『愛の影は長く』の執筆後、半身である妻を亡くし、自らも死の準備を始めるようなときに、天と地が逆さになるような事件が起きて、生き返ったように執筆を再開しました。そうして生まれた作品が『神の微笑(ほほえみ)』であり、以後その生を全うするまでの8年間、毎年1冊の書き下ろしを発表しました。文学者として生きた作者の人生の最終章。(掲載作品数:33)

タイトル 初出日 初 出 初刊日 初 刊 本 入手可能本
備 考 / 書 評
親孝行について 1980/春 ひろば85 1982/10/15 『こころの波』新潮社 『芹沢光治良文学館12』新潮社
 トルストイとドストエフスキーを愛読して、その精神が今のロシアに生きているかギリシャ正教の本山に案内されることになった。通訳としてついたミッシャは教会に集まった老婆たちに辟易してみせたが、実は親孝行をすると長生きするからと、両親に毎日手紙を送るような素朴な青年だった。
文学の胞子 1980/6/18 読売新聞 1982/10/15 『こころの波』新潮社 『芹沢光治良文学館12』新潮社
 スイスから誕生日を祝うチョコレートが届いて――
 海外から未知の読者が便りをくれる度に、文学の胞子が広がっていることを感じている。
『椿姫』に嗚咽した民衆 1980/夏 ひろば86 1982/10/15 『こころの波』新潮社 『芹沢光治良文学館12』新潮社
 ロシアの作家協会に無理を言って精神病院と裁判所を見学したが、その二つが素晴らしかったのに反して、民衆は「椿姫」を観て嗚咽していた。その原因を新しい都市を造るより大変な思いで古い町を復旧させたレニングラードに見たように感じている。
死んだはずの若い日の友が生きていた 1980/秋 ひろば87 1982/10/15 『こころの波』新潮社 『芹沢光治良文学館12』新潮社
 この年の5月、フランス大使館から電話が入り、モーリス・ルッシーという方から手紙が来ていると教えられ――
 オートヴィルで共に療養した4人の仲間について書いているが、この再会がなければ、6年後の『神の微笑』は生まれなかったかも知れない。『神の微笑』であるジャックは、この随筆ではじめて芹沢作品に登場する。
美しい朴の一葉がまた散った 1980/冬 ひろば88 1982/10/15 『こころの波』新潮社 『芹沢光治良文学館12』新潮社
 戦前の星野温泉には様々な人たちが訪れたが、そこで再会した一高時代の友人、内村の死を知って、胸に淋しい風邪を吹き込んだ。
孤独な老耄欅 1981/春 ひろば89 1982/10/15 『こころの波』新潮社 『芹沢光治良文学館12』新潮社
『告別』を書くきっかけの詐欺事件で傷心の作者に、近所の老欅が声をかけて――
 老欅と知り合ってからジャックの死を知ったが、欅からその悲しみを慰められた。
愛の影は長く 1981/4/20 新潮社 1981/4/20 『愛の影は長く』新潮社
 主人公の元に、主人公がかつて愛した人と彼を引き裂く手助けをしたという婦人が読者となって現れて、当時の懺悔をする。作者はこの作品を書くことによって、自分の胸に糟のように残る愛人の蔭と最後の別れをしたのではないだろうか。
ローマ法王のメダル 1981/夏 ひろば90 1982/10/15 『こころの波』新潮社 『芹沢光治良文学館12』新潮社
 ローマ法王の来日に、30年前に謁見したピオ12世と多門小学校の思い出をふり返る。
 メダルの行方が気になった作者は、当時では未知の校長に電話を入れて、小学校の宝になっていることを知る。そしてその校長からの依頼で、メダルのいきさつを講演することになった。
私も『ガン病棟より還』らなければ 1981/秋 ひろば91 1982/10/15 『こころの波』新潮社 『芹沢光治良文学館12』新潮社
 妻が舌ガンにかかった作者の闘病記。夫人のことをあまり随筆に書かない作者だが、ガンが余程堪えたのだろう。闘病する夫人の言葉に『神の微笑』の主人公「ジャック」の言葉が出てくる。
