『カンマを伴う分詞句について』(野島明 著)
第七章 開かれた世界から

第5節 「文章体」なのか、「文語体」なのか


〔注7−48〕

   文字表現の場合、適切に使用されているカンマは伝達の助けになることはあっても妨げになることはなく、格別な吟味の対象となる理由はない。他方、音声表現の場合、「間」を伴った非制限的関係詞節を含む発話は受け手にどんな印象を与えるのか。以下は、私の体験である。

   ミス・レモンはポアロのためのコーヒーカップを載せた小盆を手に、新たな依頼人を執務室に招きいれる。そのミス・レモンに、ポアロは、"Thank you, Miss Lemon."と礼を述べ,さらに、"You may now go back to your filing."と語りかける。これを受けたミス・レモンがその場を去った後、ポアロは初対面の依頼人にこんなことを語る。

Miss Lemon dreams of the perfect filing system ●beside which all the other filing systems would sink into oblivion.
〈ミス・レモンは完璧な書類整理方式を構想しておりまして、それと比べましたら他のあらゆる方式は色あせて見えることでありましょう。〉
(『名探偵ポワロ:ジョニー・ウェイバリー誘拐事件』主演:デビッド・スーシェ、NHK総合テレビ2000/7/25)
(●は「間[pause]」が置かれていた箇所。文字表現の場合、そこにはカンマが置かれるはずである)
   ”the perfect filing system”の“system"は"sys"に強勢が置かれた下降調[falling tone]ではなく、発話は未だ完結していないことをそれとなく告げる上昇調[rising tone]の抑揚を与えられ、それに続く「間を伴った"beside which"」は、デビッド・スーシェ演じるエルキュール・ポアロの外見に見合った「仰々しさ」を受け手に感じさせることになる。"beside which"以下は、日常生活の中で交わされる類の即応的談話([1−55])の中で出現したら、談話の当事者間で暗黙の了解が成立しているはずの談話の即応性を妨げかねず、結果的に、伝達の円滑さを損なうかもしれず、ことによれば受け手の苛立ちを誘うことになるやもしれない「間を伴った関係詞節」である。同じような「間を伴った関係詞節」は、しかし、受け手の謹聴を期待していい場面、「堅苦しさ」が許容されるような場面では、受け手の苛立ちを誘うこともなく受け手には受容されるであろうし、伝達の円滑さを損なうことにもならないはずである。「間を伴った関係詞節」は「仰々しさ」あるいは「堅苦しさ」をかもし出すことになるにしても、謹聴の用意ある受け手はそれをも謹聴という覚悟によって受け入れるべき発話の一部であると思いなすであろう。その場合、「仰々しさ」は伝達をより効果的に実現する働きをするかもしれない。

   カンマ或いは間[pause]については更に[1−19], [1−22]参照。

(〔注7−48〕 了)

目次頁に戻る
 
© Nojima Akira.
All Rights Reserved.