No. | 作者 | 歌 | コメント |
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-, 新勅撰集35 | 紀貫之 | やまかぜに香をたづねてや梅の花 にほへる里に鶯のなく |
[みかきもり] 清原長谷(774生-834没)は791年に初めて清原真人姓を与えられ臣籍降下しました。 831年に参議となっています。 清原夏野(782生-837没)は同じ内舎人の官職にあった親族の山河王とともに804年に 清原真人姓の賜与と臣籍降下を希望し、父の小倉王が桓武天皇に上表し許されました。 この時、桓武天皇の皇女・滋野内親王の名と重なることを避けるために、名を繁野から 夏野に改めています。823年に参議、832年に右大臣に昇っています。 清原長谷、清原夏野は清原氏の氏祖です。(山河王の仔細は不明) 天武天皇 | 舎人親王 | 三原王 +-小倉王-清原夏野 +-石浦王-清原長谷 「人はいさ」「夏の夜は」「山河に」の歌は古今集 春上・夏・秋下から採られた歌で、 「小倉山」は拾遺集から採られた歌ですが、その採り方に何か区別している意図を 感じます。 「人はいさ」の歌は長谷寺に参詣する折ごとに宿泊していた家に久しぶりに訪ねた時の ものです。初めて臣籍降下した清原長谷の「長谷」があります。 「夏の夜は」の歌は清原夏野の隆盛を極めた世がすぐに過ぎ去り、天武天皇の皇子 舎人親王を祖とする清原氏が惑っている状況を感じます。 「山河に」の歌は山河王が感じられるとともに、清原氏の流れが行き詰まった状況を 感じます。 「人はいさ」「夏の夜は」「山河に」の春上・夏・秋下の季節の移り変わりに清原氏の 隆盛と衰退が重なります。 「小倉山」の歌は小倉王が上表した時の心情を感じます。 また「小倉山」の歌の作者である貞信公(藤原忠平 880生-949没)は914年 右大臣、 924年 左大臣、930年 摂政、936年 太政大臣、941年 関白となって藤原氏全盛の基礎を 築いています。 「小倉山」の歌によって清原氏と藤原氏を対比する構成にもなっています。 定家が実に精緻に和歌を選んで編纂し、歴史を描いていると感じます。 ---------- ちなみに、漫画家の清原なつのさんのペンネームの由来はこの清原夏野からです。 何年も前のことですが、もしかしたらペンネームは百人一首からとったかもと思い、 早川書房に問合せしたことがあります。残念ながら違いましたが、ご本人にまでご確認 いただいて本当にその節はおせわになりました。 |
35, (古今集 春上42) | 紀貫之 | 人はいさ心も知らず古里は 花ぞ昔の香ににほひける |
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36, 百人秀歌33, (古今集 夏166) | 清原深養父 | 夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを 雲のいづこに月宿るらむ |
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32, 百人秀歌32, (古今集 秋下303) | 春道列樹 | 山河に風のかけたるしがらみは 流れもあへぬ紅葉なりけり |
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26, 百人秀歌34, (拾遺集 雑秋1128) | 貞信公 | 小倉山峰のもみぢ葉心あらば 今ひとたびのみゆき待たなむ |
■参考文献 ・百人一首 全訳注 有吉 保 (講談社学術文庫) ・全訳古語辞典(第二版) 宮腰 賢、桜井 満 (旺文社) ・別冊太陽 No.1 百人一首 (平凡社) ・古今和歌集(一) 全訳注 久曾神 昇 (講談社学術文庫) ・古今和歌集(二) 全訳注 久曾神 昇 (講談社学術文庫) ■参考URL ・Wikipedia 清原氏 ・Wikipedia 清原長谷 ・Wikipedia 清原夏野 ・Wikipedia 小倉王 ・Wikipedia 藤原忠平 ・Wikipedia 清原なつの ・国際日本文化研究センター/和歌データベース/古今集 ・国際日本文化研究センター/和歌データベース/新勅撰集 ・University Virginia Library/古今和歌集 ・University Virginia Library/新勅撰和歌集 ・おとくに/古代豪族/清原氏考 ・阿哈馬江(Ahmadjan)のホームページ/臣籍降下・賜姓表(自延暦元年 至延暦二十五年)