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     5.にぎやかな幽霊

 信号が赤で止まるまでは義昭は無言を続けていた。助手席に座った博史はマイホームへ着くまでの間、後ろの友子とおしゃべりをしていた。
 「ええっ、本当? お兄ちゃんのことだから東京でもモテモテなんだとばっかり思ってた」
 「彼女がいなくて悪かったな。俺は好みが激しいんだよ」
 「ふーん、そうなんだ...じゃあ私の友達紹介してあげようか?「よっちん」っていう子で結構美人だよ。それにこの間、お兄ちゃんの写真見せたら気に入ったみたいだから...」
 「じゃあ俺もお返しに紹介してやるよ。優しくて、仕事が出来て、収入も良くて、とても頼りになる俺の課長さんだ」
 「もう、そんな冗談...それにお母さんだって言ってたよ、東京まで行って何してるのかって。ぐずぐずしてると私に先越されちゃうよ」
 「好きにしろよ。男は三十からが勝負なんだよ。だいたい俺は東京へ嫁探しに出た訳じゃないんだぞ...さっきからそんな話ばっかりだな...そうだ、ところで新しい家はどう、友子のお目にかなったか?」
 そう博史が問いかけたところ、友子は目をそらして黙り込んでしまった。義昭は元々無言ではあったが、期せずしてこの二人は例の不気味な現象の共通の体験者であった。二人とも揃って静まり返ってしまい妙な沈黙の時間が発生した。
 「おいおい、何かあったのか?」
 二人の反応がおかしいので博史は家に何らかのトラブルがあることを推察するのに難しくはなかった。
 「お兄ちゃん、実はね...出るの」
 「出る? 何が?」
 「お化けが...それもお兄ちゃんの部屋に」
 「俺の部屋に? 幽霊が?」
 「そうなの、私が第一発見者なのよ。その部屋で寝ていると夜中にうめき声がするの、うら若い女の切ない声で...でもウソだなんて言わないでね、私だけじゃないのよ、義昭さんだって同じ証人なんだから。お父さんはお兄ちゃんに正体を暴いてもらう気でいるのよ」
 その予想外な話に博史は少し困惑させられた。
 「本当かよ...正体と言っても...夏だから出てきたのかな? でも北海道の夜は涼しいし、日中なら冷房代わりに大歓迎としても夜中に出るとなると遠慮したいな。しかもよりによって俺の部屋なのか、ウーン...」
 これは大問題だと腕組みして正面に向き直った博史だったが、ふと気になることがあってまた友子の方へ顔を向けた。
 「友子、ちょっと聞いていいかな。おまえ俺の部屋で寝たと言ったよな」
 「うん」
 「その幽霊が出る部屋というのは元々が俺の部屋なのか? それとも幽霊が出るから俺の部屋になったのか、どっちだ」
 その博史の質問に運転席の義昭が「クッ」と少し笑った。
 「ええーっ...最初っからだよ...」
 「おまえはウソつくと目が泳ぐからすぐバレるんだよ」

 義昭のぎこちない運転の車が仁木谷家の前に到着した。
 「博史、今晩何食べたい?」母が言った。
 「お帰り博史、少し太ったんでないかい?」陽子が言った。
 「ほら兄ちゃん、こっちが例の...霊の部屋だよ」友子が言った。
 「おいおい、友子...」父が言った。
 家族の歓迎の仕方も人それぞれであったが、無言で迎えたのはすやすやと眠る赤ん坊の文美だけであった。博史の帰省でにぎやかな仁木谷家全員が大集合となった。

