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男時・女時(おどき・めどき)

男時・女時は、600年以上前に書かれた最古の能楽論書である世阿弥『風姿花伝』に
出てくる言葉です。
ちなみに昨年2013年は世阿弥の生誕650年とされています。
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因果の花を知る事、極めなるべし。一切、みな因果なり。
初心よりの芸能の数々は、因なり。能を極め、名を得ることは果なり。
しかれば、稽古するところの因おろそかなれば、果を果たすことも難し。
これをよくよく知るべし。
また、時分にも恐るべし。
去年盛りあらば、今年は花なかるべき事を知るべし。
時の間にも、男時・女時とてあるべし。
いかにすれども、能にも、よき時あれば、必ず、また、わろき事あり。
これ、力なき因果なり。
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観阿弥・世阿弥の父子は室町時代の将軍足利義満に後援を受けました。
能の一座が一堂に集まって能を競う立合で勝つことは、パトロンや評判のために重要でした。
勝負には力の及ばない時の流れがあることを世阿弥は男時・女時という言葉を使って
記しています。
NHK Eテレ「100分de名著」 世阿弥『風姿花伝』 第4回 秘すれば花(2014年1月29日放送)では、
 男時:伸びて盛んになりうまくいく
 女時:停滞してうまくいかない
と説明しています。これは男が良くて女が悪いということではなく、勝負は時の運があり、
男時は時の流れに乗ってがんがん行く、女時はがんがん行く時期ではなく来る男時に花を
咲かせるために種を仕込んで育てる(生みの苦しみのニュアンスも含んで)、ということと
思います。
世阿弥は時の流れに男らしさ女らしさを感じていたのでしょう。


この男時・女時から次の和歌が思い浮かびます。
 難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今を春べと 咲くやこの花

難波津の歌は、競技かるたの試合で最初に読まれる小倉百人一首にはない空札(序歌)です。
今から60年前の昭和29年(1954年)に、日本かるた協会から序歌選定を委嘱された文学博士
佐々木信綱氏によって序歌として選定されました。
1954年は、1945年のポツダム宣言(日本軍の無条件降伏)受諾、1951年のサンフランシスコ
講和条約(日本の主権回復)からまだ間もない時期であり、これから高度経済成長がはじまろう
という時代でした。

この序歌の選定理由は次の3つの理由からなっています。
1) 作歌の時代が、だいたい年代順に並んでいる小倉百人一首(天智天皇〜順徳院)より
 早い時代の和歌である。
 ※難波津の歌は、第16代 仁徳天皇がまだ皇子の頃、兄弟で皇位を譲り合って3年も経って
  まだ皇位につかない仁徳天皇に百済からの帰化人 王仁(わに)が心配して奉った歌とされる。
  (いつ即位するの?今でしょ!)   「去年盛りあらば、今年は花なかるべき事を知るべし」かな?
 ※天智天皇は第38代である。
2) 歌道において聖書とみなされた古今集の仮名序で、和歌の手本とされている。
3) 歌意が日本の現状を示唆し、日本が木の花の冬ごもりのごとき受難の時代にあって
 咲く花の匂うが如く盛んな文化国家とならねばならぬと民族の運命をこの歌に寄せた。

この序歌の読み方は、
「難波津に〜 咲くやこの花- 冬ごも〜り〜 今を-春べと〜 咲くやこの〜花〜〜〜」
という読みになります。私が読む時に「咲くや」と「この花」を区切るかどうか迷った時は、
木花咲耶姫(このはなさくやひめ)を思い浮かべるようにしています。
「咲くやこの花」に木花咲耶姫を思い浮かべることで一つの言葉として読むことが再認識され、
冬こもっていた木花咲耶姫が春になってぱ〜っと花開くイメージを感じます。
それは女時から男時への変化です。とてもわくわく感を感じます(^^)

長かった冬にもいつかは春がやってくることでしょう。
因果の花を知って、それに備えて女時をいかに過ごすかが大切だと感じます。


■参考文献
・風姿花伝 世阿弥  野上豊一郎・西尾実 校訂(岩波文庫)
・100分de名著「世阿弥 風姿花伝 新しきが「花」である」 土屋惠一郎(NHKテレビテキスト 2014年1月)
・(改訂版)小倉百人一首競技かるたの読み方 社団法人全日本かるた協会競技かるた部(読唱)
・古今和歌集(一) 全訳注   久曾神 昇  (講談社学術文庫)
・古事記(上) 全訳注      次田 真幸 (講談社学術文庫)

■参考URL
Wikipedia 世阿弥
Wikipedia 高度経済成長
Wikipedia 仁徳天皇
Wikipedia コノハナサクヤビメ
Wikipedia 咲くやこの花館
Wikipedia 難波津 (和歌)

みかきもりの気ままに小倉百人一首
4. 「8人の天皇」


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