最後の『ひろば』に 1981/冬 ひろば92 1982/10/15 『こころの波』新潮社 『芹沢光治良文学館12』新潮社
 一高の同窓会に出て、鬼籍に入った仲間たちの消息を聞きながら、作者はフランスで共に過ごした木村健助を思い出していた。
 同窓会で冬霜にあって萎えたようなこころを奮い立たせてくれたのは三岸節子から贈られた画集と小山敬三の存在であった。
ごきげんいかが※ 1982/3
或る女流歌人への手紙 1982/10/15 『こころの波』新潮社 『芹沢光治良文学館12』新潮社
 親交のあった女流歌人への手紙だが、その2では小山敬三夫妻との思い出から長女の思い出へと流れる随筆のように書いている。
晩年の朝夕 1983/1/9 日本経済新聞 1997/8/10 『芹沢光治良文学館12』新潮社 『芹沢光治良文学館12』新潮社
 随筆。妻の死によって力を落とした身体が、鍼医の治療によって蘇り、わが死や死後の世界を思って今までと違った生と死の世界が書けると喜んだ――
わが青春 1985/1/5 静岡新聞 1997/8/10 『芹沢光治良文学館12』新潮社 『芹沢光治良文学館12』新潮社
 4/10まで28回連載の随筆。『誕生の地』『ルビちゃん』『養子の話』『小学校時代』『村の掟』『沼津中時代』中学校長の出した『三つの提案』『一高入学』『苦学生』『処女作』『心の師』有島武郎『恩人 石丸氏』『ある事件』糸井教授の死『高文官試験』『帝大卒業』『農商務省へ』『祖母の死』『関東大震災』『競馬監督官』『山林官』『留学』『パリの日々』『療養生活』『才能の芽』『闘病生活』『麻布の家で』『懸賞小説』『私の誇り』
心友・石川達三君の死 1985/3 新潮社 1985/3 『波』新潮社 『芹沢光治良文学館12』新潮社
 随筆。石川の夢を見た3日後ラジオでその死を知る。原稿を読んでくれと訪れた昭和8年からの思い出を語る。
九十歳の充実――書下ろしを終えて 1986/6 新潮社 1986/6 『波』新潮社 『芹沢光治良文学館12』新潮社
 随筆。九十歳のお祝いにと花束を贈られて、わが創作人生を振り返る。喘息に苦しんだ日々、『人間の運命』を書いた日々、八十を越えて視力聴力とも衰えたとき、泰山木に話しかけられて驚いたこと。スイスで共に闘病した3人の仲間。ところが、死を前にした僕に神が作品を書けと急き立てた――
神の微笑
(ほほえみ)
1986/7/20 新潮社 1986/7/20 『神の微笑』新潮社 『神と人間』新潮社
 信仰の中に育ち、無言の神の要求を文字に込め続けた作者の人生の集大成と言える『神のシリーズ』第1巻。89歳のこの年から毎年1冊の書き下ろし小説を、その亡くなる日まで書き続けた。
 老読者から「先生の神について聞かせてください」と頼まれて、フランスで実証哲学を学んだ主人公が、木々と語り、天の声を聴き、スイスの高原療養所で自分を大自然の神に導いてくれた天才科学者との出会いから、神が自分のうちに目覚めるまでを回顧する。
 この作品を読んで古い読者は驚かれたかもしれない。それは天理教祖中山みきが存命の親様として登場し、しかも主人公がその親様にすっかり心服しているからである。過去において作者は、天理教を煩わしく思いこそすれ、受け入れることは全くなかった。2代目教祖井出クニに至っては、何度も会い、気の弱い者ならすぐにでも信仰につかまりそうな体験を繰り返してなお井出クニの価値を認めなかった。その作者が、この作品では存命のみきから聞いたとして「存命のみきは、井出国子が敗戦三年後、八十五歳で逝くまで、親神のはからいどおり、素晴らしい働きをして」と書いているのだから、驚かないわけがない。読者はこの作品によって、神との対話という新たな問題を提起されるが、2巻、3巻と読み進めるうちに、各々がそれぞれの捉え方によって、答えなり入り口なりを見つけていくのではないだろうか。
 主人公が37年前に渡欧した際、飛行機がテルアビブに不時着したのは親神のはからいだったと知らされるが、当時のことは随想集『ヨーロッパの表情』に詳しい。作品としては『きいろい地球』という佳作がある。
