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     6.この家の秘密

 ぐっすりと寝て、博史は目覚めた。枕元に置いてあった腕時計はもう10時を指していた。
 今日の睡眠不足の犠牲者は母だったようだ。
 朝から不自然な静けさがあったのは母が家中のものに何かをひそひそと打ち明けていたからであった。
 母は夕べのことをみんなに話していた。
 「夕べ、博史がバカ笑いする声が聞こえたから、母さん起きて様子見に行ったんですよ。『博史、だいじょうぶかい?』って聞いたらね『こりゃあ傑作だよ』って笑ってるんだよ。何だおもしろいテレビでも見てたのかと思ったけど...博史の部屋にテレビなんて無いんだよ」
 「ええええーっ」
 母の怪談話に友子が悲鳴を上げた。丁度その時、頭をぼさぼさにした博史が「おはよう」と言いながら起きてきた。
 「博史、大丈夫?」と陽子。
 「何が」
 「何がって、あなたがお化けに取り憑かれたんじゃないかって母さんが言ってるよ」
 「そうだよ博史、夜中に一体何大笑いしてたんだい?」
 その気の毒そうな顔をした母の側には「今日こそは」と用意された電話帳が置かれていた。
 「ははは、あれはお化けなんかじゃなかったよ。全く人騒がせな話さ」
 「じゃあ、分かったのかい!?」
 うつむき気味だった家族の顔が、途端に輝きを戻して博史を仰ぎ見た。
 「種明かしをするからみんなこっちおいでよ」
 博史はまだ布団を敷いたままの自分の部屋へ皆を呼んだ。父も義昭も博史の謎解きを聞きにぞろぞろと付いてきた。

 「いいかい、この家は今引っ越しで大忙しだ。日中は荷物の整理、夜は宴会」そこまで聞いて友子がプッと吹き出した。
 「そして大忙しの1日が終わってやっと床に入る。床に入ってすぐはまだ頭の中が今日一日のたいへんだったことを思い返している。ところがちょうどすやすやと寝入りばなだ、この辺りはとても静かなので普段は聞こえないような音が聞こえてしまう。今だって耳を澄ませば聞こえるんだ。その音とは...おい友子、こっちへ来て実際聞いてみな。あの窓側の壁に耳を当ててみな」
 「ええ!? 私が?...う、うん。でも一体何があるの?」
 兄のご指名に当惑気味の友子だったが正体を知りたいという好奇心もあった。
 「行ってみれば分かるよ、友子さん」
 そう博史に言われて、友子は恐る恐る壁の方へ近づいていった。
 「これっ!」
 その母の突然の声に友子は「ひっ」と声を上げその場に立ち止まり、金縛りのように固まってしまった。あまりの間の良さに博史も陽子もびっくりして、何事かと母の顔を覗き込んだ。
 「お布団の上を歩くもんじゃありません」
 「やだーもう、びっくりしたじゃない!」と友子。
 「お母さん、今の、幽霊より怖かったよ」と陽子。
 母は「私の娘時代はこういうしつけには口うるさく言われたものですよ」などと説教を続けていたが、最後尾にいた義昭は一人でクスクスと笑っていた。
 友子のびくびく近づく様子が滑稽で、博史はつい意地悪をしてみたくなった。壁の一点を見つめながら布団を避け、嫌々ながら進むのを再開した友子を後ろからどんと押してやった。
 「やっ! やっ! お兄ちゃん何すんの!」
 壁まで数センチの所まで押されて慌てて引き返した友子を見てみんなが笑った。
 「ははは、大丈夫だって。そいつは襲いかかって来るような生き物じゃないし、化けて出た幽霊でもない...ラジオだよ。声の正体はラジオ放送だよ」
 「ラジオ?!」と叫んだ声が家族の見事なコーラスになった。
 「さあ友子、壁に耳を寄せて聞いてごらん」
 友子は博史の顔と壁を見比べながら手のひらを耳に当て、上半身を壁側へ傾けた。
 「ああ、本当だ。聞こえる、ラジオ放送が聞こえる! 今ニュースを言ってるよ、えっ、なになに...帰省ラッシュで東北道が...40キロも渋滞してるって!」
 「まあそれは大変。博史、車じゃなくて良かったね」と母。
 父も義昭も次々に壁に寄ってそのラジオの音を確認した。

