1966年に日本ペンクラブの会長に就任し、『人間の運命』を書き終えた直後でしょうか。翻訳は抜粋。

Les Lettres francaises 誌
Les Lettres francaises 誌
1967年8月23日版
10人の日本の作家シリーズ(Ⅱ)
芹沢光治良と井上靖
インタヴュアー Jean PEROL

芹沢さん、日本ペンクラブの会長でおられますね、と言う事は文学界においての日本の状態をよくご存知ですね。

もし日本に危機が存在するなら、ジャーナリスムが繁栄しており強力で、ジャーナリスム界が作家達を、その勢力範囲に引きずり込むという点です。どうやってかと言いますと、新聞社は、作家が沢山書くように、とにかく無理な要求をします。これによって日本の作家達の創作に向ける意気込みを枯渇させ、創作欲を否定してしまっています。戦前は、書きたい物を書くという、純粋な喜びを味わったものです。ところが戦後から現在に至るまで、需要の要求があまりにも多すぎるのです。新進作家は摂取されるという条件をつきつけられているんですよ。逆説として言うならば、状況が良すぎて、そうした危険が出てくるのでしょう。行き過ぎというのは、不足というか欠陥を生じる結果になりますからねぇ。フランスの問題とは違います。

新聞社や各種の雑誌社が求めるものはとてつもないんです。年取った作家は、全面的には要求に答えられません。不足を補う為に、次から次へと若手に求めるんです。勿論、将来性もありチャンスもあるのに、出版界の苛酷な求めが理由で、出発点でつぶされてしまいます。若い流行歌手のように扱われるんですね。彼らを利用して仕事をさせて、成長を見守らないのです。創作者としての問題をないがしろにしています。日本の作家の宿命というのは、この国の果物に似ているかもしれません。需要に応じられるように早熟させて、味を失ってしまう訳です。現在、作品が多すぎて、作家の数が少ない。以前は作家があっての作品でしたが、今では作品が先行しています。文学作品を商品と見ている。消費率の高い日本社会と同じく、文学界でも商業ペースになってしまっているのです。

それはともかく、おっしゃっている事実には、肯定的な部分もあるのではありませんか?莫大な要求があるというのは、無限大の読者がいるという事ですね。私が日本に住むようになってわかるのは、日本人はどこでも、とにかく沢山読んでいますね。フランスで最近発表された統計によると、我々にはそんな出版熱を煽る土壌がありません。

ええ、そうでしょう。日本の読者層は厚いです。日本の作家のものだけでなく、もしかしたら翻訳による西洋の作者を読む方が、もっと盛んかもしれません。では、どうして翻訳ものが好まれるのでしょうか。日本人が正統性のある作品を求めているのです。商品でない、もっと堅固な何かを。不幸なのは、日本の作家は消費されるものであるという点。新聞に頻繁に名の出ない作家は存在価値を認められないという点。しかし変わりつつあるようですよ。ジャーナリスムに翻弄されていては本物の仕事は出来ないと、若手が気がついてきました。「文学者として生きる為に」(と芹沢氏はフランス語で言った)

5年位前、何巻にもなる、まだ完成していない長編小説を書き始めました。「人間の運命」といって、新聞社の為でも雑誌社の為でもない、あくまでも文学作品です。最初の何巻かは、読者にも批評家にも、成功していると受け入れられました。新しい文学者で、既に高名な大江健三郎は、大変勇気付けられたと、私に言っていました。

その長編を始められた時の意向は?

日本、特に日本人を、明治時代から現在までの変容、すべての社会的変動を通して描きたかったのです。はい、バルザックの様に。人間や家族といったものの肖像を。バルザックを読むと、お国の歴史と社会の断片ですわね。決して人物にとどまっていません。

そのフランスの社会を、長く滞仏されて、よく知っておられますね。我々の語学だけでなく、フランス文学をも学ばれて、深い認識を持っておられます。フランス文学と日本文学のそれぞれの特徴と言いますか、根本的な違いは何なのでしょう。

沢山ありますが、最たるものはスタイルでしょうね。フランスの文体は明確です。ところが日本の文体とは、不明瞭さが常に存在します。わからない、捕らえどころがない、むしろ感じ取るという類です。フランスの作家が意見を展開するのに対し、日本の作家は 示唆するというか……これが第一の違いです。

他の違いはお国の道徳観念と、文学の伝統でしょう。フランス文学においての二つのタブーとは、宗教とセックスです。 厳禁されているとは言わないまでも、ある規則はありますね。フランスの作家が宗教やセックスを取り上げる場合、くすんだ色調で、独特なやり方でしょう。日本文学におけるエロティスムというのは大きいですよ。何でも書けます。

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何でも書けるのですか?検閲はないんですか?

いかなる検閲もありません。

日本の文学界で、先生は御自身を、他の作家と比べてどの様な位置付けをされていますか?

むずかしい質問ですね。あえて答えるなら、新しい明瞭な論理的な文体を取り入れるのに、日本の感性というべきものを切り捨てるのに躊躇しなかったとなりましょうか。同時にフランスのモラリスムを尊ぶよう努めました。最近の会議で評論家達は、現代の文芸に基礎を築いたのは3人だと言いました。豊島よしお、岸田国士、そして私なんだそうです。3人が3人ともフランス文学の影響を受けているのが面白いんですよ。豊島さんは東京大学の仏文の教授でしたし、岸田さんはジャック ・コポーの弟子だったですからねぇ。

特にお好きなフランスの作家は?

バルザックとスタンダールです。一番良く読むのがバルザック、でも一番好きなのはスタンダールですね。

現在のフランスの文学界についてはいかがですか?

いやぁ、だんだん疎遠になっているけれども、興味は持っていますよ。

注目なさる新しい日本の作家は?

大江健三郎には絶大な信用をはらっています。三島と双璧をなしていますね。彼等の文学は基礎がしっかりしたインテリなものです。

キャリアのある日本の作家では?

川端康成さんに尊敬をはらっています。美しい日本語ですよ。叙情的、詩的ですばらしい。翻訳しにくいものですね。川端さんの世界は、奥深く繊細な、本物のエロティスムで、浮世絵に見られるものを再現しています。彼の文体は20世紀の頂点と言えましょう。

もし問われたら、若い作家にどのような忠告をなさいますか?

本物の文学者なら、一生書き続けるでしょう。だから急ぐ必要はありません。慌てずにジャーナリスムに目をつぶりなさい。才能を大切にして、漠としたもの、たとえばお金や名声を追わないで。

フランスの読者に伝えたい事は?

日本人もフランス人も同じなんですよ。ですから日本文学の中に東洋趣味を見たいという好奇心は残念ですね。

「パリに死す」は代表作の1つですが、そういった志向があられるのですか?

いやぁ、自分の国で死にたいですよ。

今、どんな国に行かれたいですか?興味を持っているという意味で。

もう年をとり過ぎましてねぇ。もっと若ければソ連に10年住みたいですね。3年前に、ソ連作家連盟の招待で訪問して4週間過ごしたんですよ。フルチェホフの時代でしたけれども。日本で聞き知っていた以上に国民は幸せそうで満足しているみたいでしたね。うん、もっと若ければソ連に行きたいなぁ。新しい社会の建設というものに魅せられるから。書く材料としても意義がありますね。