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みかきもりの気ままに小倉百人一首

2010/09/22 晩秋の風「吹くからに」「白露に」

752年(天平勝宝4年)9月、天武天皇の第四皇子長親王の子である智努王(浄三)・大市王が
文室真人の姓を賜りました。正二位にまで昇叙された文室大市の後裔が六歌仙の一人で
ある文屋康秀、その子文屋朝康です。
文屋康秀(生年不詳-885年?没)は880年縫殿助(官位:従六位上)、文屋朝康(生没年不詳)は
902年大舎人大允(官位:正七位下)となりました。百人一首にある文屋康秀「吹くからに」、
文屋朝康「白露に」はともに晩秋の風を詠んだ歌ですが、これらの歌は文室(文屋)氏の置かれた
状況を感じます。
876年は藤原基経が陽成天皇の摂政となっています。これらの歌は藤原氏の権勢が文室氏に
どれだけ影響を与えたかを物語っているのかもしれません。
※定家は1166年に5歳で従五位下に叙位、1227年に66歳で正二位。

No. 作者 解釈
22 文屋康秀 吹くからに秋の草木のしをるれば
むべ山風をあらしといふらむ
”山から吹きおろす風は嵐(あらし)とちゃうで、颪(おろし)やで。 六甲おろしに~颯爽と~♪
そんなん関西人やったら誰でも知っとるがな。”
と、関西人がつっこみたくなる歌が「吹くからに」です。
(私は関西在住二十うん年ですが、関西人ではないので言葉は変かも…)

六歌仙の一人である文屋康秀ともあろう者がそんなことを知らないはずはありません。
この歌にはきっと何かがあるはずです。
上の句を見ると、からっ風が吹いて、秋の草木がしおれることで、木枯らしを連想します。
からっ風は颪(おろし)です。
この歌はぱっと見、山+風=嵐 といっていますが、木+から+あらし=木枯らし
歌に織り込んでいます。

吹くからに秋の草のしをるれば  むべ山風をあらしといふらむ

【参考】古今集仮名序
ふんやのやすひでは、ことばはたくみにて、そのさま身におはず。
いはばあき人のよききぬきたらむがごとし。

[みかきもり] さすがに文屋康秀はたくみですね。なんてベタな歌だと思わせながら、
「あれっ?ちょっと変」と気づかせ、こんなん出ましたけど~、というしかけは商人の
機知を感じます。
この歌には作者が文屋康秀か文屋朝康かという議論がありますが、仮名序での
文屋康秀の評価に沿って、定家は文屋康秀としたように思います。
37 文屋朝康 白露に風の吹きしく秋の野は
つらぬきとめぬ玉ぞ散りける
2010年9月8日の白露(はくろ)の日、台風9号が本州を横断しました。
1年を24等分した二十四節気で秋は、立秋(8月8日頃)、処暑(8月23日頃)、白露(9月8日頃)、
秋分(9月23日頃)、寒露(10月8日頃)、霜降(10月23日頃)となっています。
立春(2月4日頃)を第1日目として数えた二百十日(9月1日頃)から二百二十日(9月11日頃)が
台風が多く襲来する時期とされ、白露(はくろ)はちょうどそれにあたります。
(上記括弧内は現在の暦)

白露(しらつゆ/はくろ)に風の吹きしく秋の野は(野は/野分)
つらぬきとめぬ玉(水玉/魂)ぞ散りける

[みかきもり] 「白露(しらつゆ)」には白露(はくろ)、「秋の野は」には秋の野分(のわき)
=台風、「玉(たま)」には魂(たましい)が掛かって、このキラキラした美しい歌には
暴風雨の激しさやそれによって露のように散っていく民草の魂のはかなさが感じられます。
文屋朝康は詩人ですね。
定家が文屋康秀「吹くからに」(木枯らし)、文屋朝康「白露に」(野分)と親子で歌を取り
上げたのは、文室(文屋)氏が代を追うごとにその待遇が悪くなっていく様子を表現した
かったからではないでしょうか。
■参考文献
・百人一首 全訳注           有吉 保      (講談社学術文庫)
・古今和歌集(一) 全訳注       久曾神 昇     (講談社学術文庫)
・全訳古語辞典(第二版)        宮腰 賢、桜井 満 (旺文社)

■参考URL
・Wikipedia 文屋康秀Wikipedia 文屋朝康Wikipedia 藤原基経Wikipedia 藤原定家Wikipedia からっ風Wikipedia 木枯らしWikipedia 六甲山(六甲颪)Wikipedia 阪神タイガースの歌(六甲颪)大伴家持の世界/文室大市日本の苗字7000傑 姓氏類別大観 文室氏官位一覧こよみのページ/二十四節気とは自然体験活動QQレスキュー隊/白露

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