『カンマを伴う分詞句について』(野島明 著)


前書きと註記

   こんなことを言われた。
   「一言で言うとどんなことが書いてあるのか、その本には。」
   無理からぬ問いだった。

   少し乱暴な言い方をするとこうなる。
   日本の学校英文法の世界で多年にわたり流布している《分詞構文》という了解は砂上の楼閣にして迷妄である。本稿はこの迷妄を晴らし、「カンマを伴う分詞句」の新たな理解を築き上げる試みである。

   もう少し丁寧に、二言で言ってみる。

   一つには
   《分詞構文》はまず副詞要素であり、時には名詞修飾要素である、という通説(「カンマを伴う分詞句」に関わる問題の所在 参照)に代わるものとして、「カンマを伴う分詞句」はまず名詞修飾要素であり、時には副詞要素である、という考え方を提示した。

   一つには、
   ある発話が受け手にある程度了解されるには、発話自体と受け手の双方に一定の条件が整っていることが要件である、ということを述べた。

   本稿という発話にそうした条件がどの程度整っているのかは発話それ自体に語らせるほかない。受け手についていえば、『ポール・ロワイヤル論理学』を読んでこれが極めて優れた著述であると感じられる人には、『ポール・ロワイヤル論理学』及び『ポール・ロワイヤル文法』を読むチョムスキーは秀抜な読み手であると感じられる人には、本稿という発話を必要にして十分な程度了解していただけるであろうし、『言葉と物』(ミシェル・フーコー)を読んで面白いと感じられる人には、本稿をある程度面白いと思っていただけるであろう。

   ただ、正直な思いは、読み通す(新たな思考回路を経巡る)のは大変であろうなぁ、というものだ。であれば、 「この前人未到の荒地にこれいじょう奥深く踏みこまぬうちに踵をかえせ、先へ進むな」は要らぬ言挙げとなろう。

   本稿の読み方について著者から一言。

   本稿の記述の妥当性を精査検討してやろうという読者以外は、注の記述は目を通すにしても深入りを避けるのは一つの読み方である。本文を上回る分量のある注は、殆ど著者である私自身のためのものと言っていい。暗い夜道を照らし出すため自分の足もとにその都度灯した明かりである。

   また、《分詞構文》という通説に代わるものとして本稿が提示した考え方の骨子をまず把握したいと考える読者は、第一章第4〜6節はとりあえず飛ばすのも読み方の一つである。

   独力で一から考えることなどできるわけもない。取り分け次の方々(の記述)には大変お世話になった。

   Grammaire generale et raisonne(通称Grammaire de Port-Royal 『ポール・ロワイヤル文法』)の著者であるA・アルノー/C・ランスロの両氏、La logique ou l'art de penser(通称La Logique de Port-Royal 『ポール・ロワイヤル論理学』)の著者であるA・アルノー/P.ニコルの両氏、A COMPREHENSIVE GRAMMAR OF ENGLISH LANGUAGE の著者であるRandolph Quirk, Sidney Greenbaum, Geoffrey Leech, Jan Svatrvikの各氏、Parts of Speech 及び Syntax の著者であるGeorge O. Curme氏、『改訂版 英文法総覧』の著者である安井稔氏。

*

   生の英語資料を電子的に無料で収集できたからこそ本書は成立した。The New York Times ON THE WEB (http://www.nytimes.com/)(二千十一年三月末から実質的に有料になってしまった)を始めとする数々のサイトの恩恵を十二分にこうむった。感謝している。

    本稿を執筆する傍ら、収集・分類を続けた「カンマを伴う分詞句」を含む文例については、『現代英語力標準用例集』の「必須事項」の頁の「」参照。

   本文中のカギ括弧入りの数字([1−1]は注。ウエッブ頁なので、インターネット接続状態でのみ閲読可能。


(前書きと註記 了)


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