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 「再び」

 ここは三途の川検定所。再びテツの番が巡ってきた。
 「老犬テツよ、おまえの生前の行いは、はなはだ称賛に値する。あの少年もおまえの死を痛く悲しがっておるぞ。坊やの涙はおまえの善行を証明する。よって通常措置施行基準の第十二条を適用し、人間資格合格じゃ。これからおまえは人間に生まれ変わり、その人格を向上させるよう精進するのじゃ」
 補佐役がニコニコしながら「こっちだよ」と人間へ生まれ変わる橋を指し示した。しかしテツはその場を動こうとはしなかった。
 「待って下さい、私が悪い行いをせずにすんだのも、良い行いが出来たのもみんなあの坊やのおかげです。坊やに拾われなかったら私はきっとグレた野良犬になっていたでしょう。そしてそれどころか人を襲う凶悪な犬になっていたかも知れません。その私は死んであの少年を悲しませている。私は悪いことをしたのといっしょです、人間には失格です」きちんとお座りしながらテツが言った。
 「なあテツや、おまえの主人を思う気持ちがわからんでもないが、生き死にとはそういうものであろう。死ぬ時悲しまれるのは良い行いの結果であって、善悪の判定からは除外してかまわんだろうと思うのだが」
 「でも私はまた犬に戻りたい。そして、またあの心優しい坊やの元へ...この前のように、また生き返ることは出来ないのですか?」
 「しかしな、それはもう叶わぬ願いじゃ。おまえの亡骸はもうお墓の中に埋まってしまったのじゃよ。ずいぶん手厚く葬られたようじゃな」
 「おおお、なんて事だ、あの少年が私を思って悲しむのが目に浮かぶ! それを踏み台にしてまで私は人間になりたくない! 私はもう一度、あの少年の、これ以上がない笑顔が見てみたい!」
 テツは狼の遠吠えのような犬語で泣き叫んだ。
 テツはお座りをしたまま人間への橋へ進もうとはしなかった。補佐役が見かねて「おいでおいで」と手招きを始めたがそれを見てテツは「フセ」をして行く意志がないことを強調した。
 「困ったのう、おまえのような善良な者にはどんどんステップアップしていってもらいたいのにのう。おまえなら人間の段階も軽く卒業し、神の段階へも望めように。現代では人口は増えたが『神』候補が少なくて困っておるのじゃ。それに何より人間の方が長生きできるのじゃぞ」
 「検定長殿、でも特例を適用してしまったケースには特例を持って対応しなくてはならないでしょう。『ウソがウソを招く』と言うように」
 「ばかもん! ウソと特例をいっしょにするでない...しかしせっかく人間に生まれ変われるものを拒むとは...」
 検定長が腕組みをして思案をする間、テツは相変わらず伏せたままだった。
「良し分かった、おまえに特例を施すのはこれが最後だ。ええっと...これに相当する特例は、と」
 「あれ、そんな特例はないですね」補佐役が法律書をパラパラとめくりながら適当する条文を探していた。
 「いや、それが一番最後にあるんじゃよ。『その他、検定長が独自に判断し、適切と思われる措置』というのがな。法律はそんなに堅苦しいもんじゃないぞ...その『その他』を適用し、テツよ、おまえはまた犬として生まれ変わることを認めよう」
 「ああ、検定長様、ありがとうございます!」テツは感激のあまり、思わずチンチンをした。
 「まあよいよい、次にここへ来るときには人間へステップアップするのが条件として認めようではないか。よいな」
 「はい、わかりました。この次には是非人間にさせていただきます」
 「よろしい、約束じゃ。ただしその特例をもってしても、またあの坊やに巡り会えるかは、なかなかどうして約束する事はできん。巡り合わせも当人の引き合う心から...つまり、後はおまえの努力次第だ、がんばれるかな?」
 「ウオオーン!(はい)」
 テツは喜び勇んでまた犬の世界へ戻る扉へ向かった。
 その間、となりの補佐役は相変わらず法律書をパラパラとめくっていたが、検定長はその姿を見ながらニヤニヤしていた。
 「検定長殿、いくら探しても『その他』なんて条文ありませんよ。これはいけない...急いでテツを呼び戻しましょうか?」
 「おや、しまった。ワシの覚え違いかな...でも、まあ、無ければ作ったらよかろう。くどいようだが法律とはそんなに堅苦しいもんじゃないぞ。ささ、そんなことより次を呼べ。えーと、次は交通事故の人間か。酒に酔った上、飛ばしすぎで電柱に激突とな。ふむ、自業自得というやつか...おや、こやつ生前、飼い犬を道端に捨てておるな。こういう奴は捨てられた気持ちを分からせるため、一度犬の人生を経験してもらおうかの。チト早いがテツが人間になる時のアキは確保しておかんとな、ほっほっほっ」


