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     3.夜のチャレンジャー

 北海道では一般的な家の窓は「二重窓」と呼ばれる内窓と外窓の二重構造になっている。そして逆に本州の建屋の様な雨戸がない。これは北海道の冬の寒さと雪対策の為のものなのだ。雪が積もる北海道の冬に毎日雨戸を開けたり閉めたりする事は出来ないからであった。
 仁木谷家では、まだ出していない荷物の中にカーテンがあった。そのカーテンがないおかげで二重窓から差し込む強烈な日差しに、皆朝早くから照らされていた。
 そのせいでその日の朝、家族はみんな早起きだった。その中で一番の早起きは母であった。
 母はまずリビングの照明がこうこうと点けっぱなしになっていることに気が付いた。
 「あらまあ、夕べ消し忘れたかしら?」
 <またお父さんにおっちょこちょい呼ばわりされてしまう>などと考えていると今度はリビングのソファーの上に寝ている友子を発見した。
 「あら友子、どうしてこんなとこに寝てるの」
 「ああ、お母さん、おはよう...ぐすん...」
 座布団を枕と布団代わりにしていた友子がその座布団の間から顔を覗かせた。
 「どうしたの、何かあったの」
 「...」
 「蛍光灯もおまえが点けたのかい? 何があったか言ってみなさい」
 「母さん、この家...出るよ」
 「出るって、何が?」
 「...」
 友子はソファーから起きあがり、黙って両手を胸の前に揃え、その指をだらしなく垂らせてみせた。それは日本人なら誰もがすぐに分かるジェスチャーであった。
 「あらイヤだ、本当かい? まあイヤだ、出たのかい? どうしましょ、ウソじゃないのかい?」
 「ほんとー...私、この部屋に寝るのヤダー」

 「いやあ、ぐっすり寝たなあ。何とすがすがしい朝だ!」
 そう言って父が起きてきた。父には記念すべき我が家での一泊目にそれなりの感情と思い入れがあったらしい。
 確かにみんなぐっすり寝ていた。それは友子が良く知っている。夕べ夜中に大声で「お化けだ」と騒いだのにも関わらず、誰一人起きて来なかったのだ。
 その幽霊話はみんなには秘密にしようと思っていたが母がいつの間にか言い広めてしまっていた。
 「寝ぼけてただけだろう、幽霊なんて言うのは人間の暗闇に対する恐怖心が生み出した作り話だ」と父。その父に友子が言い返す。
 「確かに真っ暗だったけど、うめき声がしたんだってば!」
 「友子は子供の頃から恐がりだったから猫の声か何かでしょ」と陽子。その陽子に友子が言い返す。
 「猫でも犬でもないよ、人の声だったのよ!」
 「枕が変わって変な夢を見たんじゃないですか。僕もどうやって夕べ寝室へ行ったのか覚えてないくらいですよ」と義昭。その義昭に友子は何も言い返さなかった。
 義昭は二日酔いで体調がすぐれないようだった。
 「あなた飲み過ぎよ、これ見てよ」
 そう陽子が指さしたのは夕べ父と義昭が飲み干したウイスキーのボトルだった。父がこの日のために取っておいたリザーブが空になり、オールドの瓶も残り半分になっていた。
 「随分飲んだんだなあ」
 「なに人事のように言ってるのよ、ほとんどあなた一人で飲んだのよ」
 「おい、あんまり大声出すなよ、うう、頭が...」
 「汗をかけば酒も抜けるだろう」などと父は義昭へ助け船を渡した。
 その義昭は午前中散々だった。恐らく頭痛や吐き気で手伝いどころではなかったであろうに健気にタンスを運び上げる姿は見ている方が気の毒に感じるほどだった。
 結局、友子の幽霊体験談はうやむやの内に忘れられようとしていた。

 「お父さん聞いてちょうだい、松田レンタさんから気になる話を聞いてきましたよ」
 母が買い物帰りに寄った松田レンタカーから昼のおかずといっしょに妙な話を仕入れてきた。
 「友子のことを話しましたらね、以前、高田さんておっしゃるお爺ちゃんがいて、良くこの辺を散歩していたんですって。それで、そのお爺ちゃんはこの家の辺りへ来ると必ず一本の木をじーっと眺めていたんですって。そのお爺ちゃんはその木の枝っぷりが気に入っていたらしく、それは死に分かれたお婆さんを懐かしむような目で...それで、その木と言うのが友子の部屋の、窓の外に立っている木なんですよ」
 「えええ、じゃあ、そのおじいちゃんの幽霊!?」
 友子が眉間にしわを寄せながら声を上げた。陽子は「本当?」と困った顔をして母へ視線を向けた。母は真顔で「うん」と頷いて答えた。
 しかししかめっ面の友子はこう追加して釘を刺した。
 「でも私の聞いた声はうら若い女だったよ」
 その場にいた一同は「ああ、これは違うな」と一斉に表情を変えた。
 なおかつ(これはあとでわかったことだが)高田老人は未だ健在で元気にしているとのことだった。仁木谷の家の工事が始まってから散歩のコースが変わったらしく、ただ見かけなくなっていただけだった。
 それでも母はこの幸先の悪いスタートに「除霊かお払いでも頼もうか」などと信心深いところを見せたが陽子が言った言葉に母は意気消沈させられた。
 「でも建前の時に上川神社さんにお払いに来てもらったんでしょ?」

 「ちょっと待って下さい、おかあさん。こうしましょう。今日はその部屋に僕が寝てみます。そして友子ちゃんの言ったことの裏付けを取ってみましょう。こんな新築の家に幽霊が出るなんておかしな話だ...もし本当の幽霊だったとしてもこうやってみんなが明るくワイワイやっていればきっとどこかへ逃げ出すはずですよ」
 「あなたそれ『となりのトトロ』でしょ」
 またも陽子が言った言葉に義昭は意気消沈させられた。
 「それにあなた、今日は二日酔いで役に立たなかったから汚名挽回したいだけなんでしょ」
 何でもお見通しよという陽子の薄ら笑いに父が攻撃を仕掛けた。
 「陽子、それを言うなら『汚名返上』だ、汚名は返上するものであって挽回してどうする」
 「ありゃ」と陽子。
 「とにかく今日は僕がこの部屋で寝ましょう」
 その義昭の提案に間髪を入れず陽子が「私はイヤよ」と言い返してきた。
 「分かってるよ、君は友子ちゃんと二階で寝なよ、久しぶりに姉妹水入らずで...姉妹に『水入らず』は変かな、お父さん、こんな時なんて言えばいいでしょう?」
 「枕を...交わす、かな」
 「かわす? 交わすの? なんかエッチっぽくない?」と陽子。
 「まあとにかく陽子と友子ちゃんは二階で寝てもらって、この部屋へは今晩私が寝てみましょう。これで『汚名返上』『名誉挽回』といきます、いいですよね」
 「くれぐれも名誉返上しないでね」
 陽子のイヤミに「相変わらずだなあ」と義昭が眉毛を八の字に曲げた。

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