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みかきもりの気ままに小倉百人一首

2012/04/22 美しい調べ「これやこの」

「これやこの」の歌は小倉百人一首100首の中で唯一濁音のない歌です。
「行く・帰る」「知る・知らぬ」「別れ・逢う」の対語がリズミカルに並んで、逢坂の関を
人が行き交う様子が感じられます。
この歌の作者蝉丸は琵琶の名手として今昔物語集第24巻の第23話に出てきており、
蝉丸「これやこの」の歌は琵琶の名手の歌らしい美しい調べの歌です。

No. 作者 解釈
10 蝉丸 これやこの行くも帰るも別れては
知るも知らぬも逢坂の関
今昔物語集第24巻の第23話は「源博雅朝臣、会坂の盲(めしひ)の許(もと)に
行きたる語(こと)」です。会坂の盲が蝉丸です。
この話を要約すると下記内容になります。
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今は昔、醍醐天皇の皇子・克明親王の子の源博雅という人がいました。
管弦の道に熱心する源博雅は、今は蝉丸だけが知っている琵琶の秘曲の「流泉」
「啄木」を何としても聞きたいと思い、「今日は弾くか今日は弾くか」と蝉丸の住む
会坂に行ってはひそかに立ち聞きして「ああ今日も弾かなかった」と帰る毎夜を
繰り返していました。
そうした日々が3年過ぎ、中秋の名月の月が少し陰って風の少し強い、そうした
興のある夜、琵琶を掻き鳴らす蝉丸の「今夜数寄者が来たら語り合いたいものだ
なあ」という独り言に、博雅は「博雅がここに来ています、3年通い続けて幸い
今夜あなたに会えました」と声をかけると、蝉丸は喜び、博雅も喜びながら庵に
入って蝉丸と語り合いました。
博雅が「流泉」「啄木」を聞きたいと蝉丸に言うと、蝉丸は「亡くなられた敦実親王は
このように弾いておりました」とその秘曲の手を博雅に伝えました。
博雅は(琵琶を持ってきていなかったので)口伝でこれを習いながら蝉丸の教えに
何度も喜びに満ちて、時の経つのも忘れて、帰ったのは暁の頃でした。
これを思うといろいろな道はありますがこのように熱心するべきです。近頃はそれが
できていないので、後世にはその道の達人が少なくなります。実に残念なことです。
蝉丸は敦実親王のもとで雑役をする下男でしたが敦実親王の弾かれていた琵琶を
長年聞いて上手を極めました。それが目が見えなくなったので会坂に住むように
なったのです。それ以後、琵琶法師が世に始まったと語り伝えられています。
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[みかきもり]
「これやこの」の歌にはこの源博雅と蝉丸の逸話が感じられ、秘曲を蝉丸から
伝授された博雅の喜びが表現されていると感じます。

これやこの 行くも帰るも別れては 知るも知らぬも逢坂の関
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これがあの琵琶の秘曲「流泉」「啄木」なのですね。
この秘曲を聞くためこの3年間行っては帰り行っては帰りとあなたに逢わないまま
別れることの繰り返しでしたが、秘曲を知るあなたと知らない私が幸いにもこうして
出逢ってこの逢坂で一席設けることができました。これほどの喜びはありません。
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定家は、今昔物語集のこの源博雅と蝉丸の逸話を取り上げるべく、この逸話を
感じ、この逸話の中心となっている秘曲が想起される、音の濁りのないリズミカルな
美しい調べの歌であるこの「これやこの」の歌を選んだのではないでしょうか。

【参考】今昔物語集第24巻の第23話全文
岩波文庫「今昔物語集 本朝部(中)」をベースに、旧仮名遣いを残しつつ、現代風に仮名を用いたり、
読み仮名やコメントを入れたり等、読みやすいように改めています。和歌は独自に解釈しています。

今昔物語集 巻第二十四
源博雅朝臣、会坂の盲(めしひ)の許(もと)に行きたる語(こと) 第二十三


 今は昔、源博雅朝臣と云ふ人有りけり。延喜(=醍醐天皇)の御子の兵部卿の親王(=克明親王)と
申す人の子なり。万(よろづ)の事やんごと無かりける中にも、管絃の道になむ極めたりける。琵琶をも
微妙に(=微妙な手で)弾きけり。笛をも艶ず(えもいはず)吹きけり。この人、村上(=村上天皇)の御時に、
□□の殿上人にて有りける。
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□□は欠字。源博雅は康保3年(966年)に村上天皇の勅で『新撰楽譜(長秋卿竹譜)』~別名『博雅笛譜』~を
撰していることの想起のつもりか。源博雅は長秋卿と呼ばれた。
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 その時に、会坂の関に一人の盲、庵を造りて住みけり。名をば蝉丸とぞ云ひける。これは、敦実と申しける
式部卿の宮の雑色にてなむ有りける。その宮は宇多法皇の御子にて、管絃の道に極まりける人なり。
年来琵琶を弾き給ひけるを常に聞きて、蝉丸、琵琶をなむ微妙に弾く。
 而る間(しかるあひだ=それゆえ)、この博雅、この道を強ちに(あながちに=ひたむきに)好みて求めけるに、
かの会坂の関の盲、琵琶の上手なる由を聞きて、かの琵琶を極めて聞かま欲しく思ひけれども、盲の家異様
なれば行かずして、人を以て内々に蝉丸に云はせける様、「何ど思ひ懸けぬ所には住むぞ。京に来ても住め
かし」と。盲これを聞きて、その答へをばせずして云はく、

