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みかきもりの気ままに小倉百人一首

2012/03/27 「末の松山」

2011/3/11 東日本大震災で東北地方・関東地方の太平洋沿岸は津波で甚大な被害が出ました。
延喜元年(901年)に成立した史書「日本三代実録」は貞観11年5月26日(グレゴリオ暦869年7月13日)に
発生した陸奥国の大地震と津波の被害を伝えており、東日本大震災の被害と同様な光景が記されて
います。

No. 作者 解釈
42 清原元輔 契りきなかたみに袖をしぼりつつ
末の松山波越さじとは
■古今和歌集
古今和歌集 巻第二十 東歌(あづまうた)(1093番)
君をおきて あだし心をわがもたば すゑの松山 浪もこえなむ
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あなたをさしおいて、他の人に心を移すようなことがあったならば、あの末の松山を
波が越えるようになってしまうでしょう(そんなことはけっしてあり得ません)。
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[みかきもり]
貞観地震から36年後、「日本三代実録」から4年後の延喜5年(905年)に成立した
古今和歌集にはこの「君をおきて」の歌が載っています。
松山は防潮林で、津波や高潮に対して幾重にも防衛ラインが築かれ、その最後の砦が
末の松山だと考えます。そしてたぶん貞観地震では津波が末の松山を越えたのだろう
と思います。
「君をおきて」はストレートにいえば「あなたから心変わりしたら破滅です」と言っていますが、
それをたとえば自然の姿に仮託してオブラートにくるみ和を貴ぶのが日本人の心であり、
和歌なのだと思います。


■小倉百人一首
小倉百人一首(42番) 清原元輔
契りきな かたみに袖をしぼりつつ 末の松山 波越さじとは
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二人はかたく約束しましたね。おたがいにいく度も涙に袖をしぼりながら、あの
末の松山を決して波が越すことがないように、どんなことがあっても二人の仲は
末長く変わるまいと。
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[みかきもり]
「契りきな」の歌は、心変わりした女性に贈るため、清原元輔が代作した歌です。
「君をおきて」を踏まえており、ストレートにいえば「約束を破って心変わりしたあなたは
破滅です」と強烈になじっているのを、和を貴びとげとげしい言葉を使わず間接的に
和歌で表現しています。
この歌には清和天皇(19歳)の御代に発生した貞観11年(869年)の貞観地震を感じると
ともに出羽清原氏との連想で東北がイメージされます。
清和天皇は同年10月13日「陸奥の国震災賑恤(しんじゅつ=物品等で難民や貧者を救う)
の詔」を発して、地震や津波の被害にあった陸奥国に対し、税(租・調)を免除して自活
できない者には食料を支給しています。また地震は陸奥国と常陸との国境が最も甚だし
かったと述べています。

清和天皇には貞観8年(866年)藤原高子が入内し、貞観10年(869年)貞明(陽成天皇)を
産みます。その半年後に貞観地震が発生しています。
小倉百人一首13番から15番の歌には貞観地震と天皇の御心が感じられます。

小倉百人一首(13番) 陽成院
筑波嶺の峰より落つるみなの川 恋ぞつもりて淵となりぬる
小倉百人一首(14番) 河原左大臣
陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに 乱れそめにしわれならなくに
小倉百人一首(15番) 光孝天皇
君がため春の野に出でて若菜つむ わが衣手に雪は降りつつ

貞観地震を決して忘れないよう後世に伝えるため、自分にできることとして定家は
小倉百人一首にこの「契りきな」の歌を選んだのではないでしょうか。
■参考文献
・百人一首のなぞ        國文學編集部 (學燈社)
・古今和歌集(四) 全訳注   久曾神 昇  (講談社学術文庫)
・百人一首 全訳注       有吉 保   (講談社学術文庫)
・全訳古語辞典(第二版)    宮腰 賢、桜井 満(旺文社)

■参考URL
・Wikipedia 貞観地震Wikipedia 清和天皇Wikipedia 陽成天皇Wikipedia 藤原高子Wikipedia 出羽清原氏貞観地震・津波からの陸奧国府多賀城の復興


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