 俊ちゃんはテツが死んでからずっとふさぎ込んでいた。もう2ヶ月ほど経つというのに未だにテツのことが忘れられない様子だった。テレビでアニメを見ても大笑いしないし、友達が来て遊んでいても、以前のように心の底から笑うことはなかった。
 幼い俊ちゃんにはテツの死が大人達の考えていた以上にショックであったようだ。 それでも大分落ち着いた方であった。テツが死んだときの悲しみ様はパパもママも手を焼いた。テツが死んで3日間は学校にも行けなかった。何しろ2時間おきに泣き出してしまったのだ。
 しかし今でも時々両親に見られないところで涙を流して泣いていた。
 そんな俊ちゃんを見かねて、今日ママはペットショップで子犬を探すことを決めていた。実はそれはパパと相談した結果だったのだ。
 「俊ちゃん、またワンちゃんを飼いましょう。ママ、これから駅前のペットショップへ行くけど俊ちゃんもいっしょにかわいいワンちゃんを探しましょうよ」
 「ボク...いかない」
 「行かないって、どうして? 俊ちゃんはワンちゃんが好きでしょ」
 「だって、どこに行ったって、もうテツはいないもん」
 「...」
 何と答えて慰めれば良いのか、ママは悩んだ。
 「そうね、テツは死んじゃったものね。俊ちゃんが好きだったのはワンちゃんじゃなくてテツだものね」
 こっくりと俊ちゃんが頷いた。そして思い出したかのようにまた表情が暗く沈んでしまった。
 <あちゃーっ、逆効果だった。余計悲しませたかな?>
 俊ちゃんは幼いなりにこのやるせない気持ちを紛らわそうとテレビゲームを始めた。しかし5分もしない内に飽きてコントローラーを放り出してしまった。
 以前はテレビゲームに熱中しているとテツがファミコンの上に寝っころがり、誤ってリセットボタンを押したりした。俊ちゃんがゲームを楽しんだのもテツが時々じゃましに来るからこそであった。
 寝っころがって漫画を読むが、それもすぐに放り出した。漫画を読むのもテツがその上に寝そべりに来るからであった。
 ポケビのビデオを見るけど膝の上にテツはいない。おやつを食べてもテツがおねだりに来ない。外へ行こうとしてもテツが追いかけてこない。
 俊ちゃんは何をやってもそれがテツの思い出に結びついてしまった。そして、ずっとこんな調子だった。
 どうにかしたいけどどうにもならない。俊ちゃんにとってテツがいかに生活に重要な位置にあったか改めて悟った。

 どうにかしたいのはママも一緒で、ここは一つ、無理矢理でも犬を飼うことを決断した。
 <犬が人間に慣れるのなら、人間だって犬に慣れることはできるはずよ。ダメならその時考えましょう>
 「でもママもさみしくてワンちゃん欲しいから、また飼ってもいいでしょ? 今度はママが散歩に連れて行くから」
 「...うん、いいよ。でもボクは知らないよ」

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