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 −ナンパさる−

 ロボ子の行動は日に日に安定していった。今までのゆっくりした歩行が駆け足ぐらいは平気になっていた。
 電車に乗る試験も実施済みである。
 揺れる車内でバランスを崩さず立ち続ける事はかなり難しいと予想された。その予想通り、発車時に派手に転んでひっくり返り、後ろへ一回転してしまったロボ子だった。その時は車内の注目を集めたが、それ以降は何事もなく、クスクス笑いながら時々ロボ子の方を気に掛ける乗客も2回目の床運動を見ることはなかった。電車のように目まぐるしく重心のずれる環境にも一度の失敗だけで順応する事が出来た。

 予算が充分あるうちに開発されたメカ的な部分での故障は一度もなく、ロボ子にとって社会通念などの知識を吸収するのが課題となっていた。
 差し迫ったデモンストレーションまでの間、ロボ子に休息はなく(もっとも機械であるロボ子には休憩など必要はないのだが)日中は二人をお供に実地試験、夜間はビデオやパソコンで情報収集を行った。
 ロボ子は何でもデータとして吸収していった。ほって置いても勝手に知識を広げていった。

 <3月10日(ロボ子誕生から一週間目)>
 ロボ子は週に一度、充電をする。今日は誕生から一週間目になり、朝から充電作業を始めていた。充電には非接触型の充電キットを血圧計のように両腕に巻き付け、蒸発して不足した分のバッテリー液を口から飲んで補給する。そんな間もロボ子は自分でセッティングしたビデオ資料を見ている。
 自分で何でもできるロボ子にはあまり手が掛からず、助手には退屈な時間が増えていた。充電が終わるまでの間、助手はテレビゲームで暇をつぶしていた。その姿が気になるのかロボ子も時々助手の方に視線が行く。
 「助手さん、いったい何をしているのですか?」
 「ああロボ子、勉強中に邪魔だったかな。これはテレビゲームと言って人間のする遊びだよ...おっとミスった!」
 「テレビゲーム?」
 「そう、ゲーム機にはプレイステーション、ドリームキャスト、ニンテンドー64なんかがあって...おっといけない、またミスった...みんなメイド・イン・ジャパンの高性能さ...こんちきしょーっ、ガッデーム!...お前の頭脳の中にもこのゲーム機から取り出したチップが使われてるんだ...おっと、そこでこう来るかっ、それならこうだっ!...ゲーム機のCPUは画像処理が得意だから、お前の目から入ってくる情報の処理にはゲーム機用のCPUが使われているんだ。こいつはその余りさ...おっしゃーっ、やった! クリアーだっ、へっへっへっ」
 「ずいぶん楽しそうですね」
 シューティングゲームを楽しむ助手が時々ガッツポーズを決める。そんな様子もじっと見つめて、ロボ子はまた何かの学習を続けている。

 <3月15日>
 日中の実地試験は引き続き行われている。
 今でも付きっきりで監視することに変わりはないが、博士と助手には退屈な作業となっていた。ロボ子の挙動はすっかり危なげなくなっている。博士達の監視作業もやや怠慢気味になり、時々ロボ子の姿を見失うこともあった。しかし、もし見失っても連絡が取れるようにロボ子にはPHSが持たされていた。

 今日もポケットにPHS、ハンドバックにマイクを仕掛けて町の観察がてらウインドウショッピングの最中だった。最近ではロボ子の選ぶコースはロボ子自身に選ばせている。ロボ子は初めて入ったお店が印象に強かったのか今日もランジェリーショップの前にいた。ウインドウに飾られたマネキンのキャミソールをじっと眺めている。その顔にはベッコウ縁のメガネ。
 行動が安定し、今は奈美ちゃんに似ていることが逆に災いする事を嫌って博士がつけさせたものだ。
 そんな今日は、いつもと違ってロボ子に話しかけてくる男がいた。

 「ねえねえキミ、よく芸能人に間違えられない?」
 その男はずいぶん気安く話しかけてきた。
 キャミソールへの視線を引きずりながら、ロボ子はその声の主へ振り向いた。
 「私、尾室奈美に似てると言われます」
 「おおー、ナイスリアクション。君自覚してるんだ、それなら話は早いや。ねえ暇にしてるならいっしょにお茶でもどう?」

 黒窓のワゴンの中では居眠り中の博士を助手がたたいて起こした。
 「博士、博士、ナンパですよ、ロボ子がナンパにあってますよ」
 「ううう、うむ、そうか...初めての事例じゃの。ロボ子がどう切り抜けるか興味津々じゃ、ふあーっ...」少し寝ぼけた博士が目をこすり、リアシートから起きあがった。

