「小心者の勇気」 
トムラウシ遭難事故の検証を全文掲載
(「山と渓谷」2010年2月号より)


 平成22年1月15日発売の「山と渓谷」2月号に、昨年のトムラウシ遭難事故を商品スポーツの視点で検証する原稿を書かせていただきました。同誌160-161ページに掲載されています。
 しかし「山と渓谷」は月刊誌のため、現在この雑誌はバックナンバーを脚注するなどを行わないと入手できません。しかし本原稿発表後に、私への直接の反響もいくつかいただいたので、今後も興味と関心を持っていただける方のために、「山と渓谷」の許可を得て全文を掲載します。
 もし商品スポーツの見地からの登山事故予防などを考える討論会など、その他のご希望がありましたら、同誌や他のメディアなどにご要望を寄せてください。


小心者の勇気 トムラウシ山遭難事故を“商品スポーツ”の視点から検証する
            『山と溪谷』2010年2月号から全文掲載

気になるふたつの「なぜ」
@なぜ通信手段が確保されていなかったのか

 現在は衛星携帯電話がレンタルできる時代なのに、安全が最優先の登山ツアーの引率に一般の携帯電話しか用意しなかったのはなぜでしょうか(深い渓谷などでは衛星携帯電話でも通信困難かもしれませんが)。通信手段が確保されていたら、事故の予防から最悪の事態の回避に至るまで、さまざまな選択肢が得られたのではないでしょうか。
Aなぜ3日目に天候の回復を待つか、途中で引き返す勇気がなかったのか
 ガイドが参加者の意思と体力の程度を確認せずに風雨のなか出発を決めたことは、一行が中高年者であったことを考えるとなおさら、トムラウシ山で02年に発生した同様の遭難事故を教訓としていなかった可能性を考えさせます。途中、早めにヒサゴ沼避難小屋などの安全地帯に引き返す勇気と判断がなかったことが悔やまれます。

一.登山における「商品スポーツ」とは
 「商品スポーツ」は、レジャーとして広く一般に販売されている役務商品です。
 登山には、ロープを用いての登攀などのように、参加者が危険を受け入れることを本人も社会も了解している「冒険・挑戦型登山」と、この対極として、参加者が登山終了後に支障なく日常に復帰できることを前提として一般向けに販売されている「登山ツアー」という商品スポーツがあります。

二.商品スポーツ事故の婁者の刑事責任
 過去の登山事故例から、一一セコ雪崩事件(88年)、羊蹄山ツアー遭難事件(99年)、トムラウシツアー遭難事件(02年)、屋久島沢登りツアー事件(04年)の各刑事判決に共通した、責任に至る理由を整理します。

@参加者は業者に対し、安全に関する行動計画全般と現場での判断を委託している。

A一般向けの散策登山は、危険を予見し、その対処が可能である範囲で行なわれるべきものであり、したがって事故の際に、自然現象を業者の責任回避の理由とすることは認められない。

B業者には、危険を予見してただちに登山を中止し、その危険を回避する義務がある。

 これらは、まあいいだろう、たぶん大丈夫、などという一見「前向き」に見える判断や決定は、結果の免責の理由として認められがたいことを示しています。

 次に、海の商品スポーツであるスクーバダイビング事故の刑事判決(サバチ洞窟事件。3人死亡)で見てみましょう。
 この事故で死亡した客はプロのインストラクターを含む上級者でしたが、彼らが現地の業者(ガイド)に対価を払い、作成された潜水計画に沿って活動中に起きた事故だったので、潜水計画を立案して販売した業者の責任が認められました。またガイドが事故時に事故者たちを直接引率していなかったことについても、「被告人がグループの潜水計画の管理者として、第一次的にガイドダイバーとして責任を負うのは当然」としています(那覇地裁判決98年4月/上告棄却)。
 登山ツアーでの登山計画の立案・販売者と客の関係も同じではないでしょうか。

三.商品スポーツ事故と賠償責任
 空の商品スポーツである体験スカイダイビングの落下死亡事件では、09年6月、横浜地裁が商品スポーツの概念を採用し、業者側に約1億円の損害賠償を命じました。
 判決理由では、被告会社Aが「参加者を募集するに当たって、その危険性について特段触れていないこと自体、その安全性が確保されていることを黙示的に表示しているといえる」「Aによる体験タンデムスカイダイビングに係る役務の提供にあたっては、少なくとも死亡等の重大事故につながるような墜落事故を発生させることなく安全のうちにタンデムスカイダイビングを終了させることが約束され、これが本件契約の内容として含まれていたものと考えるのが相当である」
とし、「社会的に当然に期待される役務提供の内容としてAは、本件契約により、甲子(事故死亡者)に対し、生命身体に重大な支障を生じさせることなく安全のうちにタンデムスカイダイビングを終了させる債務を負っていたものと解するのが相当である」としています。
 登山ツアーでも、それが一般向けに販売されている商品スポーツである以上、ツアーの販売側は安全に登山を終了させる債務を負っているのです。

四.引率者・ガイドの品質
 山のガイドという仕事は、客の安全にかかわる重大な能力が求められることから、プロこそが行ない得る尊敬すべき仕事です。だからこそ、引率者やガイドが、客が楽しみを失い、金銭的損害を被る、ツアーの中止という最悪の事態を受け入れてもらえるような指導力や調整力を発揮できるか、という点は、商品スポーツの重要な品質となります。
 リーダーシップには、ぐいぐい引っ張る部分だけでなく、全体を険悪なムードにしてでも、予見される危機から客を抜け出させるという汚れ役をも進んで引き受ける胆力が求められます。当然、ガイドは客と会社の狭間で、時に不合理な苦しみを味わうことになるでしょう。しかしこの厳しさこそが、登山ガイドがまさにプロの仕事であることを示しているのです。またこの事実は、山のガイドの仕事はアマには不向き、あるいは「山が好きだから」という理由だけで行なってはいけない仕事だということも示しています。事故を起こした会社の過去の社員・ガイドの募集広告を見ると、この点を甘く見ていたのではないかと推測させます。