富士山はわがいのちの恩人 1987/7 新潮社 1987/7 『波』新潮社 『芹沢光治良文学館12』新潮社
 随筆。狩野川に投身自殺しようとしたのを救ってくれた富士が「あんなに弱かったのにすぐ九十一歳の誕生日だな、今度は百歳まで頑張れよ」と励ます――
神の慈愛 1987/7/20 新潮社 1987/7/20 『神の慈愛』新潮社 『神と人間』新潮社
 本作は主人公が『神の微笑』を書き上げて出版社に渡したところから始まる。その『神の微笑』が出版され、気にした反響も悪いものではなく、日常生活に戻ろうとした矢先、親様が現れて、聖ヨハネが主イエスに捧げた3つの書――福音書、手紙、黙示録――をあんたも書かなければならんとに言われ、手紙に当たる2作目の作品を書き始めることになる。それは、今までの経験の中で親神に助けられたと思うようなことを、手紙を書くように気楽な調子で書くことだった。
 後半、時間が現在に戻るが、学生時代から主人公の書斎を訪れていた河石という人物が登場する。彼は自己に壁を持って、家族にも心を開けない性質だったが、『神の微笑』を読み、目から鱗が落ちたように自分を変える努力を始める。そして、高原の主人公の別荘の庭で、生まれ変わった河石と息子夫婦と主人公親子は親様の説く「陽気暮らし」の一場面を演ずるのだが――人は誰でも多かれ少なかれ自己に壁を持っている。その多くの人が壁を持つことを疑いもしないが、壁は本当に必要だろうか。河石が壁を持ったままでは、この世の天国のような先のシーンは展開されなかったろう。親神の望む陽気暮らしとは、人が乳飲み子のように素直に心を開いて、お互いを慈しみ愛し合う中に実現される世界ではないか。読者はもう一度自分の内に無意識にある壁に目を向けて考えてほしい。
 本作では、存命の親様がもう天理教の教祖ではなく、人類、万物の母であることを説いている。読者は、本作を狭い宗教の枠で読んではならないということだろう。
物言わぬ神の意志に言葉を 1988/7 新潮社 1990/1/15 『私の昭和』新潮社 『芹沢光治良文学館12』新潮社
 随筆。フランスで迎えた昭和という時代を振り返りながら、昭和が終わっても作家として生き続ける宣言をする――
神の計画
(はからい)
1988/7/28 新潮社 1988/7/28 『神の計画』新潮社 『神と人間』新潮社
 この書は正しくこの作者にしか書けない神の書である。冒頭『人間の運命』の主人公である森次郎の秘密をアランの分身論で説明するところから、巻末の神に体力をもらい、齢を忘れて、毎朝生まれたばかりの1歳だとして生き、毎夜死んで、1日生涯という生き方をしようと決めるところまで、どこにも神の光が輝いて、それを評する言葉がない。
 病友ジャックに説かれて、作家になる決心をしたときから、そのジャックの「文学は無言の神の意志を代弁するような尊い仕事だ」という言葉をそのまま自分の作家精神として、50年以上の長い間書き続けたが、その対象となる神は無言だから、答えるもののない寂しい作業だった。だが、今、作者の前にはその神が現れ、やさしく慈愛の光で包み、励まし、みちを説いてくれる。その神の光を浴びて書かれたこの3作の神の書は、暗闇を手探りで歩いたような過去の書とは違った輝きを間違いなく放っている。聖書よりも仏典よりもわかりやすく親しみやすい、すばらしい神の書である。(聖書も仏典も勿論すばらしいのだが)
三人の天皇を送った 1989/3/25 中日新聞 1997/8/10 『芹沢光治良文学館12』新潮社 『芹沢光治良文学館12』新潮社
 随筆。明治、大正、昭和と3人の天皇の死を経験して、特に故郷の沼津で共に少年期を過ごした昭和天皇との思い出と晩年の御食事会での思い出とを語る――
人間の幸福 1989/7/20 新潮社 1989/7/20 『人間の幸福』新潮社 『神と人間』新潮社
 神の3部作を書き終え、安心して書き始めた続編が本書である。年1巻のペースも文章の調子も変わっていないのだが、主人公は神から人間へと変わっている。作者は、久しぶりに自らの作品を書けるという喜びを味わっているようにも思える。
