商品スポーツの事故と責任 
シリーズ2 
トムラウシ遭難事故の今と過去


北海道・大雪山系のトムラウシ山と美瑛岳で、7月16日に続けて遭難事故が起きました。
18日朝の段階で、犠牲者総数は10人となったとのことです。
内訳はトムラウシ山に登ったツアー客19人のうち17日朝までに男女8人の死亡が確認されたこと、また単独で登山していたとみられる男性1人が死亡し、近くの美瑛岳では6人のうち女性1人の死亡も確認されて、計10人が死亡ということです。
もとより各犠牲者の命の重さ軽重などはなく、そのすべての皆様にお悔やみを申し上げ、さらに事故の原因を今後の事故予防のために生かすことが必要なのですが、本ホームページは、個人の及ぶ範囲で商品スポーツの事故などを扱ってその予防や犠牲者の救済が速やかに行われるようにとの願いで作成しているため、今回は特に8人が同時に事故に遭われたツアーの問題点について、現時点で報道された範囲内で考えてみます。ただし私は登山の専門家ではないので、あくまでも素人意見としてのものです。また私の能力の足りないところはたくさんあると思いますので、専門家の皆様のご意見と違う部分や考えの浅い部分について深くお詫びします。

今回の事故は、7月とは思えない風と寒さが原因であったということですが、それはツアー会社側のプロは予期し得ないことでしたでしょうか。
今回の事故ではガイドの方も犠牲となっております。ここで紹介する内容においては、そのガイドの方を情報不足のままいたずらに非難するものではありません。参加者(客)を守るために現場にとどまって犠牲になったとも考えられます。現在得られている情報は少ないです。そのため個々のガイドの方々の行動や判断については、今後の司法の判断や、登山の専門家の方々の判断・評価を待つことが適切と思います。よってここでは過去の事例を見た上での、あくまで現時点での個人的な考えを語るにとどめたいと思います。ご理解の程をお願いします。
 
私は昨年の日本スポーツ法学会の大会で商品スポーツ業者の事故時の刑事責任がどのように問われているかについて研究したものを発表させていただきました。その発表を論文としたものは今年の9月に学会の年報に収録されます。
さて、前回の大会の発表した散策登山の事故事件当時の刑事判決の中から、今回のトムラウシ山事故を考える際に役立つと思われる部分を紹介します。ただしこれらがそのまま今回の事故の原因にあてはまるとは限らないのでご注意ください。繰り返しますが、今後の捜査・検証・評価・裁判の結果を見ることが必要です。

1)ニセコ雪崩事件
  ■1998年(平成10年)、冬のスノーシューイングツアーで、2人のガイドに引率された2人の女性客が雪崩に遭い、1人が死亡、1人が6日間の入院となった。
  ■判決の理由となった業者の責任
   (a)「万が一にでも遭難事故に遭うことがないよう慎重に判断・行動すること」
   (b)自然現象でも、その「具体的な予見可能性は必ずしも発生メカニズムの学問的解明を前提とするものではない」
   (c)ガイドの判断を、「限られた情報・経験のみに頼った甚だ軽率な判断」

2)トムラウシ遭難事件
  ■2002年(平成14年)の登山ツアーで、ガイドは男女7人を率いてトムラウシ山に入山した。彼らは折からの台風による悪天候で山頂付近で動けなくなった。ガイドら7人はヘリコプターで救助されたり自力で下山したが、女性客1人はそれがかなわず凍死した。他にも2人が意識不明や過度の衰弱から自力で下山できなくなった。
  ■判決の理由となった業者の責任
   (a)「事前に気象情報を十分に把握する」ことは業者の義務。
   (b)判断ミスの原因は「長年の登山歴や多数の登山ガイド歴からくる慢心
   (c)「ツアー客は、登山のプロである被告人の登山ガイドとしての判断力及び技量を信頼し、いつ何時危険な状況に陥るかもしれない登山において、自らの生命を被告人に預けていたともいい得る」

3)羊蹄山ツアー遭難事件
  ■1999年(平成11年)、旅行会社の添乗員が14人の客を引率したツアーで、はぐれた2人の女性客(BとC)が凍死した。
  ■判決の理由となった業者の責任
   (a)「添乗員にはツアー客の安全確保と、円滑な旅行実施の義務」があり、添乗員とは、「被告人が本件ツアーに当然に伴う人の生命・身体に対する危険を防止することを義務内容とする職務」
   (b)「ツアー客が(中略)悪天候の中での不安・焦燥・誤解等も重なって状況判断を誤り、(中略)山頂付近を迷走するなどし、体力消耗・強風冷気等の悪条件から凍死等で死亡することを十分予見でき」る。
   (c)「予見可能性としても、その細部にわたって予見が可能である必要はなく、被告人の適切な引率を受けられずに状況判断を誤った結果として死亡するという程度の基本的部分について予見が可能であれば足りる」