五.楽しみの放棄と脱明責任
 ツアー会社やガイドは、客が楽しみを放棄しなければならなくなる場合を想定して、ツアー募集に際し、常に過去の事故例を検討・評価し、その情報を公開し、さらに予想される困難な事態の可能性をわかりやすく説明(口先の説明に留まらない)できるようにしておかねばなりません(消費者基本法を参照のこと)。そして現場で危険が予見されたら、何をおいても撤退することの重要性について、参加者に理解を得ておく必要があります。
 事前の説明責任がどの程度必要かについては、スクーバダイビング死亡事故の民事裁判の事例が参考となるので紹介します。
 この事件で法廷は、業者がツアー当日の朝食後に行なったブリーフィングを、「参加者に対して被告らが主張するような説明をしていたとしても、それだけで直ちに、被告らが、参加者に対する安全を確保する義務を免れるものとはいえず」とし、消費者に対して予見される危険の情報、つまり「特別の危険性」が、単なる注意の域にとどまらず「警告」されて、それが受け手に確実に「留保」されるようにすることが必要であるとしました(東京地裁判決。04年11月)。
 これは、登山ツアーにおける説明責任の履行の程度を測る、ひとつの尺度になると考えられます。

六.トムラウシ山遭難事件の検証と教訓
 事故に至る各場面でのあるべき選択内容については登山の専門家にお任せし、私は商品スポーツの観点から検証します。
 まずはガイドの個々人の能力や適性、つまりトムラウシ山という現場での有為な経験値の程度、危険の予見能力に基づくリスクマネジメント能力、事態の推移に沿った判断と決断の能力、客や会社からの非難に堪え得る胆力などツアーを安全に終了させる能力全体の程度にかかる問題です。
 もし当時、これらが適切に発揮されていたなら、きっと結果は違ったものになっていたことでしょう。商品スポーツにおける品質とはそれほどに重要です。
 第二に、この事故に至った品質で構成された役務のパッケージを、欠陥を排除せずに販売していた会社の品質管理能力の問題が挙げられます。
 品質上の欠陥は、それを購入した消費者の安全に直結することから、会社はその結果の責任からは逃れられないと考えるのが自然です。しかも02年のトムラウシの遭難事故があまりに有名な事件でしたので、低品質の商品スポーツ販売がもたらす結果の重大性を.“知らなかった”ではすまないでしょう。
 最後に、かつて私自身が商品スポーツであるダイビングツアーの事故で九死に一生を得た経験を踏まえたうえで申し上げます。それは「小心さ」と「勇気」の大切さです。
 登山ツアーをはじめとする商品スポーツへの参加を考える消費者には、常に事故の可能性を無視せず、ツアーの計画内容やガイドの品質などに注意する「小心さ」が必要です。そして「勇気」をもって業者にこれらに関する情報の提供を求め、もしそのとき彼らがぐずぐずしたり、うやむやにしようとしたならば、それも踏まえて参加(商品スポーツの購入)するかどうかの判断をする必要があります。さらに、運悪く現場中止や途中撤退となったときに、期待していた楽しみと支払った代金を失う悲しみと、そのような「小心さ」を笑う人々に堪える「勇気」も必要です。
 今回のトムラウシ山の遭難事故を見ると、このような「小心さ」と「勇気」がもっとあったなら、事故を避ける、あるいは事故のエスカレートを回避できたのではないかと考えさせられます。本稿の序の「なぜ」は、ここに由来しています。

 参考:スポーツ事故の予防のためには、「事の危険の可能性および事故の現実性を観察・分析しこれらに対する実践的対策を提供する法学、言ってみれば応用法学を樹立することである。」千葉正士(「スポーツ法学から応用法学へ−」新世紀の法学のために−」2002年東海法学第28号1頁●訃報●
※本稿は、スポーツにかかわる人々の権利のためにカを尽くした千葉先生に捧げるものである。
 
 スポーツ実行者の危険の引き受けに関する研究は諏訪伸夫、スキー場の事故に関する研究は水沢利栄の、それぞれ優れた研究があるので参照されたい。
 
参考図書:専門書として、拙著「商品スポーツ事故の法的責任』(信山社)、同『ダイビング事故とリスクマネジメント一(大修館書店)、同「ダイビングの事故・法的責任と問題」(杏林書院)、共著「スポーツのリスクマネジメント一(ぎょうせい)。実用書として、拙著「忘れてはいけないダイビングセーフティブック」(太田出版)


 なお、本原稿に付け加えることとして私は、事前に危険を予見した上での予備計画がなかった(そう思えます。)こととと、ためらっているうちに重ねていった重層的な判断ミスが事故の原因と思っています。
 繰り返しますと、商品スポーツにおける、「予備計画の欠如」「判断ミス」「ためらいと逡巡」は、事故のエスカレートの推進剤ともなりえるということです。
 商品スポーツは安全に終了できることが最優先の、一般向けの、日常に支障なく復帰できることを前提としたレジャーですので、危険を予見したら直ちに撤退する、べつな言葉を使うと、「びびって、とっとと逃げる。」ことの真の意味(日常を確保し、家族や親類、仕事仲間に迷惑をかけないようにするための真の勇気とも言い換えられます。)の重要性とその深さを、ぜひ心に秘めた上で行ってほしいと思っています。

参考ページ:商品スポーツの事故と責任 シリーズ2 トムラウシ遭難事故の今と過去


平成22年3月22日

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