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みかきもりの気ままに小倉百人一首

2018/10/23 帆かけたる舟
(2018/11/10 コメント追加)

BE LOVE 21号(2018 11/1)「ちはやふる」第207首は、かなちゃん回でした(^^)
ただ過ぎに過ぐるもの
帆かけたる舟。人の齢(よわい)。春夏秋冬。  (清少納言「枕草子」)

かなちゃんが瑞沢高校に入って、千早やかるた部のみんなと出会い、競技かるたとの
出会いがありました。風を受けて帆かけたる舟が大海原を滑走するように、千早たちと
ともに過ごした3年間は春夏秋冬その時その時いろいろなことがありながらも、
あっという間に過ぎた3年間だったと思います。進路に悩むかなちゃんは、走って帰ろう
とする千早を見て「走れ 帆かけたる舟」と思います。
その千早はクイーン戦の東日本予選、挑戦者決定戦を勝ち抜いて、大学受験の勉強を
抱えながら、妥協せず全てをかなえる強い気持ちでクイーン戦に向かっています。

「ちはやふる」の一番最初の第1首は、近江神宮で開催されるクイーン戦で千早が
「ちはやぶる」の取札を払ったシーンから始まり、そしてその6年前の小学6年生の頃に
さかのぼります。

No. 作者 「ちはやふる」第1首【BE LOVE 2号(2008 1/15)】
11小野篁わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと
人には告げよあまの釣舟
綿谷新は福井から東京の小学校に転校しますが、クラスになじめていません。
「あたしが綿谷くんだったら笑うためにメモとってる人と話したくないなあ」とクラスの女の子と話す
綾瀬千早を同じクラスの真島太一が見ています。
先生が入ってきて、「百首覚えたらテスト受けにきてね、来月のかるた大会に出てもらうから」と
話します。クラスの女の子が太一に「真島くん出ればいーのに、もう完璧覚えたんでしょ、はやーい」と
声をかけられて太一は鼻高々です。先生は新が百首一気に暗唱して合格したことを話します。
それを聞いてクラスのみんなは驚きます。
新聞配達をしていた新を千早は思い出してそのことを言います。「小学生は働いてはいけないのよ」と
クラスがざわつき、千早は自分が悪いことをしたと責任を感じます。
新をおもしろくない太一は雨の降る中で新を突き飛ばします。通りかかった千早が新を援護しますが、
千早も太一に突き飛ばされます。地面に座り込んだまま、新と千早は目を合わせます。

びしょびしょになった二人は新のアパートに行きます。
千早:「(ミスコンに出ている)お姉ちゃんがいつか日本一になるのがあたしの夢なんだ!」
新:「ほんなのは夢とは言わんよ、自分のことでないと夢にしたらあかん」
千早:「自分の夢あんの!?」
新は百人一首の取札を出してきます。千早が百人一首を知っていることを聞くと、新はうれしそうに
かるたをやろうと誘います。本気でかるたを取る新に千早は「せをはやみ」の1枚だけしか取れず
24枚差で負けます。
新:「かるたで名人になるのが、おれの夢や」

翌日、新とともにハブられた千早は太一に「あたしはいーから、綿谷くん解除してよ太一」と頼みます。
「こいつチビだし、ビンボーだし、田舎者じゃん」と言う太一に、千早は「でも綿谷くんかるただったら、
ここのだれにも負けないよ」と啖呵を切ります。
千早の勢いにのまれた新は「一枚も取らせんよ」と言います。
太一は「言ったな、じゃー勝負だ。一枚でも取られたら卒業までおまえはハブだ」と、売り言葉に
買い言葉です。
「これだったらだれにも負けない」なんていえるものを持っていないと思う千早は、「とんでもない賭け
なのに気持ちよかった」と感じます。

小学校のかるた大会で、新は1枚も取らせないパーフェクトなかるたで決勝に進みます。
太一も決勝に進み、新との対戦になります。太一は超厳しいお母さんがきており、その目の前で1枚も
取れずに負けるわけにはいきません。休憩中、太一は新の顔にコーラを吹きかけ、新が顔を洗っている
うちにメガネを隠してしまいます。
新が「メガネ隠したのやっぱり真島やと思う」と言ったのに対し、千早は「太一は心はせまいけど、
そんなひどいやつじゃないよ」と返します。それを太一は見ています。

メガネがなくて試合にならない新を押しのけて、千早が出場します。
「綿谷くんのかわりに絶対勝つ、違う、『かわり』じゃない、あたしが太一に勝つんだ」と千早は強く
思います。千早は、まったく覚えてない札は太一の動きを察知してあてずっぽうで取りながら、最後の
1枚となります。最後は太一の陣にある「ちはやぶる」の札を千早が取って勝ちました。
悔しがる太一に、千早は「太一との勝負、すっごいおもしろかった、かるたって楽しいね」と話します。
そして新を指差しながら「綿谷くんが相手じゃ、こうはいかなかったよ。あれは名人になるやつだから」
と言います。そんな千早に新は「じゃあ綾瀬さんはクイーンやの」と言葉をかけました。
「クイーン?」
千早はアパートで新から聞いた「かるたでは日本で1番は世界で1番」の言葉を思い出します。


[みかきもり]
この「ちはやふる」第1首は「君が代」とオーバーラップしていると感じます。
わが君は 千代に八千代に さざれ石の いはほとなりて 苔のむすまで
君が代は 千代に八千代に さざれ石の いはほとなりて 苔のむすまで