4) 屋久島沢登りツアー死傷事件
  ■2004年(平成16年)、ガイドに引率された男女4人が沢登りを始めた。その途中、降雨のためツアーを中止し、下山しようと川を渡る途中、増水した川にツアー客4人が流されて3人が死亡、1人が負傷した。
  ■判決の理由となった業者の責任
   (a)業者とは「ツアーに参加する者の生命を預かる立場」
   (b)「最悪の事態だけは避けられるように,安全かつ慎重な方策を採るべきである」

5) 散策登山における業者の刑事責任の背景
  ■業者の義務 危険の予見と予備計画
  @消費者(客)は、業者に、安全に関する行動計画全般と現場での判断を委託している。
  A一般向けの散策登山は、危険を予見し、その対処が可能である範囲で行われるべき(商品化されるべき)ものであり、したがって
事故の際に、自然現象を業者の責任回避の理由とすることは認められない。
  B危険を予見した場合には、ただちに散策登山を中止して危険を回避するための予備計画に移行することは業者の品質保証上の義務であり、そのための準備も当然の義務である。(散策登山を実行前に中止することも予備計画となり得る。)

今回の事故の検証(現時点の報道からの推定)
以上の事例にもあるように、トムラウシ山では、わずか何年か前のほぼ同じ日(2002年、平成14年7月11日)に今回とほぼ同じような事故が起きているのです。
このときの教訓は今回生かされていなかったのでしょうか。
法学者の千葉正士博士が、「事の危険の可能性および事故の現実性を観察・分析しこれらに対する実践的対策を提供する法学、言ってみれば応用法学を樹立することである。」(「スポーツ法学から応用法学へ−新世紀の法学のために−」2002年 東海法学第28号1頁)と述べているような、業者のリスクマネジメントのための施策が、同じ場所で、わずか数年前に起きた事故を教訓としてとらえられていなかったとしたら、それは大きな問題ではないかと思います。

共同通信(2009/07/17 20:09)によりますと、ツアー会社の社長が「ツアーの安全管理は悪くなかったのではないか。登山開始時の危険の予測が難しかった。山頂は相当な風速と雨で(事故は)天候の要因が大きかった」と語ったということですが、いくつかの点で確認すべきことがあるのではと思います。ここで示すことの多くは、私の知る限りほとんどが報道でも言及していませんでした。(メディアの方にはこの部分の調査と確認が必要ではないかという私の考えはお伝えしました。もし他にも同じ考えの方がいらしたら今後はこれに関する報道があるかもしれません。)
なお繰り返しますが、以下は個人的意見ですのでご承知おきください。

1.装備の問題
 @通信手段が確保されていたのか
  2002年当時は難しかったかもしれませんが、現在は衛星携帯電話は、業務でなら十分安全管理費として対応できるレベル(使う時だけのレンタルでも可能ではないか)にあると思います。ガイドの方が危機を会社に伝えてきたのは、客と離れて携帯電話が使えるところまで降りてきてからだと聞いています。だとしたらもし常時使える(気象の影響があるかもしれないが)衛星携帯電話をガイド全員が持っていたら、気象がおかしくなる前に、あるいは「もうダメかもしれない」と発するずっと以前に各方面に自由に連絡が取れていたのではないかと思います。そうであれば、業者側は通信手段の確保という、最も基本的な部分で安全配慮の義務違反を行っていたのではないかという可能性が考えられます。
※7月19日15時43分配信 時事通信によりますと、当時、山頂付近で通常の携帯電話が使えたようです。また同通信では「道警はその後、ビバーク中のガイドと携帯電話で何度かやりとりをしたが、通信状態が不安定で、同8時以降は連絡が取れなくなったとされる。」とのことでした。これから思うところは、やはり衛星携帯電話があった方が通信できた可能性が高いのではなかったのではと考えます。
 A耐寒装備は
  過去のトムラウシ山での事故事例を見ても、夏であっても耐寒装備は不可欠であることが分かります。特に数日かけて山を縦走するのであれば、山がどんなタイミングでどんな気象状態に変化するか予想できないことは山の素人でも予見できます。リスクマネジメントは危機を前提に考えるものです。何でも前向きでなんとかなる、などという、特に正常化の偏見の下でできるものではありません。思いっきり後ろ向きに悲観的に考えさえすれば、もしかしたら突然風と寒さに襲われるのではないか、多人数なので行動がバラバラになってしまい、わずかな数のガイドでは簡単にカバーできなくなる可能性があるのではないか、それに参加者それぞれの体力が機械的に一致しているのではないことでのトラブルがあるのではないか、また数日間という長時間での縦走ツアーなので、参加者の思わぬ体調の変化も考えられるのではないか、だとしたらそれらの最悪の事態に対処するにはどうしたらいいのか、などを考慮して、参加者が安全に日常に戻れることを最優先にした装備が準備できるのではないかと思います。登山の専門家なら、風と寒さで体力がそろわず、行動がばらばらになるというときに、生き残るための装備、という課題で考えれば、きっと必要な装備が頭に浮かぶと思います。そうなのです。今回はそれがどの程度あったのでしょうか? 商品スポーツビジネスとしての登山なら、業者側は耐寒装備を持ってこないという人、忘れた人、あるいは不十分な人が出ることも想定して耐寒装備の予備(レンタルででも)を用意するか、あるいは用意しない人には登山を諦めさせるというようなことが必要なことなのではないでしょうか。それは事故のリスクの情報開示を積極的に事前に行っていれば、業者の方も消費者として参加する側にとっても常識的なこととして受け入れなければならないこととして理解できていたのではと思います。またそこで発生する利益の喪失は、このようなビジネスには想定できる(あるいは、すべき)レベルのビジネス上のリスクではないかと思います。(実際に働いている方々の、日々の、軽々しくは語れないような労苦は心から尊敬しております。)
商品スポーツというビジネスでは、商品スポーツ全体として、安全管理費を価格競争の枠外に置くような法的な仕組みが必要ではと思います(スポーツ基本法による商品スポーツの品質管理の規定が必要と考える。)。