 帰ってきた博史に、またも父が家の中を案内する役となった。
 「親父ィ、この家の屋根はどうなってるの。屋根がないよ」
 「ああ気が付いたか、この家は無落雪建築と言って屋根が普通とは逆に凹んでるんだ。屋根の雪下ろしもしなくていいし、落雪事故防止にもなるんだ」
 「玄関の前にあるあのマンホールみたいなヤツ、あれは何?」
 「あああれか、あれは『融雪口』といって、雪ハネの雪をなげて中で溶かすんだ。地下に地下水を循環させるポンプがあって、夏には冷たい地下水で西瓜が冷やせるんだぞ」
 「あったまいい。冬に備えて完全防備だ」
 「まあ、父さんが考えた訳じゃないけどな」
 「それと、この家が建つ前、ここは何だったの?」
 「ほら、あそこに看板が見えるだろ、あの松田レンタカーさん。そこの倉庫だったらしいぞ。倉庫が建つ前はこの辺一帯がのどかなトウキビ畑だったらしい」
 「じゃあ今まで人が住んでた所じゃあないんだ...」
 それとなく幽霊の下調べをする博史だった。

 今夜の宴は久しぶりに帰った博史の東京での話に花が咲いたが、みんなが寝る頃になると自ずとお化けの話題に切り替わった。また今日も出るのかどうか皆気になっていたからであった。
 「良いからみんな自分の部屋で寝なさい。幽霊なんてこの世にいる訳ないんだから」
 父は幽霊なんか信じていなかったし、それ以上に新築のマイホームがこんな事でケチがつくのがイヤなようであった。父の命令で博史は自室で寝ることを余儀なくされた。
 友子が2階へ上がる前に「じゃあお兄ちゃん、がんばってね」と意味深に言葉を残した。博史は「ああ、お化けと仲良くなったら二階の部屋も紹介してやるよ」と言い返した。

 その時間が近づいていた。家族のみんなが寝静まり、ただ隣からは父のいびきが聞こえ始めた。
 お化け経験者の二人が言うには深夜の1時丁度だという。果たしてそんなに時間に几帳面な幽霊などいるのだろうか。
 博史はその機会を逸しないよう、暇潰しでやっていたゲームボーイをやめて身構えた。
 居間の方から新築祝いでもらった鳩時計が1回だけ「ポッポ」と鳴いた。そしてその鳩に間髪を入れず、それは聞こえた。

 それは聞こえた。来るらしいとわかっていながら、今日も時間通りにそれは聞こえた。
 ...ううーおーっ...

 博史はその声につられて「うおっ」と押しつぶした声を上げた。それと同時に何かが「ドン」という音を立てたのを聞いた。その音の正体は自分自身の出す鼓動であった。来ることが判っていたとしてもその不気味な声には驚かされた。友子や義昭が言うように確かに気味が悪い。
 博史は大人げなく悲鳴をあげるのは押さえる事が出来たが、体内で大暴れする心臓をおとなしくさせることは出来なかった。彼はその美しい二重瞼を三重四重にするように見開いた目で呻き声のする方向を凝視した。
 いくら壁を睨み付けてもうめき声は止まらなかった。しかもその声にはある特徴があった。それを聞いた博史にまた言いようのない恐怖感がこみ上げてきた。
 <この声...聞き覚えがある!>
 博史の脳裏に今まで付き合ってきた女性の顔が走馬燈のように次から次ぎへと浮かんでは消えていった。
 <誰か恨みを残して、死んで出てきやがったか!?>
 博史の回りの体感温度が一気に真冬になり、今度は彼をふるえが襲った。
 「お化けに会ったら紹介してやるよ」
 そう妹に強がりを言った手前逃げ出すわけには行かない博史だった。
 <ちきしょう、おまえが死霊なら俺は生き霊だ、同じ霊なら条件は対等だぞ。死んだ人間が怖くてこの平成の時代を生き残れるものか、幽霊なんかサ○ンやダイ○キシンに比べりゃまだ安全だ>
 そんなやけくその気持ちで、博史は呻き声へ立ち向かった。そうなると不思議なもので博史に冷静な判断力が戻ってきた。
 <あれ、この声はうめき声なんかじゃない、いや待てよ、この声は...>
 確かにその声に聞き覚えがあった。しかし一体誰の声だったかが思い出せない。それを確かめるために博史は意を決してその音の発生源に近づいていった。そして、声の主がこう言ったとき、それは思い出された。
 さあ目を覚ませ...

 母は博史の部屋から大笑いの声が聞こえて目が覚めた。一体何事かと母が博史のいる部屋へ様子を見に起きた。

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