51年渡仏の際、フィガロ新聞に掲載された「巴里に死す」出版予告のインタビュー記事。この記事は芹沢氏のヨーロッパでの生活を大きく変えることになりました。

「巴里に死す」出版予告

「日本の声」

出版部数の多いのはアメリカだけとは限らない。日本では、芹沢光治良の「パリに死す」が12万部売れた。題名からしても、我々の好奇心をひく。著者である芹沢光治良は、国際ペンクラブ総会に日本代表として参加しただけではなく、当地では、その年代層の著名な作家である。グレーの豊かな髪の下、物柔らかな顔に微笑みがひろがる。彼の流暢なというより慎重なフランス語は、ソルボンヌでの長い勉学を思い出させる。社会学の教授であった芹沢氏は、13年前に、著作に専心すべく職を離れた。18の作品のうち一番有名な「パリに死す」が、近々、パヴイヨン選書より出版される事になった。おそらく翻訳は、山田きくによるだろう(管理人注:実際は森有正による)。慎み深い芹沢氏に、彼の今までの作品について質問してみた。

「一概に定義付けるのはむずかしいですね。デビューしたての頃、評論家達は、題材の選択や、当時の社会を書こうとするのは、バルザックの影響ではないかと言いました。今日では、むしろジャック シャルドンヌに比較されますね」

――という事は、お国の評論家達は、フランスの文学について深い知識を持っていらっしゃる。

「フランス文学は良く読まれますし、フランス語を習得するというのは、一種の流行です。カミュのペストは70万部売れましたし。サルトルやマルローも好んで読まれています。残念ながら、フランスからくるものに興味のある若者やエリート達には、可能性が限られています。もっと沢山の本や教授、講演者等が日本に来てくれればよいのですが」

――戦争は、慣習の進展を妨げましたか?

「ええ、社会的な紛争だとか、日本人と外国人の接触について考えさせられました。私の国では、最も奥深い感情というのは、なかなか表明できないんです。乱暴だとか告白、意志表示は悪趣味だとして嫌われて、シンボルによって表現するとか・・・たとえば桜の花というのは、死を前にしての勇気を現します。息子が出征する時、桜の花を象徴する掛け物をかけるのです」

――日本で花言葉の意味は、私達には考えられないものなのですね。戦後、生け花は健在なのですか?

「若い女性達は熱心ですよ。素材にする花だとか、どうゆう構成にするか、いろんな意味があるんです」

――そうしたシンボリスムというのは、経済的ショックにかかわらず、すべての芸能、特に演劇でも言えるのでしょうか?

「そうですね。「美女と野獣」という輸入された映画は大変な成功でしたが、日本の演劇は大衆性を持ち続けていますよ。各都市にパリのオペラ座より大きい劇場があって、300年も前のものを上演しています。俳優の演技は型があって、指を上げるのに伝統よりも高く上げたりすると問題になります。宗教的な要素の強いものに人気があります」

――ヴェニスの映画祭で大賞を得た日本映画の様に。最も良く知られているお作が「愛と死の書」「パリに死す」となると、死というテーマは重要なものと受け止められます。

(中略:「愛と死の書」のあらすじ)

――ところで芸者というのは、かつてのように厳格な教育を受けるのですか?そして現代の女性というのは?

「芸者の誇りというのがあって、アメリカ人には相手をしなかったし、若者は現代的になってきました。 慣習が存続しているにしても、私達は随分進化しましたよ。今の若い女性というのは体面を失うことなく外で働くようになったし。表情が変わってきました。以前より美しくなったし、ずっと幸福そうに見えますね」

――それにはあなたの小説によるところもあるのではありませんか?それに西洋文化を経験した人々との接触といったものが影響しているのでしょうね。お国の方達に示唆すべく考察がおありでしょうか。

「そうですね、常に現状の厳しさの中に夢を与えるよう、努めてきました。ともかく「パリに死す」が近々、僕のそうした意向が成功しているか、証明してくれるよう願っています」

聞き手 ジャニンヌ・デルペッシュ(女性)

※似顔絵の下にRoger Wildの署名がある。芹沢氏は彼に「フランス語ではソーバージュ(野蛮)ですね」と言ったそうだが、その名にふさわしくない好青年だったと作品にも出ている。

「巴里に死す」記事

左 1953年10月10日 Les Dernieres Depeches(Dijonという都市の新聞)

「パリに死す」は非常に純粋な、偉大な文学であり、泰然とした外観の裏に、奥深い感情が読み取れる。日本では大変好評で、10万部売れたという。この作品ですばらしいのは、芹沢光治良がフランスの心理小説の技法に基づいて、シンプルで透明な境地に達している点にある。確かに翻訳者の技量も認められるべきであろう。文体は例外にない明確さであり、同時にこの作品はいかなる面から見ても完璧である。しかし読者を魅了するのは、著者のフランスと日本に対する博愛であろう。自分はかつて、外国物を好まなかったが、この作品には敬服する。その荘重さに。 L.G.

右 1954年4月号 Etudes

芹沢光治良「パリに死す」アルマン ピエラール編纂による日本の小説。ページ数264。値段560フラン

20年後に日記が発見されたと、ナレーターによって説明される。手法そのものは使い古されたもののように見える。しかしその小説が日本製であるとすれば、伝統的演劇、能を思い浮かべざるをえない。その上、日本での販売部数が夥しいものであり……と続けたら、良識的な読者は躊躇ってしまうかもしれない。しかしながら、この著者と出版社に服する事は、無駄であるどころか価値に価する。何故なら、若い日本女性がヨーロッパに来て新婚生活を過ごし、死亡するという、実に心をひきつけられる内容であるから。隠れた嫉妬を持つ女性が、心をむしばまれている様子は、w.Sansomの「肉体」に表現される男の嫉妬と同質のものであろう。自我を忘れた母性の小説は、英雄的なまでに昇華する。西洋文化に目覚め、驚嘆するひとりの日本女性、が、目をくらまされてはいない。彼女の繊細な感性ある魂に揺さぶられる。 A.ロウバ

「パリに死す」記事

Ecole Liberatrice 1953年11月6日

文学シーズンの再開と共に、12月初旬の各文学賞の発表に向けて、この期間に出版される数は多く、すべてを紹介するのは不可能である。加えて、予想される受賞者の名が飛び交って。出版界は競馬場の如きにある。

(中略)

芹沢光治良の「パリに死す」は神秘的な作品である。我々の世界とは異なった心理世界に導かれる。主人公の日本女性、伸子は宮村と結婚してパリに住むようになって日が浅い。宮村は医学の研究をしている。異邦人によって、フランスの生活が述べられるというのも、新しい要素である。しかし当作品の根本は、これにとどまらない。伸子は妊娠していると知るとほとんど同時期に、結核に冒されていると知る。健康状態は中絶を必要とした。しかし

彼女は中絶を拒否し、犠牲をはらって女の子を出産し、数ヶ月後に死亡。こうした姿勢は日本的と言い放つ事はできないだろうが、この悲劇で遭遇するのは夫婦生活であり、布教者や旅行客、小説家の話によってしか知らない者には、東洋を理解しているとは言えない。この作品によって人類の理解が深まるように。 オンリー ペヴェル