2.商品スポーツの役務上の品質の問題
 @登山計画書
  報道では、警察が登山計画書の提出をツアー会社に求めたとありましたが、ここで重要なことは、山で起こり得る、引率者の年齢を加味した、基本的計画と、物事を後ろ向きに悲観的に考えた(こういう見方が必要です)上での予備計画がどの程度なされていたかの検証が必要と思います。素人が言うのもなんですが、冒険家として地図にない空白を埋めるためとか、登山家が命をかけて新ルートを開拓するためとか、古の八甲田山の事例のような軍事目的、あるいはさらに古い事例のさらさら越えのような止むにやま得ぬ事情がなければ、危ない、あるいは当初の計画では対処できない可能性が出てきた状況になったときの商品スポーツの最優先事項は消費者の安全確保ではないかと思います。これは商品スポーツの品質(消費者の安全な日常への復帰の確保のためのあらゆる施策)において欠陥があった可能性が考えられます。
もし何人ものガイドがいて危険が感知できなかったとしたら、彼らの経歴の程度とは関係のない部分で問題がなかったかと考えられます。またガイドを雇っている会社がそのような品質を業務上確保していなかったとしたら(それも大きな問題ではないかと考えます。)、会社として客の安全確保のためにとっとと現場を逃げ出すという予備計画がそもそもなかった可能性があります。これは重要ではないでしょうか。それがなかったとしたら、それ自体が登山計画という参加者の命にかかわる経営上の過失に相当するのではないかと思います。

 A指導者として
  多くの人数を引率する場合、それが軍隊などや体育系の団体ような規律の訓練を受けているものではないかぎり、少なくとも何人かの諦められない方々を説得して消費者の楽しみにとって最悪のこと(お金を払っているのに、達成感も楽しみもないままに、いやな思いのまに商品スポーツを終えること。またはこのような場合に参加者同士で険悪なムードとなってしまう可能性。)を受け入れてもらえるような指導力をどう発揮できるか、という、業務上の役務の品質管理をどのようにやっていたか、あるいは用意していたかの検証が重要ではないかと思います。リーダーシップには、ぐいぐい引っ張るという部分だけでなく、全体を険悪なムードにしながらも、そこに予見される危機からとりあえず抜けださせるという汚れの役割を引き受ける胆力として必要なのではと思います。
もっとも自分にはこのような胆力などないに等しいのですから、それを差しおいて偉そうなことを言ってすみません。

 B楽しみの放棄に伴う説明責任と補償の用意
  今回の事故前の状況に似た事態をあくまで仮定のこととして考えた場合で、もし私がその参加者だったとしたら、そのとき自分が続けたいと思っていたら、きっとむくれた険悪な顔をすることになったかもしれません。これは他の参加者にとっても嫌なことでしょう。それでもこれを納得させて楽しみを放棄させるためには、事前にこの場所での過去の事故の事例、他の場所での事例などを事前にきちんと公開しておき、さらに想像力を巡らせば考えうる困難な事態の可能性をきちんと説明し(口先の説明にとどまらないこと。拙著「商品スポーツ事故の法的責任」172ページを参照してください。)、その場合の撤退、あるいは現場から何を差し置いてもとっとと逃げ帰ることの必要性について説明を行っていたのかが重要なこととなるでしょう。そしてその場合にどれだけの補償を行えるのかの説明(賠償責任保険加入は最重要)の程度も重要な要素となると思います。ツアー会社はこういったことをどのようにこれを行っていたのでしょうか。


これからの事態の推移の報道や、調査報道・検証報道などで、この件をしっかりと扱っていただいて、その情報が提供されることを、今後の事故の予防のために今回の犠牲を無駄にしないためにも強く求めたいと思います。

あらためてここに、事故の犠牲者全員の方々へのお悔やみを申し上げます。

 

参考文献です(いずれも拙著)
「忘れてはいけない ダイビング セーフティ ブック」 
「商品スポーツ事故の法的責任」
「ダイビングの事故・法的責任と問題」
「ダイビング事故とリスクマネジメント」
 


平成21年7月18日
        19日一部修正
        20日一部修正

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