・さざれ石の いはほとなりて
 転校した東京の小学校で小さくなっている新は、普段は「さざれ石(細石)」ですが、かるたになると
 誰にも負けない「いはほ(巌)」になります。

・いはほとなりて
 「君が代」には「いはほ」と「ほと」が「ほ」の字で結びついて「いはほとなりて」だという解釈も
 あります。
 アパートで新と千早が本気のかるたをとってお互いの距離がぐっと近づきました。
 新が千早にかけた言葉が千早の胸に響きます。
 「ほんなのは夢とは言わんよ、自分のことでないと夢にしたらあかん」
 「かるたでは日本で1番は世界で1番」
 「じゃあ綾瀬さんはクイーンやの」
 新が千早に帆をかけ、千早は『帆かけたる舟』になったのでしょう。

・わが君は ⇒ 君が代は
 「お姉ちゃんがいつか日本一になるのがあたしの夢なんだ!」とお姉ちゃんの夢にのっかっていた
 千早が自分の夢としてクイーンを目指すようになります。

・千代に八千代に/苔のむすまで
 名人やクイーンになることを目標にして、新や千早が幾夜も幾夜も厳しい練習を重ねる光景が
 目に浮かびます。

綿谷新の名前から連想される次の歌は、今まさにクイーンに向かって大きく帆を張って漕ぎ出す
千早を感じます。

わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと 人には告げよあまの釣舟




■呉服神社(大阪府池田市)
大阪暁会の練習場である槻木会館のすぐ近くに、かなちゃんだったらきっとここに御守を
買いに行きたいと思う呉服くれは神社があります。
「くれはじんじゃ」とは普通ちょっと読めませんが、機織り(はたおり)から服(はとり)となり、
その「は」のようです。
第15代天皇の応神天皇の時に呉の国から渡来して日本に機織り技術を伝えたとされる
呉服媛くれはとりのひめ穴織媛あやはとりのひめの姉妹のうち、 呉服神社は呉服媛と仁徳天皇を祀っています。
関係の深い伊居太いけだ神社には穴織媛と応神天皇、仁徳天皇を祀っています。
大阪府池田市の市章は、この2人の織り姫が大陸からこの地に渡って織物や染色の
技術を伝えたという伝説をもとにしています。
競技かるたの序歌の難波津の歌は、皇子だった頃の仁徳天皇に百済からの帰化人
王仁(わに)が奉った歌とされます。どのような糸で結びついているかはわかりませんが、
不思議な縁を感じます。










右側はたぶん孔雀です。



左側はたぶん鳳凰です。








  謡曲「 呉服くれは 」と呉服くれは神社

 謡曲「 呉服 」は、時の帝に仕える臣下が
西の宮に参詣の途次「 呉服くれはの里 」の松蔭で、
一人ははたを織り、他の一人が絲を引いている
二人の女を見て不思議に思い、素性を尋ね
ると、自分達は応神天皇の御代に御衣を
織った 呉織くれはとり漢織あやはとりの姉妹で、 昔呉国から
勅使に従って渡来した織女であると名のり、
当時の様を物語った。やがて、明方の頃、
呉織くれはとりが天女の姿となって現われ、君が代を
祝って舞を舞い、綾錦あやにしきを織って献上すると
いう荘重で気品高い曲である。
 呉服神社は仁徳天皇の御代に没した呉服ごふく
祖神を祀る神社である。その遺体を伊居太
神社( 上の宮 )の梅室に、形見の三面神鏡を
境内( 下の宮 )の姫室に納め、翌年神祠を建
てて呉服神社とされた。以来我が国での絹布
類をすべて「 呉服ごふく 」と呼ぶようになった。

  謡曲史跡保存会

学業や仕事、合格祈願、家内安全、交通安全等の御守や組紐の御守などがありましたが、
オールマイティ感のある「呉服神社の御守」を買いました。
御守には糸巻きの絵が描かれています。




花邑の帯あそび/「糸巻き文様」について から引用:
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 江戸時代の頃には、長い糸に長寿や子孫繁栄の願いを込め、
 お嫁に行くときに、糸巻き文様の着物や帯をもたせたようです。
 また、当時の女性にとって織物は重要な仕事でもあり、
 糸巻きは大切な道具でした。
 そういったことから糸巻き文様には、
 手仕事が上手にできるようにとの願いも込められていたようです。
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家紋の由来/千切紋 から引用:
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 チギリは、織機に取り付けられた経糸を巻く工具のこと。これに似た形のもので
 二つの石や木を接続する填め木もやはりチキリと言う。糸巻から転じたことばだ。
 二つの物を結ぶことは、やがて男女の仲を結んだり、愛を交わしたりする契りに
 掛けて使われた。工具の千切がその結びつけるという役目から契りということばに
 ピッタリ合ってしまった。さて、この工具のおもしろい形は昔から文様として、
 平安時代からさかんに用いられた。この文様がのちに家紋に採用された。
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■参考文献
・ちはやふる(一)          末次 由紀     (講談社)

■参考URL
・Wikipedia ちはやふるWikipedia 呉服神社Wikipedia 伊居太神社 (池田市)Wikipedia 応神天皇Wikipedia 仁徳天皇大阪府池田市/池田の市章と花・木・鳥人文研究見聞録 呉服神社 [大阪府]伊居太神社と呉服神社ばさら日本史/原始機で機織りをするgoo 国語辞書/ちきりじめ


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