昭和21年5月に発表された、小説家持岡を主人公とした連作の一つである本作は、登場人物、出来事共に実際のものを多く含み、非常に随筆に近い作品です。

主人公の平田老人は、本名は平賀老人と言って、芹沢文学ではお馴染みの老人です。軽井沢の山荘に避暑に訪れるようになってから知り合ったのですが、野菜の行商をして、芹沢氏の奥さんのご贔屓でした。奥さんは、ひとを見る目に長けていたのではないでしょうか。芹沢氏の晩年の随筆を読むとき、よくそう思える場面に当たります。

平賀老人は、その奥さんのお眼鏡に適ったひとらしく、正直で勤勉で、その上こころまで広いという強者です。戦時中、農家の誰もが疎開者から金品を巻き上げて儲けようとするのを、ただひとり真摯に戦前と変わらないつき合いで、芹沢家を助けます。

こういうひとに出会うと「やるなあ」と嬉しくなりませんか。朴訥で愚直なまでに正直で、こころやさしい老人――自分もそうありたいと思うものです。

やがて老人と芹沢氏は、畑作りで競争を始めます。芹沢氏は持ち前の勉強熱心と勤勉さで、老人に勝利しますが、畑作りのプロである老人も、それを素直に認めて誉めるのです。とても清々しい競争です。

その競争の合間に、ひとつの挿話があります。アメリカ人将校が、フランス語を話す農民の噂を聞いて、芹沢氏を訪ねてくるのです。氏はフランス語で日本人の善良さを伝え、「哲学する農民」と驚かれますが、その会話を老人にも通訳します。老人は話の内容に共感したのか、氏の作品を読みたいと思い始めます。

老人は買い出しに来る娘に、何度もそれを依頼しますが、芹沢氏が返事を渋っている内に、老人との別れの時が訪れます。老人の願いを聞き入れなかった自分を責めながら物語は終わるのです。

このエンディングを読んで、何か気づきませんか。そうです。この芹沢氏の後悔は『神の微笑』の最初の挿話を思い起こさせます。「先生の神について教えてください」と聞かれながら、彼岸に送ってしまった老紳士こそ、平賀老人がモデルとなっているのではないでしょうか。

いつかこの事を、芹沢氏のご家族に聞いてみたいものです。老紳士が実在であったなら、それはそれで、あの芹沢氏が同じ過ちを二度犯したということで、何度も同じ過ちを繰り返す愚かな自分の励みになりますし、実在していなければ、この推測は一層現実味を帯びてきますね。

余談ですが、この『大地』に載った初出のものは、文脈から見て脱字があるようです。139頁の上段、「アメリカ人を敵であると見ないでいられるか自信がなかったからB29の」は「なかったから。B29の」でしょう。

(以下、2006.4.28加筆)

「文学者の運命」の『創作は疲れるものだ』を読んでいて気づいたのですが、この随筆の中で、小説を書く時、老人が「何事ももとが大切です」と言っていたのを思い出すと言って、小説のもととは何であるかと思い、「文学は言葉なき神の意思に、言葉を与えることだ」と考えたとあります。

これは正に『神の微笑』の書き出しの文章と合致します。これで上記の推論が、真実であろうと確信しました。芹沢氏は氏の神について初めて書くとき、平賀老人を思い出したのでしょう。そして、この随筆を読み返し、『神の微笑』の書き出しの文章を思いついたに違いありません。

あるいは、『神の微笑』の老人も実在したとしても、その質問が、平賀老人を思い出させたのかもしれません。どちらにせよ、この『あの日この日』と『創作は疲れるものだ』の二つの作品が、面白い想像を胸に運んできてくれたことは確かです。

(以下、2006.5.4加筆)

本日、愛好会の方にお話を伺う機会があって、老紳士が実在の人物であったことを聞きました。この推論は、あえなく外れてしまったようです。

ですが、往生際悪く思うのです。平賀老人を書いた随筆に、老紳士が探し当てた「無言の神に――」の一節があった事実を。あの質問は、老紳士が、平賀老人に代わって、芹沢氏にぶつけたのではなかったでしょうか。そうとしか思えないのです。

天国の平賀老人と老紳士が一緒になって、「さあ、書いてください。読者が待っていますよ」と、『神の微笑』を書こうと机に向かっている芹沢氏に、微笑みかける様が見えてくるのですから――

――最後までお読みいただき、ありがとうございました――

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