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みかきもりの気ままに小倉百人一首

2011/09/06 「めぐり逢ひて」
(2011/09/07 あらすじ修正、2011/09/14 説明修正)

小倉百人一首57番「めぐり逢ひて」の作者は「源氏物語」の作者で知られる紫式部です。
源氏物語の第41帖「雲隠」は本文がなく巻名だけが伝えられています。源氏物語54帖を数えるのに
この「雲隠」を含める数え方と含めない数え方があり、「雲隠」を含める数え方は中世以前に多く、
含めない数え方は近世以後に多いようです。「雲隠」を含めない数え方では第34帖「若菜」を上下に
分けて全54帖としています。
その「雲隠」という言葉がこの「めぐり逢ひて」の歌に含まれているのが気になります。

No. 作者 源氏物語
57 紫式部 めぐり逢ひて見しやそれともわかぬ間に
雲隠れにし夜半の月かな
■第39帖 御法(みのり)
紫の上は出家を六条院(光源氏)にいつも願いますが、六条院は病弱な身体の紫の上の
そばにいたいという気持ちからそれに同意しませんでした。
三月、紫の上の発願で法華経千部の供養の法会を自邸のように思う二条院で盛大に催し
ます。最期を感じる紫の上は来会した明石の御方、花散里の御方に和歌を贈ります。
夏になると紫の上は衰弱がひどくなります。紫の上に育てられた明石の中宮がお見舞いに
来て久しぶりの対面にこまやかに語り合います。明石の中宮は二条院に滞在します。
紫の上は三の宮(匂宮)には「大人になったらここに住んで、この対の前にある紅梅と桜の
花を大切に鑑賞し、何かの折には仏前にも供えるように」と話します。

秋になり、紫の上の住む西の対に明石の中宮の御座所を設けます。
風がすごく吹く夕暮れに六条院が西の対に来て三人が和歌を詠み交わします。その直後
紫の上の容体は悪くなり露が消え果てるように八月十四日明け方に亡くなります。
亡骸はその日のうちに荼毘に付されて翌八月十五日未明に葬送されます。
六条院は、昔大将(夕霧)の母で正妻の葵の上が亡くなった時は月がはっきり見えたことを
覚えていましたが、今は今宵が満月なのがわからないくらいもう真っ暗闇な気持ちでした。

六条院は悲しみから昔からの本意である出家をしたいと思いますが、こうした心の弱さが
後から評判になることを考え「この時期を過ぎてから」と決心しました。しかし、胸に込み
上げてくる悲しみは堪えがたいものがありました。
そうした悲嘆にくれる六条院のもとには、帝、致仕大臣、秋好中宮など多くの人から弔問が
あったのでした。

【参考】紫式部集/めぐりあひて
  はやうより童友だちなりし人に、年ごろ経て行きあひたるが、ほのかにて、
  七月十日のほど、月にきほひて帰りにければ
めぐりあひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲隠れにし 夜半の月影
  その人、遠き所へいくなりけり。秋の果つる日来たるあかつき、虫の声あはれなり
鳴きよわる まがきの虫も とめがたき 秋のわかれや 悲しかるらむ

[みかきもり]
「めぐり逢ひて」の歌には、紫の上が亡くなった後の光源氏の心情が感じられます。

めぐり逢ひて見しやそれともわかぬ間に 雲隠れにし夜半の月かな
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紫の上と出会ってどこか藤壺の宮の姿を重ねて見ていたと思っていたのに
こうして紫の上が亡くなった後はまるで夜更けの月が雲に隠れたかのように
心の中はただもう真っ暗闇です。(知らない間にこんなに深く愛していたのだなあ)
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・雲隠れ → 紫の上が亡くなる、月が雲で隠れる、真っ暗闇になる。
・にし → 紫の上を連想する(紫の上は二条院の西の対に住んだ)。
・月かな → 「月影」(月光)でなく「月かな」とし、月光が射すイメージを弱めている。
 (「月かな」は紫式部集や新古今集などでは「月影」となっている)
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■第40帖 幻
六条院(光源氏)は亡くなった紫の上のことを思いながら、一周忌が過ぎ、時雨がちな神無月が
寂しく過ぎます。十一月中旬になり、五節で世の中がどこか華やぐ頃、童(わらわ)殿上した
大将(夕霧)の子息や付き添いで参上した叔父の頭中将、蔵人少将らの何の物思いもなさそうな
様子を見て、六条院は自身の若い頃を思い出します。
六条院は次の春には出家してよいだろうと決意し、それとなく、仕える女房たちに身分に
応じて物を与えます。
年納めの仏名会の法宴に、六条院は紫の上が亡くなって以来初めて人前に姿を現します。
その姿は容貌や昔の威光をさらに一段と増して尊く素晴らしく、六条院を若き日から見てきた
老僧はそれを見てとめどなく涙を流します。
年が暮れ、かわいい若宮が走り回る姿を見て、六条院はその様子を見られなくなるのだなあと
寂しく感じます。そして元日の参賀に来る親王や大臣たちへの贈り物やそれ以下の人たちへの
禄に例年にないきわめて立派なものを用意するのでした。

もの思ふと過ぐる月日も知らぬまに 年もわが世も今日や尽きぬる


■第41帖 雲隠
(巻名のみで本文なし)

[みかきもり]
光源氏がその後出家しどうしたか、そしてどのように亡くなったかは、「雲隠」に本文はなく、
触れられていません。読者のご想像におまかせしますのスタンスです。
しかし、光源氏はきっと西方浄土で再び最愛の紫の上にめぐりあったことでしょう。
「めぐり逢ひて」の歌には、来世で出会った紫の上に対する光源氏の心情が感じられます。

めぐり逢ひて見しやそれともわかぬ間に雲隠れにし夜半の月かな
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現世では深く愛していたことがわからないうちに紫の上が亡くなってしまいましたが
めぐる来世の西方浄土ではまるで夜更けの月が暗い夜を明るく照らしているように
紫の上との見えない絆がはっきりと見えます。
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・雲隠れにし → 紫の上が亡くなった、来世の西方浄土、紫の上との縁(えにし)
・"間"の日、月 → 漢字の組合せで「明るい」
・"紫/縁"の糸、半 → 漢字の組合せで「絆」
 ("紫/縁"は「雲隠れにし」に隠れて見えないので、「見えない絆」)
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この「めぐり逢ひて」の歌には光源氏の現世で最愛の紫の上を失った悲しみと来世で
紫の上にめぐりあった喜びが感じられます。この歌が「源氏物語」を連想させることから、
定家は小倉百人一首にこの歌を選んだのではないでしょうか。
■参考文献
・あさきゆめみし(1)      大和 和紀 (講談社漫画文庫)
・あさきゆめみし(5)      大和 和紀 (講談社漫画文庫)
・百人一首 全訳注        有吉 保  (講談社学術文庫)
・全訳古語辞典(第二版)     宮腰 賢、桜井 満(旺文社)

■参考URL
・Wikipedia 源氏物語Wikipedia 御法Wikipedia 幻(源氏物語)Wikipedia 雲隠源氏物語の世界源氏物語の世界 再編集版平安王朝クラブ/紫式部集私考


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