしまう格好でした。
「田舎の婆さんの立小便姿みたいだな」
私には意味が分かりませんが、義父はそう言いました。
「盆栽も好きだが、若い女のケツも好きな連中ばかりだ」
義父はそう言うと指先でオマンコを縦になぞり、和室へ戻っていきました。
皮が剥け掛けていたクリトリスに指先が触れてズキンとしました・・・・・・。
リビングも内庭に面しています。
サッシ窓にはレースのカーテンが引いてありますが、私の姿が外から見えないことはないでしょう。
それが気になるのは当然ですが、それよりすぐ隣の義父の部屋に神経を集中しました。
もし誰かがトイレにでも出てきたら突き出したお尻を必ず見られてしまいます。
膝に両手を置き、剥き出しのお尻を突き出した姿勢のまま、私は冷や汗を流しました。
暖房の暖気がお尻の皮膚を撫でるのさえ誰かに触れられているような気がしました。
恥ずかしさに膝が震えました。
なのに義父の指先になぞられた部分がグツグツ煮えるように熱くなる感じもしました。
義父の部屋からみなの笑う声が聞こえました。
思わず腰が引けました。
恥ずかしい姿を見られてしまったのかもしれない、と思いました。
苦しい姿勢で振り向きましたが、見える廊下には誰もいません。
ホッとするのと同時に義父の責めを思いました。
部屋で義父が何を話したのか分かりません。
けれど冗談で仲間を笑わせ、その声で私が羞恥する効果を計算しているのが分かって、憎らしいと思いました。
顔を元に戻して隣の部屋から響いてくる声を聞きながら、私はもっとお尻を突き出しました。
膝が開いてお尻の谷間が広がるのが空気の感触で分かりました。
(お義父さんには必ず従います・・・だから、お願いです・・・もっとご覧になってっ)
私は胸の中で哀願の叫びをあげました・・・・・・。
※ お正月は戸籍上の夫も帰省しましたし、親戚もやってきて忙しく重苦しい毎日でした。
私は始終和服で過ごしたので、夫に下着を着けてないことを知られずに済みました。
夫が赴任地へ戻り、また義父との生活が始まりました。
中々時間が取れなかったので告白もできなかったのですが、時間を見つけて(義父が外出したときしか書けないのです)告白を続けさせていただきます。
よろしくお願いいたします。 毬子 |
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お正月に帰省したご主人に、ありったけの勇気を振り絞って相談することもできたのに・・・。最初で最後の機会を遣り過ごした毬子はその行動をもって再び、肉妻となる誓詞をお義父さんに示したことになるんだよ。これでもう、お義父さんの言いなりだね、毬子。 |
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