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みかきもりの気ままに小倉百人一首

2009/05/30 天智・持統天皇
(2009/05/31 説明追加)
(2009/06/06-07 説明見直し)

小倉百人一首は万葉歌人から始まりますが、天智天皇や持統天皇の歌の陰には額田王の歌がありました(^^)
それによって情趣がぐっと深くなっています。

No. 天皇代 作者
(生年-没年)
万葉集
1 38代 天智天皇
(626-671)
秋の田のかりほの庵のとまをあらみ
わがころもでは露にぬれつつ
万葉集 巻一(7)
明日香川原宮御宇天皇代
額田王の歌 いまだ詳かならず
「秋の野の 美草刈り葺き 宿れりし  宇治のみやこの 仮庵し思ほゆ」
[要旨]秋の野の美草(みくさ/すすきのこと)を刈って屋根を葺いて泊まった 宇治の宮の仮庵のことが思い出される。

[みかきもり]
中大兄皇子(天智天皇)、大海人皇子(天武天皇)、額田王の三角関係は誰もが知るところです。 「秋の田の」も「秋の野の」もどちらも作者に確証がないようですが、 天智天皇と額田王が作者ということになっています。
こうして並べてみると、「そのとき誰といたの?」とつっこみたくなるのは私だけでしょうか(^O^)
2 41代 持統天皇
(645-702)
※天智天皇の第2皇女
春過ぎて夏来にけらし白妙の
衣ほすてふ天の香具山
万葉集 巻一(28)
藤原宮御宇天皇代
天皇の御製の歌
「春過ぎて夏来たるらし白妙の 衣ほしたり天の香具山」

[みかきもり]
「春過ぎて」の歌は百人一首(新古今集)では万葉集から少し歌が見直されて取り上げられ、かなりニュアンスが変わっています。
◆万葉集:「夏来たるらし」、「衣ほしたり」
 もう春が過ぎて夏が来るらしいですよ。ほら、まるで白妙の衣を干すように真っ白な夏雲が浮かんでいます、天の香具山に。
◆百人一首:「夏来にけらし」、「衣ほすてふ」
 いつの間にか春が過ぎて夏が来てしまったらしい。そう、天女が蝶のように舞い降りてきて羽衣を干すという天の香具山に。
万葉集では天の香具山の空に夏雲が浮かぶ情景を白妙の衣を干す比喩を使って写実的に描写しており、 その情景が目に浮かぶように伝わってきます。
一方、百人一首では天の香具山に夏が来たことを言って、 天の香具山は白妙の衣を干すといわれているなあという観念的な感じになっています。 観念的にすることでその余情からイメージを膨らませてこの世にない美しさをも表現しようというのが定家流です(たぶん)。 それゆえ、「白妙の衣」は天の香具山⇒かぐや姫の連想で天女の羽衣にもなり、「てふ」は天女が蝶のように舞い降りる姿にもなります。
(逆に言えばイメージが膨らまなければぼんやりとした歌になるかもしれないということですね。 後鳥羽院はそれを初心者向きじゃないと言っているのかもしれません。)

万葉集 巻一(16)
近江大津宮御宇天皇代
天智天皇が藤原鎌足に詔りされて、色とりどりの花が艶やかに咲いている春山と、 錦織りなす紅葉が美しい秋山とどちらに心ひかれるかを判断させた時に、 額田王が歌をもって判じた歌。
「冬ごもり 春さりくれば 鳴かざりし 鳥も来鳴きぬ
咲かざりし 花も咲けれど 山を茂み 入りても取らず
草深み 取りても見ず
秋山の 木の葉を見ては 黄葉(もみづ)をば 取りてぞしのぶ
青きをば 置きてぞなげく そこし恨めし 秋山われは」
[要旨]冬の間はこもっていても春が来ると、鳴かなかった鳥も来て鳴く。 咲かなかった花も咲くが、山の木が生い茂って入っても取れず、 草も深くて手に取って見ることもできない。 秋山の木の葉は黄色く色づいた葉は手に取って偲ぶことができる。 だが緑の葉はそのまま置いて早く色づけばいいのにと歎息する。 そこが恨めしく、私は秋山がよい。

[みかきもり]
小倉百人一首No.1-2で秋、春、夏と来ると、冬がないのが気になります。 万葉集 巻一を初めから順に「冬」が出てくるのを見ていくとこの16番に当たりました。 「冬ごもり」だから表には出てこないということかもしれません。 天智天皇、藤原鎌足、額田王と役者もそろっていますね(^^)
「春過ぎて」とこの歌が合わさって、四季折々の情景が感じられます。
・春山:色とりどりの花が艶やかに咲いている。鳥が鳴き、山木が茂り、草が深くなる。
・夏山:真っ白な夏雲が浮かぶ/天女が蝶のように舞い降りてきて羽衣を干す。
・秋山:錦織りなす紅葉が美しい。
・冬山:冬はこもっている。

「万葉集の解題」によれば、歌合せを伝えている最初がこの万葉集 巻一(16)のいわゆる 「春秋の争い」のようです。 この春秋の争いを想起するように、 定家は小倉百人一首No.1-2で秋と春を並べたのではないでしょうか。 また「春秋の争い」に「壬申の乱」を掛けているような感じもします。
◆「万葉集の解題」(折口信夫)より抜粋
恐らく、「歌合せ」は、巻一の天智天皇の時代、中臣鎌足が審判になつて、 春秋の諍(モノアラソヒ)をなしたと伝へられてゐるのが、最初であると思ふ。 此審判の時、額田(ヌカタ)女王一人が、作つて答へたと見えて居るが、 私の考へでは、集つた人皆が作つたが、額田女王の歌が、ぬきんでゝ居たと思はれる。
■参考文献
・万葉秀歌(一)            久松 潜一     (講談社学術文庫)
・新訂 新訓万葉集 上巻        佐佐木 信綱編   (岩波文庫)
・ビギナーズ・クラシックス 万葉集   角川書店編    (角川ソフィア文庫)
・百人一首 全訳注           有吉 保      (講談社学術文庫)
・全訳古語辞典(第二版)        宮腰 賢、桜井 満 (旺文社)

■参考URL
・たのしい万葉集万葉集の解題 折口信夫(青空文庫)万葉のとびら(毎日新聞) 天に通じる悲しみ(2009年5月30日)


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