No. | 作者 | 歌 | 解釈 |
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3 | 柿本人麿 | あしびきの山鳥の尾のしだり尾の ながながし夜をひとりかも寝む |
【参考】古今集 仮名序 いにしへより かくつたはるうちにも、ならの御時よりぞ ひろまりにける。 かのおほむ世や、うたの心を しろしめしたりけむ。かのおほむ時に、 おほきみつのくらゐ かきのもとの人まろなむ、うたのひじりなりける。 これは きみもひとも 身をあはせたりと いふなるべし。 秋のゆふべ、竜田河にながるるもみぢをば、みかどのおほむめに にしきと見たまひ、春のあした、よしのの山さくらは、人まろが心には くもかとのみなむ おぼえける。 新古今集 巻第二 春歌下(99番) 太上天皇(後鳥羽院) 釈阿、和歌所にて九十賀し侍りし折、屏風に、山に桜咲きたる所を さくら咲く遠山鳥のしだり尾の ながながし日もあかぬ色かな ---------- 雲かと見間違うばかりの遠山桜は、山鳥の長く垂れ下がった尾のような 長い年月をどれだけ見てきていても、朝焼けから夕焼けまで1日ずっと 見ていてまったく飽きることのない景色です。 齢を重ねて九十となった(足を引きながらやってきた)釈阿(俊成)よ、 あなたは歌聖 正三位 柿本人麿にならぶ歌の聖(ひじり)です。 いつもそばにいてくれてありがとう。 ---------- [みかきもり] 建仁3年(1203年)11月23日、後鳥羽院(24歳)は九十歳となった俊成(法名:釈阿)の 祝賀の歌会を催しました。(定家はこのとき42歳) 後鳥羽院は柿本人麿「あしびきの」を本歌取りした「さくら咲く」の歌を詠みました。 「さくら」には「釈阿」の響きが感じられます。 「ながながし日も」には1日1日が積み重なった長い年月が感じられます。 「あかぬ色」には飽きることのない景色と茜色が感じられ、「ながながし日も」の「日」 との組合せで朝焼けや夕焼けをイメージします。そこには1日のうちで景色が変化する 美しい遠山桜がイメージされます。 釈阿の和歌は美しい遠山桜と同じだと後鳥羽院は称えているのでしょう。 この「さくら咲く」の歌は後鳥羽院による勅撰集「新古今集」で99番と中国で永遠を意味 する九九(久久)になっています。 定家は父であり師匠である正三位 俊成のこの栄誉ある日を記念して、小倉百人一首に 「あしびきの」の歌を選んだのではないでしょうか。 |
■参考文献 ・古今集・新古今集 大岡 信 (学研M文庫) ・古今和歌集(一) 全訳注 久曾神 昇 (講談社学術文庫) ・百人一首 全訳注 有吉 保 (講談社学術文庫) ・全訳古語辞典(第二版) 宮腰 賢、桜井 満(旺文社) ■参考URL ・Wikipedia 藤原俊成 ・Wikipedia 藤原定家 ・Wikipedia 後鳥羽天皇 ・おたくらしっく/俊成(釈阿)九十の賀 ・壺中日月/「俳句は心敬」(93) 心を澄ます(2) ・Google 朝焼け の画像検索結果 ・Google 夕焼け の画像検索結果