 「友子と兄さんが聞いたのは夜中の1時から始まる『ミッドナイト・クラブ』のディスクジョッキーの声さ。しかしまだやってたんだなあの番組...僕も受験勉強の頃良く聞いたものさ。受験生の眠気覚ましの為と言って突然ノリノリの叫び声で始まるんだよ。『ウー、イヤッホー、みんな起きてるかーい』とか『イエーイ、夜はこれからだよー』とか『さーあ、みんな目を覚ませ』とかね」
 「でもどうしてこんな所からラジオが聞こえるんだい?」
 その母の素朴な疑問には博史より先に父が口を挟んだ。
 「さては、この家がラジオ電波に共鳴するアンテナになっているのか。お父さんの若い頃に確かゲルマニウムラジオというのがあったぞ」
 「何ですか、そのゲルマン?ラジオって」と母。
 「ゲルマニウムだ...まだラジオが高価でなかなか買えなかった頃に流行った、石とアンテナだけで作るラジオのことだ。電源が無くてもラジオ放送が聞けたんだ。どういう原理かは知らないが、石っころとアンテナだけでラジオが鳴るなら家がラジオになっても不思議ではないな」
 母には全く理解不能とみえて「本当にそうなの?」と博史に助けを求めた。
 「鉱石ラジオってヤツだろ。僕も最初それは考えたけど答えはもっと簡単さ。何のことはない、壁の中にラジオがあるのさ、普通のラジオが。どうしてこんな所にラジオがあるのかは、おそらくこの家を建てた大工さんが落とした物だと思うよ。きっと仕事中に聴いてた携帯ラジオを落っことしたんだと思うんだ。恐らく暑い夏の作業だったので汗で手が滑って...この壁の隙間の中に落としたんだよ。まあ、何とか取り出そうとしたとは思うけど、狭いし、出来た壁を壊すわけにもいかないし、取り出すのをあきらめられたラジオが聞こえてるんだよ」
 「まあ、それがお化けの正体なの! 大工さんに文句言って取り出してもらいましょう」
 母はこの3日間の気苦労に怒りをあらわにした。
 「いいや、放っておいたってその内...それまではちょっと気になるだろうけどせいぜい2週間くらいで電池も切れるんじゃないかな、ラジオなら人にとりついたりしないから安心だろうし。まあ、間違いないと思うけど、この家を取り壊す時には僕の推理が正しかったことが分かるはずさ」
 「おいおい、建てたばっかりで壊す話はないだろう」そう父が言うと義昭がまたクスクスと一人で笑っていた。
 「幽霊の、正体見たり枯れススキ...枯れ尾花だったっけ?」
 博史は父のまねをして故事、格言のたぐいを駆使してみた。
 「でもお兄ちゃんの推理、職人さんの汗まで言及するに至っては素人はだしね」
 友子も博史に習って難しい言葉を選んでみた。
 「何言ってんだよ、それを言うなら『玄人はだし』だよ。でも確かに『見てきたようなウソを言い』だな...上の句は忘れた」
 「あ、そうそう...兄妹でも『水入らず』でいいらしいよ」
 義昭が急に思い出したように言った。
 「突然あなた、何の話?」
 「ほら、この間友ちゃんと陽子がいっしょに寝たときの話さ、『親子』でなくても『姉妹水入らず』と言うらしいんだ、辞書に書いてあったよ」
 「じゃあ枕は?」
 「ああ、それも調べたよ、枕を交わすのは男女の仲みたいだよ」
 「きゃあ、わたし友子と枕を交わしちゃった」

 仁木谷家始まって以来と言える珍事件も、にぎやかにその幕を閉じた。

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