 この巻には、須田ふみと中村英子という新たな登場人物があるが、ふたりとも神の与えてくれたような幸福な結婚をし、現象の世界にあって実相の世界の住人のような生き方をしている。それもふたりの夫が自らの使命に気づき、それを仕事にしていることで、神の望む陽気暮らしをこの世に実現しているからだった。また、この頃には主人公は天の将軍によって厳しい修行を課せられていたが、物に命があることなど大切なことを教わる毎日を過ごした。
 巻末、大江健三郎氏と主人公の関係がわずかに出てくるが、大江氏はこの後ノーベル文学賞を受賞していることも興味深い。
人生の門出で聞いた「業」を背負って 1989/8/1 新潮社 1989/8/1 『新潮45』新潮社
 随筆。「今でこそ『わが業』の認識」という特集で書かれた。
 幼き日、祖父から聞いた「業」を青年になって、療友のジャックから聞く。そして、帰国した日本では父からも。自分の作家生活を振り返ったとき、「業」とは「恩寵」のことで、「業」などは無いのだと力強く宣言している。
「大自然の唯一の神」に支えられ 1989/10/9 朝日新聞 1997/8/10 『芹沢光治良文学館12』新潮社 『芹沢光治良文学館12』新潮社
 随筆。スイスで闘病した3人の友が信じた「大自然の唯一の神」に命令され創作を続けて、今は年齢もなく毎朝生まれるように新鮮だ――
人間の意志 1990/7/5 新潮社 1990/7/5 『人間の意志』新潮社 『神と人間』新潮社
 「ルールドの奇跡の水」と同じだという「神の水」を毎日いただきながら、主人公は大自然の求める陽気暮らしの日々の中で、島崎藤村や川端康成、パリで兄弟の契りを交わした百武大佐との想い出を回顧しながら、人間はその意志を貫徹すれば、神がその心を良しとして、必ず幸せになれる、と説く。また、11月11日(1989年)には、親神が教えてくれたとおりにベルリンの壁が崩壊し、ヨーロッパから共産主義が姿を消して、平和への第一歩が始まった。
 この5巻目に来て、作者は現実世界との遊離を始めてしまったのではないだろうか。親神から「命の玉」をもらい、「みくまりの命」の神命を授けられて、この世のことに思い煩うことがなくなったのではないだろうか。天の音楽を聴き、風こそが親神だったと語る作者は、その大自然に光と溶けてその姿も霞んで見えるようだ。その光の中から「人間の意志とは、大自然の与えた自らの使命に気づいて、生涯をかけてそれに精進することだ」と繰り返し繰り返し呼びかける作者の声がする。
離欲 1991/6 PHP 1997/8/10 『芹沢光治良文学館12』新潮社 『芹沢光治良文学館12』新潮社
 随筆。尊敬する故郷の偉人・岡野喜太郎氏が99歳の時に、長寿の秘訣を聞いて、愛用されている秘薬「離欲」を教えてくれる――
なにごとも老いては人にまかせぎり 1991/7 新潮社 1991/7 『波』新潮社 『芹沢光治良文学館12』新潮社
 随筆。この言葉にも身体からと心からの2種類ある――
人間の生命(いのち) 1991/7/5 新潮社 1991/7/5 『人間の生命』新潮社 『神と人間』新潮社
 人も草木もみな大自然からいのちをもらって生きている。そのことを知らせるために、このたび親神自ら地上に降りて、笑顔を忘れたソビエト・ロシアの人々にも笑顔を思い出させようと働かれている。汝もテレビのゴルバチョフ大統領に話しかけて協力するのだ。そう天の将軍に注意されて、主人公はその通り実行したが、ゴルバチョフの顔は見る見るやさしく変化していった――
 この巻では、相田実と野辺道子という二人の登場人物をメインに話が展開する。若き日の自分のように自殺を思いとどまった実に、不幸な結婚をした野辺道子の生涯から、いのちの意味を語りきかせる。いのちの大切さを知った実が、どう生きていくか――