世の中はとてもかくてもすごしてむ みやもわらやもはてしなければ
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世の中はどうあれこうあれ過ごすことができるでしょう。
京(みやこ)の御屋も我れの藁屋も上には上が下には下があります。
盲いた我れはどこにいても果てしない夜の中で過ごしています。
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と。使ひ、返りてこの由を語りければ、博雅これを聞きて極じく(いみじく)心にくく思へて、心に思ふ様、
「我れ強ちにこの道を好むに依りて、必ずこの盲に会はむと思ふ心深く、それに盲、命有らむ事も難し。また、
我れも命を知らず。琵琶に流泉・啄木と云ふ曲有り。これは世に絶えぬべき事なり。ただこの盲のみこそ
これを知りたるなれ。構へて(=ぜひとも)これが弾くを聞かむ」と思ひて、夜、かの会坂の関に行きにけり。
然れども、蝉丸その曲を弾く事無かりければ、その後三年の間、夜々会坂の盲が庵の辺に行きて、その曲を、
「今や弾く、今や弾く」とひそかに立ち聞きけれども、さらに弾かざりけるに、三年と云ふ八月の十五日の夜、
月少し上陰り(うわぐもり)て風少し打吹きたりけるに、博雅、「哀れ今夜は興有るか。会坂の盲、今夜こそ
流泉・啄木は弾くらめ」と思ひて、会坂に行きて立ち聞きけるに、盲、琵琶を掻き鳴らして、物哀れに思へる
気色なり。
 博雅これを極めて喜しく思ひて聞く程に、盲、独り心を遣りて詠じて云はく、

あふさかのせきのあらしのはげしきに しひてぞゐたるよをすごすとて
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逢坂の関の打吹く風の激しさの中で、盲いた私は無理して(でも満足して)座っています。
この興のある満月の夜を過ごすために。
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・しひて⇒強いて(無理に)、盲いて
・ゐたる⇒居たる(座る)、至る(興のある)、足る(満ち足りる、満月)
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琵琶を鳴らすに、博雅これを聞きて、涙を流して哀れと思ふ事限り無し。
 盲、独り言に云はく、「哀れ、興有る夜かな。もし我れに非ず数寄者や世に有らむ。今夜心得たらむ人の
来よかし。物語せむ」と云ふを、博雅聞きて、音(こえ)を出して、「王城(みやこ)に有る博雅と云ふ者こそ
ここに来たれ」と云ひければ、盲の云はく、「かく申すは誰にか御座す(おはします)」と。博雅の云はく、
「我れは然々(しかじか)の人なり。強ちにこの道を好むに依りて、この三年、この庵の辺に来つるに、幸ひに
今夜汝に会ひぬ」。盲これを聞きて喜ぶ。その時に、博雅も喜びながら、庵の内に入りて、互ひに物語などして、
博雅、「流泉・啄木の手を聞かむ」と云ふ。盲、「故宮(敦実親王)はかくなむ弾き給ひし」とて、件(くだん)の手を
博雅に伝へしめてける。博雅、琵琶を具せざりければ、ただ口伝を以てこれを習ひて、返す返す喜びけり。
暁に返りにけり。
 これを思ふに、諸の道は、ただかくの如く好むべきなり。それに、近代(=近頃)は実に然らず。然れば、
末代(=後世)には諸道の達者は少なきなり。実にこれ哀れなる事なりかし。
 蝉丸、賤しき者なりと云へども、年来宮の弾き給ひける琵琶を聞き、かく極めたる上手にて有りけるなり。
それが盲に成りにければ、会坂には居たるなりけり。それより後、盲の琵琶は世に始まるなりとなむ語り伝へ
たるとや。

■参考文献
・今昔物語集 本朝部(中)   池上 洵一  (岩波文庫)
・百人一首 全訳注       有吉 保   (講談社学術文庫)
・全訳古語辞典(第二版)    宮腰 賢、桜井 満(旺文社)

■参考URL
・Wikipedia 蝉丸Wikipedia 源博雅Wikipedia 今昔物語集Wikipedia 殿上人Wikipedia 琵琶Wikipedia 盲僧琵琶Wikipedia 琵琶法師Wikipedia 雅楽平成花子の館/今昔物語集かたたご/今昔物語集・源博雅朝臣、会坂の盲の許に行く語 (現代語訳)千人万首/蝉丸

■琵琶演奏(YouTubeより)
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<中国琵琶>
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