第四章 そして不都合が生じた
第1節 発端(その1)…ネット以前なら不可能だった

   1999年初夏、格別の訳もなく、『現代英語用例集』をまとめることになった。あるウエッブサイトのコンテンツの一環でもあった。入試問題に用例を求めることを敢えて避け、全ての用例をインターネット上から拾うという方針を立てた。一昔前、いや、五年前(1994年)でも不可能に近いことだった。世界中の英語媒体に用例の素材を求めるということなのである。英国や合衆国の主要な新聞・雑誌だけではなく、様々な国や地域の、日本ではその名も存在も知られていないような英語媒体、更には、大学案内、各種パンフレット、企業や各種商品の紹介文、求人案内などに至るまで、資料の収集に格別の費用も資料の保存や整理にもさほどの手間をかける必要なしに、用例収集の素材に出来るようになった今だから可能な方針だった。

   用例の整理を始めてからある不都合を感じるまで、さほどの時間はかからなかった。およそ英語教師であれば誰であれ同じ感じを抱くに至ったはずである。そうした感じを抱くきっかけになったのは恐らく整理・分類である。それも,単に英文を読むということにとどまらず、すべての用例に《全訳》をつけた上で整理・分類を続けたということである。

   予備校講師を生業としてもいる私が目を通す英文は、入試に出題された英文に限られてはいる訳ではない。取り分け、ワープロからパソコンに宗旨変えをし、同時にインターネットに接続して(1996年)からは、今この瞬間に世界中を飛び交っている英文に接する機会は飛躍的に増えていた。ところが、日常的に体験していながら、意識の網目をすり抜けている事柄というのは常にあるものである。その網目がより細かいものになる契機の一つが、英文を《全訳》した上で分類・整理するという作業であった。それまですり抜けていたものが引っかかるようになったのである。

   英文を日本語に《全訳する[4−1]》(大意要約でもなければ,その内容を日本語で表現する、というのとも異なる)というのは極めて特殊な作業だ。日本語とは、その音韻も文字も語彙も統語法も言語の背景をなす歴史・文化・生活も、相違すること甚だしい言語(ヨーロッパの諸語はその代表例である)で書かれた文章を日本語の文章に置き換えるというのは、気の遠くなるような職人的熟練を要する作業である。英語教師の《全訳》は、英語を仕事や日常の用を足すための実用的手段としている人たちが行うような「和訳」とは、多分、大きく異なるのではないかと感じている。訳出に当って、場合によっては同時に満たすのが不可能と思われるような幾つかの条件を自らに課しているのである。努めて自然な日本語[idiomatic Japanese]表現を心がける、対応する日本語表現を見出そうとする努力の放棄と見なされるようなカタカナへの置き換えに安住することを可能な限り避ける、《全訳》に可能な範囲で英文の構造を残す、できる限り英語の語順を尊重する(できる限り視覚に入ってくるままの順序で日本語表現に置き換える)、などを条件として自らに課すのである。と同時に、「説明」への偏執がどこかにある。用例として取り上げる以上、取り上げた英文について「説明」が可能である水準の読解を絶えず自らに課すことになる[4−2]

   異言語ではいたるところに陥穽が待ち構えている。例えば、"Good morning."を「いい朝」と置き換えることが出来ないという現実は、英文を日本語に置き換える場合、その至るところに同様の陥穽が口をあけているということと等価である。こうした陥穽を絶えず意識しなくてはならないということは、時に陥穽にはまることは避けられないということでもあるが、英語を母語とする人間には凡そ気がつかないような点・意識する必要のない点であっても、英文を日本語に置き換えようとする私には気がつく可能性があり、意識せねばならない場合がしばしばあるということでもある。例えば、"It rained for two weeks on end, completely ruining our holiday. (= . . . so that it completely ruined our holiday.) "(PEU, 455)〈二週間雨が降り続き、おかげで私たちの休暇は台無しになった。〉のような文例を読み流すことはとうてい出来ないのである(この文例については第六章第1節参照)。

   淋しくもあり、目を見開かされる作業でもあるのが《全訳》である。新しいものを生み出しているという手応えを普段に感じることは少ないけれども、英文に目を通して内容を把握するという作業だけで英文を読んだことにする場合とは比較にならないほど、様々な点に意識を向け、確認を心がけねばならず、また、それまでの自分の了解を試されることも度重なる作業である。熟練も要し、手間隙もかかる。しかし、こうした《全訳》なしで用例を整理するだけであったら、ことの展開は今とは違っていたはずだ。

   何が起こったのか。

  

(第四章 第1節 了)


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© Nojima Akira