 「わたし、知らない人に付いていってはいけないと教えられました」
 博士が慌ててのぞき込んだ双眼鏡には、ナンパ男の肩がカクッと少し傾く様子が見て取れた。
 「あれれ、そんな子供みたいな理由で断らないで欲しいな。そんな理由で断られるのは嫌われるよりもっと辛いよ。ウソでも『忙しいから』とか『待ち合わせ中だから』とか言ってくれなきゃあボクだって引っ込めないしさ」
 「わたしウソは言いません。ホントに知らない人に付いていってはダメなんです」
 「うーん、そこまで言うんなら...じゃあこれからお知り合いになるっていう手もあるんだぜ」
 「これから?」
 「そう、ここで知り合っちゃえばもうお知り合いだ。君のうるさいパパにだって言い訳が立つだろう?」
 「でもあなた多分、私を騙そうとしてますね」
 「騙すなんてとんでもない。信用してよ。ぼくさあ、そこの旅行代理店で働いてるんだ。真面目な商売だよ」
 「それは信じてもかまいません」
 「クールだなあ。とりつくシマがない、てやつだな。ボクがいい奴だって事も信じてよ。ねえ、お茶でもどう?」
 「ダメです」
 きっぱりと断るロボ子にナンパ男は依然として諦めが悪かった。
 「やっぱりダメ? その理由が知らない人についていっちゃダメ...ウーンしょうがない。じゃあ今日はあきらめるとしてもだ、もしまた明日ここで君と会ったならもう知らない人じゃないよね?」
 「いいえ、会うのが二度目になる知らない人、になると思います」
 「ははっ、こいつはまいった。君は全くユニークだよ。この辺に住んでるの? 気に入っちゃったよ。また会えるかな?」
 「私、帰ります」
 「ねえ、気を悪くしないでさあ。これナンパじゃないよ、君に惚れちゃったんだよ、それも一目見ただけでさあ」

 その男はなれなれしくロボ子の肩を抱いてきた。それを双眼鏡で見ながら博士が「おやおや」とつぶやく。

 「さわらないでください」
 モニタースピーカーにはそのロボ子の声といっしょに乾いた音が響いた。
 「ああっ、博士! 見ましたか」と助手は双眼鏡を持つ手に力を込める。「ロボットが人間に手を上げました。平手打ちです。これは初めてのケースだ。今日のテストは今すぐ中止しましょう。人間に危害を加えるなんてプログラムミスです。まずいです。ほっとくと暴走して相手を殺しかねない!」
 助手は焦るが博士は落ち着いていた。
 「中止するといってもここからじゃあ無理じゃ。ロボ子を遠隔操作する装置などないからな。しかし心配には及ばん。ロボ子の奴さっそく使いよったか。かしこい娘じゃ」
 「え? 今何とおっしゃいました?」
 「賢い娘じゃと言ったのじゃ」

 ナンパ男は何かマイクにも入らないような声でぶつぶつ言いながらすごすごと引き返していった。 
 「ほらな、男に変わった様子はないじゃろ。あれは、普通の女の子に普通に殴られた時の普通の男の反応じゃな」
 「普通の...って何が言いたいのですか」
 「実はな、あの平手打ちは夕べお前が帰ったあとワシがロボ子に教え込んだものなのじゃ。最近電車にも乗れるようになって人並みに痴漢にも遭うようになってきた。これはロボ子が『いかに人間らしいか』を裏付ける結果としてワシはかえって喜んでおった。しかし如何せん、ロボ子は抵抗することを知らない。痴漢に遭ってもどこ吹く風、ただ『のほほん』としておるだけじゃ。まあロボットだし、これといった実害も無いのじゃから放っておこうとも思ったのじゃが、周りを取り囲む人間がそれを許さない。『何でこの子は痴漢が平気なの?』と逆に不思議がられてしまう...痴漢にもな。そこでワシが教え込んだのじゃよ。
 あの男は痴漢とは言えないじゃろうが、ロボ子はロボ子なりに判断しそれをもう応用しおった。賢い娘じゃ。
 なあに、心配にはおよばん。ロボットとは言え馬力は人間といっしょ。アゴを砕いて病院送りにするようなパワーは残念ながらまだ備えておらん。普通の女の子が普通にビンタするぐらいの優しい暴力じゃ」
 「はあ...」助手が双眼鏡から目を外し、博士の横顔をじっと眺めている。

 博士はこの日の結果にも満足して研究所へ帰った。
 試しに次の日も同じ時間、同じ場所にロボ子を立たせてみたが、あの男の姿を見ることはなかった。

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