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科学的認識の進展による

二元論の復活


潜在

記憶意識できる顕在記憶と意識できない潜在記憶からなります。
顕在記憶を陳述記憶、潜在記憶を非陳述とも表現します。
意識も意識できる顕在意識と意識できない潜在意識からなります。
意識自体が神経信号の感覚表現、感情表現を受容記憶し、受容記憶した表現を意識として再表現することで実現しています。
意識の表現は記憶されることで対象として存在します。
意識は意識できない潜在する記憶によって実現しています。

意識は脳での神経信号処理の表現として実現しています。
脳での神経信号処理のは膨大な神経細胞網で段階的に担われ、その段階での表現すべては意識されません。
意識できるのは神経信号処理の最終の表現です。
前脳での神経信号処理の最終の表現が顕在意識です。

にもかかわらず、意識を顕在意識に限定し、潜在意識を無意識とする解釈があります。
「意識できること」のみに「心」、「魂」、「精神」等の価値を認める解釈です。
無意識は「無い」のではなく、有っても意識されないだけです。
日常生活ではほとんどの物事が意識されずに過ぎていきます。
道ですれ違う人々を意識せずに避けて歩きます。
人を好きになったり、嫌ったりの理由は意識されません。
意識しない意識、潜在意識が働いています。
そもそも人に意識が有るか無いかを確かめるのは医学的にも難しい問題*です。

脳での神経信号処理表現に限らず、感覚受容器での感覚信号表現も潜在表現です。
脊髄反射も意識に関わりのない潜在感覚表現に対する反射です。
文章を読む時には字体、単語の意味、文法などを意識せず、意識は文脈を追います。
意識しようにも絶対に意識できない潜在意識に支えられて、顕在意識は実現しています。
思考も何をどう考えているか分からずに進み、分かったときに初めて意識できます。

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* は外部リンクを示します。
_senzai.
2023.09.30