 巻末で主人公が自らの修行について触れているが、主人公の成長を証す面白い文章がある。この巻を書き始めた最初の頃には「太陽に何度祈ったかしれない――雲を破って光を下さいと。しかし、祈りはきかれなかった」とあるのだが、修行を終えて大自然と直接話が出来るようになった巻末では「太陽よ、顔を見せてくれと、声をかけてみた。一分もしないで、目をやっていた、あたりの空の雲がうすれて、太陽が顔をあらわした」となっている。
大自然の夢 1992/6/15 新潮社 1992/6/15 『大自然の夢』新潮社 『神と人間』新潮社
 『人間の生命』を書き終えた主人公に、太陽が「これで天について書けるな」と天――大自然の夢について語りだした。親神の夢の中に我々の世界があり、人間の一生も、国家も、また、大きな夢。平成3年(1991年)は陽気暮しの幕開けの年。その人類の陽気暮しに筆で貢献しようと、主人公は「もとはじまりの話」を書き始めた。
 この巻には山本三平という人物が主人公の話の聞き手の役割で登場するだけで、あとは前の巻で予告されたとおり聖体のジャックが頻繁に登場して、天と実相の世界について教えてくれる。しかし、内容よりももっと驚くべき事は、丁寧語で書かれた文体であろう。作者がなぜこのような文体を試みたのかはわからないが、最終章では、そのやさしい文体で、自分の周りに集まる雑多な人々について書いて、天の人々はどんな風にこの光景を眺めているでしょうと、読者が天の人々となって世の中の出来事を眺められるように導いている。このやさしい文体こそ「神の夢」という意味の本書にもっとも相応しいのかもしれない。
 この巻と次の『天の調べ』は、神の3部作、人間の3部作に続く天の書と位置づけられるだろう。
一高時代に書いた処女作の思い出 1993/3 リテレール 1997/8/10 『芹沢光治良文学館12』新潮社 『芹沢光治良文学館12』新潮社
 随筆。家庭教師を譲ってくれた大学生の話からインスピレーションを得て書いた『失恋者の手紙』。それを読んで仏語教師は文学部を勧めたし、後輩の川端康成は僕も小説家志望だと友好を求めてきた。すべて夢のように過ぎてしまったが――
天の調べ 1993/7/10 新潮社 1993/7/10 『天の調べ』新潮社 『神と人間』新潮社
 93年3月永眠後発表された作家芹沢光治良の最後の作品。筆を置いたのが1993年1月20日で、作者が96歳8ヶ月のときのものである。
 妻がジャックと共に聖体で現れて、リベルテ、エガリテ、フラテルニテ(自由、平等、博愛)と足踏みしながら、自分たちの結婚生活を回想する。地上では大自然の音楽が響きわたり、天では「天の調べ」の祝いの日が催された。
 この作品では、しつこいほど繰り返される言葉がある。それは「1987年に親神が初めて地上に降りられて、人間に陽気暮しをさせるために働かれている」ということだ。この最後の作品において、作者が訴えているそのことの感想を最後にこの書評を締めたいと思う。
 「親神は、1987年に、宇宙がはじまって以来、初めて、人類救済のために、地上に降りられた。それも、自分に似せて苦心の末に創られた人間に、神の望む陽気暮しをさせるためであり、人間は各自その事を思い出し、自分に与えられた才能を生かして、助け合い、喜び合うなかに、神に感謝して生きれば、必ずしあわせにその生を全うできる」
遺稿 1995/10/10 新潮社 1995/10/10 『芹沢光治良文学館1』新潮社 『芹沢光治良文学館12』新潮社
 『天の調べ』の後、亡くなる直前まで執筆していたという原稿。

タイトルバックが金・銀のものは当館推薦作品です。ぜひ一度お読みになってみてください。
初出順ですが、初出が不明なものは初刊本の日付を参考にしています。
各空欄はデータ不明です。タイトルの後に※のついたものは資料無しです。作品をお持ちの方からの貸出・提供をお待ちしています。
初出の『 』内は初出時のタイトルです。(タイトルと違う